アルメニア

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アルメニア共和国
Հայաստանի Հանրապետություն
アルメニアの国旗 アルメニアの国章
国旗 国章
国の標語 : Մեկ Ազգ , Մեկ Մշակույթ
(アルメニア語:一つの国家、一つの文化)
国歌 : 我が祖国
アルメニアの位置
公用語 アルメニア語
首都 エレバン
最大の都市 エレバン
政府
大統領 セルジ・サルキシャン
首相 チグラン・サルキシャン
面積
総計 29,800km²138位
水面積率 4.7%
人口
総計(2008年 3,083,000人(133位
人口密度 100人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 3兆6,500億[1]ドラム
GDPMER
合計(2008年 119億[1]ドル(134位
GDPPPP
合計(2008年 187億[1]ドル(122位
1人当り 5,272[1]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年9月23日
通貨 ドラムAMD
時間帯 UTC +4(DST: +5)
ccTLD AM
国際電話番号 374

アルメニア共和国(アルメニアきょうわこく)、通称アルメニア西アジア、南カフカスに近接する国家。首都はエレバン黒海カスピ海の間にある国で、西にトルコ・北にグルジア・東にアゼルバイジャン・南にイランとアゼルバイジャンの飛び地がある。1991年12月にソビエト連邦の解体により独立した。ナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンと、歴史認識をめぐってトルコと激しく対立している。

目次

[編集] 国名

正式名称はアルメニア語で、Հայաստանի Հանրապետություն(ラテン文字転写: Hayastani Hanrapetut'yun)。

英語の公式表記は、Republic of Armenia。通称、Armenia

日本語の表記は、アルメニア共和国。通称、アルメニア

[編集] 歴史

アルメニア人は自らをハイ(複数形はハイク)、国をハヤスタンと呼ぶ[2]

紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心にアルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国パルティアサーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。

1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教国教とした[3]。その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝モンゴルティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった[4]

1636年にアルメニアにはオスマン帝国サファヴィー朝ペルシアに分割統治されるが、1828年トルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺問題)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。

1936年ソビエト連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立。1988年アゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争ナゴルノ・カラバフ紛争)に発展した。これを契機としてアルメニアは独立を宣言したがソ連軍の侵攻を受けた。しかし1991年にソ連保守派のクーデタが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立を遂げた。しかしナゴルノ・カラバフ自治州を巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟。

[編集] 政治

政体は共和制である。国家元首は大統領で、任期は5年。大統領は、首相を任免し、首相の提案によりその他の閣僚を任免する。

議会は一院制で、任期が5年である。定数は131議席で、その内、75議席が大選挙区制、56議席が比例代表制である。

州知事と大都市の市長は、任命制である。

[編集] 地方行政区画

詳細は「アルメニアの行政区画」を参照

アルメニアの地方

アルメニアは、11の地方(marzer、単数はmarz)に分かれる。

  1. アラガツォトゥン地方 (Արագածոտնի մարզ; Aragatsotn)
  2. アララト地方 (Արարատի մարզ; Ararat)
  3. アルマヴィル地方 (Արմավիրի մարզ; Armavir)
  4. ゲガルクニク地方 (Գեղարքունիքի մարզ; Geghark'unik')
  5. コタイク地方 (Կոտայքի մարզ; Kotayk')
  6. ロリ地方 (Լոռու մարզ; Lorri)
  7. シラク地方 (Շիրակի մարզ; Shirak)
  8. シュニク地方 (Սյունիքի մարզ; Syunik')
  9. タヴシュ地方 (Տավուշի մարզ; Tavush)
  10. ヴァヨツ・ゾル地方 (Վայոց Ձորի մարզ; Vayots' Dzor)
  11. エレバン (Երևան; Yerevan)

[編集] 地理

アルメニアの地図

山脈と高原が広がる山国。平地はまれで、国土の90%において標高1000mを超える。3000m級の山岳も珍しくない。最大の平地は首都エレバンが位置するアララト盆地。名前の通りアララト山を見上げる位置にあり、トルコとの国境を流れるアラクス川(キュル川)の左岸に広がっている。アララト盆地の高度は800m以上。

中央部にセヴァン湖が位置する。森林は少なく、急流となった小規模な河川が多い。

ケッペンの気候区分によると、低地はステップ気候 (BS)、高地は亜寒帯湿潤気候 (Df)である。低地は雨が少なく、高地は多い。 首都エレバンの平均気温は11.4度、年降水量は318mm。1月の平均気温は-5.5℃、8月は25.5度である。しかしながら高地に位置すること、冬季に前線が停滞することなどから天候は変化に富んでおり、エレバンに限定しても-25℃から40度まで気温が変化する。

隣国のトルコやイラン同様、地震が多い。鉱物資源に富み、最南部で亜鉛モリブデンが産出する。石灰岩は全国に分布する。

[編集] 主な都市

  • エレバン - 首都であり、世界最古の都市の一つでもある。北緯40度10分、東経44度31分に位置する。人口約106万人(2004年)
  • クマイリ - 第2の都市、人口21万人
  • ヴァナゾール - 人口17万人

[編集] 経済

主要産業は、農業、工業、宝飾品加工業。都市人口率が65%と高く、農林水産業従事者は、国民の8%に過ぎない。農業では綿、ぶどう、野菜の栽培が盛ん。穀物としては小麦と大麦を産する。

主な輸出品は、ダイヤモンド (40.7%)、金、非鉄金属。主な輸入品はダイヤモンド (19.6%)、石油製品、天然ガスである。主な輸出国はベルギー、イスラエル、ロシア、主な輸入国はロシア、ベルギー、イスラエルである(以上2002年)。

日本との貿易関係は他国に例を見ない。主な輸出品はモリブデン鉱石 (52.7%)、美術品と骨董品、血清とワクチンの順である(2003年)。輸入品は建設、鉱山用機械 (62.6%)、トラック、電気機械である。

アルメニアは新生代、中生代の造山帯の中央に位置し、国内に多数の火山性塊状硫化物鉱床が点在する。このため、規模は小さいものの貴金属を産する。鉱物資源は金(2003年時点の採掘量は1.8トン)、銀(同4トン)、銅(同1.8万トン)である。

[編集] 国民

民族構成(アルメニア)
アルメニア人
  
96%
クルド人
  
1%
ロシア人
  
1%
その他
  
2%

住民の大半はアルメニア人(約96%)。公用語はアルメニア語。旧ソ連の構成国であったこともあり、ロシア語も幅広く通用する。

宗教では、単性論教会のひとつであるアルメニア教会の信者が大部分を占める。ほかにギリシャ正教カトリックの信徒がいる。301年に世界ではじめてキリスト教を国教化したことで有名。 他に少数民族として、クルド人アゼルバイジャン人も存在する。彼らの多くはイスラム教を信仰し、クルド人の中にはヤズディ教の信者も存在する。なお、イスラム教に改宗したアルメニア人であるヘムシン人と呼ばれる民族が、隣国トルコなどに存在する。

[編集] 文化

古くからワインの製造が盛んで、特にブランデーは有名。アルメニア・コニャックと呼ばれる。


[編集] 祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Ամանօր
1月6日 クリスマスユリウス暦基準) Սուրբ Ծնունդ 12月31日からクリスマス休暇。
4月7日 女性と母性の日
4月24日 虐殺の犠牲者の記念日 Եղեռնի զոհերի հիշատակի օր 1915-22のトルコ政府による虐殺
5月9日 戦勝と平和の日
5月28日 1918年の共和国の日 I Հանրապետության օր
7月5日 憲法の日 Սահմանադրության օր 1995年に憲法が制定されたことを祝す。
9月21日 独立の日 Անկախության օր 十字架挙栄祭と同一
12月7日 1988年の大地震の犠牲者の記念日

[編集] 観光

世界遺産として3カ所の文化遺産が指定されている。991年に創建されたハフパット修道院とサナヒン修道院、4世紀に創立したゲハルド修道院とアザート川上流域、4世紀に建立されたエチミアツィンの大聖堂と教会群およびズヴァルトゥノツの考古遺跡がある。

[編集] 著名人

ほか、アルメニアからの移民の子孫は多い。アンドレ・アガシ(プロ・テニス)など。

[編集] 脚注

  1. ^ IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 伝説ではこのハイ族の族長アルメナケが一族を率い、自らをと名乗り、一族をアルメニア族と名乗った事が、アルメニアの起源とされている
  3. ^ そのため、エルサレム聖墳墓教会の塗油台の壷は特別に2個おく事が認められている。他は、ローマコンスタンティノポリスアレクサンドリアアンティオキア、エルサレムの五大総主教座(ローマはカトリック教会、残りは東方正教会)、及び、コプト教会のアレクサンドリア総主教座が各1個。合計8個
  4. ^ その中の一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光
建築



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最終更新 2009年11月28日 (土) 16:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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