オペル・レコルト

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オペル・レコルトドイツの自動車メーカー、アダム・オペル社が1953年から1986年まで生産したドイツの代表的な中型ファミリーカーである。日本にも1970年代前半までは当時の輸入総代理店、東邦モーターズによって多数が輸入されたが、その当時はオペル・レコードと英語読みされることが多かった。

目次

[編集] オリンピア・レコルト(1953-1957年)

1955 Opel Rekord Cabriocoach
Opel Olympia Rekord (1957 model)

1953年3月に、1935年から作られていたオリンピアの後継車として登場し、1957年までに58万台が生産された。フェンダーが車体から独立していない戦後型スタイルをオペルでは初めて採用した。

  • 1953-54年型: 1488cc40馬力。最高速度120km/h。2ドアセダン(リムジーネ)、カブリオレとワゴン(キャラバン)の3種。当時のドイツでの販売価格は6,410マルクから6,710マルク。136,028台生産された。
  • 1955年型: リアウインドウの大型化、フロントグリル刷新など小変更。単にオリンピアと呼ばれる最廉価モデルやデリバリーバンを追加。(デリバリーバンは輸入制限の対象外であったため昭和30年代には日本にも輸入された) 当時のドイツでの販売価格は5,850から6,710マルク。131,586台を生産。
  • 1956年型: エンジンが45馬力に強化され、再びフロントグリル変更(格子状)。バンパーのオーバーライダーが廃止された。当時のドイツでの販売価格は5,410マルクから6,560マルクへとやや下げられ、144,587台が作られた。
  • 1957年型: フロントグリル変更(縦線に一本の横バー)、クロームのモールディングを追加。カブリオレは廃止される。当時のドイツでの販売価格は5,510~6,560マルク。169,721台を生産。

[編集] オリンピア・レコルトP I (1957年7月-1960年7月)

1958 Opel Rekord

車体が大型化され、前後窓が当時のアメリカ車の流行に沿ったラップアラウンドウインドウとなった。"Olymat"と呼ばれた自動クラッチも1960年モデルから装備可能となった。ギアボックスがフルシンクロされたのも欧州車では最も早かった。

  • 1958-59年型: 1488cc45馬力は従来通り。2ドアのベーシックモデル「オリンピア」と、上級の「オリンピア・レコルト」とワゴンの「キャラバン」「デリバリーバン」があった。(社外コーチビルダー製のコンバーチブルも少数生産され、レコルトCの時代まで存続した) 当時のドイツでの販売価格は5,785~ 6,845マルク(カブリオレは1万マルク以上した)。
  • 1959年型: 1680cc55馬力エンジンが選択可能となり、4ドア版も追加された。ダッシュボードにクラッシュパッドが設けられるなどの小改良を受ける。当時のドイツでの販売価格は6,545~ 7,110マルク。ベーシックな「オリンピア」は「オペル・1200」。(1196cc40馬力)と改名され、レコルトがPII発展した後の1962年まで継続生産された。PIレコルトは307,000台、他に1200が67.952台生産された。

[編集] レコルトPII (1960-1963年)

Opel Rekord P2 four-door saloon

「オリンピア」が付かない初の「オペル・レコルト」。ホイールベースはそのまま、ボディサイズが更に拡大され、ラップアラウンドウインドウは廃止され、ボディ外板も一新された。ボディタイプとしては2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラックがあった。1961年8月には2ドアクーペ、1962年には豪華な「L」バージョン、圧縮比を高め60馬力とした1700Sエンジンが追加され、4速フロアシフトも選択可能になった。当時のドイツでの販売価格は6,545~7,770マルク。787,684台が生産された。

[編集] レコルトA (1963-1965年)

Opel Rekord A

ボディは一新され、ホイールベースも2620mmに延長された。レコルトAのボディタイプも2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラック、そして2ドアクーペで、エンジンの種類は1500cc50馬力・1700cc60馬力・1700S67馬力であったが、1964年には後のコモドーレの先行車種とも言うべき、カピテーンの直列6気筒2600cc100馬力エンジンを搭載し、最高速度160km/h以上を出す「レコルトL-6」も追加された。 当時のドイツでの販売価格は6.830~9.370マルク。200マルクのオプションで前輪ディスクブレーキ、同じく180マルクで4速フロアシフトが選べた。レコルトAは885,292台が生産された。

[編集] レコルトB (1966-1967年)

Opel Rekord B

レコルトBの車体はAのマイナーチェンジに過ぎなかったが、エンジンが新設計のSOHCに一新された。(1492cc60馬力・1698cc75馬力、1897cc90馬力) このエンジンはCIH (cam in head)エンジンと呼ばれ、1986の最後のレコルトまで継承された。ただし、2600ccエンジンは従来と同じであった。車体バリエーションはAと変わらず、当時のドイツでの販売価格は6.980~9.570マルクと若干値上げされた。95マルクでサーボ付ブレーキが、950マルクでオートマチックが装備可能となった。296,771台が生産された。

[編集] レコルトC (1967-1971年)

Opel Rekord C

1,276,681台が生産され、最も成功を収めたシリーズである。信頼性が高く、室内は明るく広く、流行のコークボトルラインを取り入れたスタイルが好評であった。ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン(5ドアは新登場)、2ドアハードトップクーペ、デリバリーバンであり、エンジンバリエーションは1492cc58馬力(その後60馬力に)、1698cc60-66馬力・75馬力、1897cc90・106馬力(レコルト・スプリント・クーペ専用)、そして1967-1968年のみ存続した2239cc95馬力があった。当時のドイツでの販売価格は7,630~9,775マルクであった。

なお、6気筒車は1968年以降、コモドーレとして独立した。

レコルトCはまた、ベルギー南アフリカでは丸型4灯式ヘッドライトが与えられて「オペル・レインジャー」として、 ブラジルでは丸型2灯式ヘッドライトとアメリカ車的なフロントデザインに改変されて 「シボレー・オパラ(4気筒2500ccと6気筒4100ccエンジン)」として(後者は1992年まで)生産された車のベースとなった。

日本でもレコルトCは最も一般に親しまれたオペル車であった。東邦モーターズの車両提供により、宇津井健主演のテレビドラマ、「ザ・ガードマン」に登場し、広く親しまれた。この背景にはレコルトCの全幅が1755mmと5ナンバー枠を5.5cm数ミリ超えていたため、東邦がオペルに日本仕様車の車幅を狭く改造するよう要請、その代わりに仕入台数を増やさざるを得なくなったため、大々的な販促活動が必要になったという事情があった。

[編集] レコルトD(1972-1977年)

Opel Rekord D
Opel Rekord D Caravan

レコルトDは約110万台生産されたが、「D」がディーゼルエンジン車と誤解されやすいため。セールスツールではしばしば「レコルトII」と表記された。ガソリンエンジンは1897cc・1698 cc・2068 ccの3種類で、2068ccディーゼルエンジンも初めて追加された。ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン、2ドアクーペ(ピラー付に戻った)があり、豪華バージョンとして「ベルリーナ」が登場した。ベルギー製「レインジャー」(6気筒版もあった)も同時にモデルチェンジされ、1976年まで主にベネルクス3国で売られた。南アフリカでもシボレー2500・3800・4100として生産された。

1975年を最後に、親会社GMの方針によりオペルは対米輸出を中止した。(その後はいすゞ・ジェミニが「Opel by Isuzu」として輸出された) このため日本向け排気ガス対策を行うベースとなるエンジンが無くなってしまい、レコルトを含むオペル各社の日本への輸出は1976年をもって中止された。最盛期の1950-60年代前半にはフォルクスワーゲンに次ぐ人気を誇ったレコルトの輸入中止により、空白となった日本市場はアウディBMWに取って代わられ、1980年代半ばの輸入再開後もオペルは失地回復出来なかった。

[編集] レコルトE (1977-1986年)

Opel Rekord E1
Opel Rekord E2

最後のレコルトであるEは、1977-1982年のE1と82-86年のE2に分けられる。オペルの主力車種は既により小型のカデットアスコナになっており、C・D時代のような人気はなかったが9年間かけて140万台以上が生産された。英国ヴォクスホール社のヴィクターとの車種統合が行われ、1979年からヴォクスホール・カールトンとして、フロントエンドを変えて生産されたが、E2以降はバッジ類以外は全く同じ車となった。なお、レコルトEのチーフデザイナーは日本人の児玉英雄である。E2はオペル輸入を再開した東邦モーターズによって若干数日本にも輸入されたが、少数輸入枠による輸入で絶対数が少ないため、価格設定がより上級のBMW・5シリーズ並みになってしまい、ほとんど売れなかった。

1986年のモデルチェンジに際して、オペル・ヴォクスホール共通のオメガに改名され、30年以上続いたレコルトの名は消滅した。

最終更新 2009年5月10日 (日) 06:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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