カンゼ・チベット族自治州
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| 中華人民共和国 四川省 甘孜蔵族自治州 |
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| 山村の風景 | |
| 四川省中の甘孜州の位置 | |
| 簡体字 | 甘孜 |
| 繁体字 | 甘孜 |
|---|---|
| 拼音 | Gānzī |
| カタカナ転記 | ガンズー |
| チベット語 | དཀར་མཛེས་ |
| ワイリー方式 | Dkar-mdzes |
| 蔵文拼音 | Garzê |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 四川 |
| 行政級別 | 地級市 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 152,629 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2004) | 92 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0836 |
| 郵便番号 | 626000 |
| ナンバープレート | 川V |
| 行政区画代碼 | 513300 |
| 官方ウェブサイト: http://www.gzz.gov.cn/ | |
カンゼ・チベット族自治州(かんぜ-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国四川省に位置する自治州。
チベット名の「カンゼ (dkar mdzes)」とは、「白く美しい」の意で、中国名の「甘孜」はその音写である。
日本語ではチベット語にもとづく「カンゼ」というカナ転写のほか、漢字の表記を音写した「カンツー」などの表記例が見られる。漢字名の音読みは「かんし」。「プーリー」は「プー族」、「ランキョン」とは「自治」の意で、クルは州に相当する地方行政単位。チベットの伝統的な地理区分ではカム地方の東部に相当する。
目次 |
[編集] 概要
中国語では、チベット自治区のチャムド地区やこの州などのカム地方を「康」と略称する。この州の州都の中国名「康定(カンディン、チベット名: タルツェド、tar rtse mdo)」は、「カムの地を平定する」の意[1]。
カム地方の人々はチベット語で「カムパ (khams pa)」と称し、中国語でもこれを音訳して康巴(カンパ、拼音: Kāngbā )地区あるいは康区ともいう。東は四川省のアバ・チベット族チャン族自治州、雅安市、南は涼山イ族自治州、雲南省のデチェン・チベット族自治州と接し、西は金沙江(ディチュ河)沿いにチベット自治区のチャムド地区、北は青海省の、玉樹チベット族自治州、ゴロク・チベット族自治州と接する。
州内には沙魯里山脈、大雪山脈など、南北に走り横断山脈を構成する非常に高い山脈が連なる。また中央を雅礱江 (nyag-chu)が流れる。
[編集] 民族
- チベット族 - 康定県以西の山地
- 漢族 - 濾定県に集まり、康定県、丹巴県、九竜県に雑居する
- イー族 - 九竜県及び濾定県磨西鎮
- 回族 - 各地に散居するが、康定県に比較的多い。
- チャン族 - 丹巴県
[編集] 歴史
- この地方の詳細な歴史は「カム (チベット)」を参照。
- 1725年 - 雍正のチベット分割の際、この地のチベット人諸侯たちの所領は四川省に配分され、四川総督を介して清朝皇帝より所領の安堵を受ける(「カンゼ地方」という地域的枠組みの起源)。
- 1905年 - 1910年 - 四川総督趙爾豊は四川兵を率い、この地よりラサに至るまでの領域を占領、この地の諸侯や「西蔵」のガンデンポタンを取り潰し、「西蔵」「西康」の二つの省を設置しようと構想。
- 1912年 - 1933年 - 辛亥革命により、建設途上にあった趙の事業は瓦解、ガンデンポタンはチベット国の独立と国土回復を目指して東進、この地は中国とチベットの争奪の舞台となる。
- 1936年 - 長征途上の中国共産党、西康各地のチベット人たちに「チベット人政府(波巴政府)」を樹立させ、5月1日、これらの代表をカンゼにあつめて「チベット人政権全国大会」を開催、「チベット人人民共和国中央政府」を組織させる。
- 1939年 - 中華民国国民政府、名目上はカム全域を領域として西康省を発足させる。
- 1950年12月15日 - 中華人民共和国人民政府、西康省の名目上の領域のうち、西康省が実効支配を確立していたディチュ河以東の地に西康省蔵族自治区を設置。
- 1955年 - 西康省およびチベット族自治区を廃止し、「自治州」に格下げして四川省に併合、カンゼ・チベット族自治州となる。
[編集] 行政区画
甘孜州は以下の18県(ゾン、rdzong)から成る。
- 康定県(タルツェムド, dar rtse mdo) - カンゼ州の州都。主要地は同名の康定で標高 2,500 メートルにあり、3 キロメートル四方ほどの小さな町。古くからチベットと中国の交易の中継地として栄えた。現在、チベット寺院の他、回族のモスク、キリスト教会もある。チベット族、漢族と並んでイー族も多い。1954年にダライ・ラマ14世が北京に向かった際の滞在地[1]。(北緯30度03分03秒 東経101度57分50秒 / 北緯30.050819度 東経101.96394度 )
- 濾定県(チャクサム、lcags zam) - 大渡河を渡る1706年に作られた吊り橋・瀘定橋が名所。
- 九竜県(ギェスル、brgyed zur)
- 丹巴県(ロンタク、rong brag) - このあたりに住むギャロン・チベット族は、7世紀に始まったチベット族の支配によりチベット化した先住民族の末裔と言われる。言葉もチベット語とは系列の違うギャロン語を話す。文化的にもチベット族よりもむしろチャン族に近い[1]。
- 道孚県(タウ、rta'u) - タウのチベット人が話す言葉はまったくチベット語には聞こえず、近隣のどの言葉とも似ていない。西夏の末裔と言われている。古くから材木の産地として知られるが、周辺の山々は丸裸になってしまった。リンゴの産地としても有名[1]。
- 炉霍県(タンゴ、brag 'go) - 1973年春の大地震で廃墟となったが、その後再建された。チベット民族衣装率が高い。17世紀に創建されたゲルク派の大僧院ダンゴ・ゴンパがある[1]。(北緯31度23分52秒 東経100度40分39秒 / 北緯31.397751度 東経100.677509度 )
- 色達県(セルタル、gser thar) - チベット最大級のニンマ派の僧院、ラルン・ガル・ゴンパがある。東チベット全域で絶大な人気を誇るケンポ・ジグメ・プンツォクの出身地であり、ラルン・ガルに対する中国当局の監視体制は今も厳しい[1]。
- 甘孜県(カンゼ、dkar mdzes) - カム北部の中心地のひとつで交易の町。州の名前になっているが州都ではない。デルゲ、ニャロン、パンユルからの道がつながる交通の要所。ゲルク派の大僧院カンゼ・ゴンパがある[1]。(北緯31度26分00秒 東経100度37分08秒 / 北緯31.433204度 東経100.618973度 )
- 新龍県(ニャロン、nyag rong) - 旅行者は少ない。『チベット入門』の著者ペマ・ギャルポの出身地[1]。19世紀にここの首長ゴンポ・ナムギャルがニャロンの反乱を起こし、一時的に東チベット全域を制圧している[2]。
- 白玉県(パンユル、dpal yul) - ニンマ派6大本山のカトク・ゴンパ、ペユル・ゴンパがある[1]。
- 徳格県(デルゲ、sde dge) - 経典を印刷するデルゲ・バルカンがある。かつてデルゲ王が支配した小王国であり、昔から独立志向が強い地域だった[1]。吐蕃王朝から追放されたガル一族が7世紀に根拠とした[3]。1448年には第1代デルゲ王ボタル・タシ・センゲと行者タントン・ギャルポがサキャ派の寺デルゲ・ゴンチェンを創建する[1]。18世紀、ダライ・ラマ7世が一時亡命していたことがある[4]。また、18世紀のデルゲ王テンパ・ツェリンはチベット大蔵経のデルゲ版を完成させている[1]。
- 石渠県(セルシュル、ser shul, ザチュカ) - ゲルク派のセルシュ・ゴンパがある。
- 雅江県(ニャクチュ、nyag chu)
- 理塘県(リタン、li thang rdzong) - ダライラマ7世、10世の出身地。1950年代の反政府組織チュシ・ガンドゥクの総司令官、ゴンポ・タシの出身地でもある。リタン・ゴンパはダライ・ラマ3世が創建した[1]。(北緯29度52分29秒 東経101度19分06秒 / 北緯29.874588度 東経101.318321度 )
- 巴塘県(バタン、'ba' thang) - (北緯29度59分41秒 東経100度16分01秒 / 北緯29.994786度 東経100.267067度 )
- 稲城県(ダプパ、'dab pa)
- 郷城県(チャクテン、phyag phreng)
- 得栄県(デロン、sde rong) - カンゼ州で一番小さな県[1]。
[編集] 出身人物
[編集] 注釈、出典
[編集] 参考文献
- 旅行人ノート『チベット』第4版、2006年、ISBN 4-947702-56-7
- ロラン・デエ『チベット史』春秋社、2005年、ISBN 4-393-11803-0
- ペマ・ギャルポ『チベット入門』、1987年、ISBN 4-8175-1234-2
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月26日 (木) 08:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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