シュコダ
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シュコダ・オート株式会社(Škoda auto a. s.)は、チェコの自動車メーカーで、本社は中央ボヘミア州のムラダー・ボレスラフ(Mladá Boleslav)。ドイツのフォルクスワーゲン社の子会社で、チェコ国内自動車生産のシェア1位を占める。
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[編集] 概要
オーストリア=ハンガリー帝国領時代の1895年、書籍商のヴァーツラフ・クレメント(Václav Klement)と機械工のヴァーツラフ・ラウリン(Václav Laurin)が自転車メーカーのラウリン&クレメント(Laurin&Klement)社として創業した。当初「スラヴィア」(Slavia)ブランドで自転車を生産し、まもなく補助エンジン付き自転車も発売。1899年にはオートバイの生産を開始した。1901年に同社初の自動車「ラウリン&クレメント」を製造。1907年に株式会社化し、1912年にはリベレツの自動車メーカーレイヒェンベルガー自動車工業(RAF : Reichenberger Automobilfabrik)社を買収。第一次世界大戦の特需で急成長し、オーストリア=ハンガリー国内最大の自動車メーカーに成長した。
ラウリン&クレメント社は大戦後も乗用車やトラック、航空機用エンジンの製造を手がけて好調な業績を維持したが、1924年に大規模な工場火災が発生して経営困難に陥り、翌1925年、鉄道や兵器の製造工場、鉱山、醸造所などを経営するシュコダ工業株式会社(Škodovy závody, a. s.)に買収された。自転車とオートバイの製造はこのとき取りやめた。創業者の1人ヴァーツラフ・ラウリンは技師長として迎え入れられ、開発中だったラウリン&クレメント360をシュコダ360として1926年に発表。以後「シュコダ」ブランドで自動車を製造した。
1929年の世界恐慌で経営に打撃を受けたものの、新車種が市場に支持されて経営を立て直した。ナチス・ドイツによるチェコスロバキア侵攻後、ドイツの重工業メーカー、ヘルマン・ゲーリング工業の傘下に置かれ、第二次世界大戦中は、ヤブロネツ・ナド・ニソウとムニホヴェ・フラディシュチの旧RAF社工場で兵器と不整地用車両の製造を行った。これらの工場は1951年に独立し、バス・トラック専門メーカーの国営会社リベレツ自動車工業(LIAZ : n. p. Liberecké automobilové závody、2003年1月廃業)となった。
チェコスロバキア共和国は、終戦直後の1945年から戦後復興を目的に国内主要重工業企業の国有化を進めた。シュコダ工業は社会主義政権成立後の1948年に国有化が行われ、自動車製造部門が自動車工業国営会社(AZNP : Automobilové závody, n. p.)に、部品製造部門が国営会社シュコダ・プルゼニ(n. p. Škoda Plzeň)に分離された。AZNP社は先に国有化された自動車メーカー、タトラ国営会社が開発した乗用車、タトラT600「タトラプラン」の製造を行い、その後行われた国内の自動車生産体制再編で、タトラ社が高級車を、AZNP社が大衆車を開発・生産する形に整理された。
AZNP社の乗用車は引き続き「シュコダ」ブランドで生産され、1950年代後半から60年代にかけては、国際ラリーで優秀な成績をおさめ西側市場でも注目された「オクタヴィア」や、リアエンジンの小型車である「1000MB」「100/110」などを開発し、社会主義体制下の不利な条件にもかかわらず、国際的な競争力を維持し続けた。その後、主要市場である共産圏諸国の経済低迷にともなってAZNP社の開発・生産力も落ち、70年代に開発されたモデルを90年代まで製造し続ける状態となった。一方でペレストロイカ開始後の1987年には、イタリア・ベルトーネ社設計のFF車「ファヴォリット」(Favorit)を発表し、シュコダ車の健在ぶりをアピールした。
1989年の体制転換後、チェコスロバキア連邦政府は強力な外国資本を導入してAZNP社を民営化する方針を決めた。このときAZNP社ではフランス・ルノー社の東欧向け低価格車「ルノー・トゥインゴ」などの受託生産を行う方向で調整が進められていたが、ドイツのフォルクスワーゲン社が割って入る形で提携にこぎ着け、1991年にフォルクスワーゲン・グループの4番目のブランド、シュコダ・オート株式会社として民営化された。
民営化後、フォルクスワーゲン社は自社の技術・デザインをシュコダ社に持ち込んで大幅な近代化を進め、欧州市場をターゲットにフォルクスワーゲン車をベースにした「オクタヴィア」「ファビア」を発表。旧東欧企業のマイナスイメージを払拭する宣伝活動も積極的に行って成果をおさめている。現在はセルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、インドにも組立工場を持ち、フォルクスワーゲングループの販社によるオーストラリア市場への進出も図っている。2008年には累計販売台数が67万4530台に達した。
[編集] モータースポーツ
社会主義時代の1960年代に積極的に国際ラリーに出場していたシュコダは、1999年FIA世界ラリー選手権(WRC)にオクタヴィアで参加した。オクタヴィアWRCの最高成績は2001年サファリラリーの3位。2003年後半からはオクタヴィアより小さいファビアで参戦し、2004年のラリーオーストラリアではリタイアまで2位をキープした。同年にはラリージャパンにもワークスとして2台が初出場した。
ワークスチームとしてのシュコダは2005年でWRCから撤退し、2006年からはセミオフィシャルのレッドブル・シュコダチームとして、引き続きファビアWRCで参戦している。同年のラリーカタルーニャで5位、2007年のラリー・ドイチェランドでも5位の好成績をおさめている。
[編集] 民営化後の車種一覧
- ファヴォリット(Favorit) - 生産期間:1987年-1995年
- フェリツィア(Felicia) - 生産期間:1994年-2001年
- オクタビア(Octavia) - 1996年販売開始。フォルクスワーゲン・ゴルフベースの5ドアハッチバック車およびステーションワゴン
- ファビア(Fabia) - 1999年販売開始。フォルクスワーゲン・ポロベースのハッチバック車
- スペルブ(Superb) - 2002年販売開始。フォルクスワーゲン・パサートベースのセダン
- ルームスター(Roomster) - 2006年発売の多目的小型乗用車。ファビアと先代オクタビアからコンポーネントを流用
- プラクティク(Praktik) - ルームスターのパネルバン仕様
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月25日 (水) 14:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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