ジャパンカップ

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ジャパンカップ
開催地 東京競馬場
施行日 2009年11月29日
格付け GI
1着賞金 2億5000万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
負担重量 3歳55kg、4歳以上57kg
(牝馬2kg減)
第1回施行日 1981年11月22日
  
第27回ジャパンカップ(2007年11月25日 アドマイヤムーン優勝)

ジャパンカップとは日本中央競馬会(JRA)東京競馬場2400mで施行する中央競馬重賞GI競走(国際招待指定)である。

目次

[編集] 概要

正賞は農林水産大臣賞、アイルランド大使賞、日本馬主協会連合会会長賞、東京馬主協会賞。また八大競走ではないものの、国際招待競走であるため、日本ダービー同様に副賞として高級車が提供される。

ジャパンカップの1着賞金2億5000万円は日本国内の全競走の中で最高額である。

外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎飼料にかかる費用、馬主調教師騎手厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかに中山グランドジャンプジャパンカップダートがある。世界ではドバイミーティングドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。

この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの、国際招待競走であり、賞金額や開催規模が八大競走に匹敵していたため、八大競走と同等に扱われることもあった。

[編集] 歴史

1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され[1]海外の調教馬を招待して第1回ジャパンカップを開催する計画も持ち上がっていたが、時期尚早ということであえなく立ち消えになった経緯がある。当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、このジャパンカップで海外の馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。

1981年に記念すべき第1回は開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額である。北アメリカアジアから招待馬が選出されアメリカカナダインドトルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。「日本の馬が外国の馬と対戦するレースが見たい」という競馬ファンにとっては待ちわびた第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは、日本の一流所が海外(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に日本勢が惨敗した様子を見て、『日本は完全に敗れました!!』と叫びしばし絶句。海外とのレベルの差を痛感する結果となる。

翌年からは招待範囲がヨーロッパオセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった[1]。さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。その後も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、ファンにとっては海外との差を痛感するレースにもなった。しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せ、競馬ファンを驚かせた。

1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービー菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(JはJAPAN、CはCUPのそれぞれの頭文字)。

1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年ファルブラヴ2005年アルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。

2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。

2008年4月24日フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている(後述)。

[編集] 外国馬

かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。

しかし近年は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れ、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。近年、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて、地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金ではかなり高く、遠征費も全額負担となればかなりの厚遇である。

それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。近年欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。

このようにもはや現在、日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながらまったく違うものと考えられるようになってきている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。このような傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。

また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージ愛チャンピオンSを勝ったスウェインダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また、上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。

外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック、ワシントンDCインターナショナル欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップコロネーションカップインターナショナルステークスに優勝したシングスピール2000年の3着馬でジャパンカップ後にBCターフ愛チャンピオンSなどGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライト2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられるだろう。

逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービンキャロルハウスアーバンシーモンジューらは馬券に絡むことすらできなかった。

[編集] 国内馬

1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などを勝ったGI優勝馬がこの後に一年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題もあり、早々とジャパンカップ回避を公言するなどしてファンを落胆させたこともあり日本の出走馬が小粒になるということもあった。この行動は八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから、目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、さらに距離適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レースに照準を合わせる馬や、逆に小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することは皆無である。また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する[2]

[編集] 3歳馬

日本馬は優勝回数が12回と最も多いがその内3歳馬の勝利は1998年エルコンドルパサー2001年ジャングルポケットの2頭のみで、1984年には牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬シンボリルドルフが3着、1988年にはオグリキャップが3着、1993年には日本ダービー優勝馬ウイニングチケットが3着、1996年には秋華賞優勝馬ファビラスラフインが2着、1998年には日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着、2002年には天皇賞(秋)優勝馬シンボリクリスエスが3着、2003年には菊花賞優勝馬ザッツザプレンティが2着、2004年にはコスモバルクが2着、菊花賞優勝馬デルタブルースが3着、2006年にはドリームパスポートが2着、2008年にはNHKマイルカップ&日本ダービー優勝馬ディープスカイが2着とあと一歩のところで勝利できない馬も多い。

[編集] 主な前走

以下はジャパンカップに出走する競走馬の主な前走。

競走名 格付 開催国・団体 施行競馬場 施行距離
1 凱旋門賞 G1 フランス ロンシャン競馬場 芝2400m
2 チャンピオンステークス G1 イギリス ニューマーケット競馬場 直線芝10f
3 菊花賞 JpnI JRA 京都競馬場 芝3000m
4 天皇賞(秋) GI JRA 東京競馬場 芝2000m
5 ブリーダーズカップ・ターフ G1 アメリカ 持ち回り 芝12f
6 アルゼンチン共和国杯 GII JRA 東京競馬場 芝2500m

この他オグリキャップマイルチャンピオンシップから移動を伴う連闘でレースに出走するなどの例外も存在する(オグリキャップ以外ではバンブーメモリーイクノディクタスタイキフォーチュンが連闘で出走したことがある)。

[編集] 出走権

[編集] 日本馬の出走権

  • レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる。
  • 前年のジャパンカップ以降にGIで1着になった地方馬の内、収得賞金の多い馬1頭が出走できる。

1998年より2009年まで、出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く。)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかった事により出走できた事が物議を醸した為と考えられている。(参考:大阪スポーツ

[編集] 外国馬の出走権

ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[3]。2008年にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着のペイパルブルが初めて優先出走権を行使して出走している。

開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 優先出走権対象馬
1 イギリスの旗キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス G1 アスコット 芝12f 1着馬・2着馬
2 ドイツの旗バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m 1着馬
3 アイルランドの旗アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f 1着馬
4 フランスの旗凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m 1着馬・2着馬
5 アメリカ合衆国の旗アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f 1着馬

[編集] 褒賞金制度

2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に、褒賞金が1億円贈られるようになった。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており、秋古馬三冠を達成したテイエムオペラオーゼンノロブロイはこの褒賞金を獲得している。

2003年より、外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。指定競走・金額は以下の通り。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。また、導入当初の指定競走2着馬の褒賞金は6500万円であった。

2009年よりその範囲が拡大され、ジャパンカップにおいて3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。

開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 褒賞金
1 イギリスの旗ダービーステークス G1 エプソム 芝12f10y 当該競走の当年優勝馬
1着1億3000万円、2着5200万円、3着3250万円

当該競走の当年2着馬
1着5000万円、2着2000万円、3着1250万円
当該競走の前年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円

2 フランスの旗ジョッケクルブ賞 G1 シャンティイ 芝2100m
3 アイルランドの旗アイリッシュダービー G1 カラ 芝12f
4 イギリスの旗キングジョージ6世&クイーンエリザベスS G1 アスコット 芝12f
5 フランスの旗凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m
6 アメリカ合衆国の旗ブリーダーズカップターフ G1 持ち回り 芝12f
7 アメリカ合衆国の旗ブリーダーズカップクラシック G1 持ち回り ダート10f
AW10f
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 褒賞金
1 アメリカ合衆国の旗アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f 当該競走の当年優勝馬
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円
2 アイルランドの旗アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f
3 ドイツの旗バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m
4 カナダの旗カナディアンインターナショナルステークス G1 ウッドバイン 芝12f
5 オーストラリアの旗コックスプレート G1 ムーニーヴァレー 芝2040m
6 フランスの旗パリ大賞典 G1 ロンシャン 芝2400m
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 褒賞金
1 日本の旗ジャパンカップ GI 東京競馬場 芝2400m 前年優勝馬(日本調教馬を除く)
1着1億円、2着4000万円、3着2500万円

[編集] 歴史

[編集] 歴代優勝馬

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1981年11月22日 アメリカ合衆国の旗メアジードーツ 牝5 2:25.3 C.アスムッセン J.フルトン A.D.シェフラー
第2回 1982年11月28日 アメリカ合衆国の旗ハーフアイスト 牡3 2:27.1 D.マクベス S.ホッフ B.R.F.ストーン
第3回 1983年11月27日 アイルランドの旗スタネーラ 牝5 2:27.6 B.ラウス F.ダン F.ダン
第4回 1984年11月25日 日本の旗カツラギエース 牡4 2:26.3 西浦勝一 土門一美 野出一三
第5回 1985年11月24日 日本の旗シンボリルドルフ 牡4 2:28.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第6回 1986年11月23日 イギリスの旗ジュピターアイランド 牡7 2:25.0 P.エデリー C.ブリテン タビストック侯爵
第7回 1987年11月29日 フランスの旗ルグロリュー 牡3 2:24.9 A.ルクー R.コレ S.ウォルフ
第8回 1988年11月27日 アメリカ合衆国の旗ペイザバトラー 牡4 2:25.5 C.マッキャロン R.フランケル E.ガン
第9回 1989年11月26日 ニュージーランドの旗ホーリックス 牝6 2:22.2 L.オサリバン D.オサリバン G.W.ド・グルシー
第10回 1990年11月25日 オーストラリアの旗ベタールースンアップ 5 2:23.2 M.クラーク D.ヘイズ G.ファラー
第11回 1991年11月24日 アメリカ合衆国の旗ゴールデンフェザント 牡5 2:24.7 G.スティーヴンス C.ウィッティンガム B.マクノール
第12回 1992年11月29日 日本の旗トウカイテイオー 牡4 2:24.6 岡部幸雄 松元省一 内村正則
第13回 1993年11月28日 日本の旗レガシーワールド 騸4 2:24.4 河内洋 森秀行 (株)ホースタジマ
第14回 1994年11月27日 日本の旗マーベラスクラウン 騸4 2:23.6 南井克巳 大沢真 笹原貞生
第15回 1995年11月26日 ドイツの旗ランド 牡5 2:24.6 M.ロバーツ H.イエンチ イットリンゲン牧場
第16回 1996年11月24日 イギリスの旗シングスピール 牡4 2:23.8 L.デットーリ M.スタウト シェイク・モハメド
第17回 1997年11月23日 イギリスの旗ピルサドスキー 牡5 2:25.8 M.キネーン M.スタウト ウェインストック卿
第18回 1998年11月29日 日本の旗エルコンドルパサー 牡3 2:25.9 蛯名正義 二ノ宮敬宇 渡邊隆
第19回 1999年11月28日 日本の旗スペシャルウィーク 牡4 2:25.5 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第20回 2000年11月26日 日本の旗テイエムオペラオー 牡4 2:26.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第21回 2001年11月25日 日本の旗ジャングルポケット 牡3 2:23.8 O.ペリエ 渡辺栄 齊藤四方司
第22回 2002年11月24日 イタリアの旗ファルブラヴ 牡4 2:12.2 L.デットーリ L.ダウリア スクデリーア・ランカティ
第23回 2003年11月30日 日本の旗タップダンスシチー 牡6 2:28.7 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ
第24回 2004年11月28日 日本の旗ゼンノロブロイ 牡4 2:24.2 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第25回 2005年11月27日 イギリスの旗アルカセット 牡5 2:22.1 L.デットーリ L.クマーニ M.R.チャールトン
第26回 2006年11月26日 日本の旗ディープインパクト 牡4 2:25.1 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第27回 2007年11月25日 日本の旗アドマイヤムーン 牡4 2:24.7 岩田康誠 松田博資 ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回 2008年11月30日 日本の旗スクリーンヒーロー 牡4 2:25.5 M.デムーロ 鹿戸雄一 吉田照哉

[編集] ジャパンカップの記録

  • レースレコードタイム - 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
  • 2着との最大着差 - 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
  • 最多勝騎手 - 3勝 L.デットーリ(第16回、第22回、第25回)
  • 最多勝調教師 - 2勝 M.スタウト(第16回、第17回)

[編集] 特徴

  • 馬番ゼッケン馬名(片サイドに片仮名馬名、もう片サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回開催からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また1986年までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場及び大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している(ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている)。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。
  • 国際競走らしく第3回においては5着までの調教国が全て異なる結果となった。
    1着スタネーラ(アイルランド)
    2着キョウエイプロミス(日本)
    3着エスプリデュノール(フランス)
    4着ハーファイスト(アメリカ)
    5着マクギンティ(ニュージーランド)
  • 本競走の正式名称はあくまでジャパンカップであるが2000年のジャパンカップダート創設以降、混同を避けるためかジャパンカップターフと称するファンや関係者もいる。
  • 当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデーについては最終第11競走(この時も全11競走制)としておこなわれた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所、及び在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
  • 1993年ブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったという事件があった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件をきっかけとしてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
  • 1985年シンボリルドルフロッキータイガー船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの26回中5回ある。
  • 日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに4回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
  • 国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱はジャパンカップでは行われていない。

[編集] 脚注

  1. ^ 「レーシングプログラム」(日本中央競馬会) 2006年11月26日
  2. ^ 皐月賞東京優駿・菊花賞の場合は、現状では規定によりクラシックに登録していない3歳馬の参加ができない。一方ジャパンカップにはこの登録の必要がない。
  3. ^ ジャパンカップへの優先出走について(JRAホームページ、JRAニュース)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月24日 (火) 19:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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