ダイハツ・コンパーノ

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ダイハツ・コンパーノ
コンパーノ・スパイダー(初期型)
乗車定員 5人
ボディタイプ 2/4ドアセダン・3ドアワゴン/バン・2ドアコンバーチブル
変速機 4速MT・2速AT
駆動方式 FR
サスペンション 前:独立 ウィッシュボーン 縦置トーションバー
後:固定 半楕円リーフ
全長 3800mm
全幅 1425mm
全高 1430mm
ホイールベース 2220mm
車両重量 765kg
後継 ダイハツ・コンソルテ
-このスペック表は試行運用中です-

ダイハツ・コンパーノ(Daihatsu Compagno)は、日本自動車メーカーダイハツ工業1963年から1969年まで製造していた乗用車及び商用車である。

目次

[編集] 概要

オート三輪メーカーとして業界トップの座をマツダと争っていたダイハツ工業が、今後の成長分野として期待された乗用車市場に進出した第一作で、最初のプロトタイプは1961年秋の第8回全日本自動車ショウで発表された。しかしこのプロトタイプのフロントデザインは、どうしたことかイタリアの中型車フィアット・1800/2100に酷似しており、小型大衆車のスタイルとしてはいかにもアンバランスで、一般にも不評であった。

この反省を踏まえ、ダイハツは翌年の第9回東京モーターショーに美しいライトバンのプロトタイプを出品した。デザインは一挙にイタリアカロッツェリアヴィニャーレに委嘱された本場のイタリアン・デザインで、前年のプロトタイプとは見違えるほど美しく、好評を博した。その生産型として1963年4月に発売されたのが、「ダイハツ・コンパーノ・ライトバン」である。[1]

[編集] メカニズム

コンパーノの技術上の最大の特色は、このクラスでは日本車でもUP10系パブリカブルーバード410系など、既にモノコックボディが一般化していたにもかかわらず、あえて梯子型フレームを採用したことであった。必然の結果として車両重量は755kgと比較的重くなり、当初発売されたバンに搭載されていたOHV800cc41馬力エンジンでは最高速度110km/hに留まった。さすがに前輪独立懸架こそ採用されていたが、コンパーノの設計はこのフレームに象徴されるように良く言えば手堅く保守的、率直に言えばやや時代遅れなものであった。ただ、唯一時流よりやや進んでいたのは、ギアボックスが当初から全車4速フルシンクロで、オプションでフロアシフトも選択可能であった点である。

[編集] モデルの変遷

  • 1963年
    • 4月 「コンパーノ・ライトバン」発売。スタンダードとデラックスがありで、当時の価格はスタンダードで47万円。
    • 6月 「コンパーノ・ワゴン」発売。バンのデラックス版に相当。ダイハツ初の乗用車となった。価格57万円。
    • 11月 「コンパーノ・ベルリーナ」発売。当初は2ドアのみの発売。乗用車化はダイハツの自社設計。上方が根元より太く、ウインカーが埋め込まれたセンターピラーが特徴的。デラックスの内装は木目パネルやナルディ型ウッド調3スポークステアリングなどでイタリア風に演出されていた。価格はデラックスで57万8000円。当時セダンは一般には単に「ベルリーナ」と呼ばれることが多かった。
  • 1965年
    • 4月 「コンパーノ・スパイダー」発売。前年10月に開催された第11回東京モーターショーに出品された2ドアコンバーチブルの生産化である。エンジンを998ccに拡大、ツインキャブで最高出力65馬力・最大トルク7.8kgmとし、最高速度は145km/hとなった。フレームを持つため改造は比較的容易で、ファミリーユースにも使える4人乗りであることをアピールポイントとした。
    • 5月 スパイダーと同じ998ccにシングルキャブを装着し55馬力とした「コンパーノ・1000」を追加。以後のコンパーノは商用車も含めこちらが主力となり、当初の800ccエンジンは廉価版の一部にのみ残されるのみとなった。同時にベルリーナに4ドアセダンを追加。4ドアは最初から1000ccのみであった。
    • 10月 500kg積みピックアップトラックの「コンパーノ・トラック」発売
    • 11月 ベルリーナ2ドアにスポーティ仕様の「コンパーノ・1000GT」を追加。エンジンはスパイダーと共通であった。
  • 1967年
    • 4月 2速コラムシフトのAT車発売。
    • 6月 マイナーチェンジ実施。ヘッドライト・テールライト大型化、フロントグリル変更。最上級グレード「4ドア・スーパーデラックス」追加。スパイダーとGTのフロントにはディスクが装備された。車体も前後フェンダーのプレス形状が変更され、生産効率が高められた。また、機械式燃料噴射でやはり65馬力を発する「1000GTインジェクション」が追加された。[2]
  • 1968年
    • 4月 最後のマイナーチェンジでフロントグリルの変更。ノーマル系もスパイダーやGT同様のブラックグリルとなり、スーパーデラックスのテール部分には派手なガーニッシュが装着された。
  • 1969年
    • 4月 後継車種として、KP20系パブリカと共通の車体にダイハツ製1000ccエンジンを搭載するダイハツ・コンソルテ(当初は「コンソルテ・ベルリーナ」と呼ばれた)登場。トヨタ自動車との業務提携により、ダイハツは小型乗用車の自主開発から撤退することとなった。[3]コンソルテは2ドアセダンのみの設定で、スパイダー・ワゴンのみならず、パブリカには存在したバン・トラックも姿を消した。ただ、4ドア・スーパーデラックスのみが一年近く受注生産で販売継続となった。

[編集] 車名の由来

「コンパーノ」はイタリア語で「仲間」という意味(英語の「コンパニオン」と同意)。「ベルリーナ(Berlina)」は同じくイタリア語で「セダン型自動車」を意味する。

[編集] 参考文献

  • カタログで見る昭和30年代の車 [1]
  • Gazoo名車館 [2]
  • オールドタイマー 2006年8月号

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ ライトバンやピックアップを先に発売して、ワゴン・セダンを後から徐々に投入する手法はマツダ・ファミリアにも見られ、ホンダ・L700もライトバン発売後(ちなみにこの車種のピックアップトラック版にあたるP700もほぼ同期に投入された)、乗用車のプロトタイプ(N800。試作に終わった)を発表している。これは乗用車に関しては後発となる商用車やオートバイのメーカーが、自社の販路で売りやすい商用車の発売を優先させたのが理由とされているが、当時の通商産業省乗用車生産の新規参入を規制する「特定産業振興臨時措置法案(特振法案)」の成立を目論み、ダイハツ・マツダ・ホンダ等の小型乗用車発売に様々な圧力をかけていたという事情もあった。この特振法は1964年に成立が断念されており、コンパーノやファミリアのセダンは廃案前後に発売されている。
  2. ^ 日本車初の燃料噴射エンジン車であるが、ツインキャブと同一の性能で価格が高かったため、生産台数は非常に少なかった。現存車があるかどうかも疑問である。
  3. ^ その後、ダイハツは再び自主開発を再開、1974年に既に旧モデルとなっていたE20系カローラをベースに4ドアセダン「シャルマン」と四輪駆動車「タフト」を発売し、更に1977年には100%ダイハツ設計によるリッターカー「シャレード」を登場させる。

最終更新 2009年9月4日 (金) 14:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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