ハナ肇とクレージーキャッツ
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| ハナ肇とクレージーキャッツ Hajime Hana&The Crazy Cats |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ジャズ、お笑い |
| 活動期間 | 1955年 - 現在 |
| レーベル | EMIミュージック・ジャパン(旧東芝EMI) |
| 事務所 | 渡辺プロダクション |
| 共同作業者 | 渡辺晋、青島幸男、萩原哲昌、宮川泰 |
| メンバー | |
| ハナ肇 谷啓 植木等 犬塚弘 桜井センリ 安田伸 |
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| 旧メンバー | |
| 石橋エータロー | |
ハナ肇とクレージーキャッツ(ハナはじめとクレージーキャッツ)は、日本のジャズ・バンド、お笑いタレント、歌手グループ。
元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが面白く、"You, crazy."と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。数多くのバラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。略称「クレージー」。
目次 |
[編集] 概要
1960年代に一世を風靡したコミックバンド。バンド結成時にその資金を出したのが渡辺晋であり、そのため、結成当初から渡辺プロダクションに所属した。
1955年の結成後、ジャズ喫茶での音楽ギャグで人気を博し、『おとなの漫画』(フジテレビ)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)などのテレビ出演をきっかけに人気が爆発した。映画でもクレージーの出演作は東宝のドル箱シリーズとなり(東宝クレージー映画)、挿入歌として発表されたシングル『スーダラ節』『ハイそれまでョ』『ドント節』なども軒並み大ヒットを記録する。
しかし、1965年を過ぎた頃から、植木・ハナ・谷・犬塚ら主要メンバーの個人活動が多くなり、石橋エータローが1971年1月に脱退した頃にはグループとしての活動機会はめっきり減ってしまった。1980年代以降は、コメディアンというよりは各メンバーとも俳優としての性格が濃くなり、グループとしては実質的な解散状態を迎えていた。
その後も幾度かグループで出演したこともあるが、1993年9月にリーダーのハナ肇が死去したことで、植木等から正式な解散宣言が出された。この宣言は翌日には撤回されているが、その植木も2007年には他界してしまい、2009年の時点で存命のメンバーは谷、犬塚、桜井の三人のみとなっている。
所属事務所、渡辺プロダクションの後輩にはザ・ドリフターズやザ・ピーナッツ(クレージーを含めたこの3グループで「ナベプロ3大タレント」と言われることもある)がいる。ザ・ドリフターズが1964年に再結成した際に、メンバー全員の名付け親となったのはハナ肇である。また、ザ・ピーナッツとは映画や番組での共演が多数あった。なお、渡辺プロダクションは、1960年代に数多くの人気タレントを抱えていたことで、反発を買うケースも多かったようだが、事務所の黎明期から在籍し、才人ぞろいのクレージーキャッツとザ・ピーナッツが同プロダクションの看板タレントであったことが、その反感をやわらげる上で大きく役立った面もあったようである。
クレージーは多数のコミックソングを世に送り出している。グループ名義の楽曲は、大半は植木の独唱であるが、サビの部分のみメンバー全員で合唱する場合もある。デビューシングルの「こりゃシャクだった」にはメンバーによる寸劇が挿入されている。「五万節」「ホンダラ行進曲」」「悲しきわがこころ」「新五万節」は植木を含む全メンバーが1コーラスずつ歌っている。また「実年行進曲」は全員の合唱・谷・ハナ・植木の順で1コーラスを4小節ずつ歌い継ぐ構成になっている。
なお、無名時代からクレージーファンで、一時期はクレージーのブレーン役でもあった小林信彦は、「クレージーで一番面白いのは『生』、次が『テレビ』、一番面白くないのが『映画』」と語っている。
「この際カアちゃんと別れよう」というオリジナル曲もあるが、実際のメンバーは全員良き家庭人であり、スキャンダルや人格批判にはほとんど無縁というグループでもあった。
著名なファンに「実年行進曲」を作曲した大瀧詠一とメンバーの植木等とドラマで共演した事もある所ジョージがいる。
[編集] 略歴
- 1955年4月1日 - クレージーキャッツの前身となる「キューバン・キャッツ」が結成される。結成当初のメンバーはハナ肇、犬塚弘、萩原哲晶、橋本光雄、柴田昌彦、南晴子、筑波礼子。同年1月に設立された渡辺プロダクションに所属する。
- 1961年6月4日 - 『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)が放送開始。
- 1961年8月20日 - 「スーダラ節」発売。これにより爆発的な人気を得る。また同月、石橋エータローが復帰するが、代役であった桜井センリもそのまま残り、以降7人のメンバーによる活動となる。
- 1962年7月29日 - 東宝クレージー映画第1作『ニッポン無責任時代』公開。主題歌として発売された「無責任一代男」も大ヒットを記録。以降、1960年代後半まで、映画、テレビ、舞台、レコードなど、全ての面で高い人気を誇る時代を迎えることになる。
- 1962年12月31日 - 第13回NHK紅白歌合戦に初出場。歌は植木等のみだったが、他のメンバーも応援で登場。以降、クレージーは1970年まで(応援団としても含め)連続出場する。
- 1964年12月31日 - 『おとなの漫画』放送終了(全1835回)。
- 1973年10月1日 - 最後のレギュラー番組となった『クレージーの奥さ~ん』(フジテレビ)放送開始(~1976年3月31日)。
- 1979年 - 5月、結成25周年記念の舞台『ハナ肇とクレージーキャッツ結成25周年記念公演~これで日本も安心だ!!』を公演。
- 1988年11月26日 - ハナ肇主演『会社物語 MEMORIES OF YOU』が公開。この映画には石橋エータローも含めたメンバー7人が出演し、ジャズ演奏を披露する。
- 2006年4月12日 - 渡辺プロダクション50周年記念テーマソングとして約20年ぶりに新曲「Still Crazy For You」を発売。
[編集] メンバー
[編集] ハナ肇
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府(現東京都)北豊島郡(現豊島区)長崎町生まれ。本名、野々山定夫(ののやま・さだお)。山手通り沿い要町交差点付近の実家(水道屋)で育った。工学院大学卒。芸名は、姓=興奮すると鼻の穴が大きく開くクセから、名=ハナが敬愛したジャズ・ピアニスト和田肇(俳優和田浩治の実父、歌手淡谷のり子の前夫)に由来する。最初はギタリストを志していたが、途中でドラマーに転向し、1946年に「内藤タンゴ・アンサンブル」、1947年に「伊沢一郎カルテット」、1948年に「南里文雄とホットペッパーズ」、1949年に「萩原哲晶とデューク・オクテット」、1952年に「アフロ・クパーノ・ジュニア」などのバンド遍歴を経る。そして、犬塚弘、萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身となる「キューバン・キャッツ」を1955年に結成。その後、1956年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」にバンド名を改め、バンドマスターとなる。『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』でのヒッピー姿で叫ぶ「アッと驚く為五郎」と言うギャグや『新春かくし芸大会』での銅像役はよく知られている。俳優やナレーターとしての評価も高かったが、音楽への情熱は捨てがたく、1985年に谷啓や「キューバン・キャッツ」時代のメンバーであった稲垣次郎らなどと「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」を結成し、ジャズクラブでの演奏活動も行っていた。1993年肝臓ガンのため死去。
[編集] 植木等
- 詳細は本人の項目を参照
- 三重県多気郡宮川村栗谷(現多気郡大台町)、浄土真宗・常念寺住職の三男として生まれる。本名同じ。東洋大学卒。いくつかのバンドを経て、1957年3月に渡辺晋とハナ肇によってシティ・スリッカーズからクレージーキャッツに引き抜かれた。1962年に公開された映画『ニッポン無責任時代』以降は、「無責任男」が植木のキャッチフレーズとなり、以降数多くの映画に主演する。ボーカルとして数々のコミックソングがヒットし、テレビでも「お呼びでない?」など、後世に残るギャグで爆発的な人気を得る。1970年代以降は俳優としての活動の場が多くなったが、演技に対する評価は高く、多くの賞を獲得している。1990年には自身のヒット曲メドレー「スーダラ伝説」で人気が再燃し、23年ぶりに第41回NHK紅白歌合戦にも出場(この年の歌手別最高視聴率を獲得)した。翌年の1991年には、自身初となる全国ソロコンサートツアーも行っている。また、ハナ肇の告別式でクレージーキャッツの解散宣言を行ったのも植木である。晩年は闘病しながら活動していたが、2007年肺気腫のため死去。
[編集] 谷啓
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府(現東京都)荏原郡(現大田区)生まれ。広島と横浜で育つ。本名、渡部泰雄(わたべ・やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイをもじったもの。中央大学中退。大学在学時からトロンボーン奏者として活躍し、1952年に原信夫とシャープスアンドフラッツ、1953年にシティー・スリッカーズ、1956年2月からクレージーキャッツへ参加している。「ガチョン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」、「谷ダァー」といったギャグが流行を博したが、「譜面にギャグを書き込む」スタイルで音楽ギャグを作り、その才能を活かして『シャボン玉ホリデー』では自身が番組構成を行った回(1966年1月9日放送、「タニー・ケイだよピーナッツ」)もある。トロンボーン奏者としても、「スイングジャーナル」紙の人気投票では、1959年から1965年まで連続してトロンボーン部門のベスト5に入っていたほどの実力者である。ナレーターや俳優としても活躍し、映画『釣りバカ日誌』シリーズの佐々木課長役は当たり役である。クレイジーのメンバーとしては現在最もメディアへの露出が多く、若年層にも知名度が高い。また、「谷啓とスーパー・マーケット」というバンドを率いており、不定期ながらも音楽活動を行っている。
[編集] 犬塚弘
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府東京市大森区(現東京都大田区大森)の生まれ。本名、犬塚弘(いぬづか・ひろむ)。1949年文化学院社会学部卒。同校卒業後、日本ワットソン統計会計機械(現日本アイ・ビー・エム)に入社したが、1951年に退職。実兄が組んだハワイアン・バンド(グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ)に入り、ベースを担当したのが演奏活動を開始するきっかけとなる。その後、1952年に「萩原哲晶とデューク・セプテット」に参加し、1955年に「キューバン・キャッツ」の創立メンバーとして参加。なお、グループ初期にうけた「クレージーののど自慢」というコントは、犬塚と谷啓の作である。クレージーの一員としては「ワンちゃん」の愛称で親しまれ、1964年12月公開のハナ肇主演映画『馬鹿が戦車でやってくる』での好演により、植木等、ハナ肇、谷啓に次ぐクレージー『第4の男』として評価され、1965年7月に公開された『素敵な今晩わ』では初の主演を獲得している。1970年代からは性格俳優として映画、テレビドラマ、舞台などで脇を固めることも多く、最近でも『春よこい』、『少年メリケンサック』などの映画に出演し、精力的な活動を続けている。
[編集] 安田伸
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府東京市中野区(現東京都中野区)生まれ。本名、安田秀峰(やすだ・ひでみ)。1953年東京芸術大学卒。同年「フォー・デパーズ」に参加以降、1954年には石橋エータローらと「ザ・ファイブ」を結成し、1955年には「ハッピー・フーリナンス」に参加。その後、1957年9月に石橋エータローの紹介でクレージーに参加する。ブリッジしながらサックスを吹く芸が有名であった。1966年に体操家の竹腰美代子と結婚。愛妻家で知られ、そこから「ミヨコー!」というギャグが生まれた。『シャボン玉ホリデー』後期のコント「キントト映画」では、なべおさみ扮する監督に、安田扮する助監督が「ヤスダーッ!」と怒鳴られ、なべにメガホンで頭を連打されるギャグも有名となった。俳優として映画や舞台などで活躍したが、晩年はガンとの闘病が続いた。1996年に急性心筋梗塞で死去。
[編集] 石橋エータロー
- 詳細は本人の項目を参照
- 1930年東京・新橋の生まれ。父親は、作曲家で尺八奏者の福田蘭童。祖父は洋画家の青木繁。東洋音楽大学(現東京音楽大学)卒。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年に結核で一時離脱。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家に転進、渋谷で「三漁洞」という小料理屋を経営していた。1994年に胃ガンのため死去。かつて声楽を専攻していたこともあり、メンバーの中では植木と並ぶ美声である。
[編集] 桜井センリ
- 詳細は本人の項目を参照
- 1924年(公称は1930年)ロンドンの生まれ。早稲田大学第一政治経済学部に学ぶ。植木等らとバンドのピアノ奏者として活躍。石橋エータローの結核療養による活動休止のため、クレージーに参加。石橋エータロー復帰後もメンバーとして活躍。金鳥の殺虫剤「キンチョール」のCMに出演した際、「ルーチョンキ」のギャグでも好評を博す。コントやCMで披露した「センリばあさん」役は当時一世を風靡した。現在も俳優として活躍中である。
[編集] キューバンキャッツ時代
- 萩原哲晶(1925年 - 1984年、アルトサックス)
- 稲垣次郎(1933年 - 、テナーサックス)
- 柴田昌彦(テナーサックス)
- 石田正弘(テナーサックス)
- 橋本光雄(ピアノ)
- 南晴子(ボーカル)
- 筑波礼子(ボーカル)
[編集] 出演作品
[編集] 映画
- 詳細はハナ肇とクレージーキャッツの映画を参照
※ 太字は7人全員出演
- 裸の大将(1958年10月23日、東宝) - クレージーの映画初出演
- 足にさわった女(1960年8月24日、大映)
- 竜巻小僧(1960年11月1日、日活)
- 腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東京映画・東宝)
- 銭形平次捕物控 夜のえんま帖(1961年3月15日、大映)
- 黒い十人の女(1961年5月3日、大映)
- スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねェ(1962年3月15日、大映)
- クレージーの花嫁と七人の仲間 (1962年4月15日、松竹) - グループ初主演
- サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ(1962年5月12日、大映)
- ニッポン無責任時代(1962年7月29日、東宝)
- 私と私(1962年8月11日、東宝)
- 夢で逢いましょ(1962年9月15日、東京映画・東宝)
- 若い季節(1962年10月20日、東宝)
- ニッポン無責任野郎(1962年12月23日、東宝)
- ハイハイ三人娘(1963年1月29日、宝塚映画・東宝)
- クレージー作戦 先手必勝(1963年3月24日、東宝)
- 日本一の色男(1963年7月13日、東宝)
- クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年10月26日、東宝)
- 香港クレージー作戦(1963年12月22日、東宝)
- 日本一のホラ吹き男 (1964年6月11日、東宝)
- 無責任遊侠伝(1964年7月11日、東宝)
- ホラ吹き太閤記(1964年10月31日、東宝)
- 花のお江戸の無責任(1964年12月20日、東宝)
- 日本一のゴマすり男(1965年5月29日、東宝)
- 大冒険(1965年10月31日、東宝)
- 無責任清水港(1966年1月3日、東宝)
- 日本一のゴリガン男(1966年3月16日、東宝)
- クレージーだよ奇想天外(1966年5月28日、東宝)
- クレージー大作戦(1966年10月29日、東宝)
- クレージーだよ天下無敵(1967年1月14日、東宝)
- クレージー黄金作戦(1967年4月29日、東宝)
- クレージーの怪盗ジバコ(1967年10月28日、東宝)
- 日本一の男の中の男(1967年12月31日、東宝)
- クレージーメキシコ大作戦(1968年4月27日、東宝)
- 空想天国(1968年8月14日、東宝)
- 日本一の裏切り男(1968年11月2日、東宝)
- クレージーのぶちゃむくれ大発見(1969年1月1日、東宝)
- クレージーの大爆発(1969年4月27日、東宝)
- 奇々怪々 俺は誰だ?!(1969年9月27日、東宝)
- 日本一の断絶男(1969年11月1日、東宝)
- クレージーの殴り込み清水港(1970年1月15日、東宝)
- 日本一のヤクザ男(1970年6月13日、東宝)
- 喜劇 負けてたまるか!(1970年6月13日、東宝)
- 日本一のワルノリ男(1970年12月31日、東宝)
- だまされて貰います(1971年4月29日、東宝)
- 日本一のショック男(1971年12月31日、東宝)
- 喜劇 泥棒大家族 天下を盗る(1972年10月28日、東宝)
- 会社物語 MEMORIES OF YOU(1988年11月26日、松竹・日本テレビ・SEDIC・坂本事務所)
[編集] テレビドラマ
[編集] バラエティ他
- ミュージック・パラダイス(NTV) - クレージーキャッツ初登場作
- 魅惑の宵(NTV)
- ペトリバラエティー(NTV)
- 光子の窓(NTV)
- おとなの漫画(CX)
- クレージーキャッツショー(CX)
- 週刊クレージー(CX)
- シャボン玉ホリデー(NTV)
- ザ・ヒットパレード(CX)
- 歌まねXさん(TBS)
- 歌まねチャンピオン(TBS)
- NHK紅白歌合戦(NHK)
- クレージー作戦(NTV)
- 7時半だヨクレージー(CX)
- 新春かくし芸大会(CX)
- センリばあさんのクレージー大変記(NET)
- 植木等ショー(TBS)
- 8時だョ!出発進行(TBS)
- クレージーの待ッテマシタ!(CX)
- クレージーの奥さ~ん(CX)
[編集] CM
- 1966年
- 1986年(BGM「実年行進曲」)。
- 出演依頼はメンバー全員に対して行われたが、植木等は不参加(当時、「無責任男の植木」というイメージに嫌気が差していたためだと囁かれている)、また石橋エータローは既に脱退したことから、最終的に5人での出演となった。
[編集] ディスコグラフィ
コミックソングがほとんど。CDなどでは、植木等や谷啓名義の場合もある。
- スーダラ節 / こりゃシャクだった(1961年8月20日)
- スーダラ節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- 売り上げ50万枚以上の大ヒット。第4回日本レコード大賞企画賞受賞。
- こりゃシャクだった(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 『おとなの漫画』のヒットフレーズ。当初はこちらがA面であった。
- ドント節 / 五万節(1962年1月20日)
- ドント節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- 五万節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇、谷啓、植木等、クレイジーキャッツ)
- オリジナルヴァージョンは歌詞の一部が問題視され発売禁止になった。その直後に3番と6番の歌詞が変えられて発売。1995年にオリジナルヴァージョンもCD化され発売された。
- 無責任一代男 / ハイそれまでョ(1962年7月20日)
- 無責任一代男(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ハイそれまでョ(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- これが男の生きる道 / ショボクレ人生(1962年12月20日)
- これが男の生きる道(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ショボクレ人生(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- いろいろ節 / ホンダラ行進曲(1963年4月20日)
- いろいろ節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ホンダラ行進曲(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇、植木等、谷啓、クレイジーキャッツ)
- どうしてこんなにもてるんだろう / ギターは恋人(1963年7月20日)
- どうしてこんなにもてるんだろう(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ギターは恋人(作詞・作曲・歌:植木等、編曲:萩原哲晶)
- 図々しい奴 / 愛してタムレ(1963年8月20日)
- 図々しい奴(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:谷啓)
- 愛してタムレ(作詞:ヒライワ・タカシ、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:谷啓)
- 学生節 / めんどうみたョ(1963年12月20日)
- 馬鹿は死んでも直らない / ホラ吹き節(1964年6月20日)
- 馬鹿は死んでも直らない(作詞:塚田茂、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ホラ吹き節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- 前奏、間奏、後奏に疑似ステレオ処理が施してある。
- あんた誰? / 天下の若者(1964年8月20日)
- あんた誰?(作詞:塚田茂、作曲・編曲:山本直純、歌:谷啓)
- 天下の若者(作詞:塚田茂、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:谷啓)
- だまって俺について来い / 無責任数え唄(1964年11月15日)
- だまって俺について来い(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- 2001年に天童よしみによってカヴァーされたものが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のテーマソングとして使われた。
- 無責任数え唄(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- ゴマスリ行進曲 / 悲しきわがこころ(1965年4月5日)
- ゴマスリ行進曲(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 悲しきわがこころ(作詞・編曲:萩原哲晶、作曲:原曲不詳、歌:ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 唯一クレージーキャッツの全員の単独パートがある曲。
- ヘンチョコチンなヘンテコリンな娘 / 小指ちゃん(1965年10月1日)
- 遺憾に存じます / 大冒険マーチ(1965年11月15日)
- 遺憾に存じます(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- 前奏は「抱きしめたい」風。演奏は寺内タケシとブルージーンズが担当。
- 大冒険マーチ(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 何が何だかわからないのよ / シビレ節(1966年3月15日)
- 何が何だかわからないのよ(作詞:笠原良三、作曲・編曲:宮川泰、歌:植木等)
- シビレ節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:宮川泰、歌:植木等)
- 3番の歌詞の一部に問題があり放送禁止(局によっては要注意曲)になった。長らくベスト盤等には問題箇所を編集したものを収録されてきたが、現在発売されているベスト盤ではオリジナル音源が収録されている。
- プンプン野郎 / 虹を渡ってきた男(1966年6月15日)
- プンプン野郎(作詞:河野洋、作曲・編曲:山本直純、歌:谷啓)
- 虹を渡ってきた男(作詞:田波靖男、作曲・編曲:萩原哲晶、歌:植木等)
- それはないでショ / 笑えピエロ(1966年12月5日)
- 花は花でも何の花 / 余裕がありゃこそ(1967年6月15日)
- 花は花でも何の花(作詞:口羽洋一・植木等、作曲:平尾昌晃、編曲:宮川泰、歌:植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 余裕がありゃこそ(作詞:青島幸男、作曲・歌:植木等、編曲:萩原哲晶)
- 万葉集 / たそがれ忠治(1967年10月5日)
- あんた / ウンジャラゲ(1969年7月10日)
- アッと驚く為五郎 / 酒のめば(1969年12月20日)
- アッと驚く為五郎(作詞:河野洋、作曲・編曲:宮川泰、歌:植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』においてハナ肇がはなったギャグのヒットを受けて作られた。また、未採用の「萩原哲晶ヴァージョン」も存在する。
- 酒のめば(作詞:なかにし礼、作曲・編曲:川口真、歌:植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ)
- 全国縦断追っかけのブルース / おとこ節(1970年7月5日)
- この際カアちゃんと別れよう / こんな女に俺がした(1971年8月5日)
- 男の憲法 / かあちゃん(1972年1月7日)
- 男の憲法(作詞:上野玲児、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎、歌:ハナ肇)
- かあちゃん(作詞:上野玲児、作曲・編曲:森岡賢一郎、歌:ハナ肇)
- 僕はしゃべれるんだ / ゲップゲップの歌(1973年7月5日)
- 僕はしゃべれるんだ(作詞:安井かずみ、作曲:シャーマン兄弟、編曲:森岡賢一郎、歌:谷啓)
- ゲップゲップの歌(作詞・作曲:リチャード&ロバート・シャーマン、編曲:森岡賢一郎/歌:ハナ肇、なべおさみ)
- アニメミュージカル『シャーロットのおくりもの』より。
- これで日本も安心だ! / スーダラ節'79(1979年4月20日)
- これで日本も安心だ!(作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶、編曲:宮川泰、歌:植木等)
- スーダラ節'79(作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶、編曲:宮川泰、歌:植木等)
- 毎度毎度のおさそいに / 同カラオケ(1983年11月21日)
- 毎度毎度のおさそいに(作詞:伊藤アキラ、作曲:はやしこば、歌:植木等)
- オムライスチョンボNo.5 / ピーマンキッス(1983年8月5日)
- 実年行進曲 / 新五万節(1986年3月6日)
- 実年行進曲(作詞:青島幸男、作曲・編曲:大瀧詠一、原編曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇、谷啓、植木等、クレイジーキャッツ)
- クレージー結成30周年記念曲。
- 新五万節(作詞:青島幸男、作曲・編曲:萩原哲晶、編々曲:大瀧詠一、歌:ハナ肇、谷啓、植木等、クレイジーキャッツ)
- 前述の「五万節」のニューバージョン。
- Still Crazy For You(2006年4月12日)
- Still Crazy For You(作詞・作曲:松任谷由実、編曲:松任谷正隆、歌:クレイジーキャッツ&YUMING)
- 渡辺プロ50周年記念曲。松任谷由実とのコラボレーション曲。亡きメンバーたちのパートは、それぞれのサンプル音源を使用した。フジテレビ系『ウチくる!?』エンディング・テーマ。
[編集] 参考文献
- テレビの黄金時代(小林信彦(編) キネマ旬報社)
- テレビの黄金時代(小林信彦著 文藝春秋)
- ハナ肇とクレージーキャッツ物語(著:山下勝利、朝日新聞社)
- あっと驚くリーダー論(著:ハナ肇、主婦と生活社)
- ジ・オフィシャル・クレージーキャッツ・グラフィティ(トレヴィル)
- クレージー映画大全―無責任グラフィティ(佐藤利明、鈴木啓之、町田心乱(編) フィルムアート社)
[編集] 関連項目
| メンバー |
|---|
| ハナ肇 - 植木等 - 谷啓 - 犬塚弘 - 安田伸 - 石橋エータロー - 桜井センリ |
| 主要楽曲 |
| スーダラ節 - 五万節 - 無責任一代男 - ホンダラ行進曲 - だまって俺について来い - 悲しきわがこころ - ウンジャラゲ - アッと驚く為五郎 - 新五万節 - Still Crazy For You |
| 主要映画 |
| ハナ肇とクレージーキャッツの映画(全30作) - 馬鹿まるだし - 馬鹿が戦車でやってくる - なつかしい風来坊 - 会社物語 MEMORIES OF YOU |
| 主要TV番組 |
| おとなの漫画 - シャボン玉ホリデー - 植木等ショー - 8時だョ!出発進行 |
| 所属事務所 |
| 渡辺プロダクション - ワタナベエンターテインメント |
| 関係項目・人物 |
| 渡辺晋 - 渡辺美佐 - 青島幸男 - 萩原哲晶 - ザ・ドリフターズ - ザ・ピーナッツ - 大瀧詠一 - 松任谷由実 - 小松政夫 - なべおさみ - 古澤憲吾 - 坪島孝 - 日本お笑い史 |
最終更新 2009年12月3日 (木) 05:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ハナ肇とクレージーキャッツ】変更履歴

