バロンドール
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バロンドール(Ballon d'Or、フランス語で「黄金の球」の意)とは1956年にフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』が創設したヨーロッパ年間最優秀選手に贈られる賞。受賞者にはその名の通り、黄金のサッカーボールを模したトロフィーが贈られる。
『フランス・フットボール』が選定した候補者の中からサッカージャーナリストの投票で受賞者が決定する。元々は欧州国籍の選手のみが授賞対象であり、投票も欧州52カ国のサッカージャーナリストによって行われていた。1995年からヨーロッパサッカー連盟(UEFA)に加盟するクラブでプレーをしていれば国籍を問われないようになり、2007年からは選考対象を全世界でプレーする選手に拡大される事が発表された。これに伴い、欧州以外のサッカージャーナリストも選考に加わる事となったため、前年までよりも有効投票数が大幅に増えている。
最多受賞者はヨハン・クライフ(1971年、1973年、1974年)、ミシェル・プラティニ(1983年、1984年、1985年)、マルコ・ファン・バステン(1988年、1989年、1992年)の3名が3回で並んでいる。現役選手としてはロナウド(1997年、2002年)の2回が最多。日本人選手では過去に中田英寿(1998年、1999年、2001年)、稲本潤一(2002年)、中村俊輔([2007年])がノミネートされている。
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[編集] 特徴
サッカー選手において最も名誉ある賞の一つと目されているが、記者の投票ということでどうしても実際の活躍や実績よりもネームバリューや選考直前の試合の印象などが先行し易くなるとの指摘もある。またGKやDF、中盤の底のような守備の選手より攻撃的なMFやFWのような攻撃の選手が受賞していることが多い。しかし2006年にはワールドカップで優勝したイタリア代表のDFファビオ・カンナバーロが、1996年マティアス・ザマー以来の守備的な選手として受賞している。
[編集] 歴代受賞者
[編集] 国別獲得回数
| 国籍 | 獲得 回数 |
獲得シーズン |
|---|---|---|
| 7 | 1996,1990,1981,1980,1976,1972,1970 | |
| 7 | 1992,1989,1988,1987,1974,1973,1971 | |
| 6 | 1998,1991,1985,1984,1983,1958 | |
| 5 | 2007,2005,2002,1999,1997 | |
| 5 | 2006,1993,1982,1969,1961 | |
| 5 | 2001,1979,1978,1966,1956 | |
| 3 | 2008,2000,1965 | |
| 3 | 1986,1975,1963 | |
| 3 | 1960,1959,1957 | |
| 1 | 2004 | |
| 1 | 2003 | |
| 1 | 1995 | |
| 1 | 1994 | |
| 1 | 1977 | |
| 1 | 1968 | |
| 1 | 1967 | |
| 1 | 1964 | |
| 1 | 1962 |
[編集] ジンクス
バロンドールとFIFAワールドカップの奇妙な関係性として「W杯開催の前年度にバロンドール受賞者を輩出した国は優勝できない」というものがある。この現象は「バロンドールの呪い」と呼ばれ、一種のジンクスとしてサッカーファンの間で知られている。
下記の通り、当該受賞者は地区予選もしくは本大会に「全員」代表メンバーとして参加している(「受賞者が参加しなかったから負けた」訳ではない)。
- 1965年度受賞のエウゼビオがいた
ポルトガルは準決勝で優勝したイングランドに敗れ3位。エウゼビオ自身は9得点を挙げ大会得点王となった。なお、この大会で最優秀選手に輝いたイングランドのボビー・チャールトンが、1966年度のバロンドールも受賞している。
- 1969年度受賞のリベラがいた
イタリアは決勝まで勝ち進んだものの、ペレ率いるブラジルの前に屈し準優勝。リベラ自身はサンドロ・マッツォーラとのポジション争いに敗れ控えに甘んじたものの、準決勝の西ドイツ戦で値千金の決勝ゴールを挙げている。
- 1973年度受賞のクライフを擁した
オランダは決勝で開催国・西ドイツに敗れ準優勝。しかしこの大会でオランダは革新的な戦術で旋風を巻き起こし、その中心選手であったクライフが大会最優秀選手賞を受賞。さらに同年のバロンドールにも輝き、2年連続の受賞となった。この時西ドイツのキャプテンだったフランツ・ベッケンバウアーは「(ワールドカップに加えてUEFAチャンピオンズカップまで獲ったのに)これ以上何をすれば貰えるんだ」と嘆いたという。
- 1977年度受賞のシモンセンがいた
デンマークはヨーロッパ地区予選で敗退。デンマークは本大会初出場がそれから8年後の1986年でこの時33歳のシモンセンも代表メンバーに名を連ね、1試合(1次リーグ・西ドイツ戦)に出場している。
- 1981年度受賞のルンメニゲがいた
西ドイツは決勝でパオロ・ロッシらを擁したイタリアに敗れ準優勝。ロッシは6得点で大会得点王(ルンメニゲが5得点だった)となり、この年のバロンドールも受賞した。なお、ルンメニゲは1978年・1982年・1986年と3大会連続でW杯に出場しているが、1986年も準優勝に終わっており、2大会連続準優勝という苦汁をなめている。
- 1989年度受賞のファン・バステンがいた
オランダはグループリーグ3試合を3分け、決勝トーナメント1回戦の対西ドイツ戦でも低調なパフォーマンスに終始して敗れた。結局1勝も挙げることなく敗退した。また、ファン・バステンはこの大会で1得点も挙げられなかった。なおこの年のバロンドールはこのまま優勝した西ドイツのローター・マテウスだった。
- 1993年度受賞のロベルト・バッジョは孤軍奮闘して
イタリアを決勝まで導いた。しかしブラジルとの決勝戦、スコアレスドローの末に行なわれたPK戦で5人目のキッカー、R.バッジョが外してしまい、あと一歩のところで準優勝となった。
- 1997年度受賞のロナウドの活躍で
ブラジルは決勝まで駒を進めたが、ロナウド自身が決勝当日に体調不良で倒れてしまい大ブレーキとなる。結局、開催国・フランスに0 - 3の大差で敗れ準優勝に終わった。ただしロナウド自身は大会最優秀選手賞を受賞している。
- 2001年度受賞のマイケル・オーウェンを擁する
イングランドは準々決勝で優勝国となったブラジルの前に、先制点をあげながらも敗れ、ベスト8止まりだった。
- 2005年度受賞のロナウジーニョ擁する
ブラジルは準々決勝で結果的に準優勝国となったフランスの前になすすべなく敗れ、ベスト8止まりだった。なお、大会直前にはこの大会ではロナウジーニョの大会になるだろうと言われていた。しかし、バルセロナの主力であるロナウジーニョは2005-2006シーズンのリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグと多くの試合に出場、さらにはW杯直前のUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦などがあり、ロナウジーニョは疲労がかなり蓄積していたのでその影響からかW杯でのパフォーマンスは明らかに精彩を欠いたとされる。
[編集] 派生
日本ではしばしば、バロンドール受賞者を「バロンドーラー」と呼ぶことがある。これは「Ballon d'Or」に英語の「行為者」を表す-er(または -or)をつけたものだが、「Ballon d'Or」はフランス語でありこれは文法上では間違い。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月11日 (水) 04:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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