プリトヴィツェ湖群国立公園
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| 英名 | Plitvice Lakes National Park | ||
| 仏名 | Parc national Plitvice | ||
| 面積 | 192km² (緩衝地域 102.82km²) |
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| 登録区分 | 自然遺産 | ||
| 登録基準 | 自然遺産(7)、(8)、(9) | ||
| 登録年 | 1979年 | ||
| 拡張年 | 2000年 | ||
| IUCN分類 | II(国立公園) | ||
| 備考 | 過去に危機遺産登録 (1992 - 1997年) |
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| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 世界遺産テンプレートを使用しています | |||
プリトヴィツェ湖群国立公園はクロアチアの国立公園の一つで、ボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いプリトヴィツェ湖群市(Plitvice Lakes municipality)に位置する。滝で結ばれる階段状に並んだ16の湖が美しい景観を作り出しており、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。プリトヴィッチェ湖群国立公園[1]、プリトヴィチェ湖群国立公園[2]などとも表記される。
なお、「プリトヴィツェ湖群」は現地のクロアチア語ではPlitvička jezera である。
目次 |
[編集] 地理学的・地質学的特色
プリトヴィツェ湖群はLička Plješevica山(Gornja Plješevica山頂の標高1640m)、Mala Kapela山(Seliški vrh山頂の標高1280m)、Medveđak山(標高884m)の山間に広がるプリトヴィツェ台地に位置し湖群の名前もこの台地から付けられている。
16の湖は山間から流れる水が標高636mから503mまでおよそ8kmにわたって南北方向に流れる形で形成されており、上流部の湖群と下流部の湖群に分けることが出来る。湖群はおよそ2km²に渡って広がっており、一番低い湖からコラナ川(Korana)に流れ込んでいる。
湖群が位置する盆地は主にドロマイトと石灰岩からなるカルスト地形だが、そのことが一帯の際立って特徴的な景観を生み出している。湖を区切っているのはコケ類、藻類、バクテリアなどの作用で生まれた石灰堆積物が作る自然のダムだからである。植物やバクテリアはそれぞれの頂上に積み重なり、年1cmの割合で堆積物の障壁が組みあがって行く。
湖群はまた紺碧、紺青、灰色などの際立った色彩でも有名である。湖の色はミネラルや有機物の量、あるいは日照の角度などによって絶え間なく変化する。
[編集] 植物相と動物相
プリトヴィツェ国立公園は主にナラやトウヒ、モミなどからなる鬱蒼とした森林に覆われアルプスと地中海の植生が渾然となっている。特に植物群落の多様性が特筆に価するがそれは微気候のラインナップ、多様な土壌、標高差などによって生み出されている。
一帯は同時に動物種や鳥類に関しても際立った多様性を示している。ヨーロッパ種のヒグマやオオカミ、ワシミミズク、ワイルドキャット、オオライチョウといった稀少な動物種が見られるほか、より一般的な動物種も多く棲息する。鳥類は少なくとも126種が記録され、そのうち70種以上がこの湖群を繁殖地としている。
[編集] 歴史
人類は、この地では数千年来暮らしている。人種も多様でイリュリア人、トラキア人、ケルト人、イアピュデス人(Iapydes)、古代ローマ人、アヴァール人、スラブ人、チュルクなどがかわるがわる住み着いた。
1528年に一帯はオスマン帝国領となり以降オーストリア帝国が奪取するまでの約150年の間、オスマントルコの支配下にあった。オーストリアはその後、一帯を軍事境界線に取り込んだ。この地にはその頃既にクロアチア人が住んでいたが、オスマン帝国の抑圧から逃れてきたセルビア人たちも住み着いた。
19世紀後半には、プリトヴィツェ湖群は一大観光地となった。1896年には最初のホテルが建設されたが、それに先んじて早くも1893年には今日の国立公園当局の前身である保全委員会が組織されていた。1949年にはユーゴスラビア政府が湖群を国有化し、国立公園を設定した。この国立公園はその傑出した自然美を評価されて、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。
プリトヴィツェ国立公園はユーゴスラビア時代には元も人気のある観光地のひとつだったが、1991年3月にはクロアチア紛争の最初の武力衝突であったプリトヴィツェ湖群事件(Plitvice Lakes incident)の舞台となった。公園はクロアチア内で独立を宣言していたクライナ・セルビア人共和国(Republic of Serbian Krajina)の軍隊が占領し、ホテルや周辺施設をバラックとして使用した。この過程で一帯はいくらかの損害を蒙った。1995年8月になって、クロアチア紛争を終結に導いた嵐作戦(Operation Storm)の際にクロアチア軍が一帯を奪還した。
この戦争に伴って、ユネスコはプリトヴィツェ湖群国立公園を危機遺産リストに登録した。クロアチア政府はこの国立公園の観光地収入の大きさに鑑みて、一帯の地雷撤去を最優先課題のひとつとして取り組んだ。ユネスコは1997年12月に地雷の撤去が進んでいることと、セルビア人分離独立派の占領からも解放されていることから危機遺産リストからの除去を決定した。
今日のプリトヴィツェ湖群国立公園は、クロアチアでも最大級の観光地となっている。1997年には国立公園の範囲が100.2km²拡大され、それを受けて世界遺産の登録範囲も2000年に拡大された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
- (8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
- (9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
[編集] ギャラリー
[編集] 参考文献
- 初版翻訳元のウィキペディア英語版に掲出されていた文献
- International Union for Conservation of Nature and Natural Resources, Review of World Heritage Nomination, April 1979
- UNESCO World Heritage Committee report, December 1998
- Jeanne Oliver, Lonely Planet Croatia, pp. 164-166(Lonely Planet, 2005)
- Radovan Radovinović(ed.), The Croatian Adriatic(Naklada Naprijed, Zagreb)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 九寨溝 - よく似た景観を持つ石灰岩地形の景勝地
[編集] 外部リンク
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| ドゥブロヴニク旧市街 | ディオクレティアヌス宮殿があるスプリトの歴史的建造物群 | ポレッチ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教建造物群 | 古都トロギル | シベニクの聖ヤコブ大聖堂 | スタリー・グラード平原 | |
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最終更新 2009年12月6日 (日) 19:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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