モーニング娘。

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モーニング娘。
基本情報
別名 モー娘。
出身地 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1997年〜現在
レーベル zetima
事務所 アップフロントエージェンシー
共同作業者 つんく♂
公式サイト Hello! Project -Official Site-
モーニング娘。オフィシャルファンクラブページ
メンバー
高橋愛新垣里沙亀井絵里
道重さゆみ田中れいな久住小春
光井愛佳ジュンジュンリンリン
旧メンバー
福田明日香石黒彩市井紗耶香
中澤裕子後藤真希保田圭
安倍なつみ辻希美加護亜依
飯田圭織矢口真里石川梨華
紺野あさ美小川麻琴
吉澤ひとみ藤本美貴
  

モーニング娘。(モーニングむすめ。)は、日本の女性歌手グループ女性アイドルグループ、女性ダンス&ヴォーカルグループである。ほとんどの楽曲の作詞作曲およびプロデュースシャ乱Qつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。ハロー!プロジェクトの一員。

2000年前後、下は小学校低学年層から上は中高年層まで男女を問わず幅広く爆発的な人気を誇り、一躍日本を代表するアイドルグループとなった。結成12年目になる2009年現在も活動を続けている。

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目次

[編集] メンバー

[編集] 2009年9月時点のメンバー

[編集] 卒業及び脱退メンバー

卒業・脱退メンバーの詳細な経緯については卒業・脱退メンバーの一覧の節や各個人の項目を参照

モーニング娘。では、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに伝えている。福田から市井までは脱退と公式に発表されてきたが、音楽グループにおいてしばしば喧嘩別れ的な場合に使用される「脱退」という表現に対し、「卒業」は明日につながるという前向きな意味合いの言葉であるため、負のイメージを連想させない卒業という言い方を中澤の離脱時から使用するようになった。

基本的に中澤・安倍・石川などのようにソロまたはグループとしてそのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続することが主流となっていたが、福田・石黒などのように何らかの理由でハロプロ自体を脱退・卒業したメンバーも存在した。

卒業(脱退)の発表は、後藤以前は1〜2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口と藤本を除き、卒業の半年〜1年前になった。そして、紺野・小川・吉澤は3〜4か月前と、それまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは、卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻と加護のみであるが、それ以外にも、時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)。

「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ワイドショー」や「ASAYAN」などのテレビ番組において大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にしてきた。しかし、本来は福田一郎が提言していた「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、卒業後も籍をハロー!プロジェクトに残し、更に現役メンバーとの共演も多く、複数の卒業メンバーがまとまって「モーニング娘。OGチーム」としてバラエティ番組に度々出演するなどで元モーニング娘。であることを強調して芸能活動をしている場合が少なくないなど、完全な自立とは言えない状況から、一時芸能界を引退していた紺野と語学留学していた小川を除き、中澤以降の卒業はハロー!プロジェクト内での「定期人事異動」的色彩が濃いという見方もある。

2009年3月31日、ハロー!プロジェクトから「エルダークラブ」に所属するメンバー全員が卒業となり、モーニング娘。OG関係では中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・保田圭・矢口真里・石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・紺野あさ美・小川麻琴・藤本美貴が卒業した(その卒業メンバーを中心に翌4月1日からファンクラブ「M-line club」を結成)。

[編集] 卒業・脱退メンバーの一覧

下表は卒業・脱退した日付順で表示。
名前 発表日 卒業年齢 加入期 ハロプロへの在籍状況
卒業・脱退日 卒業興行の開催地
福田明日香 1999年1月17日 14歳 1期 卒業と同時にハロプロからも卒業
1999年4月18日 東京厚生年金会館
石黒彩 1999年12月5日 21歳 1期 卒業と同時にハロプロからも卒業
(2003年にアップフロントグループ外の事務所で活動再開)
2000年1月7日 大阪厚生年金会館
市井紗耶香 1998年5月7日 16歳 2期 卒業と同時にハロプロからも卒業

2001年10月6日CUBIC-CROSS活動で復帰発表
2003年11月9日芸能界を引退
(2009年にアップフロントグループ外の事務所で活動再開)

2000年5月21日 日本武道館
中澤裕子 2001年3月7日 27歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2001年4月15日 大阪城ホール
後藤真希 2002年7月31日 17歳 3期 ソロとしてハロプロに在籍

2007年10月28日にハロプロから卒業
2008年6月に事務所を移籍

2002年9月23日 横浜アリーナ
保田圭 2002年7月31日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2003年5月5日 さいたまスーパーアリーナ
安倍なつみ 2003年7月27日 22歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2004年1月25日 横浜アリーナ
辻希美 2004年1月3日 17歳 4期 加護と共に卒業

ユニットとしてハロプロに在籍
2007年3月に加護の契約解除に伴いソロに移行
2007年5月から妊娠・出産に伴い活動休止
2009年1月31日活動再開
2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2004年8月1日 代々木第一体育館
加護亜依 2004年1月3日 16歳 4期 辻と共に卒業(同日に複数メンバー卒業は初)

ユニットとしてハロプロに在籍
2007年3月に契約解除により脱退(2008年4月にアップフロントグループ外の事務所で芸能界に復帰)

2004年8月1日 代々木第一体育館
飯田圭織 2004年5月23日 23歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍

2007年9月から妊娠・出産に伴い活動休止
2009年1月10日活動再開
2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2005年1月30日 横浜アリーナ
矢口真里 2005年4月14日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2005年4月14日 なし[注釈 2]
石川梨華 2004年5月23日 20歳 4期 ユニットとしてハロプロに在籍

2008年7月に美勇伝の解散に伴いソロに移行
2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2005年5月7日 日本武道館
紺野あさ美 2006年4月28日 19歳 5期 学業専念のため卒業と同時にハロプロからも卒業

2007年7月15日にソロとしてハロプロに復帰・在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2006年7月23日 代々木第一体育館
小川麻琴 2006年4月28日 18歳 5期 卒業後、語学留学のため一時活動休止(ハロプロには在籍のまま)

2008年6月にソロとして活動再開・在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2006年8月27日 新宿コマ劇場
吉澤ひとみ 2007年1月2日 22歳 4期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2007年5月6日 さいたまスーパーアリーナ
藤本美貴 2007年6月1日 22歳 6期 ソロとしてハロプロに在籍

2009年3月31日ハロプロから卒業[注釈 1]

2007年6月1日 なし[注釈 3]
  1. ^ ハロプロ2009年3月31日卒業メンバーファンクラブ組織は下記の状態である。
  2. ^ 矢口のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。
  3. ^ 藤本のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2007年5月6日のさいたまスーパーアリーナ公演だった。

[編集] 「卒業」と「脱退」の使い分け

「卒業」または「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されている「ASAYAN」公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている[1])、2001年以降公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口の場合は、写真週刊誌「FRIDAY」において小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている[2](ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本も後に夫となるお笑いコンビ・品川庄司庄司智春との交際が同じく「FRIDAY」にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。

なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝「もうひとりの明日香」に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。

また、使い分けの事例として

  • 2007年9月に出版された公式本「モーニング娘。誕生10年記念本」に掲載された年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」
  • 2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(日本テレビ系)で紹介された「モーニング娘。メンバーの変遷」では、福田から市井までと矢口・藤本が「脱退」、その他のメンバーが「卒業」

となっていた。

[編集] メンバーの記載順序

公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどでは、メンバーの名前を並べる時に、通常は加入時期順で、加入時期の同じ者は生年月日順で記載している[3]。マスコミ報道などでもこの順序が使用されることが多い。なお、リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。また、卒業したメンバーの名前を並べる時にはこの順序が使用されている場合[4]と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合[5]とがある、また、在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは、在籍しているかどうかに関係なく、全員を上記の順序で並べられていることがある[6]

モーニング娘。さくら組モーニング娘。おとめ組といった派生ユニット内でメンバーの名前を並べる時も、通常はこの順序である。

[編集] 歴代リーダー

歴代 名前 期間
初代 中澤裕子 1998年1月[7]〜2001年4月15日
2代目 飯田圭織 2001年4月16日〜2005年1月30日
3代目 矢口真里 2005年1月31日〜4月14日
4代目 吉澤ひとみ 2005年4月15日〜2007年5月6日
5代目 藤本美貴 2007年5月7日〜6月1日
6代目 高橋愛 2007年6月2日〜

[編集] 備考

  • 初代リーダーは、5万枚手売りを達成してメジャーデビューが決まってから決定した。当時、飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結局中澤に決定した。選ばれた理由は「最年長だから」[8]

[編集] 歴代サブリーダー

2001年4月16日に飯田が第2代リーダーに就任するのに合わせて創設された。初代に保田が就任した。当時は保田が初代であるのかどうかについては明らかにはされていなかったが、2007年11月に行われた「Yahoo!ライブトーク」では保田が「初代サブリーダーである。」とされている。

歴代 名前 期間
初代 保田圭 2001年4月16日〜2003年5月5日
2代目 矢口真里 2003年5月6日[特記 1]〜2005年1月30日
3代目 吉澤ひとみ 2005年1月31日〜4月14日
4代目 藤本美貴 2005年4月15日[特記 2]〜2007年5月6日
5代目 高橋愛 2007年5月7日〜6月1日
6代目 新垣里沙 2007年6月2日〜
  1. ^ 公表されたのは「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分にて矢口本人より。
  2. ^ 公表されたのは「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分にて藤本本人より。

[編集] 備考

  • サブリーダーの就任日は明確な場合と曖昧な場合がある。
    • 明確なケースとして、保田・吉澤・高橋については就任前に、また新垣については就任と同時にサブリーダーに就任する旨の発表があった。
    • 曖昧なケースとしては矢口と藤本で、就任時点の発表が無くある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られたことで就任が明確となった。
    • 上表において矢口と藤本の就任日は前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、就任日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
  • サブリーダーに関して創設された理由は公表されていない。当初はモーニング娘。誕生以来グループを率いてきた中澤のグループ脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田への不安視が創設の背景にあると思われた。だが、2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。しかし、飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の翌4月16日に記者会見にて発表されたこと、サブリーダーに初期メンバー安倍が就任しなかったことなどを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で最年長であった保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は現在サブリーダーの新垣を除いて全てリーダーに就任しているため実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。
  • 保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。また、石黒在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされることはあったが、サブリーダーであるとは明言されていなかった。

[編集] グループ編成

[編集] メンバー構成推移

モーニング娘。の最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。メンバー数が流動的で、5人(結成時)〜16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間に20代と中学生のメンバーが同時に在籍しており、中学生メンバーが在籍していないのは1999年4月8月2005年4月と2008年4月以降のみである。

2009年11月11日時点の平均年齢は19.55歳である。

[編集] 推移年表

日時 メンバー 増減 人数 平均年齢
1997年9月7日結成 【1期】中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香 - 5人 17.40
1998年5月3日 【2期】保田圭矢口真里市井紗耶香加入 +3 8人 16.75
1999年4月18日 福田明日香脱退 -1 7人 18.29
1999年8月22日 【3期】後藤真希加入 +1 8人 18.00
2000年1月7日 石黒彩脱退 -1 7人 18.14
2000年4月16日 【4期】石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依加入 +4 11人 16.55
2000年5月21日 市井紗耶香脱退 -1 10人 16.60
2001年4月15日 中澤裕子卒業 -1 9人 16.56
2001年8月26日 【5期】高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙加入 +4 13人 15.77
2002年9月23日 後藤真希卒業 -1 12人 16.92
2003年1月19日 【6期】藤本美貴亀井絵里道重さゆみ田中れいな加入 +4 16人 16.56
2003年5月5日 保田圭卒業 -1 15人 16.47
2004年1月25日 安倍なつみ卒業 -1 14人 16.86
2004年8月1日 加護亜依・辻希美卒業 -2 12人 17.42
2005年1月30日 飯田圭織卒業 -1 11人 17.64
2005年4月14日 矢口真里がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 10人 17.40
2005年5月1日 【7期】久住小春加入 +1 11人 16.91
2005年5月7日 石川梨華卒業 -1 10人 16.70
2006年7月23日 紺野あさ美卒業 -1 9人 17.78
2006年8月27日 小川麻琴卒業 -1 8人 17.75
2006年12月10日 【8期】光井愛佳加入 +1 9人 17.78
2007年3月15日 【8期】(留学生)ジュンジュンリンリン加入 +2 11人 17.82
2007年5月6日 吉澤ひとみ卒業 -1 10人 17.50
2007年6月1日 藤本美貴がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 -1 9人 17.00

[編集] モーニング娘。の結成日について

モーニング娘。の結成日については、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これは「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、

  • 1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
    • 「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
  • 1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分の「ASAYAN」放送日)
    • 公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。[9]
  • 1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
  • 1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(「ASAYAN」放送日)
  • 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
  • 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
    • 「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。
  • 1998年1月28日 - メジャーデビューの日

などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場フジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った。」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある[10]。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。

[編集] 追加メンバーの加入日について

追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これも結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。

「加入日」として解釈しうる日としては、

  1. 加入が実際に決まった日
  2. 加入が本人に伝達された日
  3. 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
  4. 初合流したコンサートなどの日
  5. 初参加したCDの発売日

といった日がある。このうち1.と2.については公表されないことが多いため、通常は3.以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは後になればなる程コンサートに出演した時に覚える必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけ、あるいは1曲だけ参加することが行われることがある。さらに6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。

このような状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことがしばしば起きる。また、テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動になることが多い。中でも、2001年10月13日放送の「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、初参加CDの曲披露のためのテレビ出演より前だったためだと思われる。

公表日 お披露目日 コンサート正式合流日 初参加CD発売日
2 1998年5月3日 - 1998年7月12日※1 1998年5月27日
後藤真希 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 - 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 - 2001年10月21日※2 2001年10月31日
藤本美貴 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日※3 2003年7月30日
6(藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日
久住小春 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
光井愛佳 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8(留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日

※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日からである。
※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。

[編集] 加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成

「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。しかし、1997年〜1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。

  • 後につんく♂は「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
  • メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと。メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
  • 1997年〜2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたテレビ番組「ASAYAN」において福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放送されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
  • 初めて新メンバーの加入が発表された時、当時のメンバーは全くそのことを予想しておらず大きな衝撃を受けており[11]、その時の衝撃が大きかったことは数年後になってもメンバー自身によって語られていること[12]
  • メンバーの加入・脱退が実際に行われた後でもメンバーは加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと)。
  • このことが2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。(ただし、2000年には雑誌の取材インタビューにてメヌードを参考にした記載はされているため、公に発表されたのはこの時が初めてではない。)

ただし、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKAN森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして所属事務所社長(当時)の山崎直樹の指示によってメヌードを参考としてグループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報を同番組に提供していたかなどの疑問がある。また、同番組は過剰な演出が多いことで知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに福田一郎は音楽評論家であり、物書きを本職としているため、タレントとは違い、メディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく、関係者のほんの一部であることは間違いない。従って、福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない(福田一郎はASAYANでの出演はなかったが、その後1999年4月から約1年間放送されたモーニング娘。出演のテレビ番組「ガレージ」に出演し、当時のモーニング娘。のメンバーを相手に洋楽について色々と語って居ることから、結成当時に深く関わっていたと推測できる。)。わずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話や、デビュー当時からライブ会場で福田一郎が頻繁に目撃されているなど、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に出続けられた影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になったことが番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。また、常に新メンバーを加入させ新陳代謝を図ったグループ構造が有ったからこそ、10年以上もの長きに渡り、トップスターとして活動して居られると言っても過言ではない。

なお、その特異なグループとしての性質から、宝塚歌劇団や他のアイドルグループ、歌手ユニットなどとの比較対象として挙げられることが多く、そういった考察をした文献や書籍も多数発表されている。

[編集] グループ名の由来

モーニング娘。は、『モーニングセットのように、お得感があり、楽しめるユニット』ということで命名された。

なお、その他の候補としては、「87」(メンバー全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が「」「」「」であり、「」出身者がいなかったため)や「たこ焼きシスターズ」「モーニングサービス」「モーニング・ファイブ」などだった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性もある。しかし、最終的には「モーニング娘」が採用された。

[編集] 「モーニング娘。」の「。」について

  • 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし、当時「ASAYAN」では画面に表示されるテロップのほとんどすべてに「。」を付けていた(「ハッピーバースデー」では「テロップをつけるスタッフが文末に。をつける癖があった。」と放送していた)ため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることになった。それに対して司会のナインティナイン岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな〜」と発言した。
  • TBS系の番組「うたばん」で「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に1999年6月13日に放送されたフジテレビ系の番組「ハッピーバースデー!」での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤が「『。』は大事。」と語っている。
  • シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に「。」が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
  • モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
  • 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。[13]実際には、草野心平が『河童と蛙』(教育出版の教科書でも取り上げられている詩)のなかで文の終わりでないところに「。」を付けた事例があり、芸能人でも藤岡弘、の事例がある。

[編集] 「モー娘。」という略表現について

  • メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。また、メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶことは台本などで強制されない限りまずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。
  • 「モー娘。」という表記自体は、最初、ファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
  • 「モー娘。」という表記が一般的に使われるようになった以降にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使うこともある。
  • モーニング娘。の熱狂的なファンのことを「モーヲタ」と呼ぶ。また、それは彼女らのことをモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。逆に「モーニング娘。」のことについてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人もいる。
  • モーニング娘。、Morning Musume。およびモー娘。はいずれも株式会社アップフロントグループ登録商標(商標登録第4555529号・第4566621号・第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」および「モームスメ」である。存続満了日は2012年(平成24年)である(ただし更新可能)。

[編集] 歴史

[編集] 誕生(1997年)

  • 9月7日テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において同年4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っていることなどと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないか、とする説もある。グループ名は、9月14日の放送分において「モーニング娘。」と決まった。
  • 結成後はインディーズで活動を開始した。しかし、メジャーデビューを目指すにはシングル『愛の種』を制限期間5日間、さらに手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪心斎橋HMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日のナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
  • 楽曲の権利関係については、「愛の種」及び「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担することと引き替えにモーニング娘。に関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して、2ndシングルの「サマーナイトタウン」以降の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
  • 雑誌「サイゾー」2000年10月号において、アップフロントグループ社長(当時)山崎直樹名義のインタビュー記事が掲載され、その中において「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1か月で500万円の経費がかかるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やすことにした。」と語っていた。この記事では「モーニング娘。の音楽的なことはつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといったことはすべて私が決めていた。」と当時の「ASAYAN」の演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行った。
  • 最初の追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子がその重大発表の内容を「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはそのような雰囲気があったことを伺わせる(「モーニング娘。5+3-1」より)。当初は人数を倍の10人にすると発表されたが、結果は3人追加の8人となった(#ブレイク期(1998年 - 1999年)|後述)。
  • ブレイクするとともに急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたり、穴が開いたら自分で繕っていた。また、歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出ることもあった。また、「ASAYAN」などが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーもいない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。

[編集] ブレイク期(1998年 - 1999年)

  • 1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。
  • 1998年4月6月に初主演テレビドラマ「太陽娘と海」(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。その間の5月に追加メンバーとして保田圭矢口真里市井紗耶香が加入し、同月27日に2ndシングル『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
  • 1998年7月に東京・渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)で初のコンサートを行う。
  • 1998年夏に初主演映画「モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!」(平家みちよと共演)が上映される。
  • 1998年9月6日の新聞の番組表で初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
  • 続く3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』(同月9日発売)で初のオリコンシングルチャート1位を獲得した。またオリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で同年の「第40回輝く!日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞、また、「NHK紅白歌合戦」も第49回で初出場を果たす。
  • 1998年10月に最初の「グループ内ユニット」である「タンポポ」の結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
  • 1999年1月に福田が学業優先を理由に脱退を表明した後、3月から初の全国ツアーを行い、7都市・19公演で約4万人を動員した。福田はこのコンサート最終日の4月18日をもって脱退した。
  • 福田脱退後しばらくの間は人気に陰りが見え、7月14日鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売として「ASAYAN」で煽られた6thシングル『ふるさと』ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
  • しかし、9月には第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(同月9日発売)がシングルとして初のミリオンセラー(195万枚)を記録して再ブレイク。オリコンカラオケチャートでは当時の新記録である17週連続1位を達成した。18週目の1位を阻止したのがモーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その曲もミリオンを突破し、一気にスターダムにのし上がったのがこの時期だった。

[編集] 黄金期(2000年 - 2001年)

  • 2000年に入ると、直後の1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると約123万枚の売り上げを記録し2度目のミリオンセラーを記録。その後、『ハッピーサマーウエディング』(5月17日発売)や『恋愛レボリューション21』(12月13日発売)も100万枚に迫る大ヒットを記録した。
  • 石黒彩が2000年1月8日に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依が加入し、さらに翌5月には市井紗耶香が卒業した。
  • この頃から中国ブレンド茶「飲茶楼」(2月、JT)や「Dream Net」(4月、現・OCN)を始め多くのCMに出演するようになる。また、モーニング娘。がメインで出演する単発特別番組も放送されるようになる。
  • 2000年3月29日に発売された3rdアルバム『3rd〜LOVEパラダイス〜』でアルバムとして初のミリオンセラーを達成した。
  • 2000年4月には『ハロー!モーニング。』(テレビ東京系、2007年4月8日より『ハロモニ@』に移行)と『フライデーナイトはお願い!モーニング』(日本テレビ系〈テレビ岩手制作〉、2001年9月終了)の放送がスタートした。この2つのレギュラーテレビ番組に出演してからしばらくして「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。の企画が放送された。
  • 2000年5月に東映系で映画『モー娘。走る!ピンチランナー』が公開される。
  • 2001年1月に矢口真里をリーダーとして結成された「ミニモニ。」が早くも低年齢層に受け入れられ、一気にファン層を拡大した。
  • 2001年頃からメンバーそれぞれの個人活動が多くなるとともに、併せてメンバーのソロ写真集が発売されるようになる。
  • 2001年1月31日に発売された初のベストアルバムベスト! モーニング娘。1』は、初回盤も発売初日で完売するなど、トリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
  • この頃、ほとんど毎週のように『うたばん』(TBS系)にゲスト出演し、個人の知名度が一気に向上する(2006年9月22日に放送された『とくばん』で発表された「うたばん」へのゲスト出演回数は第1位)。
  • また、『めちゃ²イケてるッ!』(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容するようになった。
  • 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーテレビ番組『モー。たいへんでした』(日本テレビ系)も始まる(2001年4月〜2002年3月)。
  • 2001年4月16日に初代リーダーだった中澤裕子が卒業し、同時に後任のリーダーに飯田圭織が就任、飯田より年上だった保田圭はサブリーダーに就任した。また、同時期に石川梨華が「カントリー娘。」の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。
  • 2001年5月3日〜27日に初主演ミュージカル『LOVEセンチュリー〜夢は見なけりゃ始まらない〜』を東京・日生劇場で上演した。ここでは既に卒業していた中澤裕子も出演した。
  • 2001年8月には、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)のメインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、翌年8月も2年連続でメインパーソナリティを務める。
  • 2001年8月26日にテレビ東京系で放送された特別番組『LOVEオーディション21』の結果、5期メンバーとして高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙が加入し、史上最多(当時)の13人体制となる。

[編集] 転換期(2002年 - 2004年)

  • 2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ『モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ』(TBS系。翌2003年の同時期にも『モーニング娘。サスペンスドラマスペシャル』を放送)が放送された。
  • 2002年5月24日6月23日にはミュージカル『モーニング・タウン』を上演した。
  • 2002年5月の高額納税者公示制度では当時在籍していた4期までのメンバーが公示され、中でも辻希美と加護亜依は当時中学生だったので特に話題になった。翌2003年以降も公示された納税額は多少の減少はあるものの以後も公示され続けたが、その制度が2006年から廃止されたため5期以降のメンバーは一度も公示経験が無い。
  • 2002年7月31日、後藤と保田の卒業発表や「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ」のメンバーチェンジ発表などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。モーニング娘。および同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている」という意見もある)。
  • なお、この後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表されることになる。特に2003年8月の安倍なつみの卒業決定から2005年5月の石川梨華の卒業までの間は常に「卒業時期が既に決定しているメンバー」が在籍していた。
  • 2002年12月から2003年1月にかけて、卒業した後藤真希とハロー!プロジェクト・キッズ(6月30日デビュー)との共演で映画『仔犬ダンの物語』が上映された(但し出演したのは併映作であるミニモニ。主演作品に出演した当時のミニモニ。のメンバーと高橋愛を除いた8人及びハロー!プロジェクト・キッズのうち須藤茉麻菅谷梨沙子〈以上現在のBerryz工房メンバー〉・鈴木愛理萩原舞〈以上現在の℃-uteメンバー〉を除いた11人)。また、この映画の上映と合わせてアニメ映画『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』が上映され、卒業した後藤とともに「モーハムず」(後藤は「ゴハム」)として初の声優に挑戦した。
  • 2003年1月には、『LOVEオーディション2002』の合格者発表(最終選考に残った亀井絵里道重さゆみ田中れいなの3人とも加入)を前に2002年3月からソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。藤本も含めてメンバーは史上最多(2006年12月現在まで)の16人となる(但し16人での活動は同年5月の保田圭の卒業コンサートのみで、それまでに発売されたシングル2枚およびアルバム1枚は12人で出している。)。
  • 2003年5月31日6月29日につんく♂と五木ひろしの共同プロデュースによるミュージカル『江戸っ娘。忠臣蔵』を明治座で上演した(6期メンバーからは藤本美貴のみ参加)。
  • 2003年8月には、石川梨華に代わって紺野あさ美と藤本美貴がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、『カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)』として活動を開始した。
  • 2003年9月には、新展開として15人のメンバーを『モーニング娘。さくら組』『モーニング娘。おとめ組』の2つに分けての活動も開始し、それぞれシングルCDを2枚ずつリリースし、組ごとの全国ツアーも行った。しかし、辻希美と加護亜依の卒業後は正式なアナウンスがないまま2組とも活動休止状態となる。
  • 2004年1月に長くエース格にあった安倍なつみが卒業した。さらに同月には辻希美と加護亜依が揃っての卒業発表、そして5月には飯田圭織と石川梨華の卒業も発表され、人気メンバーが相次いで卒業することになる。
  • 2004年5月29日6月13日にはミュージカル『HELP!熱っちぃ地球を冷ますんだっ』を上演した。その後、同月6月19日20日には幕張メッセで初の「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭」を開催した。このイベントでは環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけている(なお、2005年10月の第2回からはパシフィコ横浜で開催し、2006年9月に第3回を、2007年10月に第4回を同地で開催している)。この時期には小池百合子環境大臣(当時)を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
  • 2004年8月には辻希美と加護亜依が揃って卒業した。この時既に2人はユニット「W」を結成し、活動を開始していた。
  • 2004年9月にはメインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(『ラッキー7オーディション』)が、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材がいないという理由で、追加メンバーオーディション開始以来初めて「該当者なし」という結果に終わる。
  • 2004年末から松浦亜弥と共演したEPSON「カラリオ」のCMに出演後、モーニング娘。としてのテレビCM出演は2009年7月まで途絶える。
  • 2004年12月31日第55回NHK紅白歌合戦では、先に卒業した辻希美と加護亜依のユニットWと共演し、初の複数ユニットによるメドレーを行った。

[編集] 以後の展開(2005年 - )

  • 2005年1月に2代目リーダーだった飯田圭織が卒業したのに伴い、結成当時の第1期メンバーはすべて卒業した。
  • 2005年2月より『ラッキー7オーディション』の再実施版『モーニング娘。オーディション2005』を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。このオーディション開催中の4月14日に3代目リーダーだった矢口真里が恋愛スキャンダルで脱退し、吉澤ひとみが4代目リーダーに就任した。
  • 2005年5月7日に石川梨華が卒業した。なお、石川は2004年9月に自らをリーダーとする美勇伝を結成している(〜2008年6月)。
  • 2005年8月27日に27thシングル『色っぽい じれったい』(7月27日発売)で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント『「モーニング娘。/ 色っぽい じれったい」発売記念東名阪握手サーキット』を横浜名古屋・大阪の3都市で開催した。当時のメンバー10人が3組に分かれ、それぞれの組が1日で3会場を移動し、各地でイベントを行った。
  • 2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦では、卒業メンバー(引退又は事務所を移籍した福田明日香・石黒彩・市井紗耶香を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった『LOVEマシーン』を歌った。この年は松浦亜弥→DEF.DIVA→新旧モーニング娘。のメドレーとなった。
  • 2006年3月15日に発売された29thシングル『SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜』の売り上げは、結成時手売り条件の5万枚をオリコン累計で割り込んだ。
  • 2006年7月には久住小春が初のモーニング娘。内ユニット(ソロユニット)月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)でCDデビューした。また、9月にはGAMで藤本美貴も松浦亜弥とともにユニット活動を開始する。現役メンバーを含むユニットによるシングルCDの発売はカントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の2004年8月以来2年1か月ぶりである。
  • 2006年7月23日には紺野あさ美が学業専念のために、8月27日には小川麻琴が語学留学のためにそれぞれ卒業した。小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時にハロプロからも卒業となった。ハロプロでの活動継続を公言しない卒業は市井紗耶香以来、「学業」による芸能活動休止は福田明日香以来である。前の卒業者である石川梨華との間には1年2か月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤裕子と後藤真希の1年5か月に次ぐ長さである。加入も計算に含めた同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1か月を上回り最長となった(2008年8月に藤本脱退からの期間が1年2ヶ月を数え、この記録を上回った。)。その後、紺野は2007年7月15日からハロー!プロジェクトに復帰、小川も2008年6月7日からハロー!プロジェクトで活動再開し、ともにソロとして在籍している。
  • 2006年7月30日から『モーニング娘。Happy8期オーディション』を行い、同年12月10日光井愛佳が8期メンバーとして加入することが発表された。
  • 2006年8月1日27日宝塚歌劇団と共同制作した『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』を上演した。当初は紺野あさ美もこのミュージカルに出演する予定だったが、前述の卒業発表で出演できなくなった。また、小川麻琴はこのミュージカルを最後に卒業している。
  • 2006年10月31日12月3日2006世界バレーでは、WaT×ハロー!プロジェクトとしてWaTDEF.DIVABerryz工房と共にオフィシャルサポーターに任命された。主にWaTが女子大会に対して、ハロー!プロジェクトは男子大会の宣伝・応援を行った。
  • 2006年11月8日発売の31stシングル『歩いてる』で、2003年4月の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来3年7か月ぶりとなる通算10枚目のオリコンシングルチャート週間1位を獲得し、ピンク・レディーの9作を抜いて女性グループ歴代首位に立った。6・7期メンバーにとっては初の1位となった(藤本美貴はごまっとう名義の『SHALL WE LOVE?』で1位獲得経験あり)。
  • 2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦では「GAM&モーニング娘。」として出場した。この回でもメドレー形式となったが、光井愛佳は出場しなかった。
  • 2007年に入ると、1月2日に『Hello! Project 2007 Winter〜ワンダフルハーツ 乙女Gocoro〜』の初日の東京公演において『モーニング娘。コンサートツアー2007春〜SEXY 8 ビート〜』の最終日である5月6日をもって吉澤ひとみがモーニング娘。を卒業し、リーダーとサブリーダーがそれぞれ藤本美貴と高橋愛になることが発表された。また、同時期に卒業メンバーの安倍なつみ・飯田圭織・後藤真希及び現役メンバーの新垣里沙と久住小春の5人で「モーニング娘。誕生10年記念隊」を結成した。
  • 2007年3月15日に中国人2名(ジュンジュンリンリン)の8期(留学生)メンバーとしての加入が発表された。[14]
  • 2007年5月7日付けのオリコンチャートにおいてモーニング娘。の総シングル売上枚数が1108.5万枚となり、ピンク・レディーを抜き女性グループで歴代1位となった。
  • 2007年5月6日に吉澤ひとみが卒業したのに伴い、「ASAYAN」でオーディションを受けて合格したメンバーはいなくなった。
  • 2007年6月1日に恋愛スキャンダルで5代目リーダーだった藤本美貴が脱退し、高橋愛が6代目リーダーに就任した。
  • 2007年9月には結成10周年を記念して、東京と大阪でモーニング娘。10年記念展を開催した。
  • 2007年10月24日にこれまでに発売された34枚のシングルとハロー!プロジェクト10周年記念曲の全35曲を収録した『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜』(CD2枚組)を発売した。また、12月19日にはこれまでに発売された35枚のシングルのプロモーションビデオを収録した『DVD映像ザ・モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 全35曲 〜10th ANNIVERSARY〜』(DVD2枚組)を発売した。
  • 2007年12月31日に放送された第58回NHK紅白歌合戦ではBerryz工房・℃-uteと共に「ハロプロワンダフルオールスターズ」を結成した。モーニング娘。が現在のメンバーで「LOVEマシーン」を歌唱した後にBerryz工房と℃-uteが放送日直前にリリースされた新曲(「付き合ってるのに片思い」「都会っ子 純情」)を歌唱、そして「LALALA 幸せの歌」を全員で歌唱した。なお、第57回で出場しなかった光井愛佳もジュンジュン・リンリンとともに初出演した。
  • 2008年4月16日に発売された36thシングル『リゾナント ブルー』は、韓国との同時リリースで発売した。
  • 2008年5月6日に放送されたNHK総合テレビの特別番組で、ミッキーマウスと共に「ミッキ-マウス・マーチ」を歌った。
  • 2008年5月24日に台湾で初の海外公演を行った。その後、6月1日に韓国でも行われ、同月28日上海の「放歌世博」では日本人アーティストとして初出演した。これに関連して翌2009年にはアイスクリー娘。フランシス&愛子・チャン・ダヨンといった台湾・韓国出身のハロプロメンバーがデビューした。
  • 2008年8月1日放送の『ヒットメーカー 阿久悠物語』(日本テレビ系)に高橋と新垣がピンク・レディー役で出演した。これをきっかけとして、ピンク・レディーの『ペッパー警部』をカバーしたシングル『ペッパー警部』を9月24日に、阿久悠作品のカバーアルバム『COVER YOU』を11月26日にそれぞれ発売した。
  • 2008年8月6日25日に宝塚歌劇団と共同制作した『シンデレラ ザ・ミュージカル』が上演された。なお、このミュージカルの上演に先立って6月11日にスペシャルユニット『High-King』が結成され、モーニング娘。から高橋と田中が参加した。
  • 2008年8月17日に藤本の脱退から443日目を数えたのに伴い、同一メンバー構成維持期間が、石川卒業から紺野卒業までを上回り最長となった。
  • 2008年11月25日第59回NHK紅白歌合戦出演者の公式発表に「モーニング娘。」の名がなく落選、連続出場が10回で途絶えた。
  • 2009年1月、高橋及び新垣がモーニング娘。に加入してからのグループ在籍期間が、飯田のグループ結成から卒業までの在籍期間を抜いて歴代最長となった。
  • 2009年3月、フジテレビ主催のイベント「コルテオ」のスペシャルサポーターにBerryz工房、℃-ute、真野恵里菜と共に就任した。
  • 2009年5月13日発売の39thシングル『しょうがない 夢追い人』で、『歩いてる』以来オリコンシングルチャート週間1位を獲得、8期メンバーにとっては初の1位となった。
  • 2009年7月から約4年半ぶりのCM出演。テレビ東京地デジ7チャン推進CMにて、メンバー9人(当時)が釣りをしているシーンが放映されている。
  • 2009年7月3日(日本時間7月4日)、ロサンゼルスのLAコンベンション・センターで開催された『アニメエキスポ2009』にスペシャルゲストとして招聘され、コンサートを行った。
  • 2009年8月14日に放送された『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)では、現役メンバーとOGメンバー総勢16人が「モーニング娘。スペシャルコラボレーション」として出演し、『恋愛レボリューション21』と『なんちゃって恋愛』を披露した。なお、同番組への出演は2007年4月以来2年4か月ぶりとなった。その後も24時間テレビや関口宏の東京フレンドパーク2にOGメンバーの一部と共に共演している。
  • 2009年9月19日、7期メンバーの久住小春が、12月6日の「モーニング娘。コンサートツアー2009 秋~ナインスマイル~」最終日をもってモーニング娘。及びハロー!プロジェクトから卒業する事が発表された[15]

[編集] 特徴

ここでは、「モーニング娘。でしか見られない現象」について記す。

[編集] 教育係

モーニング娘。には、「教育係」という名目で先輩が後輩に指導する慣わしがある。中でも3・4期メンバーでは「ASAYAN」で教育指導の模様が放送された。

  • 2期メンバー
    • 教育係の制度はなかった。しかし、「ASAYAN」では中澤裕子が叱っている姿が放送された。
  • 3期メンバー
  • 4期メンバー


  • 5期メンバー
    • 教育係の制度はない。
    • なお、2001年11月2日に放送された「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)での5期メンバー初登場時に吉澤ひとみ→高橋愛、石川梨華→小川麻琴安倍なつみ紺野あさ美、矢口真里→新垣里沙、という組み合わせで新メンバーの紹介を行った。これを聞いた司会のタモリが「教育担当者が決まっているんですね」と感想を述べたのに対してその場では誰も否定しなかったため、この組み合わせが教育係だと言われたこともあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている[16]
  • 6期メンバー
    • 加入当時、教育係が設けられたという報道やメンバーの発言はなかった。なお、「6期メンバーとほぼ入れ替わりで卒業する保田圭が6期メンバーにモーニング娘。の精神を伝える」という企画が2003年5月11日の「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)で放送されており、この時点では教育係という呼び方はされていなかった。しかし、2007年11月に行われたYahoo!ライブトークでは保田圭が6期メンバーの教育係であったとされている[17]が、2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」では出演したメンバーが「5期と6期には教育係はいない」と語っている。
  • 7期メンバー
  • 8期メンバー
    • 2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」において、ジュンジュンが遅刻が多いため、マネージャーが亀井か田中を教育係にすることを検討している、と田中が明かした。しかし、その直前に亀井が道重との待ち合わせに必ず30分遅刻するというトークをしていたため、司会者から「亀井ちゃんに教育させたらアカン」とつっこまれた。

[編集] メインパート・センターポジション

初期の楽曲はメイン(主旋律)とハモリ(ハーモニー)で構成されていたことから、「ASAYAN」でメインパート争奪戦として取り上げられていた。『LOVEマシーン』以降のリレー式歌唱でも、サビの歌唱を中心として歌唱パートが多いメインと、その他に区別できる。

人数の増加に伴い、歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心(センターポジション)にいる「センター」も注目されるようになった。センターとメインは必ずしも一致しない。メインやセンターを一度も経験せずにモーニング娘。を卒業したメンバーも多い。

メイン及びセンターの推移はモーニング娘。の作品・出演一覧#シングルの通りである。但し、メインやセンターについて公式発表されることもあるものの、多くの場合公式に発表されないため、誰が見ても明らかな場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず、意見が分かれる場合も多い。

[編集] パート割り

  • 歌唱パートの割り振りは、メンバー構成が10人以上の大所帯である時期が多くあるために、曲によってはソロ歌唱フレーズがなかったり、1フレーズのみというメンバーがいる場合が多い。
  • パート割りがライナー(歌詞カード)に記述されたのは 『女子かしまし物語』のみである。なお、『つんく♂ベスト作品集(上)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』及び『つんく♂ベスト作品集(下)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』に収録されている19曲については、それぞれの付属のブックレットにパート割りが記載されている。
  • PVでは、各メンバーがそれぞれソロパートが割り当てられている部分で大写しにされていることが多い。
  • 『LOVEマシーン』までは全員分で曲全体のレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。その後、レコーディングでのプロツールスの本格的な導入に伴い、レコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジすることが多くなる。
  • コンサートなどで卒業・脱退したメンバーが受け持っていたパートのある曲を歌う時は、いなくなったメンバーの受け持ちパートを残っているメンバーの誰かが引き継いで歌う。但し、卒業コンサートや紅白歌合戦などの特別な場やコンサートの構成上においてメンバーの入れ替えに関係なくパートの変更が行われることもある。

[編集] エース格メンバー

エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味合いである。エースに該当しないメンバーが素質的または才能的、そして人気が劣っているという意味合いではない。但し、エースについてはつんく♂ら関係者やマスコミによってしばしば言及されることがあるものの、リーダーなどのように公式発表されることはないので、ある時点で誰がエースなのか、特定の時点でのエースは1人に限られるのか、そもそもエースと呼びうる存在がいるのかといった点で意見が分かれる場合が多い。

モーニング娘。の歴史の中で、一般的にエース格とされているのは安倍なつみと後藤真希の2人、もしくは石川梨華を加えた3人である。また、広義には高橋愛・藤本美貴・田中れいな・久住小春らを指すこともある。

結成時から後藤加入の頃までの初期のモーニング娘。のエースと考えられるのは、安倍なつみである。そもそも、インディーズデビュー曲である『愛の種』とメジャーデビュー曲である『モーニングコーヒー』に関わった桜井鉄太郎によれば、モーニング娘。に関わることになった時に所属事務所の人間が「オーディションの落選者の中で安倍なつみがずば抜けて資質があるのでソロで売り出したいが、いきなりソロで売り出すのはちょっと早いのでしばらくグループの中でもませたい。」と語ったことを述べている[18]。実際に安倍はモーニング娘。の初期の曲のすべてでメインボーカルを務めており、中でも 『ふるさと』はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにも拘らずソロパートがあるのが安倍1人であり、他のメンバーは単にバックコーラスを務めているに過ぎない。モーニング娘。の歴史の中でこのような例は他には存在しない。かつてつんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。のであり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている。」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」とほぼ同じ意味だと思われる。なお、安倍は歌手としてのソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、モーニング娘。初のCMは安倍のソロ出演CMであるSALA(カネボウクラシエ)であり、ソロでの本格的なドラマ出演やソロ写真集の発売などはいずれもモーニング娘。のメンバーの中では安倍が初めてである。

石川梨華は、ソロ写真集の発売は安倍に次いで2人目であり、ハロー!プロジェクトの歴史の中で初めて「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」という個人の名前が入ったユニットを持つなどしていたものの、在籍時代にはセンターを務めることがあまりなかったため、必ずしもエース格とされていた訳ではないが、卒業発表から卒業までの過程において「H.P.オールスターズ」でのソロパート及び歌い終わり時のセンターや、2005年新春ワイド時代劇国盗り物語」(テレビ東京系)への出演などエース的なメンバーが任されるような仕事に多く関わったこともあり、エース格であると認識する写真週刊誌やスポーツ紙が多くなった。石川がエース格を務めたのはグループの爆発的な人気にやや陰りが見えた時期であるため、人気の高かった時期にエースを務めた安倍や後藤と同列視すべきではないとする意見もあるが、つんく♂も雑誌の記事で石川はエースとして頑張って来たと発言[要出典]している。

田中れいなは、初参加曲である「シャボン玉」でメインを任されたことや新ユニット「あぁ!」のリーダーを任されたことなどで後藤真希と対比する形で「エース」として報道された[要出典]。現在、高橋愛とともにシングル曲のソロパートが多いメンバーであり、2005年のシャッフルユニット「エレジーズ」や2008年のスペシャルユニット「High-King」でも2人が選抜で加入している。

2003年1月に当時ソロ歌手として活動していた藤本美貴のモーニング娘。入りが発表された時、プロデューサーのつんく♂が「紅白歌合戦でモーニング娘。のメンバーをバックに歌っている藤本を見てモーニング娘。に入れてみたいと思った」などと語ったため、マスコミで「藤本美貴、即戦力のエースとしてモーニング娘。に加入」などと報道された。

2004年9月の7期メンバーの募集時にオーディションの目的が「エースを探す」であるとされたため、その時点のモーニング娘。にはエースがいない(またはいなくなる)ことになるのかがファンの間で議論になった。結局、このオーディションは結果が該当者なしだったため、翌2005年2月に再度7期メンバーを募集し、同年5月1日にモーニング娘。に加入した久住小春について、つんく♂は「エースを超えるミラクル」であると評した。

マスコミでは、ハロプロ系に詳しいサンケイスポーツが「エース」の呼称を頻繁に使用し、以下のメンバーに用いられた。

  • エース:安倍なつみ、後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時[19])、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)、高橋愛(2002年7月のハロプロ改変時)
  • 新エース:田中れいな(2006年以降)
  • エース候補:久住小春(石川卒業時)

さらに、『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜』の紹介記事では、「LOVEマシーン」とのジャケット写真比較にて安倍なつみを「当時のエース」、久住小春を「現エース」として報じられた[20]

[編集] ラブマの法則

石黒彩から安倍なつみの卒業まで、「LOVEマシーン」のシングルジャケット写真8人の立ち位置右上から6人が以下の様に並び通りの順番となった(石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ)。

飯田 保田 中澤 石黒
矢口 安倍 後藤 市井

通算3人目の卒業者となる中澤卒業後の2001年6月頃にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論されたことが確認されている。安倍卒業時にマスコミでも話題となったが、「LOVEマシーン」リリース時に在籍していない辻希美と加護亜依の卒業により法則は破られたと考えられた。だが、最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」のリリース時に在籍していなかったという反論がある上、その後飯田圭織が卒業した後にジャケット写真8人の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないという考え方もある。

2005年5月11日放送の「トリビアの泉」(フジテレビ系)においてこの法則が紹介された。この際に司会のタモリが「メンバーとは何度も共演したが全然知らなかった。」と発言したが後述する経緯などからするとカマトトである可能性が高い。しかし、それ以前にも「アッコにおまかせ!」(TBS系)や「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ系)で報道していた。また、矢口が脱退した時も「ブロードキャスター」(TBS系)内のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」で放送された。

メンバー自身がこの件について言及したのは2003年4月24日放送の「うたばん」(TBS系)である。この回では保田のモーニング娘。からの卒業を主題とした構成になっており、その一環として当時のリーダーだった飯田が「LOVEマシーンのジャケットに関する噂」として話している。

[編集] 楽曲オリジナルメンバー

2009年8月現在、モーニング娘。の最古参メンバーは5期メンバーの高橋愛と新垣里沙であるため、シングル曲で13枚目のシングル「Mr.Moonlight 〜愛のビッグバンド〜」より前の曲はオリジナルとして歌ったメンバーが1人も現存しない(「そうだ! We're ALIVE」にカップリング曲として収録された「モーニングコーヒー(2002 ver.)」などリメイクされたものは除く)。

前述の通り、過去の曲はコンサートにて卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌う。なお、2005年夏のハロー!プロジェクトのコンサートでは当時の『卒業メンバー』である中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・保田圭・後藤真希・石川梨華・辻希美・加護亜依が「LOVEマシーン」を披露した(この時矢口真里は司会扱いで不参加であったが、同年大晦日の第56回NHK紅白歌合戦で実現した。)。現役メンバーも同曲をコンサートで歌い続けている。

[編集] グループ内ユニット・レンタル

モーニング娘。は、グループ内ユニットとしての「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などの活動も活発であった。

そもそも、このグループ内ユニットとは結成からずっとメイン歌唱の安倍なつみに対してコーラス担当となっていた飯田圭織と石黒彩の歌唱力を活かすため、グループ内ユニットである「タンポポ」が発案され結成されたことが始まりである。また、追加メンバー3名からは声の相性を重視して矢口真里が選抜された。「ASAYAN」としての企画としても注目が集まり、「メンバーの個性を高めてモーニング娘。に還元する」循環の成功事例となった。

この成功に続いて「プッチモニ」が結成され、モーニング娘。に続くミリオンセラーとなる。続く「ミニモニ。」はハロー!プロジェクトからココナッツ娘。ミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録し、成功する。この方向性をさらに進め、モーニング娘。のメンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。

2002年7月31日のユニット改編(ハローマゲドン。タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え。)はそれぞれのファンからの反発を買うことになった。その結果、タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはあったもののシングルリリースなしで両ユニットとも活動休止状態に、またミニモニ。も改編後の路線変更を前後して売り上げが半減し、2004年5月のミカの卒業をもって活動を停止した。

2004年6月には「エコモニ。」が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど活動を続けている。さらに2006年からはグループ内ソロユニットの「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」やハロプロ枠内のユニット「GAM」「きら☆ぴか」「アテナ&ロビケロッツ」「MilkyWay」「High-King」といったユニット活動が再開している。また、「モーニング娘。さくら組」「モーニング娘。おとめ組」もグループ内ユニットの扱いになるのかどうかは見解が分かれている。

2009年7月15日に発売された「チャンプル(1)〜ハッピーマリッジソングカバー集〜」では、タンポポに亀井絵里と光井愛佳、ミニモニ。にリンリンZYXに新垣里沙と久住小春、美勇伝に道重さゆみとジュンジュンがそれぞれ参加している。

[編集] 円陣及び気合い入れ

モーニング娘。は、ライブやテレビ番組の本番前などにメンバー全員で円陣を組み、右手を重なり合わせ、掛け声を掛け合う気合い入れを行うことが仕来りになっており、モーニング娘。の歴史において欠かすことのできない独特の習慣である。これは、メンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という意思確認の目的で結成当時から行われており、ファンの間でも有名である。

がんばっていきまっしょい!!
円陣を組み、リーダーが差し出した手の上から他のメンバーが手を重ね、『がんばっていきまっ』(リーダー格のメンバー)『しょい!!』(メンバー全員)という掛け声を合わせる。この気合い入れはモーニング娘。のライブDVDや「ASAYAN」「ミュージックステーション」などでも公開されている。通常は舞台裏で行われるが、2006年の第57回NHK紅白歌合戦ではステージ上で行われた。これは敷村良子原作で1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した小説「がんばっていきまっしょい」が由来である。1998年にはこの小説も映画化され、これが縁で飯田圭織と同映画主演の田中麗奈が親友になった。
ダンシング シンギング エキサイティング
主にハロプロライブの時にハロプロメンバー全員での気合い入れ時の掛け声である。メンバー全員で両手を繋ぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。『ダンシング シンギング エキサイティング』(リーダー格のメンバー)『ダンシング シンギング エキサイティング、オー!』(メンバー全員)という形になる。こちらも度々ハロプロのライブDVDなどに収録されている。

また、モーニング娘。さくら組とモーニング娘。おとめ組には下記の気合い入れも行っていた。

気持ちを合わせて頑張っていきますさくら
モーニング娘。さくら組の気合い入れ。『気持ちを合わせて頑張っていきます』(リーダー格のメンバー)+『さくら』(メンバー全員)。
おとめファイト
モーニング娘。おとめ組の気合い入れ。『おとめ』(リーダー格のメンバー)+『ファイト』(メンバー全員)。

この他にも、ハロプロの各グループごとに独特の気合い入れや掛け声が存在する。

[編集] 主な記録

[編集] オリコン記録

[編集] シングル

モーニング娘。は、女性グループとして以下のオリコンのシングル主要5部門でトップ記録を独占している[21]

  • 女性グループシングルCD総売り上げ第1位
    • 2007年4月発売の33rdシングル『悲しみトワイライト』の初登場週においてシングルCD総売り上げ1,103.7万枚を達成し、1,108.5万枚となり、それまで1位だったピンク・レディーを抜いて1位を達成した。なお、同曲は翌5月7日付けのオリコンシングルチャートで初登場2位を記録している。なお、通算CDセールスが1,000万枚を突破したのはピンク・レディー、SPEEDに続き女性グループ史上3組目である(2003年7月発売の19thシングル『シャボン玉』にて1,000万枚を突破)。
  • 女性グループシングルCDオリコン1位回数:11作(歴代女性グループ最多&邦楽歴代16位)
  • 女性グループシングルCDオリコン1位連続年:6年(1998年〜2003年)
  • 女性グループシングルCDオリコントップ10回数:41作すべて(歴代女性グループ最多&邦楽歴代7位)
    • 1998年1月発売のメジャーデビューシングル『モーニングコーヒー』で記録が始まり、2002年11月に15thシングル『Do it! Now』(同年7月発売)でそれまで1位だったMAX及びWinkとトップタイを達成し、16thシングル『ここにいるぜぇ!』(10月発売)で女性グループ記録の単独1位を達成した。この40作はソロアーティストも含めた女性アーティスト部門では歴代単独2位になる(1位は浜崎あゆみの42作)。2007年4月発売の33rdシングル『悲しみトワイライト』で小泉今日子及び安室奈美恵(※当時)と並ぶ歴代3位タイとなり、同年7月発売の34thシングル『女に 幸あれ』で歴代女性アーティスト単独2位に浮上した。また、デビューから40作連続でのTOP10入りは、2006年10月23日付のSMAP以来、オリコン史上2組目の快挙。
  • 女性グループシングルCDオリコン連続トップ10獲得年数:12年(歴代最長)

シングルについては他に以下の記録がある。

  • 女性グループシングルCDオリコントップ5回数:38作(歴代女性グループ最多&邦楽歴代3位)
    • 全シングル中でオリコントップ5に入らなかったのはデビュー曲の『モーニングコーヒー』と『みかん』の6位が最低ランク順位であり、これ以外の楽曲39作品はすべてトップ5にランクインしている。
  • 女性グループシングルCDオリコン連続トップ5記録:33作
    • 1998年5月発売の2ndシングル『サマーナイトタウン』で記録が始まり、2007年7月発売の34thシングル『女に 幸あれ』まで継続した。しかし、同年11月発売の35thシングル『みかん』の最高位が6位であったため、記録が途切れた。

[編集] アルバム

アルバムについても以下の2部門でトップ記録を有しており、シングルの記録とあわせて「7冠」とされることもある。

[編集] その他の記録

  • ミュージックDVDオリコン1位回数:18作

[編集] 世界記録

  • 『1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数』の世界記録:15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベントにおいて)

[編集] NHK紅白歌合戦関係

  • 女性グループとして最多出場:10回(1998年〜2007年)
  • 最多初出場(3回):後藤真希(モーニング娘。・後藤真希・DEF.DIVA)(1999年の第50回・2003年の第54回・2005年の第56回)、藤本美貴(藤本美貴・モーニング娘。・GAM)(2002年の第53回・2003年の第54回・2006年の第57回)
  • 平成生まれの出場歌手第1号:道重さゆみ田中れいな(2003年の第54回)。

[編集] 獲得音楽賞

[編集] 新聞記事・広告

  • モーニング娘。は、スポーツ紙の他、2000年頃から一般紙の記事や広告に何度か掲載している。
  • 一般紙の中でもよく記事や広告を掲載するのは読売新聞だが、下記のような企画も行われた。
    • 2000年12月28日付けの夕刊には、20世紀末に因み、ほとんどの広告が「モーニング娘。のゆく世紀・くる世紀」として掲載された。
    • 2002年のミュージカル「モーニング・タウン」にはキリンビバレッジとのスポンサーを務めた。この時期には読売新聞の新規購読者に特典として「モーニング娘。目覚し時計。」が配布されており、同年1月には既存の購読者にもモーニング娘。のポスターやカレンダーが配布されていた。
    • 2007年1月16日付けの朝刊には、見開きの2ページにわたってモーニング娘。結成10年をアピールする全面広告が掲載された。内閣の組閣写真を模した写真に1〜8期の全メンバー23人(当時)の巨大な顔がコラージュされた写真が使われ、中央に「それではいっしょに唄いましょう。」、下に「構造改革は行いますが、解散は致しません。今年9月に10周年を迎えるモーニング娘。です」というキャッチコピーが添えられた。なお、この広告は同日、日本経済新聞(東日本地区のみ)の朝刊にも掲載された。
    • なお、2000年7月18日夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙として初めてモーニング娘。に「国民的アイドル」の表記を使用した(別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」〈宝島社〉の調査による)。
  • 2007年3月24日付けの朝日新聞夕刊には、1面広告で8枚目のアルバム「SEXY 8 BEAT」の宣伝を行った。

[編集] その他

  • メンバーの平均身長は、同年代の日本人女性より背が低い。歴代メンバー25人のうち身長が160cm以上あるのは石黒彩飯田圭織吉澤ひとみ道重さゆみ久住小春ジュンジュンの6人のみである。身長差の最大は歴代通算では飯田と矢口真里の24cm差、現役メンバーではジュンジュンと田中れいなの18cm差である。また、メンバー9人の平均身長は約157cmである。歴代メンバー25人の平均身長は約156cmである。
  • 中学生メンバー(現在在籍なし)は茶髪・ピアスは禁止。中学生時代にピアスを付けていたのは後藤真希(中2:オーディション時〜1999年暮れ)と田中(中1:オーディション時、中3:2005年〜)と吉澤(中3:2000年10月〜)だった。また、石黒は耳の他に鼻にもピアスをしていた。
  • 歴代メンバー出身地を都道府県別に分けると、最も多いのは北海道で、石黒・飯田・安倍・紺野・藤本の5名を輩出しており、結成時から紺野卒業時までは常に2名以上のメンバーが同時に在籍していた(最高時は石黒以外の4名。2007年6月に藤本の脱退により結成以来初めて「北海道出身のメンバーが1人も在籍していない」状況になった)。以下、東京都の4名(福田・後藤・辻・亀井、同時在籍は「後藤・辻」と「辻・亀井」のみ)、神奈川県の3名(矢口・石川・新垣、全員が同時在籍していた時期が長いが、最多タイ止まり)と続く。しかし、2006年8月小川麻琴が卒業したため、同年9月時点でのメンバーは史上初めて全員の出身都道府県が異なるという状態となった。同年12月加入の光井愛佳も既存の誰とも重ならず、また2007年3月加入の中国人留学生2名も出身省(日本の都道府県に相当)が異なるため、同月以降もこの状態は継続中である(高橋=福井県、新垣=神奈川県、田中=福岡県、道重=山口県、亀井=東京都、久住=新潟県、光井=滋賀県、ジュンジュン=湖南省、リンリン=浙江省)。
  • 2003年6月3日には、神奈川県横浜市と日本演劇興行協会が構造改革特区の1つとして午後10時まで延長する「子役特区」を提案した。鴻池祥肇特区担当大臣(当時)が「モーニング娘。特区」と名付けて実施を目指していたが、坂口力厚生労働大臣(同)は「義務教育を受けるためにも限界がある」と慎重な姿勢を示していた。内閣府で行われた同年9月3日の会談で坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日から全国的に演劇などへの13歳未満の子役の出演が従来の午後8時までから午後9時までに延長されることになった。
  • 2004年1月23日に行われたテレビ東京の年頭の記者懇親会では、当時の菅谷定彦社長が「藤本美貴石川梨華のツートップにするのがいいんじゃないか。そうすれば(今後も)大丈夫だ。」と発言し、同局がこれからもモーニング娘。などのつんくファミリーをリードしたい意思を示した。しかし、モーニング娘。出演のテレビ東京系レギュラー番組は権利上の問題からBSジャパンでは放送されていない(過去に同局で放送されたのは同局との共同制作だった「MUSIX!」と単発番組の一部などごくわずか)ことや、系列局の少なさもあり、テレビ東京とアップフロントグループは必ずしも蜜月関係とはいえない。
  • モーニング娘。は海外にも熱狂的ファンが多数存在し、特にアジア(主に台湾、香港、韓国)では他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は『早安少女組』。なお、この表記については2007年5月20日の「ハロモニ@」で取り上げられた。)。但し、エイベックスジャニーズ事務所などと比較すると当該地域へのプロモーション活動はあまり積極的とはいえなかったが、2006年7月に卒業メンバーの一人である後藤真希が韓国で同国のファンを相手にイベントを開催し、11月に同国でライブを開催した。モーニング娘。も同年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」ことや、翌2007年3月15日に中国人留学生のジュンジュンとリンリンが加入したこともあり、今後もハロプロ全体でアジア戦略を模索している。そんな中、モーニング娘。のアジア進出が同年10月よりいよいよ具体的に動き出すこととなった。
    • 2007年10月26日28日の3日間を高橋・新垣・久住の3名で韓国を、同月29日31日の3日間をメンバー9人全員で台湾をそれぞれ訪問した。これは10周年ベストアルバムが両国で公式リリースされるため、そのプロモーションとして実現した。両国共に多数のメディア取材があり、テレビ・ラジオ出演などを精力的にこなした。また熱狂的なファンが空港の出待ちや握手会に多数押し寄せ、改めてその現地での人気の高さを証明した。なお、台湾では公式ファンクラブイベントがあり、ファンの前で4曲を披露した。
    • 2008年5月24日に初の台湾公演を行った。なお、これに先立って同年4月16日からの数日間高橋・田中・ジュンジュンの3人による台湾公演のPR活動を行った。また、6月1日に初の韓国公演、同月28日には2010年の上海万博に先駆けて行われるコンサート「放歌世博」に日本人アーティストとして初出演されるなど、アジア進出計画は着々と進行している模様である。
    • 2008年4月16日に発売された36thシングル『リゾナント ブルー』は、韓国との同時リリースを実現した。
  • その他にも英語フランス語ドイツ語でのファンサイトも存在し、日本を「クール」と見る諸外国の人々からは一定の認知を受け世界的なアイドルスターと言える。
  • 2003年9月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトの選抜メンバーによる芸能人フットサルチーム『Gatas Brilhantes H.P.』(現在同チームからのモーニング娘。メンバーはなし)が結成され、現在では他の芸能プロダクションを巻き込んで芸能界全体がフットサルで盛り上がっている。さらに2006年1月にはキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」も結成している(現在活動休止中)。
  • 自衛官募集のポスターでは起用された有名人が自衛官の制服を着て写っているのが通例だが(細川ふみえ岡田有希子の例)、モーニング娘。はそのポスターで初めて通例が破られる形(自衛官制服非着用)でポスターに採用された。
  • モーニング娘。は男性や子供達のファンが多いことで、メンバーの色恋沙汰はご法度であり、グループ在籍期間の間は男女の交際そのものが禁止とされる。中澤裕子でさえ、芸能界デビュー以降の恋愛談義は御法度であり、メンバーがテレビ番組で恋愛の話をすることはないが、容赦なく話す共演者が多い。2000年には安倍なつみ押尾学の自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「スポーツ報知」に報じられた。また、石黒彩もかつて「恋人ができたら解雇だと言われた」と番組で告白したことがある。特にリーダーの地位にある場合は他のメンバーの規範となることが求められるため、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴はともに脱退に追い込まれている。ただし、公式の理由は恋愛ではない。未成年が多いグループでの自覚なき行動(要因が直接「恋愛」とは表現し難いので)で、あくまで「個人の自覚」や「業界のお約束事」の範疇である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ ASAYAN公式サイト:モーニング娘。
  2. ^ 公式サイト 『モーニング娘。』リーダー「矢口真里」についての重要なお知らせ
  3. ^ 例:『モーニング娘。×つんく♂』『モーニング娘。×つんく♂2』
  4. ^ 例:『モーニング娘。誕生10年記念本』やモーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜初回限定版の付属ブックレット
  5. ^ 例:『モーニング娘。×つんく♂2』
  6. ^ 例:「モーニング娘。の変せん」『さいたまスーパーアリーナライブドキュメント速報 モーニング娘。 最初で最後の16人』(サンケイスポーツ特別版、2003年5月9日)
  7. ^ 2008年、ファンクラブ会員向けに出版された『ハロテン検定ドリル』によると、中澤がリーダーであった期間は「3年3ヶ月であった」とされているので、逆算するとリーダー就任は1998年1月になる。
  8. ^ 「ずっと後ろから見てきた」(中澤裕子・著、2003年11月17日、ワニブックス)p.137に記述
  9. ^ 公式サイト ハロー!プロジェクトのバイオグラフィー
  10. ^ つんく♂オフィシャルサイト 「モーニング娘。10年記念隊」楽曲コメント
  11. ^ 「モーニング娘。5+3-1」(1999年10月13日、宝島社、ASAYAN 編)ISBN 4-796616047 P151〜に記述
  12. ^ 例:「増員」『ずっと後ろから見てきた』〈中澤裕子・著、2003年11月17日、ワニブックス〉P148〜に記述
  13. ^天声人語句読点』」(朝日新聞、2006年1月7日)、「天声人語(2006年1月〜6月)」(朝日新聞社、2006年9月発行) ISBN 4-0225-0225-8 などに掲載。
  14. ^ 公式サイト モーニング娘。新メンバーに関して、つんく♂より皆様へのお知らせ。
  15. ^ モーニング娘。「久住小春」に関する大事なお知らせ
  16. ^ 2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」において、出演したメンバーが「5期と6期には教育係はいない」と語っている。
  17. ^ 新旧の枠を超えたモーニング娘。の絆 <Yahoo!ライブトーク>出演
  18. ^ 別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社、2001年9月29日発行)に収録された桜井鉄太郎のインタビュー
  19. ^ サンケイスポーツ 美勇伝全国ツアー記事(2005年8月21日)
  20. ^ サンケイスポーツ 『モーニング娘。ALL SINGLES COMPLETE〜10th ANNIVERSARY〜』紹介記事(2007年9月3日)
  21. ^ ORICON STYLEホームページ『モーニング娘。、ピンク・レディー超え! 女性グループ5冠!』、2007年5月1日

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最終更新 2009年11月17日 (火) 07:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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