リンカーン (自動車)

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ゼファー(2006年型)

リンカーンLincoln )はアメリカフォード・モーターによって製造・販売されている高級車ブランド名。ブランド名の由来は創設者が尊敬していた第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンにちなんだものである。キャディラックと並んでアメリカを代表する高級車として知られる。

目次

[編集] 概要

フォード自動車博物館に展示されているリンカーン
1930年代のリンカーンのフロントディテール(3Dメガネ用)
ゼファー(1937年型)
コンチネンタル・マークII(1956年型)
コンチネンタル(1961年型)
タウンカー(2000年型)

1917年、リンカーンはヘンリー・マーティン・リーランドによって設立された。 リーランドはキャディラックの創設者のひとりでキャディラックがゼネラルモーターズに吸収された後も同部門の責任者を務めていた。第一次世界大戦中、 リーランドは政府からの要請で航空エンジンの生産に乗り出そうとしたが、ゼネラルモーターズの創立者ウィリアム・C・デュラントに反対されたため、ゼネラルモーターズを辞して、リンカーン・モーターカンパニーを設立した。 リンカーンは終戦までに6500基のリバティ航空エンジンを納入している。戦後、リンカーンは高級車メーカーとして再出発を遂げた。

リーランドは1920年に最初の試作車を完成させ、徹底した品質管理と群を抜いた性能によって大きな評判をとったが、この車には大きな欠点があった。スタイリングである。リーランドは機械的な精密さを追究することには熱心だったものの、この種の高級車の販売促進に不可欠だったはずのスタイリングには無頓着だったのである。加えて戦後の不況や合衆国政府による戦時中の利益に基づく追徴課税がリンカーンを直撃、激しい財政難に遭遇し、その結果、1922年、リンカーンはフォード・モーターに買収された。 買収後もリーランドはリンカーンの責任者を務めていたが、フォードとの意見の対立からわずか4ヵ月後には会社を辞してしまう。リーランドの辞職を機にリンカーンはフォード・モーターの高級車部門として本格的に組み込まれていくことになる。

フォード・モーターの創設者ヘンリー・フォードは当初高級車部門への参入には消極的だった。フォード・モーターも創立初期の頃には高級車を手がけていたが、フォード・モデルTの成功によって、高級車からは手を引いていたからである。 結局ヘンリー・フォードは息子のエドセルにリンカーンを委ねることになる。この時エドセルは『父は世界一の大衆車を作ったが自分は世界一の高級車を作りたい』と決意を語ったという。エドセルは自動車に関する高い見識の持ち主であり、特にスタイリングに関しては当時のアメリカでは並ぶ者がなかったという。リンカーンを手中に収めてからのエドセルはアメリカのカースタイル設計の中心人物になったといっても過言ではない。

エドセルは数々の有名コーチビルダー(当時の高級車の場合、自動車メーカーはシャーシーのみを製作、顧客の好みに合わせたボディをコーチビルダーで架装するのが一般的だった)と契約、優美なボディを架装することが可能となり、これによってリンカーンの商業的成功をもたらした。やがてリンカーンはキャディラックやデューセンバーグなどと並びアメリカを代表する高級車のひとつという評価を勝ち得ていく。1927年からは、グレイハウンドを象ったマスコットがリンカーンのフロントグリル頂点を飾るようになり、現行のダイヤモンドの光芒を象ったエンブレムに変えられるまでの戦前期リンカーンの大きな特徴のひとつとなっている。

1936年、リンカーンはゼファーの投入によって、中級車市場にも進出、その斬新な流線型のスタイリングと相まって大好評をもって迎えられた。ゼファーはアメリカ車一般に流線型のスタイリングが普及する嚆矢となった車種として自動車史上に名を留めている。その後エドセルはゼファーのコンセプトを発展させた車の開発に注力、その結果リンカーンによって作られた中で最も成功した車といえるコンチネンタルに結実することになる。コンチネンタルはエドセルがフロリダでの休暇中に乗るための試作車として開発された。 ヨーロッパから帰国直後だったエドセルは試作車のスタイリングを欧風にするよう命じた。エドセルがこの試作車をフロリダで乗り回した所、それを見た多くの人がこの試作車の量産を熱望、これをきっかけとしてリンカーン伝統の車種コンチネンタルが誕生する。

コンチネンタルは第二次世界大戦の中断をはさんで戦後も生産が続いたが1948年に生産が終了した。しかしコンチネンタル復活の要望は根強く、フォード側も従来のリンカーン部門とは別にコンチネンタル部門を立ち上げて新車種の開発をはじめ、1955年にコンチネンタル・マークIIという形で復活した。 価格がロールス・ロイスと同じ1万ドルという超豪華車の人気は最初のうちは好調だったものの、やがて売り上げは減少、わずか3000台あまりを生産したのみでマークIIの製造は打ち切られ、コンチネンタル・マークIIIに移行したがこれも不評でマークIIIの生産中止を機にコンチネンタル部門も解体されてしまう。しかしコンチネンタルという車種名そのものは存続、1981年にコンチネンタルの最上級グレード、タウンカーが車種として独立するまでリンカーンの旗艦車種という位置づけが変わることはなかった。

1980年代以降、リンカーンはオイルショックや新車種の開発の遅れによってヨーロッパ日本の高級車との競争に遅れをとったと言わざるをえない状況が続いた。そんな状況を吹き飛ばしたのは1998年に発売されたSUVナビゲーターの成功である。さらに2004年からの4年間に5つの新車種の投入計画を掲げ、新世紀を迎えたリンカーンは新車種発表ラッシュを迎えつつある。

[編集] デザイナー・シリーズ

1970年代よりカルティエグッチ、ビル・ブラスやエミリオ・プッチなどのファッションデザイナーに内外装を仕上げさせた「デザイナー・シリーズ」(Designer Series )を用意しており、現行型では担当デザイナーこそ存在しないものの、その名称がタウンカーの最上級グレードとして受け継がれている。

[編集] 大統領専用車として

クーリッジ大統領が使用したリンカーン リムジン(1924年)

リンカーンは、キャディラックと並んでリムジンを合衆国の大統領専用車として提供して来た長い歴史を持つ。

初めてリンカーンがホワイトハウスに納入されたのは1924年カルビン・クーリッジが合衆国大統領を務めていた時代だった。この車はクーリッジ、ハーバート・フーヴァーの二代の大統領に仕えている。

1942年フランクリン・ルーズベルト時代のホワイトハウスに納入されたのは「サンシャイン・スペシャル」という愛称で親しまれた巨大なリンカーンV12オープンカーである。ルーズベルトがフォード工場を視察するのに合わせ、ヘンリー・フォード自らの命令で製作された。1940年の製造中止後もストックされていた大型リンカーンのモデルK(1939年型)シャーシを延長、これに1942年型リンカーン・ゼファー似のボンネットと、サッシュ付防弾ガラス窓を備えたオープンボディを載せたものであった。ルーズベルトと次代のハリー・S・トルーマンによって1950年まで愛用され続けた。

「サンシャイン・スペシャル」が引退した年に納入された専用車は「バブルトップ」というニックネームの、1950年型リンカーン・コスモポリタンのストレッチバージョンであった。客室部分の屋根が、当時最新素材である透明なプラスチック製になっているのが特徴で、トルーマン・アイゼンハワーケネディジョンソンと4人の大統領に仕えた後、1965年に引退した。

ケネディが大統領に就任した1961年、リンカーン・コンチネンタルのオープンカーがホワイトハウスに納入されるが、この車は1963年ダラスで起きたケネディ大統領暗殺事件の主役を演じ、史上最も有名な大統領専用車として人々の記憶に刻まれた。しかし実はこの「ケネディ遭難車」は、翌1964年に1964年モデル用グリルへ交換され、クローズドトップ仕様に改造の上でリンドン・ジョンソンの公用車に再充当されている。その後1968年、ジョンソンの在任期間中に再びコンチネンタル・リムジンが納入されている。

1989年に納入されたリンカーンが現在のところ最後の『プレジデンシャル・リンカーン』である。ライバルのキャディラックは1983年1993年2001年2005年にリムジンをホワイトハウスに納入している実績を誇っているのに比べ、やや低調なところである。

[編集] 車種一覧

[編集] 乗用車

  • リンカーン・Lシリーズ (1920-1930)
  • リンカーン・Kシリーズ (1931-1939)
  • リンカーン・ゼファー (1936-1942)
  • リンカーン・ゼファーコンチネンタル (1940-1942, 1946-1948)、後のリンカーン・コンチネンタル
  • リンカーン・カスタム (1941-1942)
  • リンカーン (モデル名なし、通称スタンダード・リンカーン) (1946-1951)
  • リンカーン・スポーツ (1949-1951)
  • リンカーン・コスモポリタン (1949-1954)
  • リンカーン・リードウ (1950-1951)
  • リンカーン・カスタム (1955)
  • リンカーン・カプリ (1952-1959)
  • コンチネンタル・マークII (1956-1957)
  • コンチネンタル・マークIII (1958)
  • リンカーン・プレミア (1956-1960)
  • リンカーン・コンチネンタル (1961-2002)
  • リンカーン・コンチネンタルマークIII (1969-1971)
  • リンカーン・コンチネンタルマークIV (1972-1976)
  • リンカーン・コンチネンタルマークV (1977-1979)
  • リンカーン・コンチネンタルマークVI (1980-1983)
  • リンカーン・ヴェルサイユ (1976-1980)
  • リンカーン・コンチネンタルマークVII (1984-1992)
  • リンカーン・マークVIII (1993-1998)
  • リンカーン・タウンカー (1981- )
  • リンカーン・LS (1999-2006)
  • リンカーン・ゼファー (2006-)、2007年モデルからリンカーン・MKZに改称
  • リンカーン・MKS (2008-)

[編集] トラック・SUV

[編集] コンセプトカー

[編集] 関連項目

[編集] 日本でのビジネス

日本国内でのリンカーンビジネスは、長きに渡って「近鉄モータース」が行っていた。

リンカーンの日本国内輸入権はフォード・モーターの日本法人「フォード自動車(日本)」(現・フォード・ジャパン・リミテッド)ではなく近鉄モータースが保有しており、自社での直輸入・全国販売・部品供給体制を構築していた。

全国販売網もマツダの販売チャネル「オートラマ」とは独立しており、両方の販売網に加入していた販売会社もあった。

一時期、リンカーン・コンチネンタルとLSをオートラマの正式ラインナップとして販売したことがあった。その時はフォード自動車(日本)が当該2車の輸入権を持っていた。

2005年、近鉄モータースがクインランドに買収され「クインランド・カーズ」になったが、2007年、そのクインランド・カーズが親会社・クインランドの経営破綻により「フォーピラーズ(ウイルプラスホールディングス傘下)」に事業譲渡されることとなった。

2008年現在、日本国内でのリンカーンビジネスは「フォーピラーズ」が販売・部品供給の全ての事業を継承している。

2008年5月より、フォード・ジャパン・リミテッドによってナビゲーターを、9月18日よりMKXの正規輸入販売を開始した。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年6月5日 (金) 23:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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