列車便所

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列車便所(れっしゃべんじょ)は、鉄道車両の車内に設置される便所を指す用語である。

短距離向けの通勤用車両を除いて、日本の旅客用鉄道車両の多くは車内に乗客用の便所を設置している。それらは車両内の限られた空間に設置される必要性から、通常の建築物に設置される便所とは多分に異なる性格を有し、独特の発達を遂げてきた。

日本の鉄道では、階段状の床板に填め込まれた和式両用便器か、もしくは洋式便器を設置するのが普通で、室内片隅には小型の手洗器が設置されている。また特急列車等の優等列車に設置される列車便所は、多くの場合隣接する形で洗面所室が設けられている。

キハ54形の便所
FRPで構成されユニット化された新幹線0系電車の化粧室

目次

[編集] 初期の歴史

鉄道草創期には列車への便所設置はなく、乗客は途中停車駅での休憩時間に慌ただしく用を済ませる必要があったが、鉄道網の延伸で19世紀中期には長距離の鉄道旅行が普通になり、欧米の鉄道では車内に便所を設けることが一般化した。

日本でも1872年の鉄道開業以来、しばらくの間は列車への便所設置はなかった。止むに止まれず窓から放尿したため罰金を取られたという逸話が、しばしば品のない戯歌と共に伝えられている。

日本で列車の車両内に便所が設置されたのは、1880年北海道の鉄道向けに貴賓車としてアメリカで製造された「開拓使号客車」が最初の例とされるが、一般旅客向けの客車に便所が設置された最初は、1889年東海道本線全通時である。

同年、政府高官の肥田浜五郎が、東海道線列車が藤枝駅に停車していた際に駅便所に行っていたせいで列車に乗り遅れかけ、これに飛び乗ろうとして線路に転落死したことが鉄道車両への便所設置のきっかけになったとする通説があるが、実際にはこの事故以前から便所設置は計画されており、イギリスへの便所付客車の発注記録も残っている。東海道本線全線を直通する列車の運行に備えての措置である。その後の1900年代以降、長距離を運行する客車はほとんどが便所付で新製されるようになる。

電車への便所設置の最初は、1924年から南海鉄道(現・南海電気鉄道)が大阪-和歌山間に運転した「電7系」(のち1001系)特急電車である。喫茶室食堂車)付の豪華車で、電車としては食堂・便所とも日本初の設置であった。気動車への便所設置は中国鉄道(現・JR津山線)のガソリン動車であるキハニ120形・130形が最初で、1932年のことである。

貨物列車の後端に連結される車掌車には長い間便所が設置されず、「急用」に迫られた車掌は、ややもすれば車両後端に曲芸的にぶら下がって「用事」を済ませなければならなかった。ようやく便所付の車掌車が登場したのは、旅客車両から遙かに下った1960年代以降のことである。

長距離運用のあるアメリカなどではディーゼル機関車の車内に便所を設置した例もあったが、日本で機関車に便所を設けた例はない。長距離列車の場合でも、機関士・運転士は通常2時間程度乗務し、所定の駅で別の要員と交代するため、便意は長距離乗務のある車掌ほど深刻にはならないとされたからである。なおJR貨物により設計された新機種の中には簡易トイレを常備しているものもある。

[編集] 列車式便所

列車式便所 洋式列車便所
列車式便所
洋式列車便所

日本の和式列車便所の特徴的な形態として、元来屈んで用便する形態ながら、男性が立って小用する用途にも使いやすいよう、床を2段式として、便器後端を手前側に突出させていることが挙げられる。この形態は「両用便器」「列車式便所」ないし「汽車便」(きしゃべん)と呼ばれ、面積の制約から男性用小便器を独立して設置できない住宅等にも、昭和初期から取り入れられるようになった。

古くは床面から20cm程度便器が宙に浮いたような状態で、便器後端は突き出ており、便器両側には屈んで用便するための踏み台が設けられ、その天板は石板を用いていた。だがこれでは便器周囲に飛散した汚物を完全に清掃することが難しく不潔であるため、1949年以降の鉄道車両(湘南電車こと国鉄80系電車以降)は、家屋同様に便器周囲に完全に床をつけ階段状とし、併せてタイル張りとすることが普及した。更に1950年代後半以降、列車便所内装にはアルミニウムプラスチックの化粧板やビニル床材が用いられるようになり、より清掃しやすくなった。1960年代後半からは強化プラスチックによる一体成型型便所も用いられ、組立・清掃の省力化を図っている。

走行中揺れるため、便器の前の壁に手摺りが設けられている。

戦前の日本の鉄道では洋式便所の例はほとんどなく、外国人の利用が想定される優等車両(かつての1・2等車、現在のグリーン車等)であっても、和式便器上に別体の便座を適宜取り付けて洋式便器の代用としていた。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは「合理的なアイデア」と評価していたが、実際には不潔で評判が悪かった。

列車便所に洋式便器が本格普及したのは1950年以降で、当時の進駐軍の要請がきっかけである。以後優等車両は洋式・和式便所を各1ヶ所ずつ配置するようになったが、1990年代以降はバリアフリー化の動きや乗客のニーズに伴い、普通列車用車両でも障害者や老人が安全に利用できる洋式便器のみを設置する例が増えている(JR四国のように地域性を理由に洋式便器の導入には消極的なところもあるが、全体としては洋式便器への移行傾向が強い)。他者との便座共用を嫌う旅客の意に対しては、当初は電動巻き取り式のポリエチレン覆い膜付き便座を用いた例もあったが摺動部の故障が多く、一般の洋式便所と同様に便座用敷き紙もしくは消毒拭き取り液の設置が一般的になりつつある。

男女共用の便所の他に個室内に男性用小便器を備えた男性用小便所を設置することもある。また、女性専用の個室を設けたり、男女別の洋式便所を設置するケースもある。

[編集] 列車便所の付帯設備

[編集] 水洗装置

列車便所の洗浄弁は、手動弁の不潔さが嫌われ、近年まで足踏み弁で作動させる車両が多かった。しかし、足踏み式では足の不自由な旅客が扱うことが困難であるため、1990年代以降は赤外線感知機に手をかざすことで作動する「電子弁」が、手洗器ともども普及を見せている。

[編集] 便所使用知らせ燈と戸錠

初期の便所使用知らせ灯(国鉄オハユニ61形客車
便所使用知らせ灯(北海道ちほく高原鉄道CR70形気動車)

列車便所の戸口には通常、一般建築の便所の個室同様に、戸錠が装備されている(例外として、戸口に背を向け立ったまま利用される男性小便所では、戸錠なしの開き戸を使い、外から後頭部のみが見える小窓を設けて、設備を簡略化する事例もある)。

戸錠に連動して使用中か否かを戸口脇に表示する事例は古くからあったが、1951年に製造された国鉄の急行用客車スハ43系では、客室の乗客向けとして新たに「便所使用知らせ燈」が新採用された。便所の戸錠を施錠することで、戸錠に連動したスイッチによって、客室内車端部壁面の知らせ灯が点灯する仕組みである。席を立たずとも、座席から壁面の灯火を見て空き状況を確認できる利便性があり、便所使用知らせ燈はスハ43系以降、車両の客室の標準的装備となった。

現在新造されている車両では、車両客室内に時計や電光掲示板などとまとめて掲示され、旅客向け案内の一部として表示されている。近鉄21020系電車名鉄2000系電車など車内案内表示装置に液晶モニターを使用している車両ではそこに表示されるようになっている。

なお施錠が不完全であると知らせ灯のスイッチも作動しないことがあり、扉の具合や戸錠ノブの形状によってはそのまま開扉可能になってしまう。列車便所は一般の便所に比べ、走行音・機械音など列車特有の騒音によって内部の様子がわかりにくく、プライバシーや他の乗客に対するマナーの面からも、利用者は施錠に注意する必要がある。

また逆に、自力で解錠できなくなった急病人や子供が施錠状態の便所に閉じこめられたり、あるいは列車の震動で戸錠がひとりでに掛かってしまったりするなどの事例もあるが、このような事故では乗務員が専用の外鍵を用いて解錠する。

[編集] 便所窓

オハフ50-702「あそBOY」用客車の便所窓

古い時代の列車便所は、比較的大きな窓を備え、石目ガラスや磨りガラスをはめることで、採光と目隠しを両立させていた。上部を僅かに開閉でき、換気を行えるようにもなっていた。しかしその一方で備え付けの照明は弱い白熱灯であり、トンネル内や夜間の利用では非常に暗く、不便であった。

1960年代以降、採光窓は小型化され、一方で蛍光灯を装備するようになって、客室並みの明るさが確保されるようになった。また列車便所にも電動換気扇が設置されるようになったことから、車体工作の簡略化を図るため新幹線車両を皮切りに便所の窓を設置しない例が増加し、1980年代後半以降の新車では、便所への窓設置は珍しくなっている。

[編集] 汚物処理の改善

[編集] 垂れ流しによる黄害

旧型客車オハフ33115の便所付近。白く目隠しされた便所窓の真下、台車側面に汚物流し管と細い手洗水排水管が見える

明治時代以来、列車便所は専ら「開放式」と称して、汚水管を線路上にそのまま開放し、自然流下させていた(便器の穴から線路が見える場合もあった)。元来は沿線の多くの田畑においても下肥が重用されていた時代の構造なのではあるが、沿線の都市化が進んだ戦後に至るも長年にわたって変わらず、床板にただ穴を開けただけの構造から、円筒状および角筒状の流し管を設けて極力地表面に近い位置で飛散させるようにする程度の改良しかなされていなかった。列車走行中でなければそのまま直下に流下してしまうため、開放式便所の戸口には「停車中は使用しないでください」という札が付いていたが、それにもかかわらず使用されることは少なくなかった。(当時の東北本線(現愛称・宇都宮線)、高崎線の便所には上野~大宮間の使用を控えるような注意書きがあった。)

このため、当該沿線住宅地域では汚物飛散被害が生じ、またトンネルや地下線路内では拡散が期待できない、また駅で夏場には異臭がするなど、古くから問題が多かった。加えて車両や線路をも汚すため、鉄道の保守・整備に携わる現場作業員からも批判が強かった。

垂れ流し便所によるこれらの弊害を「黄害」(おうがい、こうがい)と呼ぶ。

JRグループではJR九州を最後に垂れ流し便所付車両の運行を終了した。大井川鐵道の旧型客車では現在でも垂れ流し便所が使用可能となっている。日本国外においては、現在でも垂れ流し便所が主流となっている例もみられる。

[編集] 貯留式汚物処理装置

列車便所に貯留式便槽を設けた最初はイギリスで、地下鉄線に直通する客車の汚物飛散対策として1910年頃に実用化したのが最初である。しかし世界的には汚物処理設備を装備した列車便所は少なく、欧米諸国でもごく一部の高速鉄道を除けば、21世紀初頭に至っても開放式便所が多く残存している。

日本では早くも1952年頃から、垂れ流し便所の不潔さが指摘され、1958年には国鉄と小田急電鉄がそれぞれ独自に貯留式の装置を実用化した。この方式は初期の新幹線車両にも用いられている。もっとも初期の単純な貯留式では、洗浄水によって数時間の運用で汚物が溢れ出してしまうため、一般化はしなかった。新幹線でも東京-新大阪間1往復で便槽は満杯となり、車両基地での汚物抜き取り時間確保に悩まされた。

[編集] 汚物処理方式の展開

国鉄は汚物にタール系の処理剤を混合することで消毒・固化し、これを粉砕・飛散させる粉砕式汚物処理装置も開発し、1960年代に20系寝台車など一部の車両で用いた。しかし固化しているとはいえ汚物を外部飛散させていることに変わりはなく、1980年代までに廃されている。また貯留式の洗浄水問題解消のため、家庭用として商品化されている泡洗浄方式(簡易水洗式便所の応用)も試用され、近畿日本鉄道などで用いられた時期がある。

本命となったのは循環式で、便槽に溜まった汚物の水分を濾過・消毒し、便器の水洗に再利用する方式である。既にそれ以前から航空機に用いられていたが、国鉄で1966年以降試作・研究が進められ、長期間にわたって汚物抜き取りをせずに済むことから、1970年代以降の主流となった。この循環式は硫酸銅系の薬剤を用いるため、処理水は青色を帯び、悪臭抑制のための特有の芳香がつけられている。また再利用した水分には大便や便紙に起因する固形物が含まれ、従来の陶器製便器では流水管内面の凹凸に付着して詰まりの原因となるため、それより詰まりにくいステンレス鋼製便器や、改良された陶製便器が用いられるようになった。また1990年代以降、銀色無塗装のステンレス製便器の装飾的にみた冷たさを避ける、表面に色付き樹脂被覆を施した便器も登場した。FRP製の便器や、簡易水洗式便所に用いられているピストル式洗浄方式を採用しているタイプもある。 一部には、簡易水洗式便所に用いられているようなフラップ弁を設けて、便槽からの臭気の逆流を防止しているタイプも見受けられる。

更に1990年代以降、やはり航空機の便所で用いられていた真空式が導入された。便器内の汚物を真空弁で吸引して便槽に収め、洗浄水は便器を洗浄する最小限の量で済ませるもので、構造上真空弁周りが複雑なほか、洗浄水量が少なく稼動中に汚損、不完全洗浄による臭気の発生も見られるが、循環式よりも構造設計の自由度が高いことから、急速に広まっている。家庭用の水洗式便所簡易水洗式便所を組み合わせたような構造とし、少量の水を予め溜めておき、洗浄スイッチ操作時に底面のフラップ弁が開いて汚物を吸引し、便槽臭気の低減を図っている。洗浄水には水道水などの無臭タイプが用いられており、循環式のような特有の芳香は発生しない。登場初期は流水部分も含めてテフロン加工を施したFRP製が主流だったが、流れきらない汚物の発生への対策として、流水部分に鏡面加工を施したステンレス鋼を使用したタイプの採用もある。

他にも、水分のみ浄化・消毒して排出し、固形分を使い捨ての回収箱に貯めるフィルターをカートリッジ状にして脱着、使用後焼却処分するカセット式JR西日本の快速・普通用車両で一部を除き多数採用されている。地上側の処理設備が循環式と比べて簡素化出来る利点がある)や、カセット式類似だが固形分は電車床下で電熱焼却処分する方式などが一部で用いられている。いずれも浄化装置は家庭用浄化槽並みの性能を持ち、排水は車外に排出するものの、それは飲用可能なレベルにまで浄化されている。[1]

[編集] 汚物処理装置の完全整備

国鉄民営化を迎えた後も、汚物処理のための地上設備を備えられない車両基地があり[2]1980年代末に至っても地方線区を主として、開放式便所の車両は多かったが、1990年頃から、JR・私鉄とも貯留式への改造や車両取り替えが進められ、2002年頃までに日本の列車から開放式便所はほとんど姿を消した。この結果、日本は広い鉄道網を保つ国としては、開放式便所を廃絶した世界でほぼ最初の国となった。

[編集] バイオトイレ

2008年現在、北海道旅客鉄道(JR北海道)では、列車便所にバイオトイレを導入する研究を、札幌のベンチャー企業バイオラファーと茨城の機械製造企業スターエンジニアリングとの共同で進めている。おがくずに専用の細菌を混ぜたものを分解槽に入れ、その中で汚物と攪拌することで分解処理し、二酸化炭素と水に変えるものである。従来は低温に弱いのが欠点であったが、新たに研究された低温に強いアシドロ菌の導入で可能となった。タンクからの汚物の抜き取り、および汚物の処理には多大な費用を要しているが、バイオトイレでは菌の交換、攪拌とヒーターの燃料費が掛かる程度で、大きなコストダウンが期待されている[3]

[編集] 日本の列車便所の現状

バリアフリー対応の便所ユニット(JR東日本E231系電車

現在の列車便所は先述のように汚物処理装置の完全整備のため、旧来のものに比べ複雑化、費用上昇してきている。特に汚物処理装置を設置した場合、車両基地に汚物処理地上設備を設置して処理を行う必要があるが、費用面、近隣との環境面から基地に処理設備を設けられないことがある(車両基地バキュームカーを乗り入れさせ、車両のタンクから汚物を抜き取っているケースもある)。これらを理由に列車便所自体の封鎖(ドアノブを外したり常に鎖錠状態にするケースが多い)・撤去・代替車への便所設置の中止などを行なった鉄道会社が多いが後に復活させたケースもあり、代替新造車への設置、便所無し既存車への追設、封鎖措置車に汚物処理装置を取り付けて復活(封鎖を解除)させるなどの例がある。

新設・改造を問わず、バリアフリートイレ化により従来よりもスペースを拡大した点を生かして折りたたみ式のベビーベッドを設置(同一室内に洗面所を組み込むケースもある)したり、隠れ喫煙などによる火災発生の防止のために煙探知機を設けるケースもある。

なお、不正乗車をする利用者が列車便所の機密性を悪用して車内改札(検札)を逃れるケースが後を絶たない。

[編集] 補足

列車トイレで使用されるトイレットペーパーは一部の列車を除き設置されていないケースが多かったが、現在では追設または車両新製当時などから既に設置されているケースが増えつつある。旧国鉄時代から現在のJRや各私鉄各社がトイレットペーパーを使用しているメーカーは日清紡の「白樺」が多いが、現在はそれ以外の多数メーカーも使用している。

[編集] 脚注

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  1. ^鉄道ファン』誌連載、宇田賢吉著「870000kmの鉄路」より。
  2. ^ 天災や事故により地上設備を持たない基地に、循環式・真空式の便所を持つ車両が“とりこ”になってしまった結果、沿線自治体にバキュームカーによる汲み取りを依頼する場合がたびたび発生した。これは、現在もJR西日本など、地上に特別な設備を要しないカセット式と他の方式を混用している鉄道会社でまれに発生している。
  3. ^ 交通新聞2008年6月26日第1面

[編集] 関連項目

  • 五光製作所(汚物処理装置の開発なども行なっている)

最終更新 2009年10月3日 (土) 04:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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