北京師範大学
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北京師範大学(ぺきんしはんだいがく, 中国語:Beijing Shifan Daxue, 英文名称:Beijing Normal University)は中華人民共和国北京市海淀区に所在する総合大学である。百年余の歴史を持ち、重点大学・国家重点投資建設校に指定されている。広東省珠海にも分校を有する。
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[編集] 概要
北京校は2004年の在校学生2万人余り、内本科生(学部学生)8,300人、研究生(大学院生)8,800人、長期留学生1,500人、教職員3,000人を有する。19学院と6系(いずれも学部)、14研究所を有する。北京大学、清華大学、中国人民大学とともに北京四大大学と称される。キャンパスは和平門外新華街の旧址を南校、定阜大街の輔仁大学校跡を北校と呼び、海淀区北太平庄の新校舍(新街口外大街19号)とあわせ、82万平方メートルの校地を占める。西蔵大学を支援している。
[編集] 沿革
1902年京師大学堂師範館として創立され、1912年北京高等師範学校と改称、1923年正式に国立北京師範大学となった。
1928年北京が北平と改称されたため、国立北平師範大学と改称し、1931年北平大学女子師範と合併した。
1937年日中戦争勃発により、陝西省西安に移転、さらに昆明の西北連合大学に参加し、1946年北平に復帰した。
中華人民共和国成立後、1950年に現行の北京師範大学となり、1952年天主教輔仁大学と合併した。2001年以来、鐘秉林が学長に就任している。
[編集] 北京五輪
2008年7月下旬から留学生楼第三公寓をアメリカ人五輪選手団の宿泊先として貸し出している。留学生宿舎管理側はこのために同公寓に既に住んでいた自費留学生を強制的に立ち退かせた。さらに五輪閉幕後の宿泊客を確保するため、立ち退かせた学生が新学期に必ず戻ってくるようデポジットを徴収した。同公寓管理会社はアメリカ側から報酬100万元を受け取っている。第三公寓内にある四川料理屋「御馬dun」は、五輪期間中営業を停止させられ、アメリカ人選手団専用の食堂となっている。アメリカ側はこのために自国から専用の調理師を連れて来ている。
中国政府奨学金生が多く住む留学生第一公寓の中庭には、厚さ28センチの防弾ガラスで覆われた回廊を新たに設置。このため6月下旬から昼夜を問わず工事を強行し、出稼ぎ労働者の宿泊先として女子寮の一室を提供。工事が行われた3週間、同女子寮の廊下は労働者の昼寝の場所となり、廊下には砂埃がつもり、留学生は劣悪な環境で生活・学習を余儀なくされた。同公寓は工事期間中、女子寮内に保安要員を設置せず、女子留学生が出稼ぎ労働者に威嚇される事態も発生した。工事現場である中庭に面した男子寮では昼夜を問わない工事のために不眠者が続出。帰国を繰り上げる学生やオリンピック中北京を離れる学生が数多く出た。また、同公寓に住む自費留学生は強制的に立ち退きを迫られ、留学生事務室は彼らに対するIDカードの発行を拒否。行き場を失った留学生は、寮内に生活用品を置いたまま、宿泊料金が高騰する北京市内に放り出されることとなった。
同校は五輪開催期間中、中国人学生・留学生とアメリカ人選手団が接触できないよう校内各地にフェンスを張り巡らし、通用門および校内各所に衛兵と関門を設け、校内専用のIDカードを所有していない人間の締め出しを行っている。この措置は正式な通達なしで強行されたため、学校外に居住して校内に勤務する者、直前まで北京市外に出張・旅行していた者の多くが大学から締め出され、自分の職場や寮に入れない事態となった。さらに、IDカード発行を申請する証明書自体を承認しないという強権的で硬直した管理が行われる一方で、IDを持たないアメリカ人留学生が連れてきた家族や友人は立ち入りを許されるという矛盾が横行している。大学側はこれに対して「五輪という特殊な状況であるから協力願いたい」と主張している。複数の留学生が大学側の人権侵害に対して抗議文を送っているが、校長の鐘秉林をはじめ関係部門は回答を拒否している。
以上の事態について留学生事務室は、「直前まで我々も知らなかった」と漏らし、留学生事務室が大学管理側から疎外されている状況を露呈した。
[編集] 珠海分校
マカオと接する広東省珠海市唐家湾に位置する北京師範大学珠海分校は現在、本科学生7,500人、教員400人を有し、10年後には3万人規模に拡大される予定である。
[編集] 著名出身者
[編集] 外部リンク
- 北京師範大学公開サイト(中国語及び英語)
最終更新 2009年9月18日 (金) 08:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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