北大阪急行電鉄

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北大阪急行電鉄株式会社
KITA-OSAKA KYUKO RAILWAY Company, Limited
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 北急
本社所在地 日本
〒561-0872
大阪府豊中市寺内二丁目4番1号
北緯34度46分31.47秒東経135度29分40.86秒
電話番号 06-6865-0601
設立 1967年(昭和42年)12月11日
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業、不動産事業
資本金 15億円(2006年3月31日現在)
売上高 56億6,459万3000円(平成20年度実績)
従業員数 142人(2006年3月31日現在)
決算期 毎年3月
主要株主 阪急電鉄 54%
大阪府 20%
大阪ガス
関西電力 など
外部リンク http://www.kita-kyu.co.jp/
特記事項:阪急阪神ホールディングス連結子会社である。
  

北大阪急行電鉄株式会社(きたおおさかきゅうこうでんてつ、英称KITA-OSAKA KYUKO RAILWAY Co., Ltd.)は、大阪府豊中市吹田市の市境付近を走る鉄道を運営している鉄道会社北急(きたきゅう)と略称される。社紋は「輸送の安全と平和」を二羽のハトで象徴すると共に、ハトの姿をかりて北大阪急行の「北」と「大」の文字を意味している。

千里ニュータウン日本万国博覧会(大阪万博)の会場アクセスのために阪急電鉄と大阪府などが出資して設立された第三セクター会社であるが、阪急阪神ホールディングスの100%子会社である阪急電鉄が株式の過半数を保有しており(持株会社の直接出資は無い)、阪急阪神東宝グループの一社ともなっている。全営業区間は5.9kmと短いが、準大手私鉄に分類されている。本社所在地は大阪府豊中市寺内2丁目4番1号で、緑地公園駅に併設されている。

スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKEである。

目次

[編集] 概要

北大阪急行電鉄株式会社1967年(昭和42年)12月11日阪急電鉄の子会社として設立された。路線は当初、相互直通運転を行っている大阪市営地下鉄御堂筋線の延伸線、そして日本万国博覧会会場への路線として計画された。当初計画では、御堂筋線のこの地域への延長は早くて1971年度を想定していた。だが、日本万国博覧会の千里丘陵での開催が決定(1965年)し事態は一変する。会場へのアクセスとして重要視されたため、堺筋線阪急千里線延伸線ともども早期着工を促されたのである[1]。しかし、大阪市側の動きは遅かった。大阪市域外のため、当該自治体である吹田市ならびに豊中市との協議が必要となるうえに大阪府の補助金が出ないことや、そもそも市域外に地下鉄を建設すること(計画自体は戦前から榎坂への延伸計画があったが)に対する市民の理解を得られるかという懸念、建設費と万博閉幕後に発生するであろう莫大な赤字、そして御堂筋線のパンクなど、これらがネックであった。ついには、「会場輸送は江坂駅からのバスで十分」という態度にまで出る始末であった。同時に依頼されていた阪急も同様の考えであり、早々と自社線の会場への直接延伸は諦めていた。路線計画に積極的だったのは財団法人日本万国博覧会協会と府、消極的だったのは市と阪急であった。

路線延伸計画に積極的だった協会と府は三木武夫通産大臣兼万博担当大臣の調停を仰ぎ、市と阪急に改めてプラン呈示を要求した。大阪市は建設費を120億 - 206億円と試算し、阪急は86億 - 115億円と試算した。その結果、比較的費用を安く抑えられる阪急案が採用され[2]、路線自体も阪急主導で設立されることになった[3]

1970年(昭和45年)2月24日、南北線・会場線 江坂 - 千里中央(仮駅) - 万国博中央口間が開業。万国博開催中、千里中央(仮駅) - 万国博中央口駅間は、現在の中国自動車道の上り2車線を会場線として使用した。万国博閉幕後の同年9月14日、会場線千里中央(仮駅) - 万国博中央口間が廃止され、現在の千里中央駅が開業(駅そのものは事前に建設済み)。会場線廃線跡のうち地上部分は中国自動車道に転用され、トンネル部分は資材置き場として現存している(→大阪万博の交通も参照)。また、万国博会場への大量な旅客輸送での収益で建設費を償却できたことに加え、会場線の撤去費用は跡地に中国自動車道の建設が決定済みだったので国が負担し、北大阪急行としてはほとんど支出が無かったことは、現在も初乗り運賃を80円という低料金で設定できている理由の一つである。

利用客も多く黒字経営で準大手私鉄に分類されているが、距離的に短いことや御堂筋線との相互直通運転を行っていることから、大阪市営地下鉄御堂筋線の一部という認識が多い。しかし、沿線では初乗り運賃が安い一方、地下鉄への乗り継ぎ運賃が割高感があることなどにより、地下鉄と別であることは広く知られている。なお、当初は「乗り入れは万博期間中限定」と考えられていたようである。

駅などの案内では「北大阪急行」あるいは「北急線」として表記されることが多く、「南北線」と表記されることはない。そのため、正式の路線名は一般にはほとんど認識されていない。各駅停車しか運転されていないのに「急行」の名を会社名に入れたのは、ほぼ並行する阪急千里線よりも早く梅田へ行けることが主因とされているが、「北大阪急行」と会社名に「阪急」の文字を埋め込み、阪急電鉄の子会社であることを示したという説もある[4]

[編集] 歴史


[編集] 路線

北大阪急行電鉄路線図

駅の一覧などは以下の項目を参照のこと。

  • 南北線 江坂 - 千里中央 5.9km
  • 東西線(会場線) 分岐点 - 万国博中央 3.6km(廃止)

[編集] 車両

[編集] 乗り入れ車両

[編集] 過去の車両

[編集] 運賃

大人普通旅客運賃(小児は半額・10円未満切り上げ)。2006年3月1日現在。

千里中央
80 桃山台
110 80 緑地公園
120 110 80 江坂

対距離区間制運賃[5]であり、1駅先までが1区、同様に2駅で2区、3駅で3区となっている。営業キロも千里中央 - 桃山台間と桃山台 - 緑地公園間が2.0km、緑地公園 - 江坂間が1.9kmとほぼ等間隔になっている。

1区運賃の大人80円は日本一の低額運賃[6]である(2007年4月1日現在)。これは、大阪市営地下鉄御堂筋線と相互直通運転しており、輸送人員が非常に多いこと、直通運転境界の江坂駅を跨ぐと2社分の運賃が必要となり、運賃を高くし過ぎすると割高感が生じ利用者離れが起こること、それに徹底して合理化しているためであるが、実際には万国博閉幕後の停滞を危惧して万国博輸送での収益にすべてを賭け、建設費の償還を万国博開催中に進めてしまおうという目論見が、予想以上に上手く進んだことも大きい。

[編集] 乗継割引

江坂駅で北大阪急行の1区・2区と大阪市営地下鉄の1区(大人200円)の運賃区間を乗り継ぐときは、大人運賃で両社局それぞれ10円(合計20円)が割引される(小児半額)。北大阪急行の本来の運賃が低廉であることも相まって、2社局を乗り継いでいるにもかかわらず割高感が抑えられているといえる。

乗継割引適用となる具体的な区間は、桃山台・緑地公園⇔東三国・新大阪の相互間である。

地下鉄\北大阪急行 桃山台 緑地公園
東三国 290円(小児150円) 260円(小児130円)
新大阪 290円(小児150円) 260円(小児130円)

[編集] 延伸計画

北大阪急行電鉄南北線#延伸計画」も参照

千里中央から箕面市萱野までの延伸計画がある。不確定要素が多く、計画から約20年間具体的な話が進んでいなかったが、1970年代に開発された箕面市南部の船場付近の大規模団地の老朽化による建て替え案が具体化しているほか、2008年8月24日投開票の箕面市長選挙において当選した倉田哲郎箕面市長が初登庁した際、「北大阪急行線を箕面まで延伸するため、1期目の間に事業化のめどを付けたい」「約20年前に計画ができてから、具体的に何も進んでいない。かけ声ばかりは嫌なので、国へ強く働きかけていきたい」「(初仕事として)明日さっそく国(国土交通省)に要望に行きたい」[7]と話すなど、意欲を示している。しかし、北急側としては莫大な建設費をかけても黒字化が見込めないため、今のところ事態の進展はない。別会社・第三セクターによる建設も大阪府が財政難であるため、困難と言わざるを得ない。


1989年(平成元年)5月31日の運輸政策審議会答申10号では以下のように答申されている。

  • 2005年(平成17年)までに整備に着手する事が適当である区間。
    • 千里中央 - 箕面市中部間

2004年(平成16年)10月8日の近畿地方交通審議会答申8号では以下のように答申されている。

  • 中期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線。
    • 千里中央 - 新箕面間
    • キロ程:2.5km

設置予定駅(既設の千里中央駅以外は仮称)

  • 千里中央 - (未定だが船場地区にも駅を設置) - かやの中央


[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 当初構想では、堺筋線+千里線がメインルートで、御堂筋線延伸線はサブルートに位置づけられていた。
  2. ^ 実際の建設費は現路線+会場線で118億円かかり、うち25億円は万博協会持ち。また、差額も協会が面倒を見るということであった。
  3. ^大阪市市営モンロー主義により大阪市内への乗り入れを制限される不遇を被った阪急(箕面有馬電気軌道京阪梅田線の項目を参照)が、自社のテリトリーである千里へ大阪市営地下鉄が乗り入れることを快く思わなかったこともあり、北大阪急行電鉄を設立した、という経緯があるとされる」という説があるが、森口誠之『鉄道未成線を歩く 大阪市交通局篇』(同人誌とれいん工房、2007年)によれば、これは川島令三が自著で唱えている説のようである。千里線延伸関連での「暗躍」説もあるが、それでも延伸に意固地に反対した大阪市よりは立ち回りが上手かったとも言える。
  4. ^ ちなみに、北大阪急行開業当時の阪急電鉄の社名は京阪神急行電鉄株式会社である。
  5. ^ 『数字でみる鉄道 2005』財団法人運輸政策研究機構、2005年 p.105
  6. ^ 運賃は無料となっているが、寄付金100円を寄付した人だけしか乗車できず、事実上は運賃100円の鞍馬山鋼索鉄道を除く。
  7. ^ 産経新聞「イザ!」2008年8月27日(ウェブ魚拓)
    毎日新聞「毎日jp」2008年8月28日(ウェブ魚拓)

[編集] 参考文献

  • 森口誠之(とれいん工房名義)『鉄道未成線を歩く4 大阪市交通局篇』同人誌とれいん工房、2007年

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年9月4日 (金) 19:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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