医科大学

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医科大学(いかだいがく)とは、医師養成課程を有し、医学に関する研究・教育・臨床を行なう大学のこと。

目次

[編集] 概要

当初の「医科大学」は、帝国大学の分科大学を指すものであった。この定義は、1886年帝国大学令から1919年大学令までの約30年間用いられた(この定義での略称は「帝国医科」)。大学ではない医師養成機関には、官立である旧制高等中学校の「医学部」と、各府県立である「医学校」があった。これは、近代西洋医学を教えられる人材の養成に時間を要したため、教育できるレベルによって名称にも違いがあったことによる。1901年4月、官立の「医学部」が揃って医学専門学校となり、その後、「医学校」の流れを汲む病院を母体にした医学専門学校も設置された。

大学令により、帝国大学のような総合大学では「医学部」と言い、医学部のみの単科大学の場合は「医科大学」と言うようになった(この定義での「医科大学」の略称は「医科大」「医大」など)。すなわち、近代西洋医学を教育できる人材の増加によって、教育レベルよりも大学の体で名称がつけられることになった。しかし、この段階でも、全国の医師需要を満足させられるほどの大学医学部・医科大学を用意することは出来なかったため、各地に医学専門学校や大学専門部としての医学専門部などが存在していた。

戦後の新制大学化や1970年代の「一県一医大」化で、単科の医科大学が次々設置されたが、その後、総合大学に合併されるなどし、現在は、単科の医科大学より大学医学部の方が多い状況になっている。ただし、現在の「医科大学」は、医学部・歯学部薬学部看護学部などの医療従事者を養成する複数の学部のある大学の体をなす場合もあり、「医学部を含む医療系総合大学」が「医科大学」ということも出来る。なお、医学部を含まない医療従事者養成の大学に「医療大学」と称しているものがある。

他国における、一般の大学を卒業した後に入る専門職養成学校・プロフェッショナルスクールの体を成している学校の場合には、日本で「医学校」という名称で用いられることがある。これは、英語school of medicinemedical school直訳したものである(→医学部参照)。しかし、医師の養成課程は国によって大きく異なるため、日本語での呼称にはやや恣意性が見られる。

※医科大学の内容説明(概要・大学一覧など)に関しては、医学部の項目と重複する部分も多い為、当該項目を参照の事。
大学の略称については本稿の説明範疇ではないので、詳細については当該項目を参照。

[編集] 分科大学期

[編集] 帝国大学令

1886年(明治19年)の帝国大学令から1919年(大正8年)の大学令までの間は、「医科大学」は帝国大学の分科大学を指すものであった。

明治期の旧制高等中学校(後の旧制高等学校)の医学部や、独立の医学専門学校では、各地の西洋医学の歴史のもとで教育を受けた教授陣により医学教育がなされていたが、1886年(明治19年)の帝国大学令以降は、西洋学問享受の窓口である東京大学(→帝国大学→東京帝国大学)、または先行帝国大学で教育を受けた教授陣を中心に医学教育がなされる「医科大学」が、各帝国大学の分科大学として設置された。1919年(大正8年)4月1日施行の大学令で、分科大学としての「医科大学」は「医学部」と改称した。なお、医科大学設置の際は、前身の医学教育機関の建物や病院を流用する例も見られたが、前身の医学教育機関の教授陣は異動となった。

  • 帝国大学医科大学(1886年設置。現東京大学医学部)
    前身は東京大学医学部。1897年に京都帝国大学が創立したため、東京帝国大学医科大学に改称した。
  • 京都帝国大学医科大学(1899年設置。現京都大学医学部)
    旧制第三高等学校医学部は岡山医学専門学校となった。同大医科大学は別に新設された。1903年に、同大医科大学は以下の2つに分割された。
    • 京都帝国大学京都医科大学(1911年に旧称復帰)
    • 京都帝国大学福岡医科大学(1911年に京都帝国大学から九州帝国大学に移管)
  • 九州帝国大学医科大学(1911年設置。現九州大学医学部)
    九州帝国大学は1911年1月に設置された。同年4月に福岡医科大学が京都帝国大学から移管された。
  • 東北帝国大学医科大学(1915年設置。現東北大学医学部)
    前身は仙台医学専門学校で、1907年設置の東北帝国大学に、同大医科大学設置を見込んで1912年に同大医学専門部として包摂された。

[編集] 単科大学期

[編集] 改正帝国大学令

1919年(大正8年)、大学令公布とともに帝国大学令も改正された。改正後は、帝国大学の医学教育機関は「医学部」と称された。以下は、単科大学としての医科大学を経ないで帝国大学の医学部となった事例である。なお、帝国大学以外で、終戦前に「医学部」と称したものに、大学令に基く慶應義塾大学医学部(1920年設置)と日本大学医学部(1943年設置)がある。

  • 北海道帝国大学医学部(1919年設置。現北海道大学医学部)
    大学設立は大学令の1年前だが、医学部設立は大学令施行後。北海道には医学教育機関がなかったため、前身はない。設置の際には先行帝国大学医科大学から教授陣が赴任。
  • 京城帝国大学医学部(1926年設置。現ソウル大学校医科大学)
    京城帝国大学創立と同時に新設された医学部。戦後、京城医学専門学校と合流。
  • 台北帝国大学医学部(1936年設置。現台湾大学医学院)
    前身は台北医学専門学校で、1928年創立の台北帝国大学に1936年包摂された。

[編集] 大学令

1918年(大正7)原敬内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が、4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では大正8年から6年計画で、官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農業学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。 そして1919年(大正8年)の大学令施行以後は、帝国大学以外にも法的に大学設置が可能になり、医学教育を行う単科大学を「医科大学」と称するようになった。専門学校令明治36年勅令第61号)に基き、この時期までに設立されていた旧制医学専門学校の内、仙台医学専門学校は既に東北帝国大学に包摂されていたが、それ以外が順次医科大学となった。

[編集] 公立

大阪と愛知の両医科大学は、後に帝国大学医学部となった。

[編集] 私立

以下の私立3校をまとめて私立旧制医科大学と呼ぶことがある。俗に御三家とも呼ばれる。

[編集] 官立

帝国大学とは別に近代医療に従事する人物を育成する観点から各地に官立の医科大学が設置された。以下の官立六校はまとめて旧六医科大学と呼ばれ、これら医科大学はそれぞれ、新潟医科大学、岡山医科大学、千葉医科大学、金沢医科大学、長崎医科大学、熊本医科大学として戦前から存続していた。旧制六医科大学、旧六、旧官六、旧六医とも呼ばれることがある。

専門学校令(明治36年勅令第61号)の第十六条には「千葉醫學(医学)専門學校、仙臺(台)醫學専門学校、岡山醫學専門學校、金澤醫學専門學校、長崎醫學専門學校、京都府立醫學専門學校、東京外國語學校、東京美術學校及東京音樂學校ハ本令施行ノ日ヨリ専門學校トス」とその当時に存在していた医学専門学校がまとめられている。その後、学校関連法令が改訂された結果、千葉・岡山・金沢・長崎の各医学専門学校が専門学校から外され、新潟医学専門学校が設立された。さらに専門学校令発布時に存在していた私立熊本医学専門学校が県立(1921年)・官立(1929年)になり、下記の旧六医科大学がそろい踏みすることとなる。

戦時中、軍医不足を補う目的で帝国大学と旧六医科大学には、臨時附属医学専門部(附属医学専門部)が設置された。旧制中学校(現在の高校に相当する教育機関)から進学できる医学専門部は多くの志願者を集め、入試は高倍率となった。

[編集] 第二次世界大戦中

戦時中、医師不足を解消するために、高度な医学教育を行う医科大学よりも、より実践に重きを置いた医学専門学校が多く設置され、帝国大学と各医科大学にも臨時附属医学専門部(附属医学専門部)が設置された(→旧制専門学校#医学参照)。

例外的に以下の大学に医学部が設置された。

[編集] 学制改革期

第二次世界大戦中に新設された旧制医学専門学校の大部分は、第二次世界大戦の終結とともに旧制の大学令によって医科大学となった。さらに東京医科歯科大学を除く5つの旧制官立医学専門学校は新制国立大学の医学部として統合された。これらの5医学部と東京医科歯科大学・鹿児島大学医学部・広島大学医学部を合わせて、新制八医科大学という病院格付が存在している。また、それ以外の医学部および医科大学に関しては旧設医科大学として別格付けとなっている。ただし、旧設医科大学のうち新八医科大学でないものとの区別に関しては資料が無く、このような区分けがなぜ存在しているかということに関しては不明確となっている。

[編集] 官立

[編集] 公立

[編集] 私立

[編集] 新設医科大学

新設医科大学は、1970年代に新設された医学部または医科大学・大学校。戦後の人口増に伴う医師不足や無医村解消などを目的にとなるよう設置された。前身の医学教育機関がないため、他大学出身者が教授陣として赴任した。歴史が短いため、現在も自校出身の教授が少ない大学が多い。設置目的もあって、研究者志向よりも開業医志向の方が強いが、研究実績も上がっている。また、「医師過剰」を理由に私立大学は1974年、国公立大学は1979年を最後に医学部および医科単科大学の設立が認められていない。田中角栄内閣の1974年に「1県1医大」構想が提唱されたため、私立大学で医学部新設がストップされた後も国立大学では毎年約2校ずつの新設が1979年まで続いた。近年、勤務医不足に伴う僻地の医師不足や診療科による医師の偏在などの問題が顕在化しているため、財力のある私立大学に対しては医学部の新設を認めるべきではないか、という意見が盛んに交わされているが、現時点で医学部の新設が認められる状況にまでは至っていない。

[編集] 国立

[編集] 私立

[編集] 目的別医科大学

これら3大学の特徴として、大学側が学費を負担するということがある(産業医科大学は一部負担)。防衛医科大学校は自衛隊医官、自治医科大学は僻地医療および地域医療、産業医科大学は産業医の育成といずれも特定の職業に就く医師の養成を目的としているためである。

また、上記の通り目的別医科大学で学習する学生は卒後に特定の分野への就職が義務付けられているため、それを拒否すると在学中にかかった費用を返還しなくてはならない。なお、その義務年限はいずれの大学でも9年間となっており、以降は自分の進みたい分野に進んでも学費を返還する必要はなくなる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月19日 (日) 02:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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