合肥市
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| 中華人民共和国 安徽省 合肥市 | |
| 合肥中心東部を南より望む。手前は包公園。 | |
| 安徽省中の合肥市の位置 | |
| 中心座標 | |
| 簡体字 | 合肥 |
| 繁体字 | 合肥 |
|---|---|
| 拼音 | Héféi |
| カタカナ転記 | ホーフェイ |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 安徽 |
| 行政級別 | 副省級市 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 7,266 km² |
| - 市区 | 458 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2004) | 444.68 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0551 |
| 郵便番号 | 23000 |
| ナンバープレート | 皖A |
| 官方ウェブサイト: http://www.hefei.gov.cn/ | |
合肥(がっぴ/ごうひ-し)は中華人民共和国安徽省に位置する副省級市。安徽省の省人民政府が置かれ、地域の政治・経済・文化の中心である。
目次 |
[編集] 地理
安徽省中央、長江と淮河の間に位置し、巣湖に臨む。南に淝河を通じて長江から海に出ることができる。 省都として行政施設が多数置かれている他、石油関連のオフィスが目立つ。大規模な工場は少ないが主要大学があることも関係して技術研究開発施設には重点が置かれている。
[編集] 歴史
合肥の歴史は古く、紀元前3世紀に秦が合肥県を置き、九江郡に属した。
後漢末期に曹操により派遣された揚州刺史の劉馥が整備し、曹操と孫権の係争地となる。215年には魏の将軍である張遼が楽進、李典らとともに、まず精鋭騎兵800で奇襲を行い呉軍の気勢を削ぎ、その後も7千程度の兵力で合肥に篭り、呉の10万の大軍を相手に死守し、やがて撤退を完了しようとしていた呉軍に追撃をかけ、孫権を徹底的に追い詰めた(合肥の戦い)。その後も張遼は呉軍を一切寄せ付けず、「遼来遼来」の言葉を生んだ。
三国時代には魏の揚州経略の主要拠点となり、呉からの攻撃も止むことはなかった。230年代初頭に魏の満寵が老朽化した合肥城の北西側に「合肥新城(がっぴしんじょう)」を築城する。234年、呉の孫権が同城を攻撃してきた際には。これに対して魏の曹叡(明帝)が親征を行ってこれを撃退した(現在も同地に合肥新城遺址が残されている)。253年には呉の諸葛恪が攻撃するが、籠城の末にこれを撃退した。
その後隋代には合肥県に廬州府が設置され、明清時代まで続いた。このため廬州の別称でも知られる。
1949年1月21日、国共内戦のさなか中国国民党軍を破った人民解放軍が合肥に入城、2月1日に県を廃して合肥市を建てた。1952年8月25日安徽省人民政府が正式に成立し、合肥市に駐在するようになった。
[編集] 行政区画
4市轄区、3県を管轄する
[編集] 交通
物価に比べてタクシー代が割安(昼6.25元、夜8.25元)なのでバスに加えてタクシーが市内交通では市民の足となっている。タクシーの台数は多いが通勤時間帯は乗車率が高いので簡単にはつかまらない。
空港・ホテル以外では英語が通じないので特に英文名称の施設(米系のホテルなど)に行く場合には漢字資料が必要。日本語は市中では通じない。
[編集] 教育
国の直轄管理である中国科学技術大学、合肥工業大学、安徽大学を擁し、北京に次ぐ一大科学技術教育拠点である。
[編集] 友好都市
[編集] 出身者
- 包拯(包青天) 北宋仁宗期の著名な大臣、清廉を以て名を残した。京劇などで「鉄面無私の包公」として登場する。市内に墓(包孝粛公墓園)がある。
- 李鴻章 清末に軍事力を背景に大きな力を持ち、洋務運動を推進して崩れゆく清朝を支えようとした政治家。市内に旧宅が残る。
- 段祺瑞 清末民初に北洋軍閥の軍人・政治家
- 楊振寧 世界的に著名な米国籍華人物理学者
[編集] 外部リンク
- 合肥市人民政府(中国語)
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