姚興
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| 文桓帝 姚興 | ||
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| 後秦 | ||
| 2代皇帝 | ||
| 王朝 | 後秦 | |
| 在位期間 | 399年 - 416年 | |
| 姓・諱 | 姚興 | |
| 字 | 子略 | |
| 諡号 | 文桓皇帝 | |
| 廟号 | 高祖 | |
| 生年 | 366年 | |
| 没年 | 416年 | |
| 父 | 姚萇 | |
| 陵墓 | 原陵 | |
| 年号 | 皇初 : 394年 - 399年 弘始 : 399年 - 416年 |
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目次 |
[編集] 略歴
姚萇の長子。393年に父姚萇が病没すると、長子(末子との記述もある)とされる彼が大秦皇帝に即位した。394年、姚興は攻め込んできた前秦の苻登を撃退すると、同年、これを馬毛山(現在の甘粛省平涼市)に討って処刑した。ここに後秦による関中の統一が実現した。
姚興はこの後も盛んに外征を繰り返し、396年にオルドスを占領し、399年に洛陽を陥落させ、400年に西秦を滅ぼし、401年に後涼を降して河西諸政権を従属させた。402年に北魏と戦って大敗はしたものの、403年に東晋から淮河以北の広大な地域を占領し、405年に後仇池を降伏させるなど、華北に巨大な勢力を築き上げた。
一方で、姚興は仏教を篤く信奉しており、401年に後涼を降伏させると、亀茲僧の鳩摩羅什を都長安(常安)へ招聘した。姚興は、鳩摩羅什を国師として拝し、各地に寺院を建立して手厚く保護した。姚興自身も熱心に仏典を追究し、鳩摩羅什に請いて特に『実相論』『維摩経注』を訳出させたといわれる。なお、姚興の弟の大将軍姚顕や左将軍姚嵩も、篤く鳩摩羅什を信奉し、しばしば説法に参加したという。405年、姚興は巨大化した仏僧集団を整備するため、鳩摩羅什の弟子僧肇を初代大僧正に任命して、これを統制した。
晩年になると、姚興はしばしば危篤状態となり、それと共に諸子が後継者争いを起こして内紛を続出させた。姚興は国と太子の姚泓の身を案じて、51歳で死去した。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
[編集] 子
- 姚泓(秦皇帝 388年 - 417年)
- 姚懿(上庸公 ?-416年)
- 姚弼(広平公 ?-416年)
- 姚洸(陳留公)
- 姚宣(長楽公 ?-416年)
- 姚諶(博陵公 ?-417年)
- 姚愔(南陽公 ?-416年)
- 姚璞(平原公 ?-417年)
- 姚質(范陽公)
- 姚逵(渤海公)
- 姚裕(河間公 ?-417年)
- 姚国児(章武公)
- 姚黄眉(隴西公、後に北魏に仕える。?-440年頃)
- 姚万寿(劉宋に仕える)
- 姚耕児(?-416年)
- 西平公主(北魏の明元帝の昭哀皇后 ?-420年頃)
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