富士スピードウェイ

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座標: 北緯35度22分18秒 東経138度55分36秒 / 北緯35.37167度 東経138.92667度 / 35.37167; 138.92667

日本の旗 富士スピードウェイ
概要
所在地 日本 静岡県 駿東郡 小山町
運営会社 富士スピードウェイ株式会社
営業期間 1966年 - 2003年 / 2005年 -
収容人数 11万人
主なイベント F1 日本グランプリ
SUPER GT
フォーミュラ・ニッポン
富士グランチャンピオンレース
コース設計者 ヘルマン・ティルケ
国際レーシングコース(四輪)
使用期間 1966年 - 2003年
コース長 4.400km
ラップレコード 1分12秒23 (1977年)
マリオ・アンドレッティ
チーム・ロータスF1
国際レーシングコース(四輪)
使用期間 2005年 -
コース長 4.563km
コーナー数 16
ラップレコード 1分17秒287 (2008年)
フェリペ・マッサ
スクーデリア・フェラーリ (F1)
  

富士スピードウェイ(ふじスピードウェイ、Fuji International Speedway 、)は静岡県駿東郡小山町にあるサーキットである。略称は「FSW」。かつては運営会社の「富士スピードウェイ株式会社」の英文社名“Fuji International Speedway Co.,Ltd”にちなみ FISCO と表記されていたこともある。2000年よりトヨタ自動車の傘下に入る。

目次

[編集] 歴史

[編集] オープンまでのいきさつ

富士スピードウェイ建設は、丸紅副社長森長英から河野一郎建設大臣)に話があった。その頃河野一郎は名神高速道路の建設を担っており、長時間高速走行が可能な国産車を開発をする必要があり、また自動車の輸入自由化のこともあり、外車の性能と比較しても遜色のない国産自動車を開発するには、サーキットの存在は大きな意味があった[1]鈴鹿サーキットホンダのサーキットであるし、また、当時は二輪レース用のサーキットと思われており、四輪レースにも十分な幅員を持つサーキットが望まれていた[2]

富士スピードウェイの建設用地は99年間の借地権によるものである。建設費用は借入金によるところが大きいが、河野一郎が逝去したために、日本ナスカー(株)副社長河野洋平は建設資金集めのために銀行や企業回りをし、非常に苦労する[3]

富士スピードウェイ株式会社の前身「日本ナスカー株式会社」は1963年(昭和38年)に設立。その名の通り日本国内におけるNASCAR形式のレース開催を目的として設立され、翌1964年(昭和39年)1月にはNASCARとの間で日本及び極東地域におけるNASCAR形式レースの独占開催権に関する契約を締結。同年6月にはサーキット候補地として静岡県駿東郡小山町大御神の150万坪の土地を選定し地権者らとの契約にこぎつける。当初はヨーロッパ式のロードコースでは無く、アメリカ式のオーバルコースを予定していた。

しかし、その後本格的にサーキットの設計が始まると、日本ナスカー株式会社の招聘によって現地視察に来訪したスターリング・モスが「こんな地形でオーバルコースを作るとはナンセンスも甚だしい」と指摘した通り、山麓の傾斜地である地形の関係からNASCARレースの開催に必要なオーバルコースの建設が困難なことが判明したため、翌1965年(昭和40年)にはNASCARとの間の開催権契約を白紙還元することで合意。改めてロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改める。その後同年10月には三菱地所が同社に出資、実質的な経営権を握ることになる。

河野洋平によると、コース設計には様々な案があり、結局日本のレースにも適した現在のコースに決まり、建設を開始したという。河野洋平のアメリカ視察は建設開始後であった。また、NASCARの契約料は高額で、河野たちは不満を持っていたし、NASCARの経営方式が日本で通用するとも思っていなかったので、NASCARとの契約をやめることにしたという。そして会社名も富士スピードウェイ(株)と変わる。それからサーキットの愛称について河野らは考えたが、呼びやすい愛称ということで、正式社名にはない「インターナショナル」を入れて「フジ・インターナショナル・スピードウェイ・カンパニー(Fuji International Speedway COmpany)」とする[4]。当初、富士スピードウェイの経営には三菱地所は関わっておらず、丸紅毎日新聞社富士急行が関わっていた。三菱地所が行動を起こすのは河野一郎の逝去後である。三菱地所は富士スピードウェイに隣接する土地を所有しており、そこで霊園経営を行っていた。三菱地所社長渡辺武治郎は特に富士スピードウェイの借地内にあるゴルフ場に関心を持っていた。富士スピードウェイ社長鈴木九平と渡辺との間で交渉がまとまり、また河野洋平も亡き父・河野一郎の後を継いで政界に入って富士スピードウェイを退職し、以後は三菱地所に経営を託すことになる[5]

[編集] オープン

高度成長期真っ只中の1966年(昭和41年)1月3日にオープン。1960年代には当時スポーツカーで争われた日本グランプリが開催されるなど、船橋サーキット筑波サーキットと並んで首都圏周辺におけるモータースポーツの中心的な場所となる。

[編集] 30度バンク

赤と青が1974年までのコース、緑と青が2000年までのコース、青(3コーナー付近は赤、11コーナー付近は緑)が2003年までのコース。
30度バンク

富士スピードウェイの大きな特徴として、30度のカントがついたバンクコーナーがあった。これは前述の通り、元々同サーキットがオーバルコースとして計画されたことの名残と言われている。オーバルコースではコーナーでの減速を極力減らすため、コーナーにバンクを付けるのが普通である。

当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつもなく、依頼された日本鋪道(現・NIPPOコーポレーション)は、ロードローラーをバンクの上からワイヤーで引っ張るという方法できり抜けた。

しかし、もともと経験不足を起因とする勾配の設計が良くない上に、後に「馬の背」と呼ばれることになるこぶ状のうねりもあった。カントのついたオーバルコースで争われるオートレースの世界から転進した田中健二郎曰く、「完成当初にコース管理者に『基礎に杭を打ち込んだか?』と尋ねたら、『打ち込んでない』と言われ『こりゃ駄目だ』と思った」そうである。そのため、オープン当初から重大事故が多発し、1974年(昭和49年)の富士グランチャンピオンレース(富士GC)第2戦中に起きた風戸裕鈴木誠一両選手が死亡する大事故を契機に使用が中止された。

ただし、バンクが起因となった死亡事故は1973年(昭和48年)の富士GC最終戦の中野雅晴死亡事故までは、開業年に発生した永井賢一死亡事故だけである。この死亡事故も二重に設置される筈のガードレールが一枚しかなかった設置ミスと、ステアリングミスが重なった不幸な事故だった。

なお、バンクが使われていた当時、1966年(昭和41年)の日本インディ200マイル、1972年(昭和47年)と1973年(昭和48年)の日本グランプリなど、バンクを通らないショートコースレイアウトを使用する際に、左回りでレースが行われる場合があった。しかしバンクの使用中止に伴い、以後のレースは全て右回りで行われる形に改められている。ただし、ファン感謝デーや全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)、自転車ロードレースなど、自動車レース以外のイベントで本コースが使われる場合には、現在でも左回りで周回することがある。

旧コース時代の末期にイベントの一環として、体験走行会が何度か行われている。現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。

[編集] F1開催と中断

1976年(昭和51年)と1977年(昭和52年)にはF1世界選手権の日本ラウンドが開催された。

1977年(昭和52年)のF1日本GPではロニー・ピーターソンティレル)とジル・ヴィルヌーヴフェラーリ)が第1コーナーでクラッシュ。このクラッシュで宙を舞ったヴィルヌーヴのマシンが激突し、立ち入り禁止区域にいたカメラマンとそれを排除しようとしていた警備員、あわせて2名が死亡する事故が起きた。この事故の衝撃や、当時暴走族の傍若無人なふるまいが大きな話題となっていたことなどがあり、「モータースポーツは危険」という認識が広がってしまった。以来富士でのF1は開催されなくなり、1987年(昭和62年)より鈴鹿サーキットで開催されるようになるまでF1の日本での開催は中断することとなった。

詳細は「日本グランプリ_(4輪)」を参照

[編集] 廃止の危機

1979年(昭和54年)7月、(社)御殿場青年会議所(御殿場JC)が富士スピードウェイの廃止を県に陳情したことがきっかけとなり、経営権を持ち大半の土地を所有する三菱地所によって、1980年代前半にサーキットの廃止とゴルフ場などを中心にしたレジャーランドへの転用が検討された。

この陳情の背景には、当時の富士スピードウェイの屋台骨を支えていた富士グランチャンピオンレース(富士GC)の観戦を目的とした暴走族が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題や、1983年(昭和58年)に再び富士GCで起きた高橋徹の死亡事故があった。また、当時の世間におけるモータースポーツの認知度の低さから、「モータースポーツ自体暴走行為を助長するものであり好ましいものではない」との意見も一部には見られた。しかしながら、一方で当時建設業に携わっていた者が陳情の中心にあったという説もあり、争議の後半においては陳情側がトーンダウンした状況が見られた。

これに対し1980年(昭和55年)には、モータースポーツ界を代表する形で「日本モータースポーツ振興会」が設立され廃止反対運動を開始。1985年(昭和60年)には「FISCO廃止問題連絡協議会」と改名し、サーキット廃止に反対する地権者達で構成される「富士スピードウェイ協力会」とタッグを組む形で反対運動を展開した。反対運動の中、高橋国光他レーシングドライバーやジャーナリスト、サーキット地権者等が都内でFISCO廃止反対を訴えるデモ行進を行い、その後公開シンポジウムを開いたこともある。漫画家しげの秀一は『バリバリ伝説』(『週刊少年マガジン』)のタイトル頁で、主人公巨摩郡が「FISCOなくなったら困るぜ!みんなで反対しよう!」と呼びかけるかたちで反対運動に賛同した。また1983年(昭和58年)11月には最終コーナー前にシケイン(通称「Bコーナー」)が設けられるなど、速度抑制・安全性向上のためのコース改修も並行して行われ、存続決定後の1987年(昭和62年)8月にも第1コーナー立ち上がり後の左カーブが鋭角化されている(通称「Aコーナー」)。

1986年(昭和61年)には三菱地所がスピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日に「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。

[編集] バブル景気到来

その後日本経済はバブル景気に突入、同時に中嶋悟のF1フル参戦とホンダのF1での活躍による未曾有のモータースポーツブームが訪れた。富士スピードウェイも1989年(平成元年)に富士GCが廃止されたものの、世界耐久選手権(WEC)日本ラウンド(WEC-JAPAN)の開催や全日本F3000選手権インターTEC等の開催で再び賑わいを見せることになる。その後1990年代中盤にはピット・パドックエリアが改修され近代的な設備が整った。

[編集] リニューアル・オープン

メインスタンド

1990年代にピット棟やコントロールタワーなどが改修されたとはいえ、施設の全体的な老朽化は否めず、1997年(平成9年)の横山崇、翌年の太田哲也の大事故にも繋がるソフト、ハード両面の旧態化が進行し、FIAの基準を満たしていない施設が幾つも存在していたなど安全性の面でも懸念が高まっていた。そこで2000年(平成12年)にトヨタ自動車が三菱地所から同社株式を買収し正式に傘下に収め、2003年(平成15年)9月から営業を停止して改修工事を始め、そして2005年(平成17年)4月10日にリニューアルオープンをした。新コースはセパンサーキットマレーシア)や上海インターナショナルサーキット中華人民共和国)など、1990年代後半から2000年代にかけて新規にF1を開催しているサーキットのほとんどでそのデザインを担当しているヘルマン・ティルケの手によるものである。この改修工事の際、従来使用していたコントロールタワー以外の殆どの施設が解体撤去されている。コントロールタワーはその後改修して継続使用している。

旧コースの特徴の一つだった約1.5kmの直線は残されつつ、コースが現代的に改良された。大きな変更点としては、旧コースでは最終コーナーから直線にスムーズにつながっていた部分が、新コースでは急勾配のつづら折れとなって入り組んだ複合コーナーの連続に直されており、難易度が増している。ドライバー側はコーナーのイン側が見通しが悪い事が指摘されており、スピンしたマシンに後続車が接触する事故も見られる。この他、ピットロード出口が以前と比べ1コーナー寄りに改められ、ピットアウト時のスピードを下げる工夫がなされている。

また、ランオフエリアはほとんどが舗装され、安全性が向上した上、コース脇には緊急車両用の通路が設けられた。これらの改修により同サーキットはF1開催に必要な資格のグレード1を取得した。しかしその一方で、安全対策を強化した結果、コースサイドから走行するマシンが見づらくなった事を指摘する声も観客の中から挙がっている。

メインスタンド、レストラン、駐車場、トイレなど観客が利用する施設の質的向上も旧来に比べ著しい。グランドスタンドの座席は一席ずつ区切られ、ドリンクホルダーが設けられるなど、観客が快適にレースを楽しめるような工夫が凝らされている。パドックとグランドスタンドを結ぶ通路も新たに広く、開放的な通路が設けられ、上り専用のエスカレーターも設置された。 しかし、時間走行権や占有使用料などをはじめとする料金の設定が、割高だという声も多い。

敷地内にトヨタの交通安全センター「モビリタ」も設立。本コースの他にドリフトコース、ジムカーナコース、ショートサーキット、カートコースを建設。レクサス販売のための研修施設であるレクサスカレッジを設立。モビリタを含む各エリアは、レース他自動車イベント以外に様々なイベントの会場としても供用される。またレース他イベントが開催されない際には、駐車場をトヨタ自動車のモータープールとしても使用していることがある。

リニューアル後、F1開催決定に先立ち、ピット棟の裏にホスピタリティ棟が追加設置された他、当初は屋根が無かったピット棟屋上のバルコニーにも屋根が設置されている。

[編集] F1GP再開催

1987年(昭和62年)以降鈴鹿サーキットで行われていたF1日本GPの契約が2006年(平成18年)シーズンまでだったことから、富士スピードウェイは2007年(平成19年)以降の誘致に乗り出し、FOA(フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション)との交渉の末、2007年の富士開催が決定した。2006年10月1日には、トヨタ自動車の岡本副社長が時事通信社の取材に対し、国際自動車連盟(FIA)との契約期間が5年間であることを明らかにした。しかし、2007年9月30日には、富士スピードウェイの加藤裕明社長が「岡本副社長が勘違いしていた。契約の年限は決まっていない」と訂正、富士スピードウェイでのF1開催権に期限が設けられていないことを明らかにした。

これに対し鈴鹿サーキット側も2008年(平成20年)以降の開催を目指し、2007年(平成19年)年9月8日にFIAは2008年(平成20年)は富士で開催、2009年(平成21年)以降は鈴鹿と富士が隔年で交互に開催を行うことを発表している[6]。その後、2008年12月、ホンダがF1撤退を発表したが[7]、2009年は予定通り鈴鹿で開催することを発表[8]している。

[編集] 2010年以降の日本F1GP開催撤退決定

2009年(平成21年)7月に「トヨタは2010年以降の富士スピードウェイでのF1日本GPの開催を行わない」との方針が主要新聞・雑誌等で一斉に報じられ[9]、同年7月7日に正式に開催中止が発表された[10]。同社では理由を「昨年10月以降の世界的な経済不況に伴う著しい経営環境の悪化と早急な経済回復の目途が立ちにくい事情などから、お客様にご満足いただけるF1日本グランプリの開催継続は、企業存続の観点からも極めて困難」としているほか、記者会見では他に「SUPER GTやフォーミュラ・ニッポンも含め、国内のレース観戦客数が激減している」「看板スポンサーも減少している」ことを理由に挙げた[11]。2007年の開催からわずか2回の開催で撤退することになった。

なお、2010年(平成22年)以降の日本GPが鈴鹿サーキットで継続されるかどうかについて、同サーキットを運営する株式会社モビリティランドは「FOAに問い合わせ中」としていたが[12]2009年(平成21年)8月23日「2010年の日本GPは鈴鹿サーキットで開催されることが決まった」と発表した。

[編集] 特徴

[編集] 立地

富士スピードウェイは山上に位置しており、気圧が低く天候が不安定なサーキットとしても知られている。夕方になると気温が急激に下がる傾向があり、観戦にあたっては夏期を除いて防寒策が必須である。また、気圧の関係でターボ車有利となるため、一時期のSUPER GTでは自然吸気車にハンデが与えられたこともあった。が降りやすいだけでなく集中豪雨的に降る上にが発生しやすい立地だが、現代のモータースポーツではドライバーの安全確保のためにドクターヘリが必須とされており、そのヘリが雨天や霧の発生により飛行が危険と判断されることも多い。

このような理由から、富士はサーキットとして決して適性が高いとは言い切れない。富士における9月の降雨率はかなり高い(一説には60%以上[要出典][13])とされ、鈴鹿サーキットでは開業以来台風以外に雨天中止のレースがないのに対し、富士スピードウェイで開催されたレースは、雨天や霧によるレース中止もしくは危険にもかかわらず強行されたり、大幅にスタートが遅れたり等という例が見られ、実際に大きな事故につながった例もある。主な具体例としては以下のものが挙げられる。

また、過去には全日本ツーリングカー選手権が濃霧と豪雨に見舞われ、レースのスタートが大幅に遅らされ、午後5時を過ぎた頃に中止の裁定がようやく下される(チケットの振り替えや払い戻しが行われている)事例があった他、フォーミュラ・ニッポンでは、豪雨によって大幅にスタートが遅れた挙句、たった5周で「レース成立」としてレースが終わり、チケット振り替えや払い戻しに応じなかった等で、主催者に対して批判の声が集まった事がある。

[編集] 渋滞問題

日本国内の多くのサーキットは人里離れた場所に立地している。そのため入退場時の交通量対策が慢性的な問題となっており、観客の大部分が自動車で来場するため大きなレースイベントを開催する際は、必ず渋滞が引き起こされる。

これは富士スピードウェイも例外ではなく、富士への来客も基本的に自動車で入場し敷地内の駐車場に駐車するようになっている。富士の場合、自動車以外でアクセスする場合は御殿場駅からのバスがよく使われるが、御殿場駅自体がサーキットから離れている上、運行本数が少ない。大きなレースの際は御殿場からの臨時バスが増発され、他駅からもシャトルバスが運転される場合が多い。

とはいえ、元々近傍にある東名高速道路は非常に交通量が多い上、休日ともなると御殿場プレミアム・アウトレットに向かう買物客がこれに加わること、またサーキット周辺の一般道で幹線道路は国道246号国道138号御殿場バイパス)ぐらいで抜け道も少なく、抜け道自体が片側一車線の市道であることから、富士でのSUPER GT開催時などは御殿場インターチェンジやぐみ沢交差点付近での渋滞が常態化している。長期的には第二東名高速道路の開通により交通事情が改善することが期待されているが、第二東名の開通は早くても2012年頃の予定であり、短期的には渋滞の劇的な解消は見込み薄という状況にある。

[編集] 2007年F1日本グランプリ

2007年F1日本GPのレース結果については2007年F1日本グランプリを参照されたし。

今まで開催されていた鈴鹿サーキットと比べて最新設備・バリアフリーの強化といったメリット以上に、雨天に対する対応・渋滞・観客に対するホスピタリティの質の低さ等、非常に多くの問題点が目立つグランプリとなった。その大きな要因として、30年振りの開催とはいえ、当時とは規模も組織も違う状況下、実質的な初開催となる運営サイドの不慣れさや見通しの甘さがあげられる。この為に『自宅でTV観戦した者が勝組』とインターネットを中心に揶揄すらされてしまった。

[編集] 観客送迎問題

渋滞対策のため、会場へのアクセスはシャトルバスに限定され、自家用車に加え徒歩での来場も禁止された。1994年1995年TIサーキット英田にて開催されたF1パシフィックGPにて採られた形式と同様、観戦チケットと来場時の最終アクセスをセットで販売した。観客は、発着地として指定された駐車場や駅まで自家用車や公共交通機関で到着した後、富士スピードウェイまではシャトルバスで往復させる、チケット&ライド方式を採用した。

2007/9/29の東バス乗り場

しかし、チケット&ライド方式を採用したにもかかわらず29日の時点では渋滞によって富士スピードウェイ行きの迎えのバスが一部来ない、予選に間に合わないといった問題が発生した[15][16]。さらに、29日の予選終了前には、会場と場外駐車場などを結ぶ道路が約50メートル間隔で3カ所、路面に最大直径約1メートルの穴が開くという事態に陥り、東ゲートを利用する一部のシャトルバスが通行不能になるといったトラブルが発生した。片道1車線の道路だったということも手伝って、雨の中バス乗り場で足止めさせられた観客は2万人にも及ぶと発表された。中にはバスを降り禁じられていた徒歩手段で目的地まで移動を始める観客もいた[17]

上記の問題に加え、問題が発生しているシャトル乗り場に権限を持った責任者がおらず、道路が陥没しバスの運行が不能になっていること、特定のバスに大幅な遅れが発生していること、交通整理担当者がシャトルバスの発車を全面的に停めて数十分に亘りVIP用車両を通行させていた等の問題を、本部が認識するのに何時間も掛かったことも一因と考えられる。道路の陥没は大混乱になる6時間前の午前中に発生していたが、本部は乗り場の混乱は認識していなかった[15]

予選や決勝では一日で10万~15万人もの観客が訪れるが、観客を大型バスのみで輸送しようとした上、VIP車両を優先して通すレーンを作りツアーバスの通行を優先したため、一般客を輸送する大型バスは片側1車線の狭い道路に集中した。また、交通渋滞を緩和するため観客のアクセスは会場から離れた駐車場や駅に限定されていたためレース会場から歩いて帰る事もできなかった。レース会場は夕刻に医務室などの人道上必要な施設も含めてロックアウト、観客はレース会場外に出され、観客は9月末の寒さで雨が降る中、泥まみれのバス駐車場で、座って休むこともトイレに行くこともできずに、長時間待たされる事となった。さらに「終バスが9時半と案内されているのにもかかわらず、9時15分の段階で送迎バスの終了宣言が出される」といった不手際も目立った。加えて、こう言った問題処理に何も説明を受けていないスタッフ、またはボランティアスタッフの殆どが当たる形となった上に、更に責任者にも連絡を取れず、我慢できずに制服を捨てて脱出する者や責任放棄する者まで現れるなど、一般的なイベントでは起こってはならない状況が頻発した。

決勝日14万人(公式発表)の内訳はシャトルバス利用者10万・ツアーバス4万とされており、アンケート結果から導き出される計算結果から3時間以上待たされた人間が土曜日で4万人以上、日曜日で5万人以上[16]いると推測できる点から、公式発表の被害者数2万人[17]は過少である。主催者は決勝日の徒歩退場を許可したがそれは全員に徹底されず、またたとえ雨中を徒歩で退場しても帰路の交通機関の選択肢はきわめて限られており、シャトルバス利用者でこの混雑に巻き込まれずに帰宅することのできた人は例外的な少数だった。

[編集] 設備問題

施設設備はバリアフリーの改善など鈴鹿サーキットと比べて大きな前進も見られた一方、経験不足から来る客の動線の見極め不足や絶対数そのものの不足が見られた。F1というイベントの規模の大きさを過去に認識したことがないに等しい状況だったとはいえ、大きな問題となってしまった。また、メリットだったバリアフリーも観客人数の多さからうまく活用できなかった場合もあった。

必要施設の不足
1つはトイレの不足である。多くのトイレでは長蛇の列となり場所によってはやむを得ず付近の草むらで処理をするといったことも見られた。また、雨天がある程度想定される中、子供などのいわゆる弱者の人のためのテントも用意されていなかった点も上記の観客送迎問題とあわせて問題となった。また、人の多さから基本的に救護施設を利用する事が出来ず、追い返される者が多かった。更に救護施設・医務室等が定時になると消灯した上でその門扉を閉じてしまい、体調不良の者が居るにもかかわらず追い出された事や、託児所にこれだけの集客を見込んでいたにもかかわらず親同伴では入れない等の弱者に配慮を欠く対応が多く見られている。
仮設スタンド問題
指定席の1つであるC席は、いわゆる“第1コーナーのつっこみ”が観戦できる、FSWでも最大の見どころと言えるスタンドである。ホームストレートを最高速で走ってきたマシンがフルブレーキングして第1コーナーをクリアしていく絶好の観戦ポイントで、数少ないFSWでのマシンの抜きどころとも言われ、人気ポイントのひとつだった。
2007年日本GPでは、指定席料金6万1000円のこのC席のうち、今回のF1開催のために増設された仮設スタンドの傾斜角が小さかったために、アウトコースからインコースに切れ込みながら曲がっていくライン取りのマシンが見えないという設計上の問題が発覚し、後日この席の指定席料金の一部払い戻しが行われた[18]。払い戻し額は1枚あたり5万円、総額は3億5000万円ともいわれる[19]
このC席のチケットの返金問題については、ツーリストを通して購入した者には比較的速やかに返金されたが、ブリヂストンなどのスポンサー経由で購入した者に対しては事後対応が後手に回った。主催者側はスポンサー経由で購入した客に対し、有料の問い合わせ電話をさせ(後、フリーダイヤルにした)、80円切手を貼った返信用封筒と書類を送りつけただけで、「5万円の価値あるものを普通郵便で処理しようという感覚自体が問題」との反感を買った。最終的には2ヶ月以上を経過しても何の連絡もなく、ようやく「ブリヂストン経由で返金するので、そちらに連絡してほしい」と放り投げた[要出典]
道路・駐車場の不備
29日の予選終了前には天候や過大な輸送量による加重が原因となって、会場と場外駐車場などを結ぶ道路が3カ所、最大直径約3メートルの穴が開くという事態が発生した。陥没の発生した3カ所はいずれも表層が約4~5cmのアスファルト、その下に15cmの砕石が敷かれた簡易舗装の部分で、リニューアル以前のショートサーキットを建設する際に工事車両が使用していた道路であり、日本GPのアクセス道路用に特別に補強を講じたものではなかった[20]
また日曜日には予定していた降車場所が雨によって泥沼と化し使用できなくなった。雨がちな富士スピードウェイの天候事情を鑑みれば、このような事態を想定していなかったのも1つの不備といえ、また、実質的に初年度ゆえのミスとも言える。

[編集] 応援フラッグ・横断幕掲示問題

2007年日本GPでは、ドライバーやチームの応援フラッグの掲示を禁止した。この禁止はチケット販売時には通告されず、鈴鹿同様にフラッグを持っていった多くのファンは知らなかった。この禁止事項に対し、各チームはレース会場などで許される範囲内の小さな小旗を配るなどで対応した。さらに一般客に対してチームの応援フラッグの掲示を「規則だから」との理由で全面禁止にしたにもかかわらず、トヨタチームの横断幕・フラッグとスタンド席で主催者フジテレビの番組の関係でスーパーアグリの大フラッグのみ掲示をさせた。これには観客はもちろんのこと、F1解説者の今宮純などの評論家からも「ファンを大切にしないスポーツイベントはどういうことになるか」等の批判がある[21]

また近年のF1シミュレーションゲームでは、報道写真などを基に看板や観客席配置の完全再現、もしくは再現度が低ければ有志によるパッチ提供が当然とされ[22]、どのように再現されるか注目される。

[編集] 裁判

これらの問題について、FSW被害者の会[23]が設立されている。

また、2008年5月24日、一部の観客は東京都内で集会を開き、富士スピードウェイに対し提訴することを決め[24]、同年6月16日、うち109人が、チケット代全額や慰謝料など総額約3200万円の損害賠償を求め、東京地裁に共同訴訟を提起した[25]。富士スピードウェイ側は「想定を超える悪天候に見舞われた特殊事情」として請求を棄却するよう求めている[26]

なお富士スピードウェイは当日観戦できなかった54人には返金などに応じている。

[編集] 2008年F1日本グランプリ

2008年10月10日から3日間行われた日本グランプリでは、設計ミスでコースの一部が見られなかった第1コーナー仮設スタンドは、改修され視界の改善が図られた。また心配されたシャトルバスの運行に関しては、会場内や周辺に待機させておく「留め置き方式」に変更となり、混乱なくスムーズに運営され、2007年の問題に対しては改善が見られた。しかしながら、お祭り感の欠如等、継続的な課題も残っている。 2008年のF1日本GPのレース結果については2008年日本グランプリを参照。

[編集] コースレコード

[編集] 旧コース

カテゴリー 記録 ドライバー メーカー・車種 樹立日
世界耐久選手権・WEC-JAPAN[27] 1分10秒02 ステファン・ベロフ ポルシェ・956 1983年10月1日
F1日本グランプリ[27] 1分12秒23 マリオ・アンドレッティ ロータス 78/フォード 1977年10月22日

1987年9月~2003年

カテゴリー 記録 ドライバー メーカー・車種 樹立日
グループC 1分14秒088 星野一義 日産・R92CP 1992年5月2日
F3000 1分14秒854 黒澤琢弥 ローラ・T92 1993年4月10日
フォーミュラ・ニッポン 1分15秒304 星野一義 ローラ・T96/52 1996年10月19日
LM-GTP 1分16秒349 片山右京 トヨタ・GT-One TS020 1999年11月6日
富士グランチャンピオンレース 1分19秒904 関谷正徳 89S 1989年6月3日
F3 1分26秒344 片岡龍也 ダラーラ・F302/トヨタ 2003年4月6日
GT500 1分23秒886 立川祐路 トヨタ・スープラ 2003年5月3日
グループA (クラス1) 1分31秒131 星野一義 日産・スカイラインGT-R 1993年10月31日
GT300 1分31秒356 菅一乗 モスラー・MT900R 2003年5月3日
スーパーツーリングカー 1分33秒035 服部尚貴 ホンダ・アコード 1997年11月1日
スーパー耐久 1分35秒173 粕谷俊二 日産・スカイラインGT-R 1998年11月7日

[編集] 新コース

カテゴリー 記録 ドライバー メーカー・車種 樹立日
F1 1分17秒287 フェリペ・マッサ フェラーリ・F2008/フェラーリ 2008年10月11日
フォーミュラ・ニッポン 1分24秒653 平手晃平 スウィフト・FN09/トヨタ 2009年4月4日
JLMC 1分31秒065 伊藤大輔 クラージュ・LC70/無限 2007年6月2日
GT500 1分33秒022 ブノワ・トレルイエ 日産・フェアレディZ 2007年11月3日
F3 1分35秒173 大嶋和也 ダラーラ・F306/トヨタ 2007年3月31日
GT300 1分40秒682 黒澤治樹 ホンダ・NSX 2005年5月3日
スーパー耐久(ST-1) 1分46秒306 柳田真孝 BMW・Z4 2007年8月4日
FISCO Special Stage Trial(FSST) 1分49秒879 平野 濱嗣 日産・スカイラインGTR32 2008年12月6日

[編集] 交通アクセス

F1日本グランプリ開催時は、通常時の交通体系とは異なる輸送計画が立てられている。詳細はF1 日本GPの公式ホームページを参照のこと。

[編集] 自動車

[編集] 鉄道

[編集] 空港

[編集] 周辺施設

  • 冨士霊園 霊園入り口から西ゲートまで徒歩10分程度。冬季以外はJR御殿場線駿河小山駅から富士霊園行きの路線バスが運転され、東京方面から富士スピードウェイへの公共交通機関での最短ルートとなる。ただし、富士霊園側にある西ゲートは閉まっている場合もあり、事前に確認が必要。

[編集] 宿泊施設

地元の小山町及び御殿場市は、元々避暑地や富士山登山の拠点のため、登山客や避暑客相手の宿泊施設があるが、これだけだとF1等の大規模レースの観戦客相手には宿泊施設が不足することが予想される。しかし、周辺には富士五湖・伊豆・箱根と言った日本有数の観光宿泊施設の集積地があり、主催者側では宿泊施設の数量は十分確保できると考えている[28]

[編集] グランツーリスモ4

ビデオゲーム「グランツーリスモ4」には旧コースの「80's(サントリー、ダンロップのシケインなし)」「90's(サントリー、ダンロップのシケインあり)」と現コースの「2005GT(ダンロップシケインなし)」「2005F(ダンロップシケインあり)」が収録されている。

詳細は「グランツーリスモ4」を参照

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

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  1. ^ 『サーキット燦々』(p320, p321)より。
  2. ^ 『サーキット燦々』(p326)より。
  3. ^ 『サーキット燦々』(p322, p323)より。
  4. ^ 『サーキット燦々』(p329, p330)より。
  5. ^ 『サーキット燦々』(p330, p333 - p335)より。
  6. ^ 2008年以降のF1日本グランプリの開催について
  7. ^ ホンダがF1撤退 業績悪化で維持断念 産経新聞 2008年12月5日閲覧
  8. ^ ホンダ、来年の「鈴鹿」は予定通り開催 毎日新聞 2008年12月5日閲覧
  9. ^ トヨタ、F1日本GPの開催撤退 業績不振で来年以降 - 毎日jp・2009年7月1日
  10. ^ 富士スピードウェイ F1日本グランプリ開催中止を発表(2009年7月7日)
  11. ^ 富士スピードウェイ加藤社長「F1開催中止は断腸の思い」 - as-web.jp・2009年7月7日
  12. ^ 鈴鹿サーキット、2010年F1の開催は「まだ何も決まっていない」 - as-web.jp・2009年7月7日
  13. ^ 最寄りのアメダス設置地である御殿場の降水率は、記録が残っている1976年~2008年の平均で約45%。
  14. ^ 濃霧のため決勝レースが2周で打ち切りとなった。詳細は[1]等を参照。
  15. ^ AUTOSPORT緊急企画 2007年F1グランプリ 観客からの評価
  16. ^ F1日本GP2007評価アンケート 調査報告書・次回開催に向けての提言 アンケート集計結果より
  17. ^ デイリースポーツonline - F1観戦客2万人足止め
  18. ^ F1日本グランプリC席仮設スタンドご購入の皆様へ
  19. ^ スポーツニッポン・2007年10月1日号
  20. ^ トーチュウ F1 EXPRESS 富士GP成功を願ってより
  21. ^GRAND PRIX SPECIAL』(ソニー・マガジンズ)2007年11月号・p.32,p.75など
  22. ^ 極端な例だが、1969年のスペインGPを再現する試みなどもある。Montjuich for Grand Prix Legends! - YouTube (Adobe Flash video)。
  23. ^ FSW被害者の会
  24. ^ F1観客130人が来月中旬に提訴 産経新聞、2008年5月25日。
  25. ^ F1の観客109人、富士スピードウェイを提訴 asahi.com、2008年6月16日。
  26. ^ “ずさんなF1”訴訟──富士スピードウェイに反省の色なし : 日刊サイゾー
  27. ^ 1984年と1987年のコース改修でシケインが設置される以前の記録。
  28. ^ 【富士スピードウェイ日本GP】「宿泊施設の混雑状況は把握していない」…その理由は(オートギャラリーネット2006年11月9日)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年10月22日 (木) 18:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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