射撃管制装置

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射撃管制装置(Fire control system、FCS、射撃統制装置、火器管制装置、射撃指揮装置)は、兵器が目標物を正確に射撃するために火器を制御するための、計算機・測的器を主体とする機械装置である。

目次

[編集] 概要

艦船戦車航空機など移動体から火器を発射する場合は、攻撃対象も移動体であることが多い。このような移動対象に長距離射撃を行なう時は、たとえ目標物の位置に正しい向けて弾を撃っても、その到達時には既に対象は移動していて命中は困難となる。また自分の側でも移動しているため、命中はさらに困難となる。

射撃管制装置は、自艦や自機と攻撃目標物のそれぞれの、現在位置、移動方向、移動速度などを測定する観測機器に結合され、これらの情報を元に計算によって火器の指向方向を導き出し、火器に直接、または間接に射撃の指示を出す。計算に用いる要素には自艦や自機と目標の運動だけでなく、コリオリ効果や風向、気温、湿度、気圧といった気象状況、砲身磨耗度、砲耳傾斜、装薬温度等も考慮される。

射撃管制装置を中心とする自らの搭載兵器を敵に正確に命中させるための観測・伝達・計算・指向を司るシステム全体の名称も、海戦分野では射撃指揮システム、陸戦分野では射撃統制システム、航空戦分野では火器管制システムとそれぞれ別名称で呼ばれることが多い[1]

[編集] 射撃指揮システム (海洋戦における射撃管制装置)

[編集] レーダー登場以前

最初の射撃管制装置は19世紀の戦闘艦での使用から始まった。初期の射撃管制装置は機械式であり、目標および自分の位置や気象、使用する弾頭等の計算に必要な大量のデータを人間が機械に入力していた。特に目標までの距離を人間の目で測定するのは大変難しかったため、命中精度は決して高いものではなかった。光学測距儀などもあったが、命中精度を向上させるには至らなかった。

戦闘艦の場合、1905年の「ドレッドノート」の建造時には「一斉射撃」を行なう時の主砲の統一方法が問題となった。当時はまだ射撃指揮管制室内での手作業による計算によって行なっていたため精度が悪く、時間がかかるために射撃時機を失うこともあった。

こういった問題を解決する機械として作られた射撃指揮装置を英海軍で最初に使用したのは、1907年の前弩級戦艦「アフリカ」での試験のために搭載された「ヴィッカース式方位盤射撃指揮装置」である。この良好な試験結果を受けて、その後の戦艦「オライオン」や巡洋戦艦「ライオン」といった英海軍大型艦に搭載されていった。1912年以降には、アナログ式コンピュータであった「ドライヤー射撃計算機」が各艦に搭載されるようになった。

第一次世界大戦時の英独海戦では、独海軍に満足な射撃指揮装置がなかったため、射撃誤差の修正に於いては英海軍に劣っていたが、独国の得意とした光学技術の産物である測距儀の測定精度が高かったため、初弾での射撃精度が高かった。また、英海軍が一斉射撃を重視していたのに対して独海軍は初弾の発射を一定に距離(800m)をずらした3回の連続発射で行い射距離のずれを即座に判別出来るようにしていた。英海軍が「計算」重視だったのに比べて、多くの弾着を正確に観測して修正を加える「観測」を重視した砲戦指揮であった。1916年のジェットランド沖海戦で独海軍の射撃法の有効性を体験した英海軍では、新たな「夾叉及び梯子段観測法」(Straddle and Ladder observation method)を開発した。

[編集] 夾叉式観測法

イギリス海軍でのヴィッカース式方位盤射撃指揮装置とドライヤー射撃計算機を用いた1910~1914年頃の当時の射撃法を以下に示す。

  1. 攻撃目標と発砲する砲を方位盤[2]室にいる砲術長が指令する。
  2. 測敵観測担当の砲術担当士官が艦橋上部の方位盤室上やマストの上から攻撃目標を観測。目標の方角、距離、針路、速度を方位盤室へ伝達。
  3. 方位盤室では、目標の情報に自艦の針路と速度の情報を加えて射撃指揮管制装置に入力する。
  4. 射撃管制装置は計算結果を各砲塔内の仰角と方位角の通信機に針で表示する。
  5. 発砲する砲の砲手は示された仰角と方位角に砲を合わせ、準備完了を方位盤室へ報告する。
  6. 砲術長の命令で射撃管制装置の発射ボタンを押す事により、発砲状態の砲が発砲する。砲戦開始。 最初は1門か全体の半分の砲を発砲することが多かった。
  7. 観測によって「近弾」「遠弾」などの情報を方位盤室に伝達。
  8. 方位盤室では目標の方位を継続的に射撃管制装置に伝える。
  9. 砲術長が「上げ」「下げ」といった修正を砲に指示する。必要に応じて次に発砲する砲を指示する。通常は半分の砲。
  10. 発砲する砲の砲手は指示された修正を砲に加え、準備完了を方位盤室へ報告する。
  11. 砲術長の命令で射撃管制装置の発射ボタンを押す。第二射発砲。
  12. 以後、弾が命中するか目標をはさんで近くと遠くに落ちる夾叉状態になるまで半分の砲で交互射撃を繰り返す。
  13. 命中するか夾叉すれば、全門での砲撃に移る。[3]

[編集] 夾叉式及び梯子段式観測法

1916年のユトランド沖海戦でのドイツ海軍の有効な射撃指揮法を実感したイギリス海軍では、最初に夾叉が得られるまで交互射撃を繰り返すところは基本的に従来の夾叉式観測法と同じだが、第一射が着弾する前に規定時間後に第二射を発砲する点や、夾叉後も交互射撃を繰り返す方式とした。これにより射撃間隔を短くして誤差の修正を頻繁にするとともに発砲による艦の動揺を減少させる狙いもあった。

アメリカはイギリスに似た夾叉式観測法を採用していたが、手順が多く英独に比べて円滑な射撃指揮が行なえなかったため、1918年には英国の照準手追尾式を取り入れた。戦争終結直前には英国艦に匹敵する程度の射撃能力を持った[3]

[編集] 第二次世界大戦中

第二次世界大戦に入るまでに、英国と米国は観測装置や射撃指揮装置の精度を向上させるととも、艦載偵察機による着弾観測の実現を図っていた。大戦が始まってからの1941年に運用法や実績の無い284型射撃指揮用レーダーと279型対空捜索用レーダーが英戦艦「キング・ジョージ5世」に搭載されはじめて実戦で使用された。独戦艦「ビスマルク」に対する追撃戦で英艦「ロドネー」を含めた双方の砲撃煙と機関からの排煙で目標が視認出来なくなったため、2つのレーダーによる着弾の確認を行い効果を上げた。1942年以降、英国艦隊ではレーダーの性能が測距儀の性能を凌駕したと認められ、これに合わせて夾叉式及び梯子段式観測法の基本は変わらなかったが、レーダーで測距した射距離に最初から一斉射撃を浴びせる方式に変えられた。

アメリカ海軍でも1942年からレーダーでの測距と最初から一斉射撃という方式を採用した。第二次世界大戦のレーダー射撃はレーダー観測士が口頭で報告する射撃指揮レーダーの情報を方位盤と射撃指揮装置に手入力していたのであり、現在のものに近い電子機器によって自動化された装置が実用化されたのは1950年代になってからのことである[3]

[編集] 第二次世界大戦後

1945年の春に日本海軍の組織的戦力が壊滅したために、連合国軍艦の主任務が対艦射撃から対地射撃に移った。これにあわせて米艦のいくつかは対艦射撃用の射撃指揮装置を艦から降ろしてしまった。この時を境に世界的な対艦戦闘での射撃指揮法の新たな研究は終わりを迎えた[3]

その一方で、第二次世界大戦末期に登場したドイツ軍の誘導爆弾および日本軍が実施した特別攻撃、さらにジェット機の登場などにより、航空脅威は加速度的にその深刻さを増していった。これに対処するため、戦後の艦載射撃管制装置の発達は、主として対空射撃を志向してなされることになった。コンピュータの発達やレーダー、その他のセンサーの発達がそれをサポートした。

さらに、戦後に急速に発達した対空兵器体系である艦対空ミサイル・システムのサブシステムとしても用いられるようになり、従来どおり砲専用の射撃管制装置のほか、これにミサイルの誘導・管制能力を付与したもの、さらにはミサイル専用の射撃管制装置 (MFCS)も開発された。

対艦ミサイルの普及など、航空脅威の深刻化がさらに進展したことから、1950年代末より、射撃指揮システムをその他の武器システムと統合し、目標探知から意思決定・武器管制から射撃指揮に至る流れを高度に自動化した統合戦闘システムの開発が開始された。アメリカ海軍において、その最初の試みとなったのが1958年より開発開始されたタイフォン・システムだったが、これは技術水準に見合わない性能要求などの問題から挫折した。その後、既存のターター・システムのFCSであったMk 74を、同システムの武器管制システム (WDS)、および意思決定を行う海軍戦術情報システム (NTDS)と統合した戦闘システムとしてターター-D・システムが開発され、1974年よりカリフォルニア級原子力ミサイル巡洋艦に搭載されて就役を開始したほか。初の統合戦闘システムとして各国で配備された。

これらの経験を踏まえて開発されたイージスシステムでは、射撃指揮機能の少なからぬ部分が、武器管制システム(WCS)および多機能レーダーAN/SPY-1に移管され、射撃指揮システムであるMk 99はSPY-1レーダーからの指示を受けて終末誘導のみを担当するようになった。さらに、ヨーロッパのPAAMSNAAWS、日本のFCS-3では、射撃指揮機能と捜索機能が統合された多機能レーダーが使用されており、独立した射撃指揮システムを有さない艦も登場している。

[編集] 射撃指揮システムの例(戦闘艦)

[編集] アメリカ
SPG-25レーダー搭載のMk 37 GFCS。
アメリカ海軍が第二次世界大戦中に、5インチ砲の射撃管制用として開発した砲射撃指揮装置。後期型よりMk 4レーダーを搭載し、さらにMk 12、Mk 22に換装されたのち、最終的にSPG-25を搭載するようになった。
  • Mk 51
Mk 51方位盤を有する射撃指揮装置で、主としてボフォース 40mm機関砲の射撃指揮用に広く搭載された。
  • Mk 56
SPG-35レーダーを有する有人射撃指揮装置で、戦後直後の中口径砲用射撃指揮装置としてはもっとも一般的なものである。主としてMk 33/34 3インチ砲の射撃指揮に用いられた。
Mk 74 MFCSのSPG-51Cレーダー
  • Mk 63
第二次世界大戦中、特別攻撃に対処するために開発されたボフォース 40mm機関砲用の有人射撃指揮装置で、のちにはMk 33/34 3インチ砲にも用いられた。SPG-34 (Mk 34)レーダーを有する。
  • Mk 68
SPG-53レーダーを使用する砲射撃指揮装置であるが、スペインのバレアレス級フリゲートにおいては、ターター・システムの補助的な射撃指揮装置としても使用される。主としてMk 42 5インチ砲の射撃指揮に用いられる。
  • Mk 74
ターター・システムの中核的なサブシステムで、RIM-24ターターRIM-66 SM-1/2MRの管制・誘導を担当する。SPG-51レーダーを有するが、これはCバンドで目標を追尾し、Xバンドで誘導用の電波を照射するデュアル・バンド・レーダーであった。
  • Mk 76
テリア・システムの射撃指揮装置で、SPG-55レーダーを使用する。
  • Mk 86
新世代の砲射撃指揮装置として開発されたが、場合によってはターター・システムの補助的な射撃指揮装置としても使用される。射撃指揮レーダーとしてはSPG-60レーダーを使用するが、さらに、目標の捕捉に用いるためのSPQ-9レーダーが連接されている。
  • Mk 91
NSSMS / シースパローIBPDS用の射撃指揮装置で、Iバンドで動作する。
ベア級カッター。艦橋構造物上にMk 92 FCSが設置されている。
  • Mk 92
オランダのWM-28のアメリカ版で、アメリカ沿岸警備隊ベア級カッターや近代化改修されたハミルトン級カッターに搭載されたほか、SPG-60の派生形をSTIRレーダーとして組み込んでオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートにも搭載された。主としてオート・メラーラ 76 mm 砲の管制に用いられるほか、ペリー級フリゲートではSM-1MRの誘導も実施する。卵型の特徴的なレーダーはCAS (Combined Antenna System) と呼ばれており、上側に射撃指揮レーダーが、下側には目標捕捉レーダーが収容されている。
  • Mk 99
イージスシステムのサブシステムで、基本的に、スタンダードSM-2の終末誘導のみを担当する。Mk 99の射撃指揮レーダーであるSPG-62レーダーは、SPG-51とは異なり、単なるイルミネーターとしてのみ動作する。

[編集] 日本
  • FCS-1
海上自衛隊、戦後初の艦船用FCS
海上自衛隊の砲射撃装置として開発されたが、後にシースパローIBPDMSの射撃指揮装置としても使用されるようになった。
フェーズドアレイレーダーも含めたシステムで、ミニ・イージスと呼ばれた時期もあった(イージスシステムではないので誤解を招く表現)。

[編集] 水中攻撃指揮装置 (UBFCS, ASW FCS)

第二次大戦中より進められてきた対潜前投兵器の発達に伴って、その射撃指揮に用いる水中攻撃指揮装置(Underwater Battery FCSまたはASW FCS)が開発され、搭載されている。これらは、砲射撃指揮装置やミサイル射撃指揮装置と同様に、ヘッジホッグなどの爆雷投射機、アスロックボフォース対潜ロケット対潜ミサイル、あるいは対潜魚雷の射撃指揮を行なうものである。

[編集] アメリカ

おそらく最初の水中攻撃指揮装置はMk 100で、これはギアリング級駆逐艦の一部艦に搭載された。護衛駆逐艦 (DDE) 改修を受けたフレッチャー級駆逐艦ミッチャー級駆逐艦はMk 102を搭載したが、これは2300本の真空管を有する、極めて複雑な装置であった。その後、やや簡素化されたMk 105が開発され、フォレスト・シャーマン級駆逐艦より搭載を開始し、ディーレイ級護衛駆逐艦クロード・ジョーンズ級護衛駆逐艦に搭載された。これを改良したMk 111は、ブロンシュタイン級フリゲートチャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦に搭載された。Mk 105系列の最終改良型がMk 114で、ガーシア級フリゲートおよびノックス級フリゲートに搭載された。

新世代のスプルーアンス級駆逐艦およびオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートは、デジタル化されたMk 116を搭載した。これはSQQ-89統合対潜システムのサブ・システムで、高度に統合されている。

[編集] 日本

海上自衛隊の護衛艦では、SFCSシリーズの水中攻撃指揮装置が使用されている。現在までに、SFCS−2、4、6~8の存在が知られている。ちくご型護衛艦ではSFCS-4、たちかぜ型護衛艦はたかぜ型護衛艦はつゆき型護衛艦ではSFCS-6A、あさぎり型護衛艦ではSFCS-6Bが搭載されている。

また、対潜情報処理装置OYQ-102を搭載するこんごう型護衛艦では、これに対応した新型のOQA-201水中攻撃指揮装置が搭載されている。ただし、むらさめ型護衛艦たかなみ型護衛艦の搭載する対潜情報処理装置OYQ-103では、水中攻撃指揮装置はこれに統合されている。

[編集] 射撃統制システム (陸戦における射撃管制装置)

[編集] 戦車の射撃統制装置の歴史

1940年代末までは照準眼鏡での目視による観測と経験や勘に頼った距離と方向の見積もりにより戦車主砲を射撃していた。この当時はスタディアメトリック方式と呼ばれる距離の見積もり方法とっており、照準眼鏡に数本の距離目盛(スタディア・ライン)が刻まれていて、敵戦車の車体長を目盛りに合わせると目標までの距離の概算が可能となるというものであった。砲手の目視によって生まれる測定誤差に加えて、敵の戦車の大きさが標準より大きければ概算値が近距離で求められ、敵の斜め方向からの観測や戦車以外の目標に対してはそもそも目盛りが用意されていないなどの問題があった。ソ連では1960年代末までこの方法が採られていた。

第二次大戦末期のドイツ陸軍で登場したパンター戦車F型の狭幅砲塔に基線長1.32mの測距儀(レンジファインダー、Rangefinder)が組み込まれたものが登場したが、まだ射撃統制装置と呼べるものは存在していなかった。その後、1950年代には米M47パットンM48パットン、西独レオパルド1、仏AMX-30などが基線長式測距儀を備えた。その後、レーザー測距儀の登場で現代型戦車のようなレーザー・レンジファインダーが備わるようになっている。1950年代頃から1960年代初めまでは弾道計算機と呼ばれる機械式の計算機が戦車にも搭載されていたが、これらはダイヤルなどを回転操作して弾種や射距離を入力し、歯車やカムの動きで俯仰角が表示されるという単純なものであった。

1970年代初めには、電気を使ったアナログ式計算機が登場した。これは、歯車カムの代わりに抵抗やコンデンサーを使い、電気メーターによって俯仰角を表示するものであった。1970年半ばにはデジタル式計算機が登場してそれまでとは異なり、多くの計算要素が扱えるようになった。

2007年末現在の最新戦車では目標の照準画像をFCSが処理することで自動追尾が可能となり、目標車両だけでなく自車も走行しながら常に照準を合わせ続けられるようになっている。これらの3.5世代と呼ばれる戦車の多くは高機能な射撃統制装置に加えて、人工衛星ナビゲーション慣性航法、IFF(敵味方識別装置)、車両間データリンク、高機能表示装置が備わるようになっており、これらの高度な戦闘情報機器群をまとめてヴェトロニクス(Vetronics)と呼ばれている。

米軍のような世界規模の戦闘を行なう軍隊では、今後はさらに前線司令部や戦域内味方部隊との相互データリンク機能を経て、地球規模での戦闘データの共有を目指している[1]

[編集] 出典

  1. ^ 野木恵一著 『現代戦車のFCSとヴェトロニクス』「軍事研究2007年12月号別冊 世界のハイパワー戦車&新技術」 p.70-p.76 2007年12月1日発行
  2. ^ 地球自転を考慮するために北半球用と南半球用は別のものが存在する。
  3. ^ 世界の戦艦「英米海軍に見る砲戦指揮法の変遷」 ISBN-4-05603056-1

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月22日 (日) 06:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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