山の手

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山の手(やまのて)とは、いくつかの意味が重層的に重なった語である。山手(やまて)とも。

目次

[編集] 本義

本義は、「低地に向かって、多数の浸食を受けた台地が入り込んだ地形を持つ地域」についてを指す言葉である。

[編集] 東京とその近郊における山の手概念

東京においては、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)において、高台の武家地域を「山の手」と呼び、低地にある商工業が盛んな町人町を「下町」と呼んだ。山の手の代表的な地域は、麹町・本郷・小石川・牛込・四谷等である。地理的には武蔵野台地の東端にあたる。

なお、山の手と呼ばれる範囲は時代と共に移り変わっている。江戸時代には上野の山の西側にあった本郷台を山の手と呼んだが、明治・大正時代には現在の山手線内の西半分が新たに山の手と呼ばれるようになった。関東大震災の後、大正末期から昭和にかけては杉並区世田谷区大田区なども住宅地化されていき、これらに対しても山の手の概念が用いられるようになった。

[編集] 三浦展による「第~山の手」概念

高度経済成長期には多摩ニュータウン港北ニュータウンなど、上で挙げた地域のさらに外側が住宅地化したが、パルコの広報誌『アクロス』は1980年代にこれらを「第一山の手(本郷台)」「第二山の手(山手線内の西半分)」「第三山の手(杉並、世田谷、大田区)」に続く「第四山の手」と命名した[1]。この『アクロス』の中心人物であったのが、後に「ファスト風土」論や「下流社会」論で注目を集めることになる三浦展であるが、三浦はパルコ退社後も引き続きこうした「第~山の手」概念を使い続けている。[2]


なお、東京における市街地としての山の手の成り立ちや下町との関係については東京市街の変遷も参照。

[編集] 東京以外の「山の手」

山手」も参照



[編集] 脚注

  1. ^ 若林幹夫『郊外の社会学』ちくま新書、2007年
  2. ^ 三浦展『下流社会』光文社新書、2005年


最終更新 2009年11月15日 (日) 09:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【山の手】変更履歴

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