平遥古城

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平遥古城
中華人民共和国

平遥市楼
平遥市楼
(英名) Ancient City of Ping Yao
(仏名) Vieille ville de Ping Yao
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2),(3),(4)
登録年 1997年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
平遥古城の位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  

平遥古城(へいよう・こじょう、中国語ではPingyao Gucheng)は中国山西省晋中市平遥県の古い町。省都・太原から南へ100キロの地点にある。1997年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録。

目次

[編集] 概要

平遥古城の街並み

平遥は代末期までは山西商人の拠点であり、中国の金融中心地であった。

中国では長い歴史の中で戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ないが、この平遥古城には14世紀代始めに造営された町がそのまま残っている。「城」は中国語では城壁に囲まれた町を意味する。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭(城牆)、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつである。

[編集] 歴史

平遥の文廟にある大成殿。孔子を祀る

春秋時代にはに、戦国時代にはに属した。は平陶県を、は中都県を置き、北魏により平遥県と改められた。

清代末期、平遥には大きな票号(近代以前の金融機関)が二十数家あり、中国全土の票号の半分以上が集まる金融の中心地であった。これらの票号は各地に支店を置いて金融業を営んだが、なかでも19世紀初頭の道光年間に設立され「匯通天下」として19世紀後半に名をはせた中国最大の票号「日昇昌」は有名である。しかしこれらの票号は辛亥革命で清が倒れると債権を回収できず没落していった。これらの票号の建物は現在でも残り観光地となっている。

[編集] 城郭都市

平遥城牆(城壁)

平遥は明清時期に各地に築かれた県城の原型がよく保存されており、「龜城」(亀城)の名がある。城内の街路は「土」字形をなし、建築は八卦の方位に準じて配置されており、明清時代の都市計画の理念と基本を体現している。城内外には数多くの旧跡や古建築が300か所以上あり、その他明清時代の民家邸宅が4,000軒近く残り保存状態も良い。街路に建ち並ぶ商店などはかつての姿を残しており、中国近世の商都の街並みの生きた見本となっている。

平遥の城壁(城牆)は明の洪武三年(1370年)に築かれた。現在は6つの城門と瓮城、4つの角楼、72の敵楼が残る。南門の城壁は2004年に倒壊したため翌年以降に再建されたが、その他の部分は明代のままである。これは中国に残る都市の城壁の中でも規模が比較的大きく、歴史も古く、保存状態が完全に近いものであり、世界遺産を構成する核心部分である。その他、世界遺産には城の外にある仏教寺院の鎮国寺と双林寺、および孔子廟である平遥文廟が含まれている。

[編集] アクセス

交通は、太原駅から列車が便利。約2時間。

平遥古城は出入り自由で、入城も無料である。ただし城内の主要な観光地、たとえば平遥文廟,平遥県署、近代以前の中国最大の金融業者であった票号・日昇昌、中国鏢局博物館、古民居博物館などは入場にあたって門票を買う必要がある。平遥古城内には旅店(旅館)、餐館(レストラン)、商店などが多くある。旅館は古い民家を改造したものであり、商店では平遥特産の推光漆器や繡花鞋などの土産物を扱っている。

城壁は有料で上ることができる。一周すると約6kmほどであり、自転車のレンタルもある。宿泊は駅前や城内の旅館で可能だが、太原を拠点に観光する場合は太原市内に泊まるのが便利だといわれる。

[編集] 平遥古城画像

[編集] 登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年7月20日 (月) 03:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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