摂津国

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摂津国位置図

摂津国(せっつのくに)は、かつて日本に設けられた地方行政区分の令制国の一つである。摂州と略称されることもある。畿内に含まれ、『延喜式』での格は上国

領域は現在の、大阪府大阪市鶴見区生野区平野区東住吉区各区の一部を除く)と堺市堺区北区の一部)、北摂地域高槻市豊能町の一部を除く)、兵庫県阪神地域神戸市須磨区以東(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、淡河町を除く北区、名谷団地および総合運動公園を除く須磨区)である。摂津・河内・和泉の三国の国境が集まるのが堺市の三国ヶ丘(三国山)である。明治3年に和泉国との国境は堺の大小路から大和川に改められている。 また、和泉国河内国とあわせて摂河泉(せっかせん)と呼ばれる。

難波津(「奈仁波都」平安京木簡表記)があった。

目次

[編集] 沿革

7世紀に津国(つのくに)として設置された。おそらく和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により摂津国と改称され、これも「つのくに」と呼んだが、後に漢字にしたがって「せっつのくに」と変化した。易林本の節用集によれば摂津国は「南暖北寒、故五穀先熟、魚鹽繁、大上國也」と記されており、農漁業が盛んで豊かな地勢であったことが分かる。

都を治める機関は「京職(きょうしき)」と呼ばれ、摂津国は都に次ぐ地とされこの地を治める機関は「摂津職(せっつしき)」と呼ばれた。国そのもののことも摂津職と呼ぶことがあった。呼び方の違いは、副都の扱いを受けた難波京を管理し、外国使節に応接する任にあたったことと関係するらしい。793年延暦12年)3月9日から、職を廃し国司を置くようになった。

江戸時代には、高槻藩(内藤家(譜代)、土岐家(譜代)、松平〔形原〕家(譜代)、岡部家(譜代)、松平〔形原〕家、永井家(譜代)、2万 - 5万石)、麻田藩(青木家(外様)、1万2,000石)、尼崎藩(建部家(外様)、戸田家(譜代) 青山家(譜代)、松平〔桜井〕家(譜代)、1万-5万4,000石)、三田藩(山崎家(外様)、有馬家(外様)、松平〔能見〕家(譜代)、九鬼家(外様)、2万 - 3万6,000石)が置かれた。

[編集] 国府、守護所、一宮、国分寺、など

国府は、『和名抄』に記載がなく、『色葉字類抄』および『拾芥抄』に、西生郡とある。現在の大阪市北区国分寺である。

守護所の場所は不明だが、国衙の近くという説がある。室町時代、摂津国のうち神崎川以南の西成・東生・住吉の3郡(現在の大阪市域とほぼ重なる)は欠郡(かけのこおり)と総称され分郡守護が置かれた。

国分寺は2説有り、大阪市天王寺区国分町の天徳山国分寺と北区の護国山国分寺が古くから言われる。国分尼寺は、東淀川区柴島町の勝宝山法華寺だといわれる。

延喜式神名帳』には大社26座・小社49座の計75座が記載されている。大社のうち名神大社は以下の18座9社である。

一宮は住吉大社であるが、中世に住吉大社が一宮を自称した文書は見当たらない。近世以降、坐摩神社(大阪市中央区)も一宮と呼ばれるようになったが、住吉大社に及ばなかった。二宮以下はない。惣社は不詳である。多田院の境内に惣社六所権現という神社があったが、これは荘園の惣社ということのようである。

[編集] 諸山

摂津国の五山十刹制度の諸山(五山・十刹に次ぐ「諸山」格の幕府公認禅宗寺院。官寺)

  • 寶満寺(開基法燈国師)南禅寺派(法燈派)神戸市長田区
  • 福海寺(開山在庵禅師)南禅寺派(宗覚派)神戸市兵庫区
  • 廣厳寺(開山明極禅師)南禅寺派(明極派)神戸市中央区
  • 福厳寺(開山佛燈国師)南禅寺派(大覚派)神戸市兵庫区
  • 禅昌寺(開山月庵禅師)南禅寺派(大応派)神戸市須磨区
  • 安国寺(開山大明国師)廃寺
  • 栖賢寺(開山竺当和上)大徳寺派(京都に移転)
  • 澄心寺(開山潜渓和上)廃寺(現高野山真言宗)
  • 善住寺(開山鐘谷禅師)廃寺

[編集] 守護

[編集] 鎌倉幕府

[編集] 室町幕府

[編集] 国司

[編集] 摂津守

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[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月10日 (火) 09:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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