教育改革

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教育改革(きょういくかいかく、英education reform又はeducational reform)とは、教育制度・内容・方法などを大きく改変すること。教育問題の解決策として掲げられた。


目次

[編集] 欧米

[編集] イギリス

イギリスでは、直近ではサッチャー政権、ブレア政権の際に教育改革が行われた[1]

ブレア政権の際に、英国は教育への支出を増やした。その結果、GCSEの結果は良くなり、また18歳人口の中で中等教育を受ける者の割合も増加した。ただし、テストの結果は良くなっても、実際の学力はそれほど良くなっていない(目標達成のために、学校が易しい科目を選ばせる等)との批判がある。また、欧州全体で見ると、イギリスの18歳人口の中で高等教育を受ける者の割合は、依然低い状態となっている[1]

[編集] 日本

[編集] 戦前の教育改革

1872年に学制が公布され、1890年には教育勅語が発布された。これらを通じて、明治時代に日本の近代的な学校制度が確立した。

大正時代には、日本にも欧米の新教育運動や進歩主義教育運動と大正デモクラシーの影響から、自由教育運動が興った。

[編集] 戦後の教育改革

第二次世界大戦終了後、日本ではアメリカGHQ)の指令に従い、学制改革が行われた。この改革では、封建制の残滓を改め民主主義に相応しい学校制度にすることが目指され、教育課程では複線型教育単線型教育に、同時に教育内容や教育方法では系統学習問題解決学習へと改めた。

この学制改革に対して、歴代の保守政権はたびたび改革の提案を行ってきた。最も古典的な教育改革論議は、教育基本法の改訂であろう。歴代の保守政権には、教育基本法は、個人を尊重する反面、過度な個人主義を助長し、日本の伝統をないがしろにし、日本人愛国心を骨抜きにしたとの考えがあった。しかし、教育労働運動の強い時代では、教育改革を政策課題にすることは困難だった。

教育改革を政治議題に乗せたのは、中曽根康弘内閣であった。中曽根内閣は、1984年臨時教育審議会を設置。香山健一学習塾の公認を唱えさせたり、斉藤斗志二5・4制を唱えさせるなど、聖域のない教育改革を目指した。しかし、文部官僚の動きが鈍く、中曽根内閣が考えたほどの目に見える教育改革は実現しなかった。なお、教育基本法の改正が実現したのは、2006年の安倍晋三内閣においてであった。

現在では、教育特区と呼ばれる地域発信の教育改革が進められている。東京都品川区による、4・3・2制の小中一貫校の試みや、学区制度の撤廃は、画期的とされている。もっとも教育特区の実践は、保守政権とは同床異夢で単なる硬直化した教育制度に風穴を開ける程度にしかならないだろうと捉える向きもある。

[編集] 参考文献

柏野健三『英国社会福祉政策の発達』ふくろう出版、2003年

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 2007年7月28日号 週刊東洋経済『日本と英国』

最終更新 2009年6月15日 (月) 07:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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