日本の文化

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日本の文化 (にっぽんのぶんか、にほんのぶんか)

本項では日本文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。

分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。

目次

[編集] 概要

文化という言葉は、芸術学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能道徳宗教から政治経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近~現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、神道とその他の宗教を取り込みながら基軸とし、時代とともに変遷してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。

日本文化を特徴的に示す概念として、「(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉大和魂大和撫子大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。

[編集] 日本の文化と宗教の関わり

日本には古くから「神道」というシャーマニズムアニミズムといった自然崇拝精霊崇拝である多神教八百万の神)に基づく宗教文化がある。始まりは古神道神籬にみられる磐座信仰という原始宗教に近いものであり、沖縄の信仰にその古来の形態を残し、アイヌ文化も同様である。沖縄のユタに代表される巫女文化は、古くは神道の本流であり、アイヌ文化にも顕著に見られ、巫女文化が、その後の女性主体の社会構造で日本独特ともいわれる「おかみさん文化」に繋がったともいわれる。また子宝・子作り信仰とも結びつき女性を「カミ(上)」とし、女主人を「おかみさん」妻を「かみさん」と畏敬を込めて、呼ぶようになった。ただし、神道は他国の多神教では見られない独自の特徴がある。たとえば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという考え方(具体的には、針供養、道具塚や言霊、息吹という表現などにみてとれる。針供養を行う寺は多いが、針を含めた道具に命が宿るとする考えは元々の仏教には、ないとされる)や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)などである。中華文明圏では儒教から発展した朱子学という考え方も強くあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」と正反対である。

また遠くインドを起源とする「仏教密教」(仏教と密教を別の宗教とする宗教学上の見解も多い)を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。

日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)という形で共存・混合させてきたが、近代になって明治新政府によって再分離され、神道は国家神道とされて軍国主義と一体となり国家覇権の手段ともなった。国家神道の時代には神道は宗教的地位が曖昧であった(政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)として国民に敬神の義務を説いた)が、戦後の神社神道は政治と分離され、公式には宗教として今に至っている。

他の東アジア諸国と同様に「儒教」(儒教は哲学や思想であるが宗教ではないとする見解もある)や「道教」も受け入れたが、その影響は韓国や中国ほどではない。儒教を直接受容したのは、主に武士や漢学をおさめた町人にとどまるものの、間接的な形で日本の庶民にも影響を及ぼしている。明治維新によって武家の学問としての朱子学は立場を失ったが、宮中の保守的な漢学者の影響によって儒教の忠孝思想が教育勅語などに取り入れられた。道教は、そのものより陰陽五行八卦などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、ちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持ったになったといわれる。また、ヒンドゥー教自体は日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響も少なからずある。

純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいは「キリスト教」(古くはキリシタン文化)をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼伝統芸能武道農業林業水産業建築土木正月七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。

伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらには儒教道徳の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。

[編集] 歴史

縄文中期の火焔土器、東京国立博物館蔵
法隆寺(7世紀創建)
東大寺南大門金剛力士像(1203年)
姫路城(1601-08年)
復元された帝国ホテル旧館の玄関部分

[編集] 原始

遺伝子分析などにより、日本人は朝鮮半島や樺太経由で北方から渡ってきた人々が中心になっていると考えられている。紀元前から大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、話す言葉や生活などは日本固有の文化が育ってきた。

該当する文化:旧石器文化縄文文化弥生文化

[編集] 古代

前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器刀剣類など)や漢字仏教などがその代表である。後には遣隋使遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。また朝鮮半島からの遣日本使を迎え入れ、逆に遣新羅使、遣渤海使を派遣するなど外交的・貿易的なつながりを持っていた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。

遣唐使の廃止(894年)後、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、源氏物語枕草子に代表される和歌や物語、日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。

該当する文化:古墳文化飛鳥文化白鳳文化天平文化弘仁・貞観文化国風文化院政期文化

[編集] 中世

古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽田楽などの舞踊が発達した。平清盛との貿易以降、日宋貿易が盛んに行われた。この時代には禅宗僧の往来がしきりで、宗とともに持ち込まれた文化(精進料理水墨画、喫茶の習慣など)はその後の日本文化の発展に大きな影響を与えた。天竜寺船勘合貿易により中国との往来は絶えることはなく、銅銭が大量輸入され、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽()、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。

該当する文化:鎌倉文化室町文化北山文化東山文化

[編集] 近世

安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会などの宣教師たちがキリスト教の布教を進めたが、徳川幕府がスペインポルトガルの領土的野心疑うと共に、特定宗教が国内における大勢力になることを嫌ったため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。こうして江戸幕府はキリスト教の禁止および鎖国の道を選ぶことになる。この時期には宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。

政権が安定し、鎖国により外国と隔絶された日本では、平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では演劇(歌舞伎人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子読本浮世絵など)が愛好され、世俗文化が栄えた(プロスポーツとしての相撲である大相撲が始まったのもこの頃)。また日本本来の伝統を捉え直そうという国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。

鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学蘭学(医学)、漢方医学が発達した。この流れは、幕末帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。

該当する文化:桃山文化寛永文化元禄文化、天明文化、化政文化

[編集] 近代

幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。

大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェー映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。

昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。

太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。

近代文化: 文明開化、明治文化、大正文化、昭和文化

[編集] 現代

ポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ合衆国が主体とする連合国軍に占領されると、特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化が進められた。旧植民地からの引き上げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。

戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に消化し、多彩で豊かな食文化、アニメ漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。

東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、1990年代以降、諸外国にも現代的な日本の大衆文化やサブカルチャーに興味を持つ人々が増えてきた。特にゲームやアニメ、漫画などのコンテンツ分野、食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)ができるまでになってきている。

現代文化: 昭和文化大衆文化サブカルチャー

[編集] 総括

日本文化は有史以来、中国文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝や中国を征服したの支配に入ったことは一度もなかった。平安期江戸期に日本は外国との交流を絶ったが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。

強大な中華帝国が盛んな時代には、貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。

遣唐使が中止された後は「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝文化と並び立つものとして勃興する。

室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器、書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。

江戸時代鎖国の世にも長崎を通じて中国との交流は続き、儒学者などの間には中国崇拝の風潮が強く残っていた。一方では日本の独自性への自覚から伝統への回帰として国学などの学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。

その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。

日本を強国にするため積極的に西洋の文物を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)の両者が存在し、時には極端な西洋崇拝になったり、逆に外国を排斥するようになったりもした。第二次世界大戦後は、差し迫った危機感が去った(薄れた)ものの、両者の動きは続いていると見られる。

[編集] 日本文化論

日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。

[編集] 日本人の気質と主張されるもの

少なくとも明治から戦前までの日本、そして現代の日本でもある程度の部分そうであるが、人間として自己の利益を図り、利益の対立する他者と競合するのは当然であるものの、一応表向きは、自己主張を抑える奥ゆかしさが美徳とされるので、そのような社会的プロパガンダの比較的薄い社会の人間と比べた場合、その表向きの建前を崩さずに、時には逆に利用して相手を出し抜いて自分の利益を達成することが多くなりがちといわれることが多い。具体的には下に挙げたようになるが、これは他の『○○文化論』同様、ひとつのナラティブであり、異論も強い。しかしここでは、真偽のほどは別として、ひとつの社会的幻想としての『日本人像』をあらわすものとして、記述する。

  • お辞儀敬礼:表向き、目上を尊敬する『縦社会』ということになっているため、このような礼法が発達したという意見がある。無論、心の底はまた別である。
  • 本音と建前:表向き、『和』を重んじることになっているので、他人の監視のある場合、他の社会に所属する人間よりもやや他人受けの良い意見を言う傾向が強いとされる。その代償として、他人の監視が解けるか、自分と相手との圧倒的な力差などでもはや『和』という表向きの約束事にも配慮する必要がないときは、より露骨に自分の本音を出すようになる傾向があるといわれる。
  • 「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」
  • あいさつ:いただきます、ごちそうさま(でした)、ただいま、おかえり(なさい)、いってらっしゃい、いってきます、失礼しま(した)、お邪魔しま(した)など。日本人が表向き、礼儀を尊重することを社会的プロパガンダとしていることの現れであると、日本人論では主張されることがある。
  • 上座・下座:力の強い個体が上座に、そうでない個体が下座に座る。
  • いじめ:表向き集団主義であっても、個体として存在している以上、当然利害の対立する相手を蹴落とす必要が生じる。しかし、表向きでは相手を気遣い『和』を重んじる集団主義であることになっているので、正面から邪魔な相手を排除するのではなく、その表向きのプロパガンダを逆手にとって、集団の意見の流れを操るか、利用することにより、自己の利益を達成し、敵を蹴落とすことが多いとされることがある。
  • 談合:上層部による話し合いで問題を解決するやり方。解決に至った場合は手打ちという儀式行為が成される。水枯れ期の田圃への取水についての村落同士の話し合いなどを発生起源とし、近年では土木・建設をはじめ多くの公共事業の分配方法の商慣習として万延していた。諸外国におけるカルテル同様、商行為上の犯罪行為として摘発されるようになってきている。
  • 」の文化・「謙遜」の文化

[編集] 外国から見た日本

日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非ヨーロッパ国として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた(現在でも、日本に「ニンジャ」がいないので驚いたという外国人旅行者は少なからずいる)。

しかし近年では、コンピュータゲームアニメ日本の漫画J-POPファッションなどのポップカルチャーが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本気で日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる。ただし2000年代に入ってからは、若者を中心に日本のイメージがポップカルチャーに偏重してきているという指摘もあり、伝統文化や生活文化、ハイカルチャーを含めた文化発信が課題になっている。

[編集] 民話・伝承・昔話

日本各地に様々な言い伝えや民話昔話などが伝わっている。

[編集] 日本の主な民話・昔話

怖い話・怪談の中には、講談、芝居など様々な文学ジャンルで採り上げられているものがある。

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着物
下駄
髪飾り

古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などのアクセサリー日本神話に見られる三種の神器(勾玉・)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。

後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。 その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。

[編集] 日本の衣装

装束の詳しい種類や詳細は和服及びCategory:和服を参照。

現在一般的に知られている
履物
その他
付属品
装飾
織物、裁縫関連
日本各地の織物の伝統工芸品については、伝統工芸を参照。
時代による変遷

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Portal:食」も参照

日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米の料理とはかなり異なっている。同じ食文化を共有する東アジア東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる、しかし東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理を皆で取り分ける食べ方が多くみられるが、日本では個人専用の食器を使い、個別におかずが出るお膳などで食事をとるなど違う点もある。また、箸文化圏内で箸しか使わないのは日本だけとされる(他地域では汁物や米を食べる時にレンゲやスプーンなどのすくうものを使うのが一般的である)。ほかにも、箸を持っていない方の手で茶碗や皿などの食器を持つ、主食と副菜(ごはんとおかず)を明確に分け交互に食べる(いわゆる三角食べ)など、日本以外では見られないようなことが多い。近年は低脂肪の日本食が評価され、全体で栄養バランスの取れた健康的な食事とも言われる。

現在の日本は世界の歴史的観点から見て明治維新からそう月日が流れておらず、食文化は都道府県の区分けによって分かれているのではなく、明治初頭の廃藩置県前まであった藩ごとの地方によって分かれている。藩は気候風土・政治文化・食文化などの関係によって多種多様の領土面積によって成り立っていた為、藩一つ全体が鹿児島県となった鹿児島藩などは別に、山形県岩手県など複数の藩が一つにまとまった都府県では地方ごとに食文化が異なる状況が生じている(県交通機関の発達していない時代、国境の多くは山脈等の自然地形によって分かれている為)。

このように、現在の都道府県内部において地域ごとに食文化が異なるのは、内陸・海岸等の収穫物の違いもさる事ながら、食文化・風習そのものが違う藩の合併によっておきている。これらは郷土料理として、地域の特色を生み出す結果となる。

今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食中食で済ませる機会も多くなっている。米食よりパン食、麺類を好む人も多くなっており、世代を問わず伝統的な和食を取る機会も減ってきている。

外国から見ると、日本人が魚介類やを生で食べることは奇異に感じられることもある。海草を食べることも、諸外国では少ないようである。また、鍋料理のように、素材のまま出し、食べる人が自ら味付けや調理を行う料理法は、他の国にあまり例がないようである。

和食(日本料理)
日本酒の酒樽
てんぷら定食の写真
寿司のメニューの見本
お茶酌みの風景
お好み焼き製造過程の一部
かまど
料理

日本料理#日本料理の分類と一覧」を参照

飲み物
食品・食材・材料
庶民的な食品食材からブランド品まで含む。
肉類
魚介類
  • (まぐろ)、(かつお)、(さけ)、秋刀魚(さんま)、(いわし)、河豚(ふぐ)、(さば)、(あじ)、(ふな)、(うなぎ)
海藻
野菜
穀類・豆類
芋類
茸類
果物
柑橘類
加工食品
調味料
和菓子
調理方法
食器マナー
マナー
日本料理の種類

[編集] 住まい・建築

法隆寺
京都府・銀閣
茅葺き屋根
望楼型天守・松江城

[編集] 日本の住宅

詳細は「日本の住宅」を参照

日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでもを使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。 住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。

[編集] 日本の建築

日本の世界遺産」および「日本建築史」を参照

古墳時代以前のものは遺跡も参照。
木造の建築様式
御所・離宮
神社
寺院
城郭

詳細は「」を参照

近代・現代建築
明治時代以後、ヨーロッパの建築様式・技術が伝えられ、日本の建築も大きく変わっていった。

[編集] 日本人の空間概念・意識

[編集] 生活

南部鉄器の鉄瓶
有田焼の皿
招き猫
人力車
蚊取り線香

[編集] 伝統工芸

日本各地で、「ご当地~~」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。

[編集] 街頭文化

他の国では見られない、または少ない、日本の街中での特徴を示す。

  • 自動販売機 - 日本では街じゅうに多種多様な自動販売機が設置してある。最も多いのは飲料を販売するものである。日本全国の設置台数は800万台を超える。これは諸外国と比べて格段に多く、日本の大きな特徴になりつつある。
  • 路上観察学
  • ティッシュの無料配布

[編集] 日本の葬式

宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式、神道式で行われる場合を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。 これは、古来からの菩提寺檀家の関係が現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる。(そういった現状を揶揄して葬式仏教ともいう) 近代になってサービス業として登場した葬儀会社の介入もあり、ビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、自然葬散骨宇宙葬、森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。また、そういった自由な葬送を推進する機関(葬送の自由をすすめる会)も出てきている。

通夜葬儀葬儀場埋葬服喪、回忌、・墓参、法事盂蘭盆会

[編集] 日本の婚礼

見合い結納仲人婚礼結婚式結婚式場、三々九度、色直し、床入り新婚旅行

[編集] 通過儀礼・儀式

七五三入学式卒業式成人式、送別会、還暦古希喜寿傘寿米寿卒寿白寿、若衆宿、元服隠居出家得度剃髪

[編集] 家族制度

本家分家家督養子、入り婿、部屋住み・やっかい者、後家・行ず後家、名字屋号

[編集] 付き合い

寄合い村八分町内会回覧板隣組、連絡網、コンパ合コン、各種サークル活動

[編集] 贈答・儀礼

中元歳暮、年賀、暑中見舞、寒中見舞、火事見舞、病気見舞、快気祝、内祝、熨斗水引香典・香典返し、冠婚葬祭無尽講頼母子講お返し

[編集] 祭儀

地鎮祭定礎上棟式、~開き(事務所・ピアノ・鏡、etc.)、中締め・お開き、一本締め三本締め

[編集] 就学制度・教育機関

(詳しくは「日本の教育」の項を参照)

母子健康手帳保育園幼稚園学童保育
特別支援学校(養護学校・盲学校・聾学校)
学校教育社会教育生涯教育
義務教育小学校中学校
高等学校高等専門学校
大学国立大学私立大学短期大学大学院
学士修士博士教授准教授(助教授)
専門学校専修学校)、各種学校夜学(夜間教育)、通信教育
文部科学省教育委員会教育長校長(学長)、先生教員免許教育実習
入試お受験中高一貫教育

[編集] ハンディキャッパーとの共住

(詳しくは「高齢者福祉」、「社会福祉」その他の項を参照)

[編集] ペット(愛玩動物)

[編集] 生活用品・日用品

家具
その他
電気製品

[編集] 日常の移動

[編集] 行事

[編集] 日本のこよみ

日本のこよみについては、Template:季節の話題Template:今日のこよみTemplate:今日は何の日も参照。

暦注の内容
暦記法

[編集] 年中行事

花見(世界遺産姫路城
七夕の笹飾り
宗教的なものが濃い年中行事#宗教に記載。
各日の行事については、メタリンク 365日を参照。
農業類に関する行事も戦前ごろまで大きな行事であったが、農家の減少や機械化により農村部以外では行われないようになった。(農事暦参照)

1月 - 正月三が日は1日~3日)、新年、初夢年賀状(1日が主)、新学期、初詣七草粥新年会鏡開き(11日)、左義長
2月 - 節分春分バレンタインデー(14日)
3月 - 雛祭り(3日)、卒業、春の彼岸ホワイトデー(14日)
4月 - 入学、新学期、四月馬鹿(エイプリルフール)(1日)
5月 - 端午の節句(5日)、ゴールデンウィーク(3日、4日、5日を中心に連休の長さにより毎年変動)、母の日(第2日曜)
6月 - 衣替え父の日(第3日曜)
7月 - 七夕(7日)、暑中見舞い
8月 - 残暑見舞いお盆お中元
9月 - 新学期、防災(1日)、秋分十五夜、秋の彼岸敬老の日(第3月曜)
10月 - 衣替え - ハロウィン(31日)
11月 - 七五三
12月 - お歳暮クリスマス(24日、25日頃)、大晦日除夜の鐘(31日)、忘年会

期日が定まっていないもの
季節
国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。
祝日
その他

[編集] 日本の祭り

日本の祭りについてはCategory:日本の祭り

日本で古くから行われている祭りでは神を祭る行事として神輿や御神体を使って行われていることが多い。神を称え、豊作や健康を祈ったり、邪悪なものを吹き飛ばすというような意味合いも込められる。祭りは時期を問わずさまざまなものが行われ、キリスト圏でいう「クリスマス」や「ハロウィン」というように祭りが一日に集中するような日というものは特にないが、季節で見ると夏に多く行われ、盆踊り花火大会が多く開催される。

[編集] 宗教

舞子延命地蔵
八坂神社

詳細は「日本の宗教」、「日本#宗教」をそれぞれ参照

日本では、仏壇(仏教に従って先祖や故人をまつる)と神棚(神道の神をまつる)が両方あるという家庭もあり、いっぽう近年では、そのどちらもないという家庭も増えている。

特定の宗教・宗派に個人的に関わる人も多いが、日本人は全体として宗教意識が希薄であり、事実上の無宗教に近い人々が多数派である。一般的に葬礼は仏式で行われることが多く、結婚式はキリスト教式あるいは神式で、といった宗教形式の混在現象が見られる。日常的に特定の宗教を熱心に信仰するというよりも、事ある毎に個人や家族あるいは団体で、適宜宗教行事として関わるという傾向が顕著である。墓式に関しては、家族の関わる仏教各宗派に属するものが圧倒的に多いが、最近では無宗教のものも増えている。宗教施設の中には神仏習合の権現として参拝の対象になっている例も存在する。また現世利益(世俗)的なものもあるが願掛けなど宗教行為をおこなう所が民間信仰に限らず寺社の中にもあり、これらは観光名所になっている事も多い。

[編集] 神道

[編集] 仏教

[編集] 神仏習合・民間信仰

定義上、上記2項目に含まれているものもある。

[編集] キリスト教

各地にキリスト教会があり、クリスマスなどの行事は多くの日本人に親しまれているが、キリスト教の信徒は人口の0.8%程度と少ない。カトリック系が最も多い。

[編集] その他の宗教

イスラム教
  • 信徒は少ないがやや増加の傾向もある。
ユダヤ教
  • 信徒はごく少ない。
その他

[編集] 言語

ひらがな表
カタカナ表
日本の言語について、詳しくは日本語の方言日本を参照。

日本の法律、公文書等には日本語が用いられており、日本語公用語である(裁判所法第74条に裁判では日本語を使うことが規定されているほかは、法律上の明文はない)。実際に使用される場面も日本語が最も多い。

古代から使われてきた言葉は大和言葉であるが、中国の影響もあって高い割合で漢語が使用されるほか、明治時代以降は英語などの外来語やそれを翻訳した和製漢語も多く使われている。英会話が苦手だという日本人は多いが、英語に由来する外来語(例:グローバルスタンダードなど)は好んで使われ、和製英語という日本独自の「英語」も生まれている。歴史的経緯や国際化の進展によって、標識や看板などで英語朝鮮語(韓国語)、中国語ロシア語などの併記も行われるようになってきている。

日本語には多様な方言があり、地域によってかなりの違いがある。しかし明治時代に東京方言を基盤に標準語共通語が整備されて以降、学校教育やマスコミ等の影響で東京をも含め全国で伝統的な方言は衰退していく傾向にある。

[編集] 日本語

漢字
仮名
文法
その他

沖縄県鹿児島県奄美諸島で話されている言葉は、日本語の方言として「琉球方言」とも呼ばれるが、違う言語として「琉球語」とも呼ばれている。方言か言語かは、研究者の考えや政治的なものも絡み、必ずしも明確ではない。現在沖縄県においては、ウチナーヤマトグチと呼ばれる日本語の新方言が話されている(奄美諸島は除く)。

[編集] 日本語以外

アイヌ語
日本では北海道を中心に千島樺太でも使用される。アイヌ人が使用していたが、現在では日本語ですべて代用しているため話者が激減し数百名しか話せる人がいない、危機言語(話者がいなくなるおそれのある言語)である。
その他
日本に数多く暮らす在日朝鮮人・韓国人は、日本語を使う者が多数派になっている。朝鮮語(韓国語)も使われており、日本では日本語に次いで話者が多い。しかし、日本で話される朝鮮語は日本語の影響を受け、在日朝鮮語と呼ばれる日本化した朝鮮語になっている。
他にもブラジル人のポルトガル語などが一部地域でよく話されている。

[編集] 娯楽・レジャー

[編集] 娯楽

[編集] 旅行・観光・行楽

日本人は旅行好き、観光行楽好きと言われる。

[編集] 遊び

こどもの文化」も参照

伝統的

自然

  • 川遊び、磯遊び、砂遊び、山歩き
  • 木登り、花摘み、昆虫採取(亀、トカゲ、清水蟹、ヘビなどの小動物の採取)、釣り(ザリガニ、クチボソ)、探検(下水道、防空壕、離れ小島)、基地作り

  • つくし採り、山菜取り

  • たき火、銀杏採り、各種秋の味覚狩り

冬・雪

学校・球技

近代的

[編集] スポーツ

日本のスポーツ」も参照

[編集] 伝統のスポーツ

[編集] 近代以降のスポーツ

明治時代以降、海外の影響を受けて野球、テニス、ボート、陸上などの競技が学校を中心に導入された。特に野球は人気が高く、草野球でも楽しまれるほか、プロ競技の観戦も好まれる。ゴルフは社交として戦後盛んになり、接待で行われることも多い。

[編集] 選手の育成・技能の向上

[編集] レクリエーションとしてのスポーツ

[編集] 趣味・嗜好・教養

趣味の一覧」も参照

[編集] 芸術・音楽・文学・映画など

美術
浮世絵・凱風快晴(赤富士
能面
源氏物語絵巻
日本庭園 ・ 竜安寺石庭(京都府)

詳細は「日本美術史」を参照

工芸陶芸
芸道
音楽
文学
映画
園芸
朝顔桜草花菖蒲万年青イワヒバ・カラタチバナ・万両ヤブコウジ松葉蘭長生蘭富貴蘭東洋ラン椿
学問
その他

[編集] 情報・通信・マスメディア

情報通信マスメディアの発達は日本文化に大きな影響を与えている。

放送


印刷物関係


広告宣伝広報(公報)


その他

[編集] サブカルチャーなど

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月23日 (月) 13:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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