日本アイ・ビー・エム

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日本アイ・ビー・エム株式会社
IBM Japan, Ltd.
IBM logo
種類 株式会社
略称 日本IBM
本社所在地 日本
〒103-8510
東京都中央区日本橋箱崎町十九番二十一号
電話番号 03-6667-1111(代表)
設立 1937年6月17日
業種 電気機器
事業内容 情報システムに関わる製品、サービスの提供
代表者 代表取締役 社長執行役員 橋本孝之
資本金 1,353億円
売上高 1兆1,329億3,200万円(2008年
従業員数 16,111人(2008年12月31日現在)
主要株主 有限会社アイ・ビー・エム・エイ・ピー・ホルディングス(100%)
外部リンク http://www.ibm.com/jp/ja/
  
日本IBM本社(旧箱崎事業所

日本アイ・ビー・エム株式会社(にほんアイ・ビー・エム、日本IBM、英文表記:IBM Japan, Ltd.)は、米IBM(IBM Corporation)の日本法人。米IBMの100%子会社である有限会社アイ・ビー・エム・エーピー・ホールディングスの100%子会社であり、米IBMの孫会社にあたる。

目次

[編集] 概要

日本IBMは外資系の100%子会社であるが、創立は戦前の1937年であり、国内に基礎研究所と工場を持ち、多数の日本人役員・従業員を抱え、日本独自の製品・サービスや、国内企業との合弁を含む多数の関連会社を展開している。

戦後から1980年代までは、当時の通産省が国産メーカー保護育成政策を取っていたことも背景に、日米コンピュータ戦争の当事者や、IBM産業スパイ事件の関係企業ともなった。

1975年からの椎名武雄社長時代には、「Sell IBM in Japan, sell Japan in IBM.」を標語に日本特有の製品・サービスの提供と規模の拡大が進み、社員は1万人、売上は1兆円を超えた[1]

日本市場の特殊性もあり、世界のIBMグループの中でもユーザーのシステム構築に深く参加したケースが多いことも特徴である。現在ではIBMは世界レベルでもサービス事業の比率が売上の6割となったが、そのベースとなったSI(システムインテグレーション)事業は、日本IBMが先行していた分野とされる。

1999年からの大歳卓麻社長以降では、GIEの実践として世界レベルでの再統合と効率化が進められている[2]

日本IBMで開発された製品の一部は世界で展開されている(詳細は日本IBM大和事業所を参照)。外部との交流も多く、プロジェクトマネジメント学会で日本IBM社員が多数を占める、日本IBM出身者が他の外資系企業の経営者となるケースが多い、などとも言われる。

[編集] 歴史

[編集] 略歴

[編集] 歴史的プロジェクト

日本IBMが参加したコンピュータ史上に残るプロジェクトには以下がある[4]

[編集] 子会社・関連会社

[編集] 子会社

日本国内の主な子会社には以下がある。

[編集] 関連会社

日本国内の主な関連会社には以下がある。

[編集] 合弁企業

日本国内の主な合弁会社には以下がある。なお、これらを中心とした同社の現時点での出資先企業については公式サイト内「子会社・関連会社」を参照。

合弁相手 企業名
AIGスター生命保険 - 旧:千代田生命保険 クリス (CLIS) - 旧:千代田生命情報システム
JBCC(旧・日本証券代行)グループ ゼネラル・ビジネス・サービス (GBS)アイセス (ICES)
JFEスチール - 旧:日本鋼管 (NKK) エクサ (exa) - 旧:エヌ・ケイ・エクサ (NKエクサ)
麻生 システムプラネット (SPC)
オムロン オムロン ネットワーク アプリケーション (ONA)
ビジネスブレイン太田昭和 - 太田昭和監査法人グループ ギャブコンサルティング (GAB/GABC)
カテナ - 旧:NSK(※日本精工とは別) アドバンスド・アプリケーション (AAC)
兼松 - 旧:兼松江商 日本オフィス・システム (NOS)
神戸製鋼所 (KOBELCO) コベルコシステム (KSC) - 旧:神鋼コンピュータシステム
住友電工 エス・アンド・アイ (S&I)
十六銀行 十六コンピュータサービス (JCS)
住友金属工業 アイエス情報システム (aies)
セイノーグループ (SEINO) 日本物流開発 (JLD)
徳島新聞社 四国システム開発 (SSDC)
日新製鋼 エヌアイ情報システム (NIIS)
日本電信電話NTTグループ 日本情報通信 (NI+C)
日本航空 (JAL) JALインフォテック (JIT)
本坊グループ アイテップ (ITEP)
三井生命保険 NBCカスタマーサービス (NBC) エムエルアイ・システムズ (MLI)
三菱商事 アイ・ティ・フロンティア (ITF)
モルテン エム・アイ・ティ システム開発 (MIT)
ライフステージ ベルス (BELS)
菱友システムズ 菱友システムビジネス (RSB)

[編集] 主な出身者

氏名 (入社年度) 近況等
椎名武雄 (1953) 勲一等瑞宝章受章、相談役、元会長、元社長
江崎玲於奈 (1960US) 勲一等旭日大綬章受章、ノーベル物理学賞受賞、横浜薬科大学学長、元芝浦工業大学学長、元筑波大学学長
山本収 (1960) 元ネットワンシステムズ社長、元アライドテレシス社長
村井勝 (1962US) 元コンパックコンピュータ社長(日本法人)
森和昭 (1962) 日本サード・パーティ社長(JASDAQ)
佐野力 (1964) 元日本オラクル社長(東証1部)
佐伯達之 (1964) IMSジャパン社長、元EDSジャパン社長、元ナスダック・ジャパン会長CEO
高嶋正二郎 (1964中途) トランスコスモス副社長(東証1部)
高柳肇 (1965) ハイ・アベイラビリティ・システムズ社長、元日本ヒューレット・パッカード社長
岩崎俊雄 (1965) クレスコ会長(東証1部)
甲田博康 (1965中途) 東計電算会長(東証1部)
倉重英樹 (1966) RHJインターナショナル・ジャパン会長、元日本テレコム社長、元IBMビジネスコンサルティングサービス会長、元プライスウォーターハウスコンサルタント会長兼社長
前田昇 (1966) 青山学院大学教授
北城恪太郎 (1967) 前経済同友会代表幹事、最高顧問、元APPresident、元会長、元社長
菅原敏明 (1967) 元サン・マイクロシステムズ社長(日本法人)
廣瀬禎彦 (1969) コロムビアミュージックエンタテインメント社長(東証1部)
堀田一芙 (1969) 富士ソフト副会長(東証1部)
三井信雄 (1969中途) Chairman,IGNITEGroup
小名木正也 (1970) 日本総研ソリューションズ社長
澤田米生 (1970) アルゴグラフィックス社長(東証1部)
石黒和義 (1970) JBCCホールディングス社長(東証1部)
奥田兼三 (1970) コベルコシステム社長
内池正名 (1970) JBISホールディングス社長(東証1部)
木村正治 (1970) 元アッカ・ネットワークス社長(JASDAQ)
根塚眞太郎 (1970) 日本CA社長
金安岩男 (1970) 慶應義塾大学教授
上原政二 (1970) 元アンガマン・バス社長、元ネットワンシステムズ社長、元ネットワールド、元スリーコム社長、元ネクストコム社長、元ビーツービー通信社長、元モビスタ社長
中根滋 (1971) UWiN社長、元パワードコム社長(日本法人)、COO,i2Technologies兼i2テクノロジーズ・ジャパン社長、元SAPジャパン社長
内永ゆか子 (1971) ChairmanandCEO,BerlitzInternational、ベネッセコーポレーション副会長、ソニー取締役、パルコ取締役
渡邊邦昭 (1971) ジャストシステム取締役、元日本アリバ社長、元i2テクノロジーズ・ジャパン社長、元日本DEC社長
中山隆志 (1971中途) 元EMCジャパン社長
澤辺正紀 (1971) 元サイベース社長(日本法人)、元BMCソフトウェア社長
尾﨑嵩 (1971) 日本オフィス・システム会長(JASDAQ)
竹田征郎 (1971) 情報技術開発社長(JASDAQ)
上村恵洋 (1971) 外務省大臣官房国内広報課IT広報室長
丸山力 (1971) 東京大学特任教授
冨永章 (1971) 東京大学特任教授
安井敏雄 (1972) 元イー・アクセス社長(東証1部)、元ソレクトロン社長、元ウエスタンディジタル社長
和泉法夫 (1972) 元日本SGI社長
白鳥保 (1972) 元日本IBM人事本部長
大津山訓男 (1973中途) アットマークベンチャー社長、BeB協議会主宰、元デジタルメディアラボ専務
岩崎明 (1974) 郵便局会社常務兼ゆうちょ銀行常務
徳末哲一 (1974) ファストサーチ&トランスファ社長(日本法人)
印藤公洋 (1974) 日本ビジネスオブジェクツ社長、元キャップジェミニ・アーンスト&ヤング社長(日本法人)
松木謙吾 (1974) 日本コンピューター・システム社長(大証2部)
坂寄嗣俊 (1974) インターシステムズジャパン社長、元日本ブロードビジョン社長、元マニュジスティックス・ジャパン社長
秋山義博 (1974) 九州工業大学教授
加賀山進 (1975) シマンテック社長(日本法人)、元ジェトロニクス社長(日本法人)、元日本ピープルソフト社長
高橋正行 (1975) エス・イー・ラボ社長(ヘラクレス)
日高信彦 (1976) ガートナージャパン社長
林信宏 (1976) フレクストロニクス・デジタル・デザイン代表取締役
山本博司 (1977) 参議院議員
遠藤隆雄 (1977) 日本オラクル社長(東証1部)
向井宏之 (1977) トランスコスモス専務(東証1部)、元レノボ・ジャパン社長
藤原洋 (1977) インターネット総合研究所所長
大古俊輔 (1977) シトリックス・システムズ・ジャパン社長
新宅正明 (1978) 日本オラクル会長(東証1部)、元同社社長
八剱洋一郎 (1978) SAPジャパン社長、元ウィルコム社長、元日本テレコム副社長、元日本AT&T社長
末次朝彦 (1978) ダッソー・システムズ社長(日本法人)、元サン・マイクロシステムズ社長(日本法人)
藤田裕治 (1978) 元レッドハット社長(日本法人)
戸沢義夫 (1979) 産業技術大学院大学教授
片岡正昭 (1979) 慶應義塾大学教授
小出伸一 (1981) 日本ヒューレット・パッカード社長、元ソフトバンクテレコム副社長COO
宇陀栄次 (1981) セールスフォース・ドットコム社長(日本法人)、元ソフトバンク・コマース社長
長谷川恵 (1981) BTジャパン社長
齊藤誠一 (1981) 北海道大学教授
香田正人 (1982) 筑波大学教授
松島克守 (1982中途) 東京大学総合研究機構イノベーション政策研究センター センター長・教授
芝野耕司 (1982中途) 東京外国語大学教授
佐藤茂樹 (1983) 衆議院議員
富村隆一 (1983) RHJインターナショナル・ジャパン代表取締役、元日本テレコム副社長
山元賢治 (1983) アップルジャパン社長
平井康文 (1983) シスコシステムズ副社長、元マイクロソフト専務
片岸幹夫 (1983) バリューコマースCOO(マザーズ)
六川修一 (1983) 東京大学教授
千村岳彦 (1983中途) システム・ロケーション社長(JASDAQ)
ジム・メリット (1983US) デル社長(日本法人)
浜田憲一郎 (1984) 日本郵政常務執行役CIO
奥井規晶 (1984) 元べリングポイント社長(日本法人)
村田正幸 (1984) 大阪大学教授
長澤信吾 (1985) JSC社長(JASDAQ)
久野哲彦 (1985) ディーワンダーランド社長(JASDAQ)
矢野広一 (1985) ターボリナックス社長(ヘラクレス)
湊方彦 (1985) AT&Tジャパン社長(日本法人)
安田結子 (1985) ラッセル・レイノルズ・アソシエイツ・ジャパン・インク日本代表
森下真一 (1985) 東京大学教授
徳山豪 (1985) 東北大学教授
小山田耕二 (1985) 京都大学教授
小原京子 (1985) 慶應義塾大学准教授
相浦一成 (1986) GMOペイメントゲートウェイ社長(マザーズ)
小林英夫 (1987) イー・アクセス副社長(東証1部)
前多俊宏 (1987) エムティーアイ社長(JASDAQ)
長尾確 (1987) 名古屋大学教授
増田宏 (1987) 東京大学准教授
松田憲幸 (1988) ソースネクスト社長(東証1部)
加来徹也 (1988) コネクトテクノロジーズ社長(マザーズ)
中須賀真一 (1988) 東京大学教授
大橋智成 (1989) 日本開閉器工業社長(JASDAQ)
関信 (1991US) セキテクノトロン社長(JASDAQ)
長妻貴嗣 (1992) 三協フロンテア社長(JASDAQ)  
二宮祥一 (1992) 東京工業大学教授
チャールズ・エイジー (1995) Managing Director,Telstra(オーストラリア)
竹岡和宏 (1997) 元福岡ソフトバンクホークス投手
玉塚元一 (1998中途) リヴァンプ代表パートナー、ロッテリア会長
長坂健冶 (2000) 元楽天イーグルス捕手
中村泰広 (2001) 元北海道日本ハムファイターズ投手

[編集] 訴訟

日本IBMを当事者とする訴訟には以下がある(米IBMを当事者とする訴訟は除く)。

  • 2007年2月、ソフト開発会社のデジタルデザイン社が、日本IBMおよびネットマークス社に対し、12億円の損害賠償請求訴訟を起こしたが、2008年7月には和解が成立した[7]
  • 2007年4月、ソースネクスト社が、日本IBMに対し、ホームページ・ビルダーのライセンス供与に関して契約違反として提訴した。2007年には日本IBMが、ソースネクストに対し、損害賠償請求反訴を起こした。これらは2008年7月に一部和解が成立した[8][9]
  • 2008年3月6日、スルガ銀行が、日本IBMに対し、「日本IBMの債務不履行によりシステムが完成せず開発を中止せざるを得なくなった」として111億700万円の損害賠償訴訟を起こした。スルガ銀行側は裁判の訴状で「日本IBM側がプロジェクトにおいて、要件定義を3回繰り返す事態に陥っていた」と主張している [10][11]。これに対して日本IBM側は、4月7日の答弁書で「失敗の責任はスルガ銀にある」とし、スルガ銀行側が主張している請負契約の締結自体も否認している [12]。また「要件定義の繰り返しの原因は、銀行側からの現行システム情報や要件の提示内容がプロジェクト前後で比較して大きく膨れ上がり、かつ期間中に二転三転を繰り返したため」と主張している。
  • 2009年5月29日、社員3名が日本IBMに対し、「退職を強要された」として、差し止めと損害賠償を求めて訴訟を起こした[13]。(リストラについては#その他も参照。)

[編集] その他

  • 独特の用語(本社の用語に準じるため)や訳語を使うことがある
    • フロッピーディスクを「ディスケット」と呼ぶ(IBMが開発元で、自社の商標であるため)
    • ハードディスクを「DASD」(Direct Access Storage Device)や「fixed disk」(「固定ディスク」と訳す)と呼ぶ
    • 1980年代までは、キーボードを「鍵盤」、ディスプレイを「表示装置」、プリンターを「印刷装置」と訳していた
    • OS/2(バージョン2までの日本語版)では、電源オフ(シャットダウン)を「遮断」と訳していた(このため日本IBMを「遮断法人」と呼ぶ人もいた)
  • 2008年の大規模リストラ
2008年10月から12月にかけて、従業員の15%に相当する1000-2000人規模の退職勧奨(事実上のリストラ)が行われた[2]。日本IBMではそれまでにもリストラを必要に応じて行っていたが、2008年の場合は世界的金融危機が迫り雇用不安が拡大する中での、正社員への大規模リストラであったため世間の注目を集めた。日本IBMの労働組合(JMIU 日本アイビーエム支部)は、会社側が「48時間以内に退職を表明しないと解雇する」と宣告したケース、社員の家族に「ご主人を辞めさせてください」と電話してきたケースなどの存在を主張して抗議し、マスコミでも報じられた[14]

[編集] 参照

  1. ^ 日本IBM 70周年 椎名武雄 特別寄稿 (日本IBM)
  2. ^ 21世紀型の企業であるGIEを目指す、ビジネス・モデルのイノベーション (日本IBM 2007年夏)
  3. ^ 本社移転のお知らせ - 日本IBM
  4. ^ 無限大 No.116 2004年 冬 - 始まりは、東京オリンピックだった - コンピューターは社会をどう変えていったか (日本IBM 2004年冬)
  5. ^ Y-Kプロジェクト:ITExpress (タリアセンコンサルティング 疋田英幸 2006年3月13日)
  6. ^ 新日鐵君津製鐵所における業界初の製造オンラインシステム (明治大学ビジネス情報倫理研究所 伊藤正雄 2008年6月8日)
  7. ^ ネットマークス、実体のない取引に関する訴訟でデジタルデザインなど2社と和解 (ITpro 日経コンピュータ 2008年7月29日)
  8. ^ ソースネクスト、「ホームページ・ビルダー」に関する訴訟でIBMと一部和解 (nikkei BPnet 2007年12月25日)
  9. ^ 「IBMホームページ・ビルダー V11」の訴訟和解に関するお知らせ (日本IBM 2008年8月1日)
  10. ^ スルガ銀と日本IBMの「動かないコンピュータ」裁判の訴状内容が判明、要件定義を3回繰り返す (ITpro 日経コンピュータ 2008年4月25日)
  11. ^ スルガ銀行のIBM提訴にみる、パッケージビジネスの難しさ (nikkei net IT PLUS 2008年3月)
  12. ^ 「失敗の責任はスルガ銀にある」 日本IBMが反論、動かないコンピュータ裁判 (日経コンピュータ 2008年5月15日号)
  13. ^ 「退職を強要された」、社員3人が日本IBMを提訴 (ITpro 日経コンピュータ 2009年5月29日)
  14. ^ IBMリストラでまともな会社に? 労組サイトに「元社員」が反論 (J-CASTニュース 2008年12月2日)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月28日 (土) 17:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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