日本NCR
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | NCR |
| 本社所在地 | 〒104-0033 東京都中央区新川1-21-2(茅場町タワー) |
| 電話番号 | 03-6759-6000 |
| 設立 | 1920年(大正9年)2月24日 |
| 業種 | 電子機器 |
| 事業内容 | 電子機器の製造、コンピューターシステムの設計構築メンテナンス等 |
| 代表者 | 代表取締役社長 三ッ森 隆司 |
| 資本金 | 110億円(2005年12月31日現在) |
| 売上高 | 479億3100万円(2005年12月期) |
| 総資産 | 1019億8000万円(2005年12月31日現在) |
| 従業員数 | 1465人(2005年12月31日現在) |
| 決算期 | 12月 |
| 主要株主 | NCRコーポレーション(アメリカ法人)44.39%、エヌ・シー・アール・ホールディングス(日本法人)27.55%、NCRホールディングGmbH(ドイツ法人)21.26%、NCRカナダ(カナダ法人)4.34% |
日本NCR株式会社(にほんエヌシーアール)は、電子機器の製造、コンピュータシステムの設計・構築・保守等を行う米国NCR社の日本法人。
目次 |
[編集] 概要
情報システムのグローバル企業であるNCRの日本法人で、製造業に対するデータウェアハウス製品、流通業に対するストア・オートメーション・システム、金融業に対するコールセンター・システム等の製品を製造販売する他、それら製品のメンテナンス事業等を行っている。一般消費者の目に触れる製品ではレジスタ、バーコードスキャナー等があり、関連会社を通じて現金自動預け払い機(ATM)等の金融機関向け機械の製造も行っている。
2005年12月期の売上構成はコンピューター製品37%、システム・サービス26%、技術サービス等37%となっている。
[編集] 歴史
前身は藤山コンツェルンの1社として藤山愛一郎が設立した日本金銭登録機株式会社である。その後、愛一郎の弟の田中元彦が副社長、その息子の田中稀一郎が社長を務めた。
戦前に機械式キャッシュレジスターの製造を開始し、アメリカ・NCR社と提携。第二次世界大戦後は戦後初の外資進出となるNCR社からの出資を受け入れ、100%子会社を基本とするNCRの現地法人としては異例の子会社となった。
レジスターの電子化とともに、現金自動支払機(CD)、現金預入払機(ATM)等を開発。また、親会社NCRの開発する大型・中型コンピューターと組み合わせた金融機関向けのコンピューター機器・システム販売で成長した。2006年現在、大手銀行店舗で見ることの出来る、通帳の記入ページを使い終わったら新たな通帳を発行する通帳記入機は日本NCRが1983年に初めて開発している。
1970年代から1980年代にかけては親会社NCRが開発するパソコン、UNIXワークステーション、AXパソコンから大型汎用機までをカバーするコンピューターメーカーでもあった[1]。また、アップルコンピュータが日本においてMacintoshを発売する際には保守についての提携も行っていた。現在でも、アップル製品の保守については、アップルストア等からNCRに送られている。
当時は親会社の製造するコンピューター機器の使用を前提とした自前主義と言われ、代理店販売ではなく直接販売が多かった。1980年代後半の日本の好景気の時期には大型システム導入が相次ぎ、日本NCRもイトーヨーカ堂のスーパーマーケット業界初の全商品・全店舗一括管理のPOSシステム(1985年)、住友銀行の勘定系ホストコンピューターシステム(1986年)等の実績を残している。
尚、パナソニックが海外で「National」ブランドを普及させることができなかった理由は、当時すでにNCRが日本以外の各国で「National」を商標登録していたためである。
[編集] コンピュータメーカーからの脱皮
しかし、1990年代に入り主力の金融業界・流通業界がバブル景気崩壊によりシステムの需要が低迷、急速に業績が悪化した。レジスター生産は海外に移転、蒲田工場を閉鎖、希望退職者を募集するなどリストラを図るも1995年12月期には上場以来の初の最終赤字となり、1998年12月期には上場以来初の経常赤字まで落ち込んだ。
また、資本関係についても1991年3月に親会社NCRに対しAT&TによるTOBが行われ、AT&Tの子会社となりAT&TGISに改称。日本NCRも1994年6月には日本エイ・ティ・アンド・ティ情報システム株式会社に改称している。1995年頃まではAT&Tブランドのパソコンやワークステーション、汎用機の販売を行っていたが1995年秋にはAT&Tがパソコン、コンピューター製造から撤退。
1996年1月にはAT&TGISが再びNCRに改称。日本法人も同年4月に再び日本NCRに改称し、1998年4月にはNCRがエヌ・シー・アールホールディングス日本法人を通じてTOBを行い子会社化。2000年6月30日をもって上場廃止となるなど経営の主導権変更が続いた時代となった。
この1990年代のリストラを通じて、親会社NCRともパソコン・汎用機の製造からは撤退、レジスター、ATM等の電子機器は子会社に製造を移管し、主たる事業としては金融業・流通業向けのシステム構築、サーバ販売に移行している。
[編集] 出身者
- 奈良総一郎
日本初のシステム手帳「システム・ダイアリー」の生みの親であり、日本初のオフィスコンピュータ「電算テレビ」を開発した奈良総一郎が、「ナショナル金銭登録機」当時に在籍していた事は知る人ぞ知る事実(自著『電脳システム手帳』より)。
日本マクドナルド代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者
[編集] 沿革
- 1920年(大正9年)2月 日本金銭登録機株式会社として設立。
- 1935年(昭和10年)7月 アメリカ・NCR(ザ・ナショナル・キャッシュ・レジスター・カンパニー)社と資本・技術提携。
- 1943年(昭和18年) 日本金銭登録機がNCRの販売会社を吸収合併。
- 1946年(昭和21年)7月 日本ナショナル金銭登録機株式会社に改称。
- 1951年(昭和26年)12月 アメリカ・NCR社と再び提携。戦後初の外資導入として70%の出資を受けた。
- 1961年(昭和36年)10月 東京証券取引所第2部、大阪証券取引所第2部に上場
- 1964年(昭和39年)4月 東京証券取引所第1部、大阪証券取引所第1部に指定替え。
- 1973年(昭和48年)2月 日本エヌ・シー・アール株式会社に改称。
- 1994年(平成6年)6月 日本エイ・ティ・アンド・ティ情報システム株式会社に改称。
- 1996年(平成8年)4月 日本エヌ・シー・アール株式会社に再び改称。
- 1998年(平成10年)6月 TOBにより、アメリカ・NCR社が株式の97.5%を取得。
- 2000年(平成12年)6月 東京証券取引所、大阪証券取引所から上場廃止。
- 2004年(平成16年)3月 日本NCR株式会社に変更。
[編集] 工場
大磯工場(神奈川県中郡大磯町高麗1-10-1)(2007年に閉鎖)
[編集] 関係会社
- オープンシステムテクノロジー株式会社
- グローバル・ソリューション・サービス株式会社
- 株式会社ティエヌブレイン
- 日本ATM株式会社(株式の35%を保有)
- 日本NCRサービス株式会社
- 日本NCRビジネスソリューション(株式の28.27%を保有)
- 日本ソルテック株式会社
[編集] その他
- 1994年に保守サービス部門を分離し関連会社を設立。45歳以上の従業員を対象に関連会社への転籍人事を計画し、転籍要請を拒否した従業員を配転したところ、69人が人事権の濫用として会社側を1999年8月に提訴。2001年2月に和解したが、「転籍許否による配転は人事権の濫用となるか」という点で注目された。
- 2003年に高島屋、西武百貨店に導入した無線POSシステムが通信の暗号化を行っていないまま運用されていた事が発覚した。[1]
[編集] 不当解雇疑惑
元社員6人が2009年7月17日、会社の業務命令に従って売り上げの水増しをしたのに懲戒解雇されたのは不当だとして、社員としての地位確認を東京地裁に申し立てた。
[編集] 製品
[編集] 脚注
- ^ 親会社NCRはバロース、UNIVAC、NCR、CDC、Honeywellと並び『BUNCH』と称された
最終更新 2009年11月6日 (金) 15:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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