木澤博司
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木澤博司(きさわ ひろし 1933年1月7日 -2007年9月14日)は東京都中野区生まれ、岡山県出身の自動車エンジニア。
本田技研工業の開発部門である本田技術研究所の元専務。日本大学工学部卒。ホンダ四輪の草創期かららのメンバーで、シビックの開発責任者で知られる。その後もアコードなどの基幹車種に携わり、ホンダの経営に貢献した。
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[編集] 経歴
大学卒業後、日野自動車系列でオリエントブランドでオート3輪の製造・販売を行っていた三井精機工業に入社。埼玉県の桶川工場にあった実験課に5年間勤務した。この頃に後のホンダF1の監督である中村良夫と出会い、中村の誘いで1963年に四輪に進出して間もない本田技研工業に入社した。入社後、車両試験課四輪テスト係に配属され、T360やホンダ・S600の走行耐久テストを担当。後に昇級すると、後期ホンダ・S800の開発に携わり、リアのリジッドアクスルを担当した。その後、ホンダ・N360とその輸出仕様であるN400、N600の走行実験を経てZ600の開発サブチーフを務めた。
その後、1968年から1969年にかけてヨーロッパへと赴任し欧州車を研究。これが後の初代シビック開発に影響を与えた。帰国後、ホンダ・1300の開発に加わった後、初代シビックとなるコードネーム634の開発責任者に久米是志から引き継ぐ形で就任。1972年に発売開始されたシビックはその後世界的に大ヒットし、ホンダは四輪市場の地盤固めに成功した。 また後に、シビックよりもワンサイズ大きい上級車種を開発する、654計画の開発責任者を務め、これが後に初代アコードとして発売された。
以降、初代プレリュードの開発責任者を務めた後、1985年にホンダR&Dヨーロッパの初代社長に就任。帰国後は本田技術研究所専務取締役、本田技研工業主席技術顧問などを歴任。退社後は、アルミダイキャスト製品のメーカーである東京理化工業所の社長に就任し、部品納入メーカーとして、ホンダを側面からサポートした。
2007年9月14日逝去。享年74。
[編集] 参考文献
- 『名車を生む力 時代をつくった3人のエンジニア』(いのうえ・こーいち著 二玄社) ISBN4-544-04342-5
[編集] 関連リンク
[編集] 外部リンク
- 「本田宗一郎」がここにいる!ホンダOBが駆けつけるある映画[1]
最終更新 2009年9月3日 (木) 15:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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