松本城

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松本城
長野県
天守
天守
通称 烏城
城郭構造 梯郭式+輪郭式平城
天守構造 連結式望楼型(1593年頃か1615年築)
複合連結式層塔型5重6階(1633年改)
築城主 小笠原長棟、石川数正・康長父子
築城年 1504年(永正元年)
主な改修者 松平直政
主な城主 小笠原氏、石川氏、松平氏
堀田氏、水野氏、松平氏(戸田氏)
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵
指定文化財 国宝(天守)、国の史跡
再建造物 黒門、太鼓門
位置 北緯36度14分20.76秒
東経137度58分8.83秒
  

松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市にあったである。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)[1]とも呼ばれている。

日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである(現存12天守)。天守群は国宝に指定されている。

目次

[編集] 歴史

[編集] 近世以前

戦国時代永正年間に、松本平の信濃府中(井川)に居を構えていた信濃守護小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の1582年(天正10年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。

その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長水野家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。

1727年(享保12年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。

[編集] 近現代

  • 明治維新後、1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者の尽力によって買いもどされて難を逃れる。明治30年代ころより天守が大きく傾き、これを憂いた松本中学校長小林有也らにより、天主保存会が設立され、1903年(明治36年)より1913年(大正2年))まで「明治の大修理」がおこなわれた。
  • 1930年(昭和5年) 国の史跡に指定された。1936年昭和11年)4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されている。
  • 1950年(昭和25年)より1955年(昭和30年)まで解体復元工事(「昭和の大修理」)。
  • 2000年(平成12年) 松本城周辺市街化区域が都市景観100選に選ばれている。
  • 現在、埋立てにより住宅地とされた外堀の復元が検討されている。

[編集] 構造

天守(正面から見て左側)
傾いた天守(明治時代撮影)

典型的な平城。本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されている。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。これらは全て水堀により隔てられている。

[編集] 天守

5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。大天守は、初重に袴形の石落しを付け、窓は突上窓、破風は、2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。

大天守は構造的には望楼型天守から層塔型天守への過渡期的な性格が見られ、2重目の屋根は天守台の歪みを入母屋(大屋根)で調整する望楼型の内部構造を持ちながら外見は入母屋を設けず強引に寄棟を形成している。ただ、強引とはいえ外見的には層塔型の形状を成立させているため、各重の屋根の隅は様々な方向を向いており、松本城天守の特徴のひとつとなっている。3階の、低い天井に窓のない特殊な空間が生まれたのはこのためで、パンフレットなどでは「秘密の階」と説明されているが、構造上は2重の上に生じた大屋根構造の名残りともいえる屋根裏的な空間を階として用いたことによるものである。内部は最上階(6階)の他に4階を白壁造りにするなど、ある程度の居住性が考慮されている。外壁は初重から最上重まで黒塗の下見板が張られており、この黒の原料は1950年の修理工事着工までは墨によるものであったが、解体修理の際に漆塗りの痕跡が見つかったことから、修理工事が竣工した1955年以降は黒漆塗りとなっている。乾小天守も構造的特徴は大天守と同様であるが、最上階に華頭窓が開けられている。

[編集] 天守の建造年

天守の建造年には、いくつかの説がある。「天正19年(1591年)説」、「文禄3年(1593年)説」、「慶長2年(1597年)説」、「慶長5年・6年(1600年 - 1601年)説」、「慶長20年(1615年)説」である。いずれも、主に大天守の建造年を示したものである。

  • 天正19年説は、大類伸・鳥羽正雄の共著『日本城郭史』に見られる説で[2]、宮上茂隆は1992年に発表した論文において石川数正とその子康長により建てられた第1期天守の建造年と考え、大天守ではなく現在の乾小天守であると主張している[3]
  • 慶長2年説は、昭和15年(1940年)に城戸久が論文において述べた説で、当時定説となっていた竣工文禄3年説[4]また慶長5年・6年説[5]を否定し、文献を元に文禄3年着工、慶長2年竣工が至当であると主張している[2]
  • 慶長20年説は、大坂の役(1614年 - 1615年)前後の建造とする宮上茂隆の説と同様で慶長20年(1615年)に小笠原秀政によって建造されたとするものである[6]

層塔型天守に分類されているが、慶長2年(1597年)建造とする場合、最初の層塔型天守とされる丹波亀山城(1609年 - 1610年ごろ建造)に10年以上先立つので、建築史の観点から望楼型と見なすことがある[7]。その一方で、1950年から1955年に行われた解体修理の時、いくつかの改築の痕跡が見つかっていることなどから創建当時は、望楼型で最上階には外廻縁高欄があり、各重の屋根には多くの破風を取り付けた姿であったと推定されており、松平氏により付櫓と月見櫓が増築された寛永10年(1633年)に現在のように造りかえられたと考えられている[8]

[編集] 天守の傾き

貞享騒動(加助騒動、嘉助一揆)の首謀者・多田嘉助磔刑に処せられる際、天守を睨んで絶叫した怨念によって傾いたといわれる伝説があるが、これは城が傾き始めた明治になってから作られた話である。現在では天守の傾きの原因は、軟弱な地盤[9]の上に天守の基礎工法として採用された天守台の中に埋めこまれた16本の支持柱の老朽化により建物の自重で沈み込んだことにあると見られている。

[編集] 遺構

明治時代の二の丸の筑摩県庁火災で延焼しなかった御金蔵が現存している。

移築現存門としては、安曇野市内堀金地区に大手門二の門を移築したという伝承のある薬医門がある(安曇野市指定文化財[10])。

また、松本市新村地区には、城の南門の扉を使用したという長屋門がある。このほかにも、松本市および周辺の市町村には松本城内にあった侍屋敷より移築したとされる民家の門が数多くある。

[編集] 現地情報

黒門(1989年平成元年)12月復元)
太鼓門(1999年平成11年)3月復元)

[編集] 所在地

[編集] 交通アクセス

徒歩
バス
自動車

[編集] その他

  • 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(29番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

[編集] 脚注

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  1. ^ 同じ「烏城」で「うじょう」と読むのは、岡山県の岡山城である。
  2. ^ 城戸久「松本城天守造営年次に就て」『建築学会論文集』第19号 日本建築学会編、昭和15年(1940年)
  3. ^ 宮上茂隆「松本城丸岡城天守の建造年代 : 現存最古の天守遺構は松本城第1次天守(乾小天守)」『学術講演梗概集. F, 都市計画, 建築経済・住宅問題, 建築歴史・意匠』 日本建築学会編、日本建築学会、1992年。
  4. ^ 河村淳・梶元成・松本吉雄ら著『松本城』昭和6年(1931年)
  5. ^ 田邊泰『松本城天守閣』昭和13年(1938年)
  6. ^ 『ビジュアルワイド 日本名城百選』村田修三監修、小学館、2008年
  7. ^ 金井圓 『松本城 -その歴史と見どころ-』名著出版、1984年、p.113、ISBN 4626011284。)
  8. ^ 西ヶ谷恭弘・香川元太郎『ビッグマンスペシャル 日本の城 [戦国〜江戸]編 完成された城郭の構造』世界文化社、1997年
  9. ^ 元々この地は深瀬・深志と呼ばれる沼地で、城の始まりは沼の畔の館である。
  10. ^ ただし、この門を所有している家が所蔵する書状によると、六九町にあった郡役所の門を移築したことになっている

[編集] 参考文献

  • 『士魂商才』 昭和55年。
  • 中川治雄 『図説国宝松本城』 一草舎出版、ISBN4-902842-11-4。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
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[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月14日 (土) 15:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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