松田優作
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| まつだ ゆうさく 松田 優作 |
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| 本名 | 同じ |
|---|---|
| 別名 | 金優作 (旧名、読みはキム・ウジャッ) |
| 生年月日 | 1949年9月21日 |
| 没年月日 | 1989年11月6日(満40歳没) |
| 出生地 | 山口県下関市 |
| 民族 | 日本/韓国のハーフ |
| 血液型 | A |
| 職業 | 俳優、歌手 |
| 活動期間 | 1972年 - 1989年 |
| 配偶者 | 松田美由紀 |
| 家族 | 松田龍平 松田翔太 |
| 主な作品 | |
| テレビドラマ 『太陽にほえろ!』 『大都会 PARTII』 『探偵物語』 映画 『蘇える金狼』 『家族ゲーム』 『ブラック・レイン』 |
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松田 優作(まつだ ゆうさく、1949年9月21日 - 1989年11月6日)は、山口県下関市生まれの日本の俳優、歌手。本名は同じで、旧名は金優作(キム・ウジャッ)。日本人の父と在日韓国人の母の間に産まれた[1]。本当の誕生年月日は1949年9月21日だが母が「同級生たちよりも身体が大きいし、知恵も上で、有利になる」との考えで意図的に出生届の提出を遅らせたため、戸籍上は1950年9月21日生まれになっている。
目次 |
[編集] 概説
刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。1970年代後半から東映セントラルフィルム作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。 主演したドラマ『探偵物語』など、後進への影響も大きく[2]、男気にあふれ情に厚く、その勇猛な人間性と卓越した演技力から、1980年代を通じてもっとも重要な日本の映画俳優の1人と評価されている[3]。
[編集] 経歴
- 1949年9月21日 - 山口県下関市に生まれた。在日韓国人の母親の下、私生児として育つ[4]。父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチ近い大柄な男性だった[5]。
- 1966年 - 下関市立文洋中学校卒業。下関市立第一高等学校(現:山口県立下関中等教育学校)に進学。
- 1967年 - 11月、「アメリカへ行って弁護士になれ」との母親からの厳命により不本意ながら下関市立第一高等学校を2年で中退し、叔母夫妻が住む米国に米国籍を得る為に渡り、カリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に入学、1年足らず滞在。
- 1968年 - 叔母夫妻の離婚訴訟や言葉のギャップなどに悩み、9月、母に無断でシーサイド高校を中退し帰国。これより前、中学時代より空手他流派2段(徹子の部屋に出演時に自ら語っていた)を習っており、帰国後は、極真会館池袋本部道場で稽古をしていた(その経験は、後のアクションシーンの随所に活かされる)。長兄一家の池袋のアパートに居候して東京都豊島区にある私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入。
- 1969年 - 3月、豊南高等学校卒業。
- 1970年 - 4月、関東学院大学文学部入学。
- 1971年 - 3月、文学座の入所試験を受けるも一次の筆記試験で不合格。同年5月、金子信雄主宰の劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団。ここで最初の妻美智子と知り合う。
- 1972年 - 関東学院大学文学部中退。同年4月、文学座付属演技研究所十二期生となった。文学座同期には阿川泰子、高橋洋子、後輩に中村雅俊、二期先輩に桃井かおりがいた。役者に専念するために、6月には大学に中退届を出す。この頃、『突撃! ヒューマン!!』のヒューマン / 岩城淳一郎役のオーディションを受けたという。また1969年頃の無名時代に新宿ゴールデン街でバーテンダー(トリスバー「ロック」にて)をしていたときに、客として来ていたひし美ゆり子(『ウルトラセブン』の友里アンヌ隊員役)や原田大二郎・村野武範らと知り合いになり親交を結んでいる。
- 1973年7月20日 - 人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事として出演、その活躍・殉職シーンが話題となる。同年9月、『太陽にほえろ!』出演を機に「現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います」[6]という理由で法務省に帰化申請を行い、のちに日本国籍となり、通名だった松田優作が本名となる。
- 1973年 - 二枚目アイドルだった志垣太郎主演の東宝『狼の紋章』にてスクリーン・デビュー。
- 1976年1月31日 - 1975年7月19日の日本テレビ『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの夜、19歳の予備校生に対して共演者Eと共に暴力を振るい、全治3ヶ月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。このため、1年間の謹慎生活を送る[4][7][8]。身柄を東京拘置所に移された後、傷害容疑で起訴され、同年3月10日、東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける[9]。
- 1976年1月放送の刑事ドラマ『大都会 闘いの日々』第4話「協力者」の回にゲスト出演しテレビ仕事に復帰。
- 1976年5月 - 東映『暴力教室』(岡本明久監督)がクランクイン。これにより映画復帰を果たす。
- 1976年7月25日 - アルバム『まつりうた』で歌手デビュー。
- 1977年 - 角川映画『人間の証明』棟居刑事役で主演。刑事ドラマ『大都会 PARTII』でテレビに本格復帰。
- 1978年 - 村川透監督の東映セントラルフィルム映画『遊戯シリーズ』第一作『最も危険な遊戯』主演(同年『殺人遊戯』、翌年『処刑遊戯』)。
- 1979年 - 村川透監督角川映画『蘇える金狼』主演(翌年『野獣死すべし』)。TVドラマ『探偵物語』に主演、若者を中心に高い人気を得る。この頃多くのアクション映画に主演しているが、ボブ・ディランをもじった朴李蘭の名で、劇団の旗揚げも行う。傷害事件の執行猶予満了。
- 1983年 - 森田芳光監督の映画『家族ゲーム』で、それまでのイメージを一新する役柄を演じ、数多くの賞を受賞。
- 1985年 - 『それから』で再び森田芳光作品に出演し、主人公を好演する。
- 1986年 - 映画『ア・ホーマンス』製作途中で、作品の方向性に関して意見が食い違ったため、監督が降板。自らがメガホンを取ることなり、これが初監督作品となる[10]。やくざ抗争とSFテイストを融合した異色の作品である(この作品は石橋凌、寺島進の映画デビュー作品でもある。ここで役者に開眼した石橋は松田を師と仰ぐ事となり、音楽活動と平行して俳優業にも力を入れていくことになる)。
- 1988年 - アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。尚、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。
- 1989年11月6日 - 午後6時45分、入院中の西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため死去。享年40。
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- 尚、『ブラック・レイン』の高い評価により、ハリウッドからロバート・デ・ニーロとの共演作などの出演依頼も来ていた。
- 松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん!起きてください!!早すぎるよ!!」と泣き叫んだ。[11]
- 亡くなった翌日放送の『夜のヒットスタジオSUPER』に於いて、追悼で松田が出演していたVTRが流れた後に司会の加賀まりこが涙を流して追悼のコメントを語った。
遺作となったTVドラマ『華麗なる追跡』は、「世界一速い女」フローレンス・ジョイナーと、「世界で一番速く走っている様に見せられる男」松田の共演、というコンセプトであったが、病魔の為思うように走れなくなっていた松田は、脚本や演出に手を入れてかなりの改変を加えた。スタッフの中には内心腹を立てた者もいたが、松田の死後にその理由を覚り、後悔したという。
[編集] 人物
- 身長は公称185センチ(元妻の証言により、実際は183センチ)の長身でタフなキャラクター・抜群の運動神経と長い手足を生かしたその動きはそれまでの俳優にはない独自のものであり、アクション・スタント シーンにスタントマンを使わない事でも有名。萩原健一と並んで同時代を代表するスターである。
- デビュー時はアクションスターとして注目されたが、芝居に対して非常に勉強熱心で、個性派俳優として次第に役の幅を広げていった。強烈なカリスマ性をもつ俳優であり、松田の演じたキャラクターや、本人そのものをイメージした格好を真似る若者を産み、また同業者である後輩にも、彼のスタイルを踏襲した俳優(古尾谷雅人、又野誠治など)を産んだ。漫画『北斗の拳』の主人公ケンシロウもパーソナリティ面で松田をモデルとしてスタートした。
- 性格は短気な傾向があり、興奮すると手が出ることも多かったそうである。しかし、決してむやみやたらに暴力を奮っていたわけではなく、相手が理不尽な事を言ってきたり、間違った事を言った場合のみに限られた。ただ、その一方で自分の仲間を非常に大事にしていたらしく、水谷豊、丸山昇一、佐藤蛾次郎など優作と親交が深かった多数の友人が優作の伝記で彼の人となりを熱く語っている。佐藤は後年「優作ほど先輩を立てる役者はいなかった」と振り返っている。店で打ち上げをやっていた時に、同じ店に来ていた他の客がバカにしたような口調で佐藤に「蛾次郎~!」と、囃し立てると松田は激怒し本気でその客に殴りかかりそうになったというエピソードもある。
- 元妻の松田美智子の話によると、優作は遊郭の一角で生まれ育ったことや韓国籍であることを死活問題のように悩んでいたという。また、美智子は「ファンが語る優作は、どこか漫画的です。血が通ってないというんでしょうか」と語っている[12]。
- 麻雀が非常に強く、負けた事はほとんどなかったと関係者は語っている。『太陽にほえろ!』に出演するきっかけになったのも、麻雀勝負で村野武範に勝ったので村野を通じてプロデューサーに自分を紹介してもらい、役を貰ったエピソードは非常に有名である。また後の自身の主演映画「最も危険な遊戯」の冒頭の雀荘のシーンにて「その強さ」を自身の役柄である殺し屋・鳴海の口から語らせている。
- 『太陽にほえろ!』を降板する際、後任の勝野洋へなにかアドバイスをと求められて、「走る姿を研究しろ」と答えたという。そもそも松田の前任だった萩原健一を番組出演へと説得する際に監督の竹林進が言った「きみの走ってる姿を撮りたい」を基本コンセプトに、その後を継いだ松田をはじめ新人刑事の疾走する姿は多くのファンを魅了し、「走る」事は同番組の代名詞として後々まで受け継がれた。
- 六月劇場の研修生だったころ、黒澤明監督の自宅を訪問し、3日間座り込んで弟子入りを迫った。しかし、3日経っても黒澤に会う事は出来ず追い返されてしまう。後に松田は、「俺は一生かかっても必ず有名になってみせる。だが有名になっても黒澤監督の映画にだけは決して出んからな」と語る。その言葉通りに、松田は逝去するまで黒澤映画に出演する事はなかった。
- 下積み時代、「俺が売れないのは一重瞼だからだ」とコンプレックスをもらしており、後に瞼を二重に整形している[13]。金銭面で困窮していた時期であったが何とか手術費用を捻出した。当時の二重瞼の手術の主流は切開法であり、術後約1週間で抜糸を行うが「費用がまた何万円もかかるのではないか…」と懸念した松田は抜糸予定日に病院へは行かず、自宅で鏡を見ながら裁縫用の小さなハサミを用いて抜糸をしたと語っている。その際、無理に糸を引き抜き、消毒も十分にしなかったため後々まで跡が残った。実際は抜糸までが手術費用に含まれており、再診でかかる費用はせいぜい消毒代と化膿止めの薬代、数千円程度であったと後に知り後悔したと言う。
- 普段のファッションには無頓着で、放っておいたら何を着だすか分からない程(美由紀夫人)だったと言う。近視で、普段掛けていた眼鏡も上部が黒縁のいわゆるオヤジ眼鏡だった。
- 『太陽にほえろ!』出演当時は運転免許を有していなかった為、車の運転場面は全て代役である。勝野洋や下川辰平も同様であった。後の『探偵物語』(1979年)ではベスパ(イタリア製スクーター)に乗っているが、自動二輪免許は所有していた。さらに後には4輪免許も取得。ドラマでベスパを使用することを助言したのは、友人の岩城滉一。当時松田優作は中型自動二輪免許を取得したばかりでプライベートではホンダGL400に乗っていたが「それダサイよ」の一言でドラマでベスパを使う決心をしたと言われている。
- 2002年の制作のゲームソフト『鬼武者2』の主人公柳生十兵衛のキャラクター・デザインに松田優作のイメージが使用されて話題となる。グラフィックは生前の姿を元に3Dモデリングで作成され、声はモノマネタレントのハードボイルド工藤によって録音された。また、ゲームクリア後のオマケとして、TV『探偵物語』の工藤俊作を連想させる「黒いスーツの男」というミニゲームが収録されている。
- 2009年、松田優作本人が穿いていたジーンズをイメージして作られた特製ジーンズ(股下38インチ、左フロントポケットはライターの定位置だったために四角形に色落ち)が20回忌となる11月6日にフルカウントより発売決定。
[編集] 家族
- 劇団仲間であり、後に『完全なる飼育』などの代表作を持つ作家・松田美智子と1975年9月21日に結婚し、長女が生まれるも、女優・熊谷美由紀(現・松田美由紀)との不倫が原因で1981年12月24日に離婚。美由紀夫人とは、『探偵物語』の共演で出会い、龍平出産後に結婚。
- 美由紀との間に、順に長男・龍平(1983年5月9日生)、次男・翔太(1985年9月10日生)、長女(優作逝去時一歳)がおり、長男・次男は現在俳優として活動している。
[編集] 全出演作品
[編集] 映画
- 初映画出演作にして主人公の敵・羽黒獰役を射止めている。主演は志垣太郎。
- ともだち(1974年、日活児童映画、監督:澤田幸弘) - 小松 役
- 竜馬暗殺(1974年、映画同人社・ATG、監督:黒木和雄) - 右太 役
- あばよダチ公(1974年、日活、監督:澤田幸弘) - 夏木猛夫 役
- 暴力教室(1976年、東映、監督:岡本明久) - 溝口勝利 役
- ひとごろし(1976年、永田プロ・大映・映像京都) - 双子六兵衛 役
- 人間の証明(1977年、東映) - 棟居刑事 役
- 最も危険な遊戯(1978年、東映、監督:村川透) - 鳴海昌平 役
- 殺人遊戯(1978年、東映、監督:村川透) - 鳴海昌平 役
- 沖縄列伝・第一 島小(しまぐわ)(1978年、自主ドキュメンタリー、監督:吉田豊) - 松田はナレーションを担当。
- 乱れからくり(1979年、東宝、監督:児玉進) - 勝敏夫 役
- 俺達に墓はない(1979年、東映、監督:澤田幸弘) - 島勝男 役
- 蘇える金狼(1979年、東映、監督:村川透) - 朝倉哲也 役
- 処刑遊戯(1979年、東映、監督:村川透) - 鳴海昌平 役
- レイプハンター 狙われた女(1980年、にっかつ、監督:澤田幸弘) - 勧誘員 役(ゲスト出演)
- 薔薇の標的(1980年、東映、監督:村川透) - ホテルの客 役(ゲスト出演)
- 野獣死すべし(1980年、東映、監督:村川透) - 伊達邦彦 役
- ヨコハマBJブルース(1981年、東映、監督:工藤栄一) - BJ 役
- 陽炎座(1981年、シネマ・プラセット、監督:鈴木清順) - 松崎春狐 役
- 家族ゲーム(1983年、にっかつ・NCP・ATG、監督:森田芳光) - 吉本勝 役
- 探偵物語(1983年、東映、監督:根岸吉太郎) - 辻山秀一 役
- ※テレビドラマの探偵物語とは全くの別物。
- それから(1985年、東映、監督:森田芳光) - 長井代助 役
- ア・ホーマンス(1986年、東映・キティフィルム、監督:松田優作) - 風 役
- 嵐が丘(1988年、西友・西武メゾングループMEDIACTUEL、監督:吉田喜重) - 鬼丸 役
- 華の乱(1988年、東映、監督:深作欣二) - 有島武郎 役
- ブラック・レイン(1989年、ジャッフェ、ランシング・プロ、監督:リドリー・スコット) - 佐藤浩史 役
[編集] テレビドラマ
- 柔道一直線(1969年 - 1971年・TBS) - エキストラ(試合を観戦する柔道部員)出演
- 太陽にほえろ!(1973年 - 1974年・NTV・東宝) - 市役所福祉課職員 役(第35話)、柴田純(ジーパン) 役(第53話 - 第111話)
- 赤い迷路(1974年 - 1975年・TBS・大映テレビ) - 都築潤 役
- 俺たちの勲章(1975年・NTV・東宝) - 中野祐二 役
- 大都会 闘いの日々(1976年・NTV・石原プロ) - 第4話「協力者」ゲスト出演 松宮次郎 役
- 夫婦旅日記 さらば浪人(1976年・CX) - 第17話「群狼の街」ゲスト出演
- 大都会 PARTII(1977年 - 1978年・NTV・石原プロ) - 徳吉功 役
- 森村誠一シリーズ・腐蝕の構造(1977年10月 - 11月)
- 大追跡(1978年、NTV・東宝) - 最終回ラストシーンにゲスト出演
- あめゆきさん(1979年・TBS) - 山田わかの恋人 役
- 探偵物語(1979年 - 1980年・NTV) - 工藤俊作 役
- 春が來た(1982年・ANB) - 風見 役
- 死の断崖(1982年・NTV) - 尾形徹男 役
- 新・事件 ドクターストップ(1982年・NHK) - 相沢清二 役
- ホームスイートホーム(1982年・NTV) - 第8話 - 第11話ゲスト出演
- あんちゃん(1982年 - 1983年・NTV) - 第15話・第16話ゲスト出演 山本倉三 役
- 熱帯夜(1983年・CX) - 須藤英二 役
- 断線(1983年・ANB) - 田島(滝村)光夫 役
- 新・夢千代日記(1984年・NHK) - 岡崎孝夫・前田純孝 役
- 女殺油地獄(1984年・NHK) - 与兵衛 役
- 追う男(1986年・NHK) - 瀬木涼介 役
- 土曜ワイド劇場
- 桜子は微笑う ラストエンペラーに仕掛けられた妖しい女の罠(1988年、テレビ朝日) - 梔子玲三 役
- 華麗なる追跡(1989年10月7日・NTV) - 兼城直也 役(フローレンス・ジョイナーと共演)
[編集] ドキュメンタリー
- SOUL RED 松田優作(2009年) - 生誕60周年及び没後20周年を機にして作られたドキュメンタリー映画。
[編集] 広告・テレビコマーシャル
- 日本ビクター ラジカセ「√2」・「√5」
- キッコーマン 焼酎「トライアングル」(1984年 - 1989年)
- マンダム「ギャツビー」(1985年 - 1987年)
- キリン「ライトビール」(1987年) - 原田芳雄、宇崎竜童と共演。
- 角川文庫(1987年)
- サッポロ飲料 缶コーヒー「JACK」(1997年) - 「探偵物語」でのコーヒーにまつわるシーンを再編集。
- Schick(2000年) - 「探偵物語」の工藤俊作をメインキャラクターにキャンペーンを展開。
[編集] その他の出演番組
- クイズタイムショック(ANB)※山口崇司会時代にパーフェクトを達成。
- 徹子の部屋(ANB)
- おしゃれ30・30(NTV)
- 夜のヒットスタジオ(CX)※松田聖子と共に初登場だった。
- オールナイトフジ(CX)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- まつりうた(1976年7月25日発売、東宝レコード)※バップからCD化された際にボーナストラック1曲を追加
- Uターン(1978年8月25日発売、ビクター)
- TOUCH(1980年5月1日発売、ビクター)
- HARDEST DAY(1981年5月21日発売、ビクター)
- HARDEST NIGHT LIVE(1981年11月21日発売、ビクター)
- INTERIOR(1982年11月21日発売、ビクター)
- DEJA-V(1985年3月21日発売、ビクター)※松田優作 with EX
- D.F. NUANCE BAND(1987年4月21日発売、ビクター)
[編集] シングル
すべてビクターから発売。
- Uターン(1978年7月25日発売)
- B面:ひとよ酒
- 白昼夢(1980年5月21日発売)
- B面:UPWARD MORE
- ブラザーズ・ソング(1981年4月21日発売)
- B面:LADY
- 夢・誘惑(1984年9月21日発売)
- B面:246の幾何学
- One From The Heart(1985年3月21日発売)※松田優作 with EX
- B面:Night Performance
[編集] ベスト・アルバム
- Yusaku Matsuda 1978-1987(1990年2月21日発売、ビクター)
[編集] 関連人物
- 遊戯シリーズなどを監督。よく知った仲。松田は村川のことを「監督」ではなくおどけて「トンカク」と呼んでいたらしい。
- 「家族ゲーム」を監督。
- 松田と出会って才能を開花させた脚本家。映画製作においてコンビを組むことが多く、松田のアイデアを的確に脚本化できる重要な存在だった。丸山にとって松田は畏怖と尊敬の念が入り混じる存在で、脚本をアップする度に松田からどの様なチェックが入るか戦々恐々としていたそうである。
- 『太陽にほえろ!』でジーパン刑事役として出演していた松田の役者性に早くから注目。松田の暴力事件では警視庁に情状酌量を願い出て、干された状態だった松田を『大都会 PARTII』にブッキングするなどお気に入りだった[14]。
- 『大都会パートII』などで共演。松田が非常に尊敬していた俳優の一人。
- 松田が公私ともに兄貴と慕う俳優。その慕いっぷりは半端ではなく、自宅も原田の隣に構えるほどであった。クリスマスや正月等は原田・松田両家で友人を呼んでの盛大なパーティーを開いていたが参加者がかなり重なっていて彼らの行き来が大変だったため、松田が「いっその事家の間の垣根を取っ払いましょうか」と提案したという逸話がある。それに対する原田の答えは「幾ら俺たちの間でも、それはけじめがなさ過ぎるだろう」というものだった。
- 「ええ、ぼくは……愛してるっていうか、尊敬してるっていうかね、あの人のことは……」[15]。 松田が常に意識し、憧れた同時代唯一の俳優。
- 沢田研二20周年パーティに訪れたが、沢田とは仕事をしたことがなかった。不思議に思ったリポーターにつながりを聞かれ、「こちらが一方的にファンですから。同じ世代っていうか同じ時代に生きられるのは本当に幸せですよ。それぐらい好きです。」と答えている。
- 松田が尊敬する俳優。『探偵物語』などで共演も。
- 文学座の一期先輩。「優作ちゃんの演技はオーバーなのよー」と茶化した折、優作が悔し涙を流したというエピソードがある。
- 文学座の一期後輩。『われら青春!』の主役に中村を推薦したのが松田だと言われている。翌1975年には、『俺たちの勲章』でW主演を果たした。
- 売れない時代から付き合いのある仲間であり、「優作ちゃん」と呼ぶほどの大の親友。
- 東映作品などの悪役で有名。同郷でもあり、『探偵物語』や『大都会 PARTII』、映画でもよく共演していた。
- 松田を意識した役づくりをしていた後輩俳優。『太陽にほえろ!』のブルース刑事は、ジーパン刑事を意識した役であった。
- 松田を「兄貴」と呼ぶ俳優。『噂の探偵QAZ』など、松田をイメージしたキャラクターの作品を演じた(その作品には、『探偵物語』のレギュラーキャラである松本刑事役の山西道広が、「松本警部」として登場している)。
- 『探偵物語』の松本刑事役。文学座付属演技研究所研究生時代から、松田と同じ時間を共有した俳優のひとり。奥さんが嫉妬するほどの仲だったという。また、デビューアルバムに楽曲を提供している。
- 樹原ちさと(少女漫画家)
[編集] 関連著書ほか
- 『NHK 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』2006年4・5月号(5月放送分・語りと著・リリー・フランキー)
- 『松田優作+丸山昇一 未発表シナリオ集』
- 『松田優作全集改訂版』(幻冬舎刊)
- 『越境者 松田優作』(新潮社)
[編集] 脚注
- ^ 元妻・美智子氏が初めて語る「松田優作 日本国籍への想い」『週刊文春2007年5月17日号』文藝春秋
- ^ 竹中直人、織田裕二、木村拓哉、上田晋也、太田光など、熱狂的なファンが多い。
- ^ 四方田犬彦『日本映画史100年』集英社・集英社新書、2000年
- ^ い ろ 織川隆「松田優作とふたりの女」『新潮45 2006年1月号』新潮社
- ^ 松田美智子『越境者 松田優作』p.65(新潮社、2008年)
- ^ 松田美智子『越境者 松田優作』p.96(新潮社、2008年)
- ^ 鶴田浩司「松田優作の死」『ニッポン映画戦後50年』朝日ソノラマ、1995年
- ^ 松田美智子『越境者 松田優作』p.108-110(新潮社、2008年)によると、鹿児島市内の飲食店でスタッフが地元のOLを交えて打ち上げをしていた時、解散近くになってスタッフとOLとの一組のカップルができあがった。打ち上げ終了後、このカップルがタクシーを拾おうとしているのをOLの友人が見つけ、カップルについて行こうとした。そこで松田とEが「野暮なことをするなよ」と引き止めようとしたところ、彼女と押し問答になり、それを目撃した予備校生が木刀を持って駆けつけ、松田に木刀を振り上げた。そこで松田とEが予備校生に反撃した、というのが事件の真相だったという。
- ^ 松田美智子『越境者 松田優作』p.121-130(新潮社、2008年)
- ^ 併映は澤井信一郎監督作品『めぞん一刻』
- ^ なお、仲村はのちに映画『劔岳 点の記』で遺児・松田龍平と共演(龍平の所属する測量隊の好敵手グループのリーダー・小島烏水役)。
- ^ 「日経エンタテインメント!」2008年4月号インタビューより。
- ^ 『知ってるつもり!?』「松田優作」。
- ^ 岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説 あるプロデューサーのテレビ青春日誌』日本テレビ放送網、2003年
- ^ 『週刊明星』(1981年4月23日号)より
- ^ 小林信彦「<正義>をめぐる木村拓哉の喜劇「HERO」」『コラムの逆襲 エンタテインメント時評 1999~2002』新潮社、2002年
- ^ 帰ってきた渡り鳥 渡り鳥・流れ者シリーズ・他研究サイト
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最終更新 2009年11月22日 (日) 16:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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