柔道

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柔道
じゅうどう

使用武器 なし
発生国 日本
発生年 1882年
創始者 嘉納治五郎
源流 柔術
主要技術 投げ技、固め技、当て身技
オリンピック競技 有り(1964年1972年 - )
  
全国国立大学大会での試合

柔道(じゅうどう)は、1882年(明治15年)に嘉納治五郎日本講道館において創始した武道であり、格闘技スポーツ武術にも分類される。正式名称を日本伝講道館柔道という[1]

「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、競技における単なる勝利至上主義ではなく、身体と精神の鍛錬と教育を目的としている(講道館師範嘉納治五郎先生遺訓「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は攻撃防禦の練習に由つて身体精神を鍛錬修養し、斯道の神髄を体得する事である。さうして是に由つて己を完成し世を補益するが、柔道修行の究竟の目的である。」)。広く各国で普及し、オリンピック種目にもなっている。国際競技団体は国際柔道連盟IJF)である。

目次

[編集] 歴史

[編集] 柔術から柔道成立まで

古くは、12世紀以降の武家社会の中で武芸十八般と言われた武士の合戦時の技芸である武芸が成立し、戦国時代が終わって江戸時代にその中から武術の一つとして柔術が発展した。柔術は幕末までに百を越える流派が生まれていたとされる。

明治維新以降、柔術の練習者が減少していた中、明治15年(1882年)に嘉納治五郎が、投技のほかに当身技関節技絞め技を中心とする天神真楊流柔術や、当身技(中と書く)のほかに投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化したものを、これは修身法、練体法、勝負法としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして、柔道と名付け、東京下谷の永昌寺に講道館を創設した。現在、講道館文京区春日1丁目にあり、全日本柔道連盟もそのビルに入っている。

もっとも「柔道」という語自体は、すでに江戸時代に起倒流五代目・滝野専右衛門遊軒の弟子である鈴木清兵衛が、起倒流に鈴木家に伝わるとされる「日本神武の伝」を取り入れ、柔道という言葉を用いて起倒流柔道と称しているので、嘉納の発明ではない[2]

当初、講道館は新興柔術の少数派の一派であった。嘉納治五郎の「柔道家としての私の生涯」(1928年(昭和3年)『作興』に連載)によれば、警視庁武術大会で楊心流戸塚派と試合し2〜3の引き分け以外勝ったことから講道館の実力が示されたという。なお、当時の柔道は当て身が存在したことなど、柔術の影響が極めて大きく、現在のそれとは大きく異なったものである。また、本大会において講道館選手として出場した者は、元々は他流柔術の実力者であった。この試合の後、三島通庸警視総監が講道館柔道を警視庁の必修科として採用した為、全国に広まっていったという(なお該当の試合については日時、場所、対戦相手、勝敗結果について明白な史料はなく、山下義韶の回想記(雑誌『キング』1929年(昭和4年)10月号)では明治19年(1886年)2月に講道館四天王西郷四郎(小説「姿三四郎」のモデル)が好地円太郎に山嵐で勝ったという他、明治18年5月、明治19年(1886年)6月、10月説などもあり、西郷四郎の相手も昭島太郎であったという説もある。)。

日本の学校教育においては、1898年旧制中学校の課外授業に柔術が導入された際、柔道も、必修の正課になった。連合国軍最高司令官総司令部により学校で柔道の教授が禁止されて以降、武道は一度禁止されたが、昭和25年(1950年)に文部省新制中学校の選択科目に柔道が採用された。次いで昭和28年(1958年)の学習指導要領で、相撲剣道、柔道などの武道が「格技」という名称で正課の授業とされた。平成元年(1989年)の新学習指導要領で格技から武道に名称が戻され、殆どの学校が柔道場を有する。

現在では、講道館や道場での活動や、警察署における活動、警察署における青少年の健全育成のための小中学生を対象にした柔剣道教室の開催、中学高校体育武道授業、学校や社会人の運動部での活動、等が行われている。

剣道や空手道と並び、日本で最も広く行われている武道の一つ。

[編集] 国際的な競技としての普及と柔道の変質および発展

国際的競技としての柔道においても礼節は重んじられている

柔道の試合競技は1964年東京オリンピックで、正式競技となる。女子種目も、1988年ソウルオリンピックで公開競技、1992年バルセロナオリンピックでは正式種目に採用された。

現在は、世界中に普及し、国際柔道連盟の加盟国・地域も199カ国ある(2007年9月現在)。日本以外では、欧州、ロシア、ブラジルで人気が高く、特にフランスの登録競技人口は50万人を突破し、全日本柔道連盟への登録競技人口20万人を大きく上回っている。

こうして柔道の国際化が進む中、外国選手を中心とした技術の変化も見られるようになった。これは、海外の柔道競技者の多くが柔道と同時に各国の格闘技や民族武術に取り組んでおり、その技術を柔道に取り込んでいるからである。技術が柔道に取り込まれている民族武術・格闘技としては、フリースタイルレスリング、グレコローマンレスリング、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン、クラシュ、コウラシュ、ブフサンボブラジリアン柔術などがある。

上記のような変化に対して、「柔道」ではなく、競技としての「JUDO」になりつつあるのではないかと考えている日本人は少なくなく、 また、海外の柔道の試合は今でもポイントを狙う試合展開をすると誤解されていることが多いが、外国選手はむしろ大技中心の柔道であることが多く、国際試合の一本勝ちの集計からもその事実は明らかにされており、IJFルールも、「効果」を廃止したり足取りばかりを繰り返す試合展開を規制するなどにより、迫力のあるスピーディーな決着を促す方向で改正されている。

なお、上記の登録人口に関して、単純に柔道人口と混同している場合が多いが、誤りである。これは柔道の役員、審判員、指導者、選手として公的な活動に参加するために行われる制度で全日本柔道連盟の財政的基盤でもある。日本国内では、学校体育の授業として経験した人、学生時代に選手まで経験したが現在は全く柔道着どころか試合観戦程度という人、子供と一緒に道場で汗を流しているが、段がほしいわけでも試合をするわけでもない人など、未組織の人たちがたくさんいる。講道館でも、地方在住者は初段になった段階で入門するのが通例だから、門人、有段者ではあるが、毎年、登録しているとは限らない。したがって柔道人口、登録人口、競技人口は意味合いが違うので注意する必要がある。

[編集] 技術体系

講道館柔道の技は「投技」「固技」「当身技(あてみわざ)」の3種類に分類される。
投技の過程を崩し、作り、掛け、の三段階に分けて概念化したことが特徴である。

またこれと平行して、一般的には、立技寝技にも分類するが、寝技は審判規定において使われる寝姿勢における攻防のことであり、固技と同義ではない。絞技と関節技は立ち姿勢でも施すことが可能である。

練習形態は乱取りがあり、形と乱取りは車輪の両輪として練習されるべく制定されたが、講道館柔道においては乱取りによる稽古を創始当時から重視する。嘉納師範により、当身技は危険として乱取り・試合では「投げ」「固め」のみとした。そしてスポーツとしての柔道は安全性を獲得し、広く普及していく事となった。

試合で用いることができるのは、投げ技と固め技であり、講道館では96本としている。しかし、実際のポイントになる技は92本である。(当て身技は形として練習される。)競技としては投技を重視する傾向が強く、寝技が軽視されてきたきらいがある。しかし、寝技を重視した上位選手や指導者らによって寝技への取り組みは強化されるようになった。またIJFルールの改正によって寝技の攻防時間が短縮し決着の早期化が計られたことと、主に外国選手による捨て身技や返し技と一体化した寝技の技法の普及によって、寝技の重要性は一層増している。

[編集] 投技

投技とは理合いにしたがって相手を仰向けに投げる技術である。立って投げる立ち技と体を捨てて投げる捨身技にわけられる。立ち技は主に使用する部位によって手技、腰技、足技に分かれる。捨身技は倒れ方によって真捨身技、横捨身技に分かれる。また、関節を極めながら投げると反則ではないが投技とはみなされない。詳しくは投技を参照。

[編集] 固技

固技(かためわざ)には関節技絞技抑込技がある。

主に寝技で用いることが多いが、立ち姿勢や膝を突いた姿勢でも用いられ、固技のすべてが寝技の範疇に入るわけではない。(寝技と固技は互いに重なり合う部分が大きいとは言える。)

固技のうち関節技は、肘以外はあまり採用されず、乱取や試合では肘以外に関節技をほどこすことは反則とされている。立技での関節技もほとんど行われていない。抑込技は、寝技の場面での攻防を続けるために、うつ伏せでなく、仰向けに抑えるのが特徴である。絞技は、天神真楊流から多様な方法が伝わっており、柔道を首を絞めることを許すという珍しいルールを持った競技にしている。

創立当初、寝技はあまり重視されておらず、草創期に他流柔術家たちの寝技への対処に苦しめられた歴史がある。

分類

講道館柔道の固技は全部で29本あり、抑込技(おさえこみわざ)7本、絞技(しめわざ)12本、関節技(かんせつわざ)10本である。IJFルールでは一部異なるものがある。

抑込技(7本)

相手の体を仰向けにし、相手の束縛を受けず、一定時間抑える技。

  • 肩固(かたがため)
  • 袈裟固(けさがため)
  • 崩袈裟固(くずれけさがため)
  • 崩上四方固(くずれかみしほうかため)
  • 上四方固(かみしほうかため)
  • 縦四方固(たてしほうかため)
  • 横四方固(よこしほうかため)

絞技(12本)

頸部すなわち頚動脈気管を、腕あるいは柔道着の襟で絞めて苦痛を与える技(胴絞は足でどうを絞める技で、乱取りでは禁止技である)。指や拳、帯、柔道着の裾、直接足などで絞めることは禁止されている。

  • 逆十字絞(ぎゃくじゅうじじめ)
  • 裸絞(はだかじめ)
  • 片羽絞(かたはじめ)
  • 片十字絞(かたじゅうじじめ)
  • 片手絞(かたてじめ)
  • 並十字絞(なみじゅうじじめ)
  • 送襟絞(おくりえりじめ)
  • 両手絞(りょうてじめ)
  • 袖車絞(そでぐるまじめ)
  • 突込絞(つっこみじめ)
  • 三角絞(さんかくじめ)
  • 胴絞(どうじめ)※現在のルールでは反則である。

関節技(10本)

関節を可動域以上に曲げたり伸ばしたりして苦痛を与える技。乱取りでは肘関節のみが許されている。

  • 腕挫脚固(うでひしぎあしがため)
  • 腕挫腹固(うでひしぎはらがため)
  • 腕挫膝固(うでひしぎひざがため)
  • 腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)
  • 腕挫三角固(うでひしぎさんかくがため)
  • 腕挫手固(うでひしぎてがため)
  • 腕挫腋固(うでひしぎわきがため)
  • 腕挫腕固(うでひしぎうでがため)
  • 腕緘(うでがらみ)
  • 足緘(あしがらみ)※現在のルールでは反則である。

上記以外の技

  • 後袈裟固(うしろけさがため)IJFルールの技名。
  • 浮固(うきがため)IJFルールの技名。ただし、明治時代の技とは異なる。
  • 枕袈裟固 俗称。(崩袈裟固に含める。)
  • 小手挫(小手捻) 明治時代に存在し、削除されたが、講道館護身術に再採用された。
  • 小手返 講道館護身術にある。
  • 首挫 削除されたが、明治時代には存在した。
  • 逆指 削除されたが、明治時代には存在した。
  • 足挫 削除されたが、明治時代には存在した。
  • 足詰 削除されたが、明治時代には存在した。

[編集] 当身技(あてみわざ)

当身技とは、急所といわれる相手の生理的な弱点などを突く打つ蹴るなどの技であり、試合や乱取りでは禁止されているが、の中で用いられる。

起源

当身を重視した天神真楊流から、急所や活法が伝えられている。起倒流にも当身(中)の要訣の伝承があるが、講道館にどこまで伝えられたかは不明である。

用いる部位

手刀、指頭、正拳、裏拳、渦巻(豊隆部)、掌底、肘、膝、セキ頭部、踵、足刀。

急所

天倒、霞、鳥兎、獨鈷、人中、三日月、松風、村雨、秘中、タン中、水月、雁下、明星、月影、電光、稲妻、臍下丹田、釣鐘(金的)、肘詰、伏兎、向骨。

精力善用国民体育の形に単独練習法がある。

当身技は形の中で教授されるが、現在では昇級・昇段審査においても行われる事が稀である為、柔道修行者でもその存在を知らない事も多く、また指導者も少ないのが現実である。

[編集] 段級位制

柔道では、段級位制を採用している。これは、数字の大きい級位から始まり、上達につれて数字の小さな級位となり、初段の上はまた数字の大きな段位になってゆくものである。

段位制は囲碁将棋において古くから行われていたが、それを最初に武道に導入したのは、嘉納治五郎の講道館柔道である。その後、大日本武徳会が、警視庁で導入されていた級位制を段位制と組み合わせて段級位制とし、柔道・剣道弓道に導入した。

初段が黒帯というのは広く知られており、クロオビは英語圏でも通用する単語となっている。元々、柔道のは洗濯しないのが基本であり、稽古の年月を重ねるうちに黒くなっていく事から、黒帯が強さの象徴となったのであり、茶帯が白から黒に至る中途に設定されているのはこの残存形式であるとも言われる。

昇級・昇段のためには全国の各団体が講道館の認可を受けて行う昇級試験・昇段試験を受験する必要がある。級においては試験は受験者同士の試合形式で行われ、結果が優秀であった場合は飛び級も認められる。初段以上では、試験は試合・柔道形の演武・筆記試験の3点の総合成績で判定を行うのが基本であるが、実施母体により異なる場合もある。(注下記)初段の試験に合格した時点で正式に講道館への入門を認められ、会員証が発行されると共に黒帯の着用が認められる。

成年部(原則13歳以上)の場合の帯と段級位の関係は以下のようになっている(四級以下については、道場によって違いもある)。

※六段以上は黒帯でも構わない。

少年部(原則13歳未満)の場合の帯と級位の関係は以下のようになっている。

  • 初心者:白帯
  • 五級:黄帯
  • 四級:橙帯
  • 三級:緑帯
  • 二級:紫帯
  • 一級:茶帯

※女子部は国内ルールでは1/5幅の白線入りだが、国際ルールでは男女とも同じものを用いる。

女子用帯

※国内の大会では、国際ルールを用いる試合であっても、女子は講道館の段位であるとして白線入り帯を締める事になっている。

一般に最高段位は十段と思われがちだが、柔道の創始者である嘉納治五郎も『柔道概要』の中で「初段より昇段して十段に至り、なお進ましむるに足る実力ある者は十一段十二段と進ましむること際限あるなし」と述べている通り実際には上限は決められておらず、それ以上の昇段も可能になっている(ただし前例はない)。 また、段位は柔道の「強さ」のみで決まるものではなく、それぞれの段位に進む為の修業年限が規定されている。その為、オリンピック二連覇の谷亮子選手でも、段位は四段である。

なお、2006年現在までの講道館十段所有者は、山下義韶、磯貝一、永岡秀一、三船久蔵、飯塚国三郎、佐村嘉一郎、田畑昇太郎、岡野好太郎、正力松太郎、中野正三、栗原民雄、小谷澄之醍醐敏郎安部一郎大沢慶己(昇段年順)の15人のみとなっている。また国際柔道連盟での十段所有者は、アントン・ヘーシンクオランダ)とチャールズ・パーマー(イギリス)の2人となっている。

女子の場合はこれまで十段を許された例が無く、最高段位は九段の福田敬子ただ1人(2006年1月に昇段[1])で、それに続く八段所有者も二星温子と梅津勝子となっている。


[編集] 柔道競技

[編集] 試合

柔道は乱取りによって技術を修行するように示されている。しかし、乱取り形式の競技は武道柔道の一部であるが、現代ではこれがあたかも全てであるかの様に重きを置かれている。柔道競技はオリンピック競技であり、かつ正式種目となった東京オリンピックから毎回メダルをとっているので、国民の関心も他の競技と比較しても高い。

[編集] 形競技

一方で、形の競技化も始まっている。ヨーロッパでは2005(平成17)年に欧州柔道連盟が第1回欧州柔道「形」選手権大会をロンドン郊外で開催した。さらに東南アジア地区のSEA(South East Asia)Gamesでは、2007年から投の形と柔の形が実施されている。 日本国内では1997年(平成7年)には講道館と全柔連が「全日本柔道形競技大会」を開催したことで、形の競技化が始まった。10回(10年)の国内選手権大会を経てからは、形の国際大会開催の機運が高まり、第1回講道館柔道「形」国際大会が2007年に講道館大道場で開催された。ここでは五の形、古式の形を除く、5種類の形が採用されたが、すべて日本チームが優勝した。2008年11月には、国際柔道連盟が形ワールドカップをパリで開催したが、投の形では優勝を逃している。2009年には世界選手権が予定されている。

[編集] 体重別階級

詳細は「柔道競技 (夏季オリンピック)#実施階級」を参照

柔道は本来無差別で争われるべきという考えに基づいていたため、無差別のほかは段別、年齢別がその区分の中心であった。しかし、東京オリンピック開催を機に、体重による区分を軽量級、中量級、重量級の3階級設けたのが最初である。現在8つの階級に分かれているが、主催者や競技者の年齢によって異なることがある。

男子
60 kg 以下 60〜66 kg 66〜73 kg 73〜81 kg 81〜90 kg 90〜100 kg 100 kg 超 無差別級
女子
48 kg 以下 48〜52 kg 52〜57 kg 57〜63 kg 63〜70 kg 70〜78 kg 78 kg 超 無差別級

無差別級は世界柔道選手権大会にはあるが、オリンピックの種目ではない。また日本で一番格式のある全日本柔道選手権大会は無差別級で行われる。

[編集] 大会

[編集] 国際大会の敗者復活トーナメント戦

また、オリンピック世界柔道選手権大会では、敗者復活トーナメントも行われる。これは予選トーナメントで敗れた選手の中から、ベスト4の選手と直接対決した選手が出場できる。そして復活トーナメントを勝ち上がった選手と準決勝で負けた選手が銅メダルを争うことになる。このため銅メダルが必ず2つ出る。国際オリンピック委員会は他の競技との兼ね合いから1つにするように通達しているが、国際柔道連盟はこれを拒否している。

一方で国内の大会である、全日本柔道選手権大会全日本選抜柔道体重別選手権大会では行われていない。

[編集] 柔道競技のルール

日本において、現在の試合ルールは講道館柔道試合審判規定(以降、講)と国際柔道連盟試合審判規定(以降、国)がある。

[編集] 試合場

試合場内は、9.1m×9.1m(5間)(講1条)、もしくは8m×8mから10m×10m四方(国1条)のの上。(「試合場」は、講14.55m(8間)、国14〜16m四方の場外を含めた場所をいう) 試合は、試合場内で行われ、場外でかけた技は無効となる。場外に出たとは、立ち姿勢で片足でも、捨身では半身以上、寝技では両者の体全部が出た時をいう。ただし、技が継続していている場合はこれにあたらない(講5条、国9条)。

[編集] 試合の技

講道館規定67種類、国際規定66種類の「投技」と29種類(講道館、国際共)の「固技」を使って、相手を制する事を競う。当て身技は使えない。

[編集] 審判員

審判員は主審1名、副審2名の3名が原則であるが、主審1、副審1、もしくは審判員1でも可能である(講17条、国5条は主審1、副審2の構成しか認めていない)。また、審判に抗議する事はできない(講16条)。

[編集] 試合

試合は立ち姿勢から始まる(講10条)。一本勝負であり(講9条)、「一本」の場合残り時間にかかわらずその時点で試合は終了する。2度の「技あり、「技あり」と相手の反則「警告」(講)(3度の「指導」(国))を合わせた「総合勝ち」の場合も「一本」と同等に扱う。

試合時間内に両者とも「一本」に至らない場合には、それまでの技の優劣の差で「優勢勝ち」を決する。この優劣の差には「指導」による得点も加味される。規定時間終了時に両者の技に優劣の差がない場合には、ゴールデンスコア方式として、試合を延長し一方が有効な技を決めるか相手に宣告された反則(指導2回以上)による得点が入った時点で試合終了となる(ただし講、国ともに、ゴールデンスコア方式で行うとは明記されていない)。それでもなお時間切れになった場合は主審および副審の「判定により「優勢勝ち」が告げられる。大会の規定によっては引き分けとする場合もある。

[編集] 試合時間

3分から20分の間で予め定められる(講12)。国際規定では、シニア5分、ジュニア4分と決められている。「待て」から「始め」、「そのまま」から「よし」までの時間はこれに含まれない(講12条、国11条)。また、試合終了の合図と共にかけられた技は有効とし、「抑え込み」の宣告があれば、それが終了するまで時間を延長する(講14条、国14条)。規定時間終了時に両者の技に優劣の差がない場合には、試合を同じ時間延長する(ゴールデンスコア方式)。

[編集] 技の判定

有効な技は、「一本」、「技あり」、「有効」の3つの判定で評価される。以前の国際規定では判定の種類に「効果」があったが、ルール改定により2009年1月1日から正式に廃止された。講道館規定ではもともと「効果」の判定はなかった。判定の優劣は「一本」に準ずる技の判定が「技あり」、「技あり」に準ずる技の判定が「有効」である。また、「技あり」2つで「一本」となるが、「有効」は何回とっても上位の「技あり」に及ばない。

[編集] 投技

一本:相手を制しながら、「背を大きく畳につくように」相当な「強さ」と「速さ」をもって投げた場合
技あり:相手を制しながら投げ、「一本」の要件「背を大きく畳につく」「強さ」「速さ」のどれか一つが部分的に欠けた場合
有効:相手を制しながら投げ、「一本」の要件「背を大きく畳につく」「強さ」「速さ」のどれか二つが部分的に欠けた場合
  • 改正前の国際規定では、相手を制しながら、相手の片方の肩、尻、大腿部が畳につくように、「強さ」「速さ」をもって投げた場合を「効果」としていたが、改正後は得点とならない。

[編集] 固技

固技の勝ち方には次の3つがある(講37条、38条、39条)。(注:固技は抑込技、絞技、関節技の総称である)

1つ目は、抑込技で、国際審判規定では相手の背、両肩または片方の肩を畳につくように制し、相手の脚によって自分の身体、脚が挟まれていない場合で、25秒経過すると「一本」になる(講道館規定では30秒)。同様に一定時間の抑込で以下のように技が判定される。

一本:25秒間(講:30秒間)抑え込んだ場合。
技あり:20秒以上25秒未満(講:25秒以上30秒未満)、抑え込んだ場合。
有効:15秒以上20秒未満(講:20秒以上25秒未満)、抑え込んだ場合。
  • 改正前の国際規定では10秒以上15秒未満抑え込んだ場合「効果」と判定されていたが、改正後は15秒未満の抑えこみは得点とならない。

2つ目は、固め技で、相手が「参った」と発声するか、その合図(相手の体もしくは畳を審判に分かるように2〜3回叩く)をすれば「一本」勝ちになる。

3つ目は、絞技と関節技で、技の効果が十分に現れた時である。

  • 3つ目の条件には、脱臼、骨折、「落ちる」等がこれにあたる。
  • 大会参加選手の程度によって、関節技や絞め技が完全に極まっていれば、安全の為、選手が「参った」をしなくても「一本」になる事がある。これを「見込み一本」という。これを採用するかどうかはその大会の前に決められる。
  • 中学生以下は安全のため関節技・三角絞め禁止(講・少年規定による)。
  • 小学生以下は安全のため絞め技・関節技禁止(同上)。

[編集] 禁止事項に対する罰則

禁止事項に抵触する行為に対しては、審判から「指導」が与えられる。重大な違反行為に対しては「反則負け」が宣告される場合もある。「指導」に対しては回数(国)または違反行為の重さ(講)に応じて、相手側に得点が与えられる。

「1回目の指導」(国)または「指導」(講)では、得点は与えられない。
2回目の指導」(国)または「注意」(講)では、相手側に「有効」の得点が与えられる。
3回目の指導」(国)または「警告」(講)では、相手側に「技あり」の得点が与えられる。
4回目の指導」(国)または「反則負け」(講)では、相手側に「一本」の得点が与えられる。
  • 改正前の国際規定では、「1回目の指導」に対して「効果」の得点が与えられていた。

[編集] 得点表示

得点表示の例(青(赤)が一本、白が技あり1回、有効1回の場合)

青 (B) /赤 (R) 1 0 0
I W Y
白 (W) 1 1

試合場やテレビ中継での得点表示は、有効な技の回数が、左から、一本 (I)、技あり (W)、有効 (Y) の順に表示される。上下に列記される場合もある。

上記の例の場合、一見100点満点のようにも見えるが、希な例として有効の回数が2桁になる場合がありうるので、これを「100点」「11点」とは読まない。

[編集] 競技・規定の変遷

  • 1900年(明治33年) - 講道館柔道乱捕試合審判規定。
  • 1924年(大正13年) - 引き込みを禁止。
  • 1929年(昭和4年) - 御大礼記念天覧武道大会柔道乱捕試合規定、審判員三人、姿勢・態度・技術等の基準による「優勢勝ち」制定。
  • 1951年(昭和26年) - 講道館柔道試合審判規定制定。
  • 1955年(昭和30年) - 講道館柔道試合審判規定改正、「技あり」後の「抑え込み」25秒で合わせ技一本等。
  • 1961年(昭和36年) - IJF体重別制。4階級。
  • 1967年(昭和42年) - IJF試合審判規定が制定・IJF体重6階級。
  • 1976年(昭和51年) - オリンピックモントリオール大会柔道競技にて「効果」を採用。
  • 1977年(昭和52年) - IJF体重別制、8階級制。
  • 1982年(昭和57年) - 講道館試合審判規定・少年規定。
  • 1986年(昭和61年) - 第一回視覚障害者柔道大会開催(講道館)
  • 1995年(平成7年) - IJF技名称発表(100本)
  • 1997年(平成9年) - IJF総会でカラー柔道衣導入可決。
  • 1997年(平成9年) - 講道館技名称発表(96本)
  • 1998年(平成10年) - IJF技名称発表(99本)
  • 1998年(平成10年) - 全国高校総体個人戦は体重別7階級になる。(於:高松)個人戦は予選リーグを廃止しトーナメントのみ。
  • 1998年(平成10年) - 全国中学校大会の女子団体戦(3人制)始まる。
  • 1998年(平成10年) - 全日本女子柔道ジュニア選手権大会始まる。(講道館)
  • 1998年(平成10年) - IJF公式大会として初めてブルー柔道着採用される。ワールドカップ(ミンスク)
  • 1999年(平成11年) - 全日本学生柔道体重別団体選手権大会開催。初の体重別団体戦開始。
  • 2000年(平成12年) - 福岡国際女子柔道選手権大会で全柔連初の審判ビデオ試行。
  • 2003年(平成15年) - 世界選手権大会の女子のシニア試合時間を5分に。
  • 2008年(平成20年) - 「効果」を廃止。(2009年1月実施)

[編集] 公認審判員規程

柔道の公式試合は国内、IJFともに認定を受けた審判員が試合を司ることになっている。審判員は公認審判員規程によって資格が管理されている。国内の審判員はS,A,B,Cに分けられ、各審判員は研修会に参加して資格を維持している。国際はインターナショナル、コンチネンタルの2種類がある。

外部リンク

[編集] 柔道の派閥や派生してできた武道、格闘技

東海大学天理大学日本体育大学等をオピニオンリーダーとする全日本学生柔道連盟(学柔連)と講道館(東京教育大学(現筑波大学)等)の対立は政界をも巻き込み、1983年あたりから長く続いた。完全統一がなったのはニュージャパン柔道協会が講道館大阪支部となった1995年といわれている。学士インテリ対町道場主&骨接ぎとも揶揄された。学柔連側には山下泰裕ら主力選手が多くいたので無視できないものであった。国際柔道連盟もすぐに合流したものの当初は講道館全日本柔道連盟は不参加で欧州で設立された。

講道館が認めるものとは異なるルール(主に寝技)で競技を行う高専柔道がある。また、柔道から派生した武道として、前田光世から受け継がれたブラジリアン柔術の各派や日本拳法がある。日本拳法は、柔道家の澤山宗海が柔道では廃れてゆく当身技の練習体系を確立する為に創始した。他には柔道経験者である東孝が作った空道も投げや寝技の中に柔道の影響が強く見られる。

[編集] 柔道と空手道の道衣

柔道は当初柔術の稽古衣を着て稽古していたが、袖と裾の長い現在の柔道衣を作成し稽古するようになった。1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、船越義珍講道館で演武、指導した時に義珍が着用していたのが柔道衣である。動作も稽古内容も柔道とは違う為、柔道衣に徐々に改良がなされ、空手道に今のような空手道衣が誕生した。このように一般には別々と思われている柔道と空手道ではあるが、道衣において共通点が存在しているのである(詳細は空手道#空手衣)。

[編集] ブラジルでの異種格闘技戦

1951年国際柔道協会(プロ柔道)木村政彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれた。この時、グレイシー柔術異種格闘技戦を行っている。

9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロ市エリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンドのポイント制無し柔術デスマッチルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦し8分目で加藤が絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。 10月23日に木村政彦とエリオ・グレイシーが対戦。木村が2R開始3分目で腕を腕緘に取りエリオは意識がなくなっていた為、兄のカルロスがストップを申し出し木村の勝利に終わった。

[編集] 死亡事故

一般的に柔道の投げの基本は背中から落とすものばかりで安全と思われているが、技によっては相手が素人ならば、ある程度熟練しているだけで、類稀な天才でなくとも頭から落とすことは容易に可能である。背中に落としても、受身を取れない素人を投げると後頭部をぶつけ死ぬという事故がよく起こる。特に大外刈りは基本技だが、技の性格上、受身を取らないと、もろに頭を打つため、畳の上でも死亡事故がよく発生している。この技を受身の取れない人間に使っては絶対ならない。

[編集] 脚注

  1. ^ JOCウェブサイトより。ただし、講道館、全柔連のウェブサイトには記載がない。
  2. ^ 菊池智之「松平定信の武芸思想に関する一考察-新甲乙流への道程-」『武道学研究』第23巻第3号、1991年3月、pp.10-23

[編集] 参考文献

  1. 小俣幸嗣、尾形敬史、松井勲著、竹内善徳監修『詳解 柔道のルールと審判法』大修館書店 ISBN 4-469-26423-7

[編集] 関連項目

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[編集] 柔道家・技・用語

[編集] 柔道を扱った作品

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最終更新 2009年9月3日 (木) 10:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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