桂歌丸
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| かつら うたまる 桂 歌丸 |
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| 本名 | 椎名 巌(しいな いわお) |
|---|---|
| 別名 | 歌さん |
| 生年月日 | 1936年8月14日(73歳) |
| 出生地 | (現:神奈川県横浜市南区真金町) |
| 血液型 | A型 |
| 職業 | 落語家 |
| 活動期間 | 1951年 ~ 現在 |
| 活動内容 | 落語家(落語芸術協会会長) |
| 配偶者 | 妻:椎名冨士子 |
| 受賞 | |
| 旭日小綬章 | |
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年8月14日 - )は、日本の落語家。位階勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌(しいな いわお)。神奈川県横浜市中区真金町(現:神奈川県横浜市南区真金町)の出身・在住(最寄駅は横浜市営地下鉄ブルーライン阪東橋駅)。社団法人落語芸術協会会長。横浜橋通商店街名誉顧問。血液型はA。出囃子は『大漁節』。定紋は『丸に横木瓜』。当初は新作落語中心だったが、現在は、廃れてしまった落語の演目の発掘や、三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置き、活動をしている。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在は同番組の5代目司会者を務める。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 落語家までの道
- 生家は置屋「富士楼」であり、間近で芸者達を見て育ったためか、女の化粧風景を描写した「化粧術」の珍芸を持つ。
- 『浜っ子』であることを誇りにしており、そのためか、古典落語独特の江戸ことばは多用しない。美しい日本語で語ることをモットーとしている。
- 戦時中、母方の実家である千葉に疎開している最中に横浜の空襲で生家も焼失したが、戦後すぐに祖母はバラックを建て「富士楼」の経営を再開。貧しい時代にあっても食料に困ることもなく、当時高価だったラジオも持っていた。このラジオでよく聴いていた落語を、祖母や芸者の前で披露すると喜んでもらえることが落語家になるきっかけとなっている[1]。なお、本人によると小学校4年生の頃には将来落語家になるとすでに決めていたという。
- 中学生となり、女郎屋の慰労会の席で当時二つ目だった春風亭柳昇の落語を聴いて落語家になる決意を完全に固めた。そして、NHKの出版部にいた遠縁の親戚を通じて誰に弟子入りしたらよいかを相談し、「一番面倒見の良い人だから」ということで5代目古今亭今輔を薦められ入門することになる。ちなみに本人は「噺家になれさえすれば師匠は誰でも良かった」とのこと。
- プレイボーイであったと言われるが、これは都市伝説で、歌丸本人によれば楽太郎の流した噂ではないかという[2]。
[編集] 落語家として
- 中学3年だった1951年に今輔の元に入門。兄弟子で、後の師匠である米丸の初名であった「古今亭今児」を名乗る。その際、師匠・今輔から言われたことは「芝居を見ろ」。今輔によると歌舞伎を見る事は落語に活きるからだと言い、実際自ら演じる際はそのエピソードをマクラとして登場させている。
- 今輔門下から兄弟子・4代目桂米丸門下へ移籍したのは、当時芸術協会で勃発した香盤(序列)問題や、今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発している(ただし、今輔は「新作落語といっても土台は古典だから古典落語もしっかりやりなさい」と今児に話しており、実際に今輔から古典落語もいくつか教わっている)。この一件で今児は破門状態となり、一時ポーラ化粧品本舗のセールスマンへ転職するが、三遊亭扇馬(現:3代目橘ノ圓)の肝いりで落語界に復帰。しかし、師匠・今輔が付けた条件により兄弟子・米丸門下となった(米丸も『浜っ子』である)。一部の記事では、1961年に「今輔死去に伴い兄弟子米丸門下に移籍」との標記があるが、これは誤り(米丸門下に移籍したこと自体は1961年のことだが、先述のように今輔一門からの事実上の破門状態になったことによるもので、今輔死去は1976年である。現に、1968年に行われた笑点での歌丸の真打昇進披露口上では、今輔と米丸がそろって登場している)。
- 米丸に師事して古今亭今児から桂米坊に改名したが、もう「坊」という歳でもなかろうということで、1964年1月に現在の歌丸に再改名する。どちらも名付け親は米丸であり、また名前の由来は本人にも明らかにされていない。したがって歌丸は当代が初代であり、名跡ではない。
- 米丸一門の総領弟子ではあるが、芸風の違い(歌丸は今輔調といわれる)や米丸が新作一筋だったことから、米丸からは一つも噺を教わることはなかった(元は、米丸の弟弟子であり、米丸門下になった時点で二ツ目まで昇進していたこともあり、あえて米丸が稽古を付け直す必要性がなかったこともある)。ただし、米丸に師事して間もなく放送番組のレギュラーを数本持っていた米丸に米坊はかばん持ちとして付き、放送局に出入りするようになる。なお、米丸一門に移籍した後しばらくは新作落語中心に演じていた。
- 1974年1月より自宅に近い三吉演芸場がリニューアルオープンしたのを機にここで独演会を行うようになるが、「毎回新作を作っていくのではとても持たない」ということで古典落語中心に演じるようになる。また、演者の少ない演目の発掘もこれをきっかけに始めることとなる。なお、独演会開始から満30年を迎えた2004年からは歌丸がトリを取っての一門会のスタイルに変わり、現在に至っている。
- 著書の中で、1978年に起きた落語協会分裂騒動の際、新しくできた落語三遊協会に5代目三遊亭圓楽を通じて参加を要請されたことを明らかにしている。歌丸自身は上記の経緯で米丸一門に移籍したことを説明し、「米丸一門を飛び出すことはできない」として断っている。
- 1994年、TBS落語研究会のプロデューサーが6代目三遊亭圓生演ずる「栗橋宿」のビデオを持ってきて「やってごらんなさい」と言われたことがきっかけで、以後三遊亭圓朝作の古典落語を演ずるようになる。
- 出囃子の『大漁節』は趣味の釣りに由来する。ただし、「こだわっているので詳しく演じようとしてかえって噺がくどくなってしまい、釣りを知らない人には皆目面白くないものになってしまう」という理由で、釣りを扱った落語は演じたことがないという。
[編集] 頭髪に関するエピソード
- 30代から現在に至るまで容姿がほとんど変わっていない。30代前半頃には、既に現在の頭髪に近い状態になっていた。なお、30代で逝去した自身の父はもっと薄かったと懐述している[3]。
- その頭髪の状態のためか、実年齢よりも老けて見られることがあり、噺家として信用を置いて見られることがあったため、頭髪が薄いことで得なキャラクターとなったと語っている。
- 本人によると、育毛剤を使って頭髪を再生しようとしたことはないらしい。
[編集] 妻に関するエピソード
- 妻の名前は冨士子。大喜利でもしばしば恐妻として登場し、定番の笑いのネタとなっている。
- 高座でも時折『女房殺害』ネタをしており、2006年の新春寄席では『後生鰻』という噺の結末「子供が川に放り込まれる」を、「鰻屋の女房(しかも冨士子という名前)が川に放り込まれる」結末に変えていた。
- ただし実際の夫人は私生活においても、健康面などで苦労の絶えなかった歌丸を支え続けてきた糟糠の妻であり、ほとんど世間に出ることはない。
- 笑点への登場も、1989年に座布団10枚の商品となった、クィーンエリザベスⅡの夕べ(当時横浜博覧会のホテルシップとして横浜港に来航していた)でクルージングした時だけ。この時も後姿のみで顔は一切出さなかった。
- 冨士子夫人も、歌丸と同じく横浜真金町の出身であり、歌丸の生家の近くに在住していた。このため、師匠・5代目今輔から勧められた見合いを断って、かねてから顔見知りであった冨士子夫人と結婚したと後に語っている。
- 2007年11月23日に行われた歌丸の旭日小綬章と金婚式を祝う会では公の場に夫婦揃って登場した[4]。
- 冨士子夫人との結婚は21歳の時。娘も20歳で結婚したため、42歳で孫が生まれた。これは芸能界では「最年少おじいちゃん」記録であると当時いわれていた。
[編集] 笑点メンバーとして
前身番組の「金曜夜席」時代から番組に出演。「笑点」になった後も、降板していた1969年4月6日~11月2日および腰部脊柱管狭窄症の手術・療養のため休んだ2008年6月29日・7月6日を除き、出演を続けている(なお、笑点オフィシャル本では、自己都合での休演は2008年の腰の手術の際の2回分のみとしている)。「金曜夜席」からの出演者の中で、現在まで出演を続けているのは歌丸だけである(こん平は一時降板中)。
番組開始当初はけんかっ早いがらっ八役、他のメンバーや初代司会者7代目立川談志にまでけんかを売るキャラクターだった。それに必ず応戦するのが若旦那役の4代目三遊亭小圓遊で、大喜利における罵倒合戦のそもそものルーツがこれである。後年になると、世論を風刺した答えを織り込むことが多くなる。理由は定吉役の6代目三遊亭圓窓が卒業後、風刺の効いた答えを言う人がいなくなった(後任の三笑亭夢之助が毒舌キャラの「お調子者の一八」役)ためとしている。小圓遊亡き後は、両隣(現在の昇太の位置)、特に三遊亭楽太郎との罵倒合戦を繰り返している。
カラフル色紋付の登場後は「穏やかな緑色が好きだから」という理由で、一貫して黄緑色の色紋付を着用した(司会就任後も1年余り着用)。ライバル・小圓遊の水色の色紋付も、歌丸が黄緑色を着用したことを意識したからとも言われる。
1973年(脱腸)と2001年(急性腹膜炎)に2度開腹手術を受けているが、いずれも番組に穴を開けることはなかった。1973年の手術直後の神奈川県伊勢原市での公開録画には、体調が優れない中で看護婦同行の上で収録をこなした(この伊勢原での公録の模様を放送した「笑点」は40.5%の歴代最高視聴率をマーク)。2001年の時は手術直後の収録で、積み上げた座布団への昇降が困難だということで、歌丸は座布団の後ろに座ってその前に座布団を積み上げるという方式を取って臨んでいる。2006年に腰部脊柱管狭窄症の手術を行った際は、収録がない時期に手術を行った。
番組以外でも罵倒合戦が続いていて、歌丸が2009年に退院(「肺気腫に伴う感染憎悪」のため入院。この際は番組収録を行っていなかった期間であったため、休演はなかった)したときには記者会見で楽太郎が乱入して歌丸に向かって合掌(仏様扱い)や「次の入院のご予定は?」と言われた[5]。
番組内でのキャラクターについては「大喜利 (笑点)#桂歌丸(笑点5代目司会者)」を参照
[編集] 海外公演に積極的に参加
海外での活動は、過去にカナダ・トロントでの公演などが行われている。2006年3月10日には、パリで海外公演を開催、日本語(フランス語の字幕付き)で「尻餅」を演じ、11月2日には、ニューヨークで海外公演を開催し、同じく日本語(英語の字幕付き)で「尻餅」を熱演。2007年5月にはメキシコ公演(三遊亭楽太郎との二人会)、11月にはインド公演を行った。2009年11月にはベトナムで公演を行う。
[編集] 趣味
多趣味で知られ渓流やワカサギ釣りが趣味。また、近年問題になっているブラックバスなどの外来魚放流問題に対しては怒りをあらわにしている。他にも収集癖がありジッポや化石コレクターでもある。海外公演があると古物店巡りをする。
[編集] 経歴
- 1951年11月 - 5代目古今亭今輔に入門。兄弟子4代目桂米丸の前名・古今亭今児を名乗る。
- 1954年11月 - 二つ目昇進。
- 1961年 - 兄弟子米丸門下に移籍。桂米坊に改名。
- 1964年 - 桂歌丸に改名。
- 1965年3月 - 日本テレビ『金曜夜席』の大喜利メンバーとして出演(~1966年4月)。
- 1966年5月 - 日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーとして出演(1969年4月から11月までを除く)。
- 1968年3月 - 真打昇進。
- 1974年1月 - 横浜・三吉演芸場での独演会を開始。この頃から演目を古典落語にシフトする。
- 1979年8月 - 4代目三遊亭小圓遊と共に社団法人落語芸術協会理事就任。
- 1989年 - 横浜市政100周年にて市民功労賞、同年芸術祭賞受賞。
- 1991年 - 横浜文化賞受賞。
- 1996年 - 神奈川文化賞受賞。
- 1999年9月 - 5代目春風亭柳昇の後任で落語芸術協会副会長就任。
- 2004年2月 - 10代目桂文治の後任で落語芸術協会5代目会長就任。
- 2006年5月 - 5代目三遊亭圓楽の降板に伴い、『笑点』の5代目司会者就任。また、初の自伝「極上歌丸ばなし」をリリース。
- 2007年4月 - 旭日小綬章受章。
[編集] 声優
- 落語天女おゆい(桂歌丸本人役。なお、妻・冨士子の声は講談師・神田紅が担当)
- がんばれゴエモン〜東海道中 大江戸天狗り返しの巻〜(講談風ナレーション)
[編集] テレビ出演
[編集] その他・単発出演
- アップダウンクイズ(MBS - TBS系列、1982年12月26日)~年忘れ落語家特集
- レディス4(テレビ東京)系列、2007年10月29日
- 爆笑オンエアバトルタカアンドトシの正月か!(NHK) VTR出演
[編集] 映画やドラマ等
- 爆笑野郎 大事件(1967年)東宝
- 落語野郎 大爆笑(1967年)東宝
- トラック野郎 男一匹桃次郎(1977年)東映 尚、小圓遊も出演している。
- フードファイトスペシャル ~深夜特急死闘編~(2001年9月29日放送)
- 半落ち
- 暴れん坊将軍VIIシリーズで、め組の子頭 卯之吉(三遊亭楽太郎)の父・治助役として出演した。
[編集] CM
- 日清食品「そばぎり」(三遊亭小圓遊と共演。1970年代後半頃)
- 日本盛(三遊亭小圓遊、山村聰と共演。1970年代)
- 日野・レンジャー (1980年代頃)
- ネスレ・ジャパン 「ネスカフェ サンタマルタ オレ」「ネスカフェ 匠」(伊東美咲と共演。ナレーションも兼務。2005年~2006年)
- 野村證券(株券電子化篇、林家木久蔵(現・林家木久扇)・三遊亭楽太郎と共演、2006年8月からは三遊亭好楽が加わった)
- au by KDDI 「簡単ケータイS」 『公園トーク篇』 (宇津井健と共演 2007年3月 - )
- TSUTAYA(TSUTAYA・Tポイントカード)
- 東京都「都民を守る安全対策」として、高齢者被害防止について「振り込め詐欺防止」編(警視庁版)、「悪質商法防止」編(生活文化局版)に出演(歌丸自身は神奈川県民である)。
- サントリー「缶ビール6缶ケース・笑点コラボレートTシャツ「福T」プレゼント」(歌丸司会時の笑点大喜利メンバーである小遊三・好楽・木久蔵(当時・現木久扇)・昇太・楽太郎・たい平・座布団運びの山田隆夫の8人で出演、2007年3月 - )
[編集] 著書
- 「極上歌丸ばなし」(編者:山本進、発行元:うなぎ書房、2006年) ISBN 9784901174213
[編集] 一門弟子
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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