楊虎城
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| 楊虎城 | |
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| 出生 | 1893年11月26日 陝西省 |
| 死去 | 1949年9月6日 |
| 職業 | 軍人 |
| 各種表記 | |
| 簡体字 | 杨虎城 |
| 繁体字 | 楊虎城 |
| ピン音 | Yáng Hǔchéng |
| 和名表記 | よう こじょう |
| 発音転記 | ヤン フーチョン |
楊虎城(よう こじょう)は中華民国の軍人。張学良とともに西安事件を主導した。
[編集] 生涯
中国国民党の第十七路軍を率いていたが、南京国民政府を率いる蒋介石の方針である「安内攘外」に疑問を有し、1935年末に発生した一二・九運動では運動に参加した学生側に理解を示し、反共より抗日を重視する張学良と接近していった。1936年、蒋介石に対して、張学良とともにクーデタを決行(西安事件)し、中国国民党と中国共産党の間の国共内戦を収拾させた。この後楊虎城は一時的に国外へ逃れるが、日中戦争の勃発とともに抗日救国のため帰国した。しかし、家族ともに蒋介石に捕らえられ、強制収容所に収監され、楊虎城の妻は虐待の果てに殺された。楊虎城は生き残った娘らとともに、政治犯収容のためにアメリカと国民党政府が設置した重慶の白公館監獄(白公馆)に収容され、重慶陥落直前の時間の1949年9月6日に娘ともに処刑された。
[編集] その他
2005年、台湾の政治家である連戦(中国国民党)が中華人民共和国を訪問した際、楊虎城の子孫が連戦に書簡を送り、楊虎城のためにも両党の関係改善を進めるべきと訴えている。
[編集] 関連項目
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