武双山正士

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武双山 正士
四股名 武双山
本名 尾曽 武人
愛称 オソ
生年月日 1972年2月14日(37歳)
出身 茨城県水戸市
身長 184cm
体重 178kg
BMI 52.57
所属部屋 武蔵川部屋
得意技 突き、押し、突き落とし、左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 大関
生涯戦歴 554勝377敗122休
幕内戦歴 520勝367敗122休
優勝 幕内優勝1回
幕下優勝2回
殊勲賞5回、敢闘賞4回、技能賞4回
データ
初土俵 1993年1月場所
入幕 1993年9月場所
引退 2004年11月場所
趣味 釣り
備考
金星2個(曙1個、貴乃花1個)
2008年9月8日現在
  

武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は茨城県ひたちなか市)で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は尾曽武人(おそ たけひと)。身長184cm、体重178kg。現在は年寄藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、左四つ、寄り。趣味釣り独身

目次

[編集] 来歴

[編集] アマチュア時代

父親が茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所で、幼少時からその薫陶を受けた。自宅にタイヤを積み重ねた「ぶちかましマシーン」が設置され、二畳分の食事が用意されていたなどの逸話から、相撲版「巨人の星」と呼ばれた。武双山正士の正はその父親の名前(正人)からとった。水戸農業高校3年の時には全国高等学校相撲選手権大会で優勝して高校横綱を獲得し、専修大学3年生の時には全日本相撲選手権大会で優勝してアマチュア横綱を獲得した。

アマチュア時代は「東の尾曽(武双山)、西の山本(土佐ノ海)」と称され、高校時代、大学時代(武双山は専修大学、土佐ノ海は同志社大学)を通じて良きライバルであった。父親と約束していた「角界入りは学生横綱かアマチュア横綱になってから」の条件を達成したので、1993年1月には大学を3年で中退して角界入りした(専修大学からの角界入りは大凰に次ぐ。ただし、専修大学卒業者の初関取片山)。

[編集] 大相撲入門後

アマチュア横綱の実績により、1993年1月場所、幕下付出初土俵。2場所連続7戦全勝で十両に昇進、武双山と名を改めた。最初は武双海と名乗ったが、海という名は自分には似合わないとして武双山と変えたという。武双海の四股名で書いた色紙がごく少数ながら存在するらしく、貴重品であると大相撲中継の解説で話題となったこともある。

その十両も2場所で通過、1993年9月場所には入幕を果たす。このときまだ相撲教習所の生徒であり、相撲教習所の卒業式に出た最初の幕内力士となっている。1994年1月場所は前頭3枚目に昇進し初の上位挑戦だったが、いきなり横綱を下して金星を獲得、そして三賞(殊勲賞)受賞。翌3月場所には小結を通り越して関脇に昇進、初土俵から9場所での関脇は当時の最速記録だった。あまりの昇進の早さに四股名が定着せず、ある日幕内取組で武双山自身物言いがついた時の協議説明の際に、当時の九重審判部長(元横綱北の富士)に「尾曽」の四股名で間違えて呼ばれたこともあった。

廻しの色には、自分のお気に入りの「銀鼠(ぎんねず)」を用いた(NHKの大相撲中継ではいぶし銀またはガンメタリックと言われることもあった)。「平成の怪物」と呼ばれ、当時時代を築きつつあった曙や貴乃花の好敵手として期待された。若乃花には最初2連敗したもののその後8連勝した(最終的な対戦成績は若乃花が上)。1994年9月場所では最後まで大関貴ノ花(当時、のち貴乃花)と優勝を争い、一歩及ばなかったが13勝2敗の準優勝。翌11月場所は早くも大関取りの期待が膨らんだが、場所前左肩の亜脱臼のケガによる稽古不足が影響して、7勝8敗と初の負け越しとなった。小結に下がった1995年1月では初日に新横綱貴乃花を下し、連勝記録を30で止めたが、5日目の貴闘力戦で左肩を脱臼して途中休場に追い込まれた。その後も左肩の脱臼や、足の親指の負傷など怪我が重なった事も有り、6年間大関候補と言われながらも伸び悩んでいた。

[編集] 大関昇進・関脇陥落・再昇進

2000年1月場所では、千秋楽にライバル魁皇を下して13勝2敗、関脇の地位で念願の幕内初優勝。そして翌3月場所でも12勝3敗の好成績を残し、ようやく遅咲きの大関昇進を果たした。しかし新大関の5月場所を腰椎椎間板障害で全休、大関角番でのぞんだ7月場所で4勝11敗と負け越し、大関在位2場所で関脇に陥落の屈辱を味わった。現在の制度で考えうる最短在位である[1]。それでも関脇に陥落した直後の9月場所で、千秋楽に勝利して10勝5敗、大関特例復帰規定に達して1場所で大関に返り咲いた。奇しくも師匠の武蔵川(元横綱・三重ノ海)も大関から関脇陥落後に、1場所で大関復帰を経験している。

大関再昇進後の2001年3月場所には大関魁皇らと優勝を争い、千秋楽に魁皇に敗れたものの12勝3敗の準優勝という好成績を残した。翌5月場所では、14日目に貴乃花を巻き落としで下した。この取組で貴乃花は右膝半月板を負傷し、千秋楽に強行出場して優勝したものの、翌7月場所からの7場所連続休場を余儀なくされたため、この長期休場は武双山が招いたものとも言える。しかし、5月場所以降の武双山は最高でも10勝5敗に終わり、優勝争いに参加することは殆ど無い状態だった。晩年には途中休場や皆勤負け越しも記録して大関を保つのがやっとで、大関角番と角番脱出の繰り返し、という土俵が続いた。素質からは横綱を期待する声もあったが、左肩脱臼を繰り返すケガなども有って果たせなかった。

[編集] 現役引退

2004年10月2日の横綱武蔵丸引退相撲での土俵入りでは、武双山が太刀持ちを務めた(露払い雅山)。それから約1か月後の同年11月16日(11月場所3日目…この場所は初日から3連敗)を最後に、大関の地位で現役を引退。年寄藤島を襲名し、二所ノ関一門に渡っていた藤島の名跡を出羽海一門に引き戻した。2006年5月場所からは病に倒れた同じ一門二十山(元大関北天佑。同年6月23日死去)に替わって審判委員を務めている。

[編集] エピソード

  • プロレスファンとしても有名であり、同い年でプロレスラーの力皇猛とは親友である。
  • ナンシー関とも親交があった。
  • 同じ1972年生まれの大関魁皇とは親友であり、よきライバルでもあった。またその魁皇とは引退した2004年11月場所まで幕内在位場所数が一緒だった(武双山は1993年9月場所新入幕、魁皇は1993年5月場所新入幕で、新入幕の時期は異なるが、魁皇は1993年7月場所と9月場所は十両に陥落していたので結果的に幕内在位数は一緒になった)。
  • 2001年5月場所6日目の琴光喜戦で水入りとなったが、それでも決着がつかなかったため二番後に取り直しとなった。これは1978年3月場所7日目の旭國 - 魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では寄り切りで琴光喜に敗れた。
  • 兄弟子だった元横綱・武蔵丸が2003年11月場所限りで引退を伝えた後、武双山は同部屋の雅山・武雄山と共に泣き崩れたという。
  • タモリ倶楽部の大ファンで、空耳アワーボキャブラ天国に投稿し採用された。弟弟子にも書かせていたらしい。なお、元前頭・敷島小野川親方も空耳アワーに採用されたことがある。
  • 現役時代は、所ジョージとも親交があり、所が司会を務める番組によく出演していた。特に、場所中でない限りは1億人の大質問!?笑ってコラえて!によくゲスト出演していた。
  • 2003年に行われた、第27回日本大相撲トーナメントで優勝した。そのときゲスト解説をしていたみのもんたより化粧廻しが贈呈された。これは、みのが放送中に、「武双山が優勝したら化粧廻しを送る」と公約したものが実行された形である。

[編集] 主な成績

  • 通算成績:554勝377敗122休(72場所) 勝率.595
  • 幕内成績:520勝367敗122休 勝率.586
  • 大関成績:186勝148敗71休 勝率.557
  • 幕内在位:68場所
  • 大関在位:27場所
  • 三役在位:31場所(関脇20場所、小結11場所)
  • 三賞:殊勲賞5回、敢闘賞4回、技能賞4回
  • 金星:2個(曙1個、貴乃花1個)
  • 幕内最高優勝:1回(2000年1月場所)
  • 各段優勝:幕下2回(1993年1月場所・3月場所)

[編集] 幕内での場所別成績

武双山 正士
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1993年
(平成5年)
x x x x 西 前頭 #15
9–6
 
西 前頭 #11
9–6
 
1994年
(平成6年)
西 前頭 #3
10–5
西 関脇
9–6
 
西 関脇
9–6
 
西 関脇
8–7
 
東 関脇
13–2
東 関脇
7–8
 
1995年
(平成7年)
西 小結
4–3–8[2]
 
休場 西 前頭 #4
11–4
西 関脇
10–5
東 関脇
8–7
 
西 関脇
7–8
 
1996年
(平成8年)
西 小結
10–5
 
東 関脇 #2
12–3
東 関脇
10–5
 
西 関脇
7–8
 
東 小結
7–8
 
西 小結
8–7
 
1997年
(平成9年)
東 小結
8–7
 
東 関脇
7–8
 
東 小結
6–9
 
東 前頭 #1
9–6
 
東 小結
0–3–12[2]
 
東 前頭 #6
11–4
1998年
(平成10年)
東 関脇
10–5
西 関脇
9–6
 
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #2
9–6
 
東 小結
8–7
 
東 小結
9–6
 
1999年
(平成11年)
西 関脇 #2
10–5
東 関脇
1–2–12[2]
 
休場 東 前頭 #6
11–4
 
西 小結
8–7
 
東 小結
10–5
 
2000年
(平成12年)
東 関脇 #2
13–2
東 関脇
12–3
休場 西 大関 #2
4–11[3]
 
西 関脇
10–5
 
西 大関 #3
9–6
 
2001年
(平成13年)
西 大関 #3
9–6
 
西 大関
12–3
 
西 大関
9–6
 
西 大関
10–5
 
東 大関 #2
10–5
 
東 大関
9–6
 
2002年
(平成14年)
西 大関
10–5
 
東 大関 #2
10–5
 
東 大関 #2
9–5–1[2]
 
休場 西 大関 #2
8–7
 
西 大関 #2
10–5
 
2003年
(平成15年)
西 大関
8–7
 
東 大関
1–6–8[2]
 
東 大関 #2
8–7[3]
 
東 大関 #2
10–5
 
東 大関 #2
1–5–9[2]
 
西 大関 #2
9–6[3]
 
2004年
(平成16年)
東 大関 #2
5–4–6[2]
 
西 大関 #2
9–6[3]
 
西 大関 #2
6–9
 
東 大関 #2
8–7[3][4]
 
東 大関 #2
2–7–6[2]
 
東 大関
引退
0–4–11[3]
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 改名歴

  • 尾曽 武人(おそ たけひと)1993年1月場所-1993年3月場所
  • 武双山 正士(むそうやま まさし)1993年5月場所-2004年11月場所

[編集] 年寄名跡

  • 藤島 武人(ふじしま たけひと)2004年11月-

[編集] 脚注

  1. ^ 大関在位2場所での大関陥落は五ツ嶋以来史上2人目
  2. ^ 途中休場
  3. ^ 角番(全6回)
  4. ^ 千秋楽不戦敗・休場

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月4日 (水) 03:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【武双山正士】変更履歴

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