武田豊樹
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| 武田豊樹 Toyoki Takeda |
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| 個人情報 | |
| 本名 | 武田 豊樹 たけだ とよき |
| 生年月日 | 1974年1月9日(35歳) |
| 国籍 | |
| 身長 | 177cm |
| 体重 | 85kg |
| チーム情報 | |
| 所属 | 日本競輪選手会茨城支部 |
| 期別 | 88期 |
| 分野 | 競輪 |
| 役割 | 選手 |
| 特徴 | 先行・捲り |
| プロ所属チーム | |
| 2003- | 日本競輪選手会茨城支部 |
| 主要レース勝利 | |
| 日本選手権競輪 2009 オールスター競輪 2009 ふるさとダービー 1回 サマーナイトフェスティバル 2009 S級S班 2009 |
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| 最終更新日 | |
| 2009年9月23日 | |
武田 豊樹(たけだ とよき、1974年1月9日-)は競輪選手。元スピードスケート選手。北海道斜里郡斜里町出身。釧路緑ヶ岡高等学校(現・武修館高等学校)卒業。身長177cm、体重78kg→85kg。
目次 |
[編集] スピードスケート選手として
高校時代は同学年で後に長野オリンピック500m金メダリストとなる清水宏保よりも好成績を収める。高校卒業後に王子製紙スケート部に入部するも伸び悩み、競輪の選手を目指すために現役を一時引退し同スケート部を退部したが、競輪のトレーニング中に、オフの自転車トレーニング中の清水と再会し、一緒に練習したことによりスピードスケートへの想いが徐々に沸きあがり、1998年に現役復帰(所属は橋本聖子が設立した「セイコ・ハシモト・インターナショナル(SHI)」)。
清水と一緒に練習することで成績が向上し、ソルトレイクシティオリンピックの代表に選ばれる。初めてのオリンピックとなるソルトレイクシティ大会では500m8位、1000m16位に終わる。同オリンピック後、競輪選手への転向を表明した。
[編集] 競輪選手として
日本競輪学校へは植松仁に次いで二人目となる異種目からの特別選抜入試により合格し、卒業後は日本競輪選手会茨城支部所属の選手として本拠地を取手競輪場に据え、十文字貴信の師匠にあたる川村恵三に弟子入りした。
2003年7月4日に立川競輪場でデビューを果たし、初出走で初勝利も挙げたが、その2日後落車による骨折の憂き目を味わう。しかしケガからの復帰後は快進撃を続け、デビューから約半年後の2004年1月13日にはA級3班からS級2班へ史上最速の特別昇級を果たしている。その後は一気に競輪界のトップクラスに位置する選手となり、2005年には最高峰レースのKEIRINグランプリへも出場した(3着)。
これらデビュー前からの実績などが認められたことにより、2006年から1年間ほど競輪のテレビCMにメインの選手として出演していた。
その後も特別競輪における活躍は見せるものの優勝とは縁遠い日々が続いていたが、2008年11月に広島競輪場で行われたふるさとダービーの決勝では、後方6番手から豪快に捲り切って優勝。GII初制覇と共に、この開催限りで廃止された、ふるさとダービー最後の覇者として歴史に名を刻んだ。また、この勝利により年間獲得賞金額が上位になり、2009年は初のS級S班格付となった。
2009年3月には岸和田競輪場で行われた日本選手権競輪の決勝において、最終バック5番手から捲りを放ち、ゴールでは加藤慎平との写真判定となったが微差で退け、ついに特別競輪初優勝を果たしタイトルホルダーとなった。この結果、2009年12月30日開催予定のKEIRINグランプリへの出場も決定した。同年7月25日に行われた、サマーナイトフェスティバル決勝戦を制し優勝。また、9月23日行われたオールスター競輪決勝戦では、平原康多の番手から抜け出し優勝。
[編集] 主な獲得タイトル
[編集] 競走スタイル
群を抜く豊富なスタミナとトップスピードを誇る先行選手として活躍しており、実力は競輪界有数の存在と目されている。ただし選手としての経験が浅いためか展開的な不利を招くことが多く、その点の克服が課題となっている。
[編集] エピソード
- デビュー後一時期までスピードスケートとの両立も考えていたようだが、競輪選手として専念するようになった。
- 2007年にデビューした元スピードスケート選手の牛山貴広に対し、師匠として指導を行っている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月23日 (水) 09:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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