江戸藩邸
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江戸藩邸(えどはんてい)とは、江戸における大名屋敷である。大名には江戸幕府により、江戸城付近から郊外にかけて複数の屋敷用地が与えられていた。 大名が建てた屋敷の用途と江戸城からの距離により、上屋敷・中屋敷・下屋敷と呼ばれたが、これらを総称して江戸藩邸という。 すべての大名が上屋敷・中屋敷・下屋敷を有したわけではなく、中屋敷を持たない藩、複数の下屋敷を有する藩など様々である。 藩邸という用語だが、領知に与えられたものではなく、その家中に与えられたものであり、転封した後であったり、大名身分から旗本へ降格した場合でも所有していた。但し、相対替えで身分相応の立地・面積のものに変えられることが多かった。[1]
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[編集] 概要
江戸藩邸は、参勤交代制度により1年毎(大名により異なる)に江戸と本国を行き来する大名の、江戸における居住地であった。 また、大名の正室・嫡子は人質として江戸に常住することが定められており、江戸藩邸に居住した。 家臣では江戸家老など江戸に在勤した役職もあるが、多くの家臣は大名の参勤交代に従って本国から江戸に移り、藩邸内に設けられた長屋などに居住した。 貞享元年(1684年)の土佐藩の場合、江戸藩邸全体の居住者は3195人(うち上屋敷で1683人)を数えた。 大名にとっては本国の居城と同様の重要な建物であり、格式を維持するため莫大な費用を必要とした。
江戸藩邸は幕府と藩を繋ぐ政治的な窓口の役割も果たした。 幕府からの連絡は藩邸に伝えられ、その後藩邸から本国へ伝えられる。一方、本国から幕府へ連絡する場合も、藩邸を経由して伝えられた。 また、江戸藩邸の内部は幕府の統制外に置かれ、仮に犯罪者が藩邸内に逃げ込んだとしても、幕府が捜査権を行使することはなかった。
屋敷の広さには石高による基準が存在し、元文3年(1738年)の規定では、1-2万石の大名で2500坪、5-6万石で5000坪、10-15万石で7000坪などとされていた。 実際にはこの基準より広い屋敷も多く、上屋敷だけで10万坪にも達した加賀藩などの例もあり、厳密な適用はされていなかった。 屋敷や土地は形式上幕府から借り受けたものであるが、幕府の許可を得た上で相対替え(屋敷同士の交換、差額を金銭で補う)という形を取り売買は行われた。
[編集] 拝領屋敷と抱屋敷
上屋敷・中屋敷・下屋敷はいずれも江戸幕府から与えられた土地・屋敷であり、拝領屋敷という。 一方、大名が民間の所有する農地などの土地を購入し建築した屋敷は、抱屋敷(かかえやしき)と呼ばれる。
[編集] 上屋敷
上屋敷は江戸藩邸のうち、大名とその家族が居住し、江戸における藩の政治的機構が置かれた屋敷である。 大名が居住するため居屋敷(いやしき)とも呼ばれた。 大名は在府中、定例の登城日や役職に定められた日など、しばしば登城する必要があったため、通常は最も江戸城に近い屋敷が上屋敷となった。 大名が在府の際はここで政務を取り、大名が帰国した後は江戸留守居役が留守を預かり、幕府や本国との連絡役を務めた。
上屋敷の構成は、大きく御殿空間(ごてんくうかん)と詰人空間(つめにんくうかん)に分けられる。 御殿空間は大名の居室などの表御殿、正室の居室などの奥御殿や庭園などであり、詰人空間は家臣の住まいである長屋、藩の政務を行う施設や厩舎などで構成された。
[編集] 中屋敷
中屋敷は上屋敷の控えとして使用され、多くは隠居した大名や成人した跡継ぎの屋敷とされた。 下屋敷と比較した場合、江戸城までの距離は近く、規模は小さいことが多い。 中屋敷や下屋敷にも長屋が設けられ、参勤交代で本国から大名に従ってきた家臣が居住した。
[編集] 下屋敷
下屋敷は主に庭園など別邸としての役割が大きく、大半は江戸城から離れた郊外に置かれた。上屋敷や中屋敷と比較して規模は大きいものが多い。 江戸市中はしばしば大火に見舞われたが、その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷として使用された。 藩により様々な用途に利用され、本国から送られる米や各種物資を貯蔵する場として、遊行や散策のために作られた大名庭園として、あるいは菜園などとして転用される場合もあった。
[編集] 抱屋敷
抱屋敷は江戸の郊外にあり、下屋敷と同様、藩により様々な用途に使用された。 拝領屋敷と異なり、それまでその土地に掛けられていた年貢や諸役は、大名の所有となった後も負担する必要があった。 また、屋敷や土地は幕府の職の一つである屋敷改(やしきあらため)の支配を受けた。
[編集] 明治維新後の江戸藩邸
明治維新後、江戸藩邸の多くは明治政府に明け渡され、跡地は主要官庁や軍の関連施設などに利用された。 また、小石川後楽園や新宿御苑など、江戸藩邸内に作られた庭園を活用し、現在でも当時の面影を残す公園として利用している例もある。
[編集] 代表的な江戸藩邸と跡地の現在
- 尾張藩徳川家上屋敷(新宿区市谷):防衛省庁舎
- 紀州藩徳川家上屋敷(千代田区紀尾井町):グランドプリンスホテル赤坂
- 水戸藩徳川家上屋敷(文京区後楽園):小石川後楽園
- 加賀藩前田家上屋敷(文京区本郷):東京大学本郷キャンパス
- 西条藩松平家上屋敷 (渋谷区渋谷):青山学院大学
- 福岡藩黒田家上屋敷 (千代田区霞が関):外務省庁舎
- 長州藩毛利家上屋敷 (港区六本木):六本木ヒルズ毛利家庭園
- 仙台藩伊達家上屋敷 (港区東新橋):汐留シオサイト
- 土佐藩山内家上屋敷 (千代田区丸の内):東京国際フォーラム
- 米沢藩上杉家上屋敷 (千代田区霞が関1-1-1):法務省庁舎
- 鳥取藩池田家上屋敷 (千代田区丸の内):帝国劇場
- 牛久藩山口家上屋敷 (港区赤坂):アメリカ大使館
- 米沢藩上杉家中屋敷及び米沢新田藩上屋敷(港区麻布台):外務省飯倉公館及び麻布郵便局
- 紀州藩徳川家赤坂中屋敷 (港区元赤坂):赤坂御用地
- 彦根藩井伊家中屋敷 (千代田区紀尾井町):ホテルニューオータニ
- 彦根藩井伊家下屋敷 (渋谷区代々木):明治神宮
- 高遠藩内藤家四谷内藤新宿下屋敷 (新宿区内藤町) :新宿御苑
- 尾張藩徳川家和田戸山下屋敷 (新宿区戸山) :都立戸山公園
- 郡山藩柳沢家下屋敷 (文京区本駒込) :六義園
- 盛岡藩南部家下屋敷 (港区南麻布) :有栖川宮記念公園
- 島原藩松平家下屋敷 (港区三田):慶應義塾大学
- 薩摩藩島津家下屋敷 (港区白金台):八芳園
- 尾張藩徳川家拝領屋敷 (千代田区紀尾井町):上智大学
- 尾張藩徳川家蔵屋敷 (中央区築地):築地市場
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 江戸文化歴史検定協会編『江戸博覧強記』小学館 2007年
- 小木新造『図説大江戸』実業之日本社 1996年
[編集] 脚注
最終更新 2009年7月22日 (水) 10:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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