沢田研二

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沢田 研二
基本情報
出生名 澤田 研二
別名 ジュリー
出生 1948年6月25日(61歳)
学歴 京都府立鴨沂高等学校中退
出身地 日本 京都市(出生は鳥取県
ジャンル J-POP
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
活動期間 1967年-
レーベル ポリドール
(1971年 - 1984年)
東芝EMI
(1985年 - 2001年)
JULIE LABEL
(2002年 - )
事務所 渡辺プロダクション
(1967年 - 1984年)
ココロ・コーポレーション
(1985年 - )
共同作業者 加瀬邦彦
早川タケジ
影響 内田裕也
公式サイト 沢田研二公式サイト
  

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二1948年6月25日 - )は、鳥取県生まれ、京都市出身の歌手俳優作曲家ニックネームジュリー。妻は女優の田中裕子。1960年代後半のグループサウンズ全盛期から1980年代にかけて活躍。

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち

1948年6月25日、母親の実家である鳥取県岩美郡津ノ井村(1963年鳥取市へ編入:現鳥取市津ノ井)で、澤田松雄、智恵子(ちえ)夫妻の次男として誕生。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。3歳の時に、京都府京都市左京区浄土寺東田町にある(親族の)澤田家に移り、そこで育つ。京都市立第三錦林小学校、同岡崎中学校卒業後、1964年4月京都府立鴨沂高等学校入学。中学では野球部に、高校では空手部に所属。

[編集] ザ・タイガース期

詳しくはザ・タイガースも参照

京都市下京区四条河原町にあったダンス喫茶「田園」でアルバイトをしている時、出演していたサンダースに声をかけられ、沢田は付き人(ローディー)兼ヴォーカリストとして加入する。その後、同じく田園に出演していたサリーとプレイボーイズのサリー(現在、俳優の岸部一徳)にリード・ヴォーカルとして誘われた沢田は、1965年12月に鴨沂高等学校中退し、翌年の元日に正式にメンバーとして加入、グループ名を「ファニーズ」とした。

沢田らは、関西に来たロック歌手・内田裕也兵庫県尼崎市出身)に認められ、渡辺プロダクションと契約。上京後、「ザ・タイガース」と改名する。1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューを果たした。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と、続く「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」で脚光を浴びたザ・タイガースは、折りからのグループ・サウンズブームも相まって瞬く間にトップ・アイドルとなる。とりわけ、端正な風貌の沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルになった。

ザ・タイガースは1971年1月24日日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散した。

[編集] PYG期

詳しくはPYGを参照

ザ・タイガースの解散が決定した後、沢田は1971年1月11日に新たなバンド・PYGを「渡りに舟(本人談)」として参加する。欧米で流行していたスーパーバンドを模した形で、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司の2人、ザ・スパイダースから、井上堯之大野克夫の2人、それにザ・タイガースから、岸部おさみと沢田の2人のメンバー6人によって結成された。このバンドはツインボーカルで、「動」の沢田と 「静」の萩原健一の本格的なロック・バンドを目指した。しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとするロックを、当時芸能業界最大手の事務所だった渡辺プロダクション所属のアイドルが演奏することに対して非難する向きもあった。

[編集] ソロ活動 - 全盛期

  • 1971年11月1日、シングル「君をのせて」でソロデビュー。
  • 1973年には、「危険なふたり」で第4回日本歌謡大賞を受賞。この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降斬新なファッションが確立された。
  • 1975年5月発売のシングル「巴里にひとり」の仏語版「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)」がフランスのヒットチャートでトップ1(第1週)を取り、フランスのゴールデンディスク賞を受賞するなど、海外での活動も評価を得る。
  • 1975年7月、元ザ・ピーナッツ伊藤エミ(当時34歳)と結婚。沢田は27歳だった。
  • 1975年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は90万枚を超えるセールスを記録、沢田にとって最大のヒット曲となった。
  • 1977年5月21日に発売された「勝手にしやがれ」は約90万枚を売り上げる大ヒットとなり、第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞など同年末の主要な賞レースを独占した。同年発売の「憎みきれないろくでなし」も60万枚のセールスを記録した。
  • 1978年には「サムライ」が50万枚のセールス、「LOVE (抱きしめたい)」で第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。その年の「紅白歌合戦」では、それまで演歌歌手が独占していた大トリを、ポップス歌手として初めて務めた。
  • 歌手として多忙な生活を送り続ける傍らで、沢田は舞台や映画にも積極的に出演している。主にタイガース時代に出演した典型的なアイドル映画にとどまらず、人気絶頂期に公開された映画「太陽を盗んだ男」では原爆を作る理科教師を演じ、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位になった。また映画「魔界転生」も大ヒットする。

[編集] ヴィジュアル期

沢田がアーティストとして最も日本の音楽界に影響を与えた功績は、ヴィジュアル面であった。1960年代にザ・タイガースが、ザ・ビートルズを真似た髪型にしたとき、七三分けが主流だった音楽界において「長髪のため」NHK出演の審査が通らないなど物議を醸したが、このようにソロ活動を始めてからも沢田は、奇抜なファッションや派手な振付で見ている人を驚かせる。1979年2月1日に発売された「カサブランカ・ダンディ」でのウィスキーの霧吹き、「OH! ギャル」での女性用のメイク、1980年1月1日発売の「TOKIO」における電飾衣装にパラシュートを背負った姿や「恋のバッド・チューニング」で着用したカラー・コンタクトなど、加瀬邦彦プロデュース・早川タケジデザインの衣装や装飾は大きな反響を呼んだ。ただし、沢田のスタンスに対して、長年活動を共にしたバックバンドのリーダーである井上堯之は違和感を覚え、井上堯之バンドは解散する。

その後、沢田は吉田建を中心にALWAYS、渚のラブレターバンド、EXOTICSといったバックバンドを相次いで編成し、専属のバンドともに演奏するスタンスを保った。1981年9月21日発売のシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」でも派手な衣装で注目を集め、これは沢田自身の作曲によるオリジナル曲としては最高のセールスを記録した。1982年にはザ・タイガースが「同窓会」と銘打った企画で11年ぶりに再結成する。瞳みのるを除くメンバー5人で復活し、シングル「色つきの女でいてくれよ」は化粧品会社のCMとのタイアップもあり、ヒットチャート上位にランクインさせ、武道館を含む全国ツアーも成功させた。

また、他の歌手にも多くの作曲を提供し、中でも1982年にアン・ルイスが歌った作詞・三浦百恵の「ラ・セゾン」はトップ10にランクインするヒットとなった。

[編集] 独立期

1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はザ・タイガースの一員としてのデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立し、傘下に"株式会社ココロ"を設立。さらにレコード会社ポリドールから東芝EMIに移籍した。第1弾となる作品は、沢田が作詞・作曲した「灰とダイヤモンド」。ペンネームの「李花幻」は「いいかげん」をもじったもの。また、自叙伝「我が名はジュリー」玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。音楽面では、チト河内を中心に新バンドCO-CoLOを結成した。

1987年には前妻との離婚や渡辺プロの恩師ともいえる渡辺晋の死、3月の京都公演中のステージからの転落事故とそれに伴う左肘骨折による1カ月の入院があった。この年は、のちの沢田自身が「転機は離婚だった」と語るようにターニングポイントとなる。1988年には3年間活動を共にしたCO-CoLOを解散し、新たにKris Kringlを結成。1989年10月11日発売のアルバム「彼は眠れない」では、村上'ポンタ'秀一を迎えて結成したJAZZ MASTERと共にライブ活動を展開した。この年から、10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズもスタートした。年末の「紅白歌合戦」ではソロでの他、ザ・タイガースとしても出場し、同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。

1992年頃から、沢田はメディアでの過去の映像と歌唱のみの放映を許可しないようになる。「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」として、1995年以降のアルバムではすべて沢田がセルフ・プロデュースを手がけている。1997年には岸部一徳森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成した。

[編集] 近年

  • 2002年自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムは目玉焼きなどの独特のパッケージ・デザインを施されているものが多い。
  • 2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインした。
  • 近年の活動スタイルは、新曲とアルバムを毎年発表し正月のコンサートと全国コンサート・ツアー(2008年は38都市)を行うことと年1-2回の舞台主演。コンサートではパワフルな声量とステージングでファンを魅了している。憲法九条への思いをメタファライズしたとされる沢田作詞の「我が窮状」を発表するなど新たな展開も見せている。
  • 2008年、60歳を記念して行なわれた11月29日京セラドーム大阪12月3日東京ドームでは、初の二大ドームコンサート人間60年・ジュリー祭りを開催、各2万人と3万人を集めた。両日とも、それぞれ全80曲を歌いあげ、途中休憩30分を挟んだ約6時間半のライブを敢行した。
  • 第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞で「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭り」がポピュラー部門のコンサート・パフォーマンス(日本人アーティスト)賞に選ばれた。
  • 2009年は「奇跡元年」と題した正月公演でスタート。数年前からの固定メンバーで二大ドームコンサートを強靭にサポートした、柴山和彦(G)、下山淳(G)、泰輝(key)、GRACE(Dr)という"鉄人バンド"(ジュリー談)のメンバーと共に、ステージに立った。「昭和のジュリー」を20年と称し、「平成のジュリー」を20年貫徹、これからの20年は「奇跡のジュリー」としての姿を魅せてくれる予定である。

[編集] 影響

今日の音楽界に沢田がもたらした影響としては、やはりそのファッションが特記される。分けても早川タケジのデザインによる、化粧を取り入れたスタイル(時には女装すらすることがあった)は1990年代以降持てはやされた。沢田のファッションは現在の目から見ても先鋭的なものが多く、近年になっても早川の作品集(ほとんどが沢田の写真)が出版されたり、テレビなどで映像が流されることも(沢田が解禁した2001年以降)少なくない。及川光博は「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」をカヴァーした他に早川にデザインを発注したこともあり、「ヴィジュアル系」以外でファッション面での影響が顕著な一例である。また、PYGの「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」は永沢竜二、「勝手にしやがれ」は、B'z稲葉浩志福山雅治によってカヴァーされている。

海外での影響は、香港において沢田のカバー曲が多く見られるが、中でも人気歌手・俳優である林子祥(ジョージ・ラム)に歌われたその名も「澤田研二」というタイトルの曲がある。この曲は沢田がフランス語で出した「Itsumi(いずみ)」をカバーしたものであるが、作詞家の鄭國江によって「香港の歌手は沢田研二の歌曲を賛美する」というモチーフの曲になっている。またアイドル歌手の石野真子によって「ジュリーがライバル」という曲もヒットした。作詞は松本礼児。

[編集] ディスコグラフィ

ザ・タイガースPYG時代の楽曲は、それぞれのページを参照。

紅白歌合戦で歌った楽曲リストは、「沢田研二の出演作品・出演番組」の紅白歌合戦出場歴に掲載。

[編集] シングル

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1971年11月1日 君をのせて
2 1972年3月10日 許されない愛
3 1972年6月25日 あなただけでいい
4 1972年9月20日 死んでもいい
5 1973年1月1日 あなたへの愛
6 1973年4月21日 危険なふたり
7 1973年8月11日 胸いっぱいの悲しみ
8 1973年12月21日 魅せられた夜
9 1974年3月21日 恋は邪魔もの
10 1974年7月10日 追憶
11 1974年11月21日 愛の逃亡者 THE FUGITIVE
- 1975年01月20日※ MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE 巴里にひとり』のフランス語バージョン
※フランスでの発売日
フランス スイス カナダ オーストリア ギリシャ ノルウェー ベルギー オランダ
- 1975年01月21日※ THE FUGITIVE ※イギリスでの発売日 イギリス オーストラリアシンガポール国旗 シンガポール ニュージーランド 香港
12 1975年3月1日 白い部屋
- 1975年5月20日※ ATTENDS MOI ※フランスでの発売日 フランス カナダ ベルギー スイス スペイン オランダ
13 1975年5月21日 巴里にひとり
14 1975年8月21日 時の過ぎゆくままに
- 1975年10月15日※ FOU DE TOI ※フランスでの発売日 フランス ベルギー オランダ
15 1976年1月21日 立ちどまるなふりむくな
16 1976年5月1日 ウィンクでさよなら
- 1976年5月15日※ ELLE ※フランスでの発売日 フランス ベルギー オランダ
- 1976年5月15日 WHEN THE LIGHT WENT OUT イギリスでのみリリース イギリス
17 1976年9月10日 コバルトの季節の中で
18 1977年2月1日 さよならをいう気もない
- 1977年2月21日 JULIE LOVE フランスでのみリリース フランス
19 1977年5月21日 勝手にしやがれ
- 1977年7月30日 MEMORIES 西ドイツでの先行リリース ドイツ
20 1977年8月10日 MEMORIES
21 1977年9月5日 憎みきれないろくでなし
- 1977年※ TU AS CHANGE ※フランスでの発売日 フランス
- 1977年10月10日※ ROCK'NROLL CHILD ※西ドイツでの発売日 ドイツ ベルギー オランダ
22 1978年1月21日 サムライ
- 1978年1月21日 IN THE CITY 西ドイツでのみリリース ドイツ
23 1978年5月21日 ダーリング
24 1978年8月1日 ヤマトより愛をこめて
25 1978年9月10日 LOVE (抱きしめたい)
26 1979年2月1日 カサブランカ・ダンディ
27 1979年5月31日 OH! ギャル
28 1979年9月21日 ロンリー・ウルフ
29 1980年1月1日 TOKIO
30 1980年4月21日 恋のバッド・チューニング
31 1980年9月21日 酒場でDABADA
32 1980年12月23日 おまえがパラダイス
33 1981年5月1日 渚のラブレター
34 1981年9月21日 ス・ト・リ・ッ・パ・ー
35 1982年1月10日 麗人
36 1982年5月1日 おまえにチェックイン
37 1982年9月10日 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
38 1983年1月1日 背中まで45分
39 1983年5月10日 晴れのちBLUE BOY
40 1983年9月21日 きめてやる今夜
41 1984年2月10日 どん底
42 1984年4月25日 渡り鳥 はぐれ鳥
43 1984年9月25日 AMAPOLA
44 1985年8月8日 灰とダイヤモンド
45 1986年4月23日 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜
46 1986年10月22日 女神
47 1987年3月21日 きわどい季節
48 1987年7月22日 STEPPIN' STONES
49 1987年11月16日 CHANCE
50 1988年6月25日 TRUE BLUE
51 1988年10月26日 Stranger -Only Tonight-
52 1989年5月24日 Muda
53 1989年9月20日 ポラロイドGIRL
54 1990年2月7日 DOWN
55 1990年5月23日 世界はUp & Fall
56 1991年5月17日 SPLEEN 〜六月の風にゆれて〜
57 1992年5月1日 太陽のひとりごと
58 1993年5月20日 そのキスが欲しい
59 1994年11月16日 HELLO/YOKOHAMA BAY BLUES 両A面
60 1995年11月29日 あんじょうやりや
61 1996年9月6日 愛まで待てない
- 1997年3月26日 君を真実に愛せなくては他の何も続けられない TEA FOR THREE名義
62 1997年6月10日 オリーヴ・オイル
63 1997年8月27日 サーモスタットな夏
64 1997年10月16日 恋なんて呼ばない
65 1998年6月24日 永遠に
66 1999年8月6日 鼓動
67 2000年8月9日 耒タルベキ素敵
68 2001年6月8日 あの日は雨
- 2001年10月24日 まごころよりどころ 研二慶子名義
69 2002年9月1日 忘却の天才
70 2003年4月25日 明日は晴れる
71 2004年2月25日 オーガニック オーガスム
72 2005年5月9日 greenboy
73 2006年4月21日 俺たち最高
74 2007年6月25日 そっとくちづけを
75 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH

[編集] アルバム

[編集] オリジナル・アルバム

デビュー以来約40年間、毎年必ず新作アルバムを発表し、1974年以降、毎年全国ツアーを開催しており、これは他に例を見ない連続記録といわれる。[1]

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1969年12月01日 JULIE ザ・タイガース在籍中にリリースされた作品
2 1971年12月21日 JULIE II
3 1972年9月10日 JULIE IV 今僕は倖せです
4 1973年8月21日 JULIE VI ある青春
5 1974年9月10日 JEWEL JULIE 追憶
6 1974年12月21日 THE FUGITIVE 愛の逃亡者
- 1975年1月21日 KENJI 内容は『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一 イギリスインドネシア国旗 インドネシア 香港
7 1975年12月21日 いくつかの場面
- 1976年2月1日 KENJI SAWADA 内容は日本版と同一 フランス ドイツ オランダ ベルギー
8 1976年4月21日 KENJI SAWADA
9 1976年12月1日 チャコール・グレイの肖像
10 1977年11月15日 思いきり気障な人生
- 1978年4月 rock'n'roll child 海外のみでのリリース フランス ドイツ
11 1978年8月10日 今度は、華麗な宴にどうぞ。
12 1978年12月1日 LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜
13 1979年11月25日 TOKIO
14 1980年7月21日 BAD TUNING
15 1980年12月23日 G.S.I LOVE YOU
16 1981年6月10日 S/T/R/I/P/P/E/R
17 1982年6月1日 A WONDERFUL TIME
18 1982年12月10日 MIS CAST
19 1983年3月5日 JULIE SONG CALENDAR 当初カセットテープのみで発売された
20 1983年10月1日 女たちよ
21 1984年6月5日 NON POLICY
22 1985年9月21日 架空のオペラ
23 1986年6月25日 CO-CoLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜
24 1987年5月25日 告白-CONFESSION-
25 1988年7月24日 TRUE BLUE
26 1989年10月11日 彼は眠れない
27 1990年6月20日 単純な永遠
28 1991年6月14日 PANORAMA
29 1992年6月10日 Beautiful World
30 1993年11月17日 REALLY LOVE YA!!
31 1994年12月14日 HELLO
32 1995年12月13日 sur←
33 1996年9月19日 愛まで待てない
34 1997年6月25日 サーモスタットな夏
35 1998年7月15日 第六感
36 1999年8月25日 いい風よ吹け
37 2000年9月13日 耒タルベキ素敵
38 2001年6月20日 新しい想い出 2001
39 2002年9月1日 忘却の天才
40 2003年4月25日 明日は晴れる
41 2004年2月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES
42 2005年5月9日 greenboy
43 2006年4月21日 俺たち最高
44 2007年6月25日 生きてたらシアワセ
45 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH
46 2009年6月10日 Pleasure Pleasure 全6曲入りミニアルバム

[編集] ベスト・アルバム

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1973年6月10日 沢田研二 GLORIOUS 20(LP2枚組)
2 1974年4月10日 パーフェクト(LP2枚組)
3 1975年4月25日 沢田研二 パーフェクト14
4 1976年9月10日 FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜(LP2枚組)
5 1977年12月15日 沢田研二大全集(LP5枚組限定版)
6 1977年7月25日 Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ カセットテープのみ
7 1977年7月25日 Rock'n Julie with Tigers カセットテープのみ
- 1978年4月 YESTERDAY TODAY 香港のみでのリリース 香港
8 1978年5月25日 ダーリング・Julie カセットテープのみ
9 1979年4月1日 Royal Straight Flush CD再発
10 1980年2月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
11 1980年9月25日 酒場でDABADA カセットテープのみ
12 1981年1月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
13 1981年5月25日 沢田研二作品集 カセットテープのみ
- 1981年 KENJI SAWADA Greatest Hits 香港のみでのリリース 香港
14 1981年12月15日 Royal Straight Flush II CD再発
15 1982年10月25日 ジュリー・CMソング・コレクション カセットテープのみ
16 1983年10月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
17 1984年3月25日 Royal Straight Flush III CD再発
18 1985年9月1日 全曲集〜灰とダイヤモンド
19 1986年6月1日 Julie Special 〜沢田研二 A面コレクション〜(CD3枚組) CD再発 (SHM-CD仕様)
20 1986年8月21日 我が名は、ジュリー
(芸能生活20周年記念カセット6本セット限定盤)
カセットテープのみ
21 1987年9月13日 SUPER BEST(CD2枚組)
22 1991年12月4日 A SAINT IN THE NIGHT ジャズのスタンダードをカヴァーした作品
23 1996年11月20日 沢田研二 B面コレクション(CD3枚組) 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
後にJULIE LABELからコンサート会場限定再発売
24 1996年12月11日 AFTERMATH バラード・セレクション
25 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1971-1979(CD2枚組)
26 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1980-1996(CD2枚組)
27 1997年12月10日 Distortion Love
28 2008年6月25日 Cocolo Nooto(CD5枚組) セルフプロデュース期の沢田研二作詞曲69曲を収録
コンサート会場+一部レコード店で限定発売

[編集] ライブ・アルバム

- 発売日 題名 収録
1 1972年3月10日 JULIE III SAWADA KENJI RECITAL(LP2枚組) 1971年12月24日 日生劇場
2 1972年12月21日 JULIE V 沢田研二 日生リサイタル(LP2枚組) 1972年10月17日-21日 日生劇場
3 1973年12月21日 JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル(LP3枚組) 1973年10月10日 中野サンプラザ
4 1975年10月21日 沢田研二比叡山フリーコンサート(LP2枚組) 1975年7月20日 蛇ヶ池人口スキー場
5 1977年8月10日 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー(LP2枚組) 1977年6月29日-30日 NHKホール
6 1978年10月25日 JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ 1978年8月31日 田園コロシアム(カセットテープのみ)
7 1979年8月25日 JULIE ROCK'N TOUR '79(カセットテープ2本セット) 1979年7月28-29日 渋谷公会堂(カセットテープのみ)
8 1987年12月25日 架空のオペラ '86
(芸能生活20周年記念LP/CD4枚組限定盤)
正月歌劇: 1986年1月16-18日 NHKホール、1月21-28日 フェスティバルホール
SUMMER LIVE '86: 1986年10月8-9日 新宿厚生年金会館、10月10日 フェスティバルホール
9 1992年1月16日 '91 武道館コンサート "JULIE MANIA"
(芸能生活25周年記念武道館コンサートCD2枚組)
1991年10月11日 日本武道館
10 1996年11月20日 沢田研二 ライブセレクション 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
11 2009年7月25日(発売予定) 人間60年・ジュリー祭り
(CD6枚組 全82曲完全収録)
2008年12月に行われた東京ドーム公演『人間60年・ジュリー祭り』の模様をおさめたCD6枚組(全82曲完全収録)。

[編集] その他作品

- 発売日 題名 収録
1 1981年3月21日 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル VOL3 1981年1月25日 日本劇場
(カセットテープのみ。1998年11月26日CD再発)
2 1989年6月21日 YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤
3 1996年 DORA〜100万回生きたネコ 1996年6月21日-7月29日 東京芸術劇場
4 1999年10月 ACT大全集(CD9枚組) ACTシリーズ全10公演収録
5 2008年8月27日 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years ポリドール在籍時の全シングルのCD-BOX


[編集] 映像作品

[編集] LIVE

- 発売日 題名 媒体 収録 備考
1 1980年7月21日 JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING VHSβ 1980年5月24日 横浜スタジアム 2002年VHSのみ再発
2 1983年3月10日 JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST VHS、β 2003年VHSのみ再発
3 1990年 KENJI SAWADA With Jazz Master VHS、DVD 1990年10月28日 一ツ橋大学学園祭 DVDは数量限定
4 1992年1月16日 武道館コンサート ジュリーマニア VHS、DVD 1991年10月11日 日本武道館
5 1992年7月 A SAINT IN THE NIGHT VHS、DVD 1992年2月22日 NHKホール DVDは数量限定
6 1994年4月25日 REALLY LOVE YA!! VHS、DVD 1994年1月6日 渋谷公会堂
7 1995年1月5日 ZU ZU Songs VHS、DVD 1994年10月2日 渋谷公会堂
8 1996年6月 あんじょうやりや VHS、DVD 1996年3月8日 ティアラこうとう
9 1997年6月 Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない VHS、DVD 1997年2月8日 パルテノン多摩
10 1997年10月 tour'97 サーモスタットな夏 VHS、DVD 1997年10月18日 日比谷野外音楽堂
11 1998年6月 ROYAL STRAIGHT FLUSH VHS、DVD 1998年1月6日 渋谷公会堂
12 1999年1月 1998 ROCKAN' TOUR VHS、DVD 1998年10月3日 松戸森のホール21 DVDは数量限定
13 1999年5月 1999正月コンサート VHS、DVD 1999年1月9日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
14 2000年3月 いい風よ吹け VHS、DVD 1999年11月14日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
15 2000年6月 祝・2000年正月大運動会 VHS、DVD 2000年1月8日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
16 2000年12月 耒タルベキ素敵 VHS、DVD 2000年11月23日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
17 2002年4月 21世紀初三大都市公演 VHS、DVD 2001年1月6日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
18 新しい想い出 VHS、DVD 2001年12月8日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
19 2002年9月 糸車のレチタティーボ VHS、DVD 2002年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
20 2002年11月12日 快傑ジュリーの冒険 VHS、DVD テレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録
21 2003年7月 忘却の天才 VHS、DVD 2002年10月26日 府中の森芸術劇場 DVDは数量限定
22 2003年7月 LOVE & PEACE VHS、DVD 2003年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
23 2004年3月 明日は晴れる VHS、DVD 2003年11月1日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
24 2004年7月 爛漫甲申演唱会 VHS、DVD 2004年1月18日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
25 2005年5月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES DVD 2004年11月6日 大宮ソニックシティ
26 2005年6月1日 師走 RomantiX DVD 2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA
27 2006年5月15日 greenboy DVD 2005年11月19日 大宮ソニックシティ
28 2007年5月3日 ワイルドボアの平和 DVD 2006年1月14日 渋谷C.C.Lenmonホール
29 2008年2月2日 生きてたらシアワセ DVD 2007年10月13日 渋谷C.C.Lenmonホール
30 2009年6月25日 人間60年・ジュリー祭り DVD 2008年12月3日 東京ドーム 4枚組DVD

[編集] STAGE

1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、1人芝居や哲学的な内容を演じている。なお同シリーズから現在の久世光彦マキノノゾミが演出している音楽劇など、沢田の舞台音楽はアコーディオン奏者cobaが担当している。なお、近年の作品では南流石振り付けを担当していることが多い。また、近年ではそうした音楽劇と並行して、藤山直美との人情芝居にも出演している。

- 発売日 題名 媒体 収録 備考
1 ACT BORIS VIAN VHSDVD  1990年3月17日 東京グローブ座 DVDは数量限定
3 ACT NINO ROTA VHS、DVD 1991年3月9日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
3 ACT SALVADOR DALI VHS、DVD 1992年3月 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
4 ACT SHAKESPEARE VHS、DVD 1993年3月20日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
5 ACT EDITH PIAF VHS、DVD 1994年6月25日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
6 ACT BUSTER KEATON VHS、DVD 1995年6月9日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
7 ACT 宮沢賢治 VHS、DVD 1996年11月14日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
8 ACT ELVIS PRESLEY VHS、DVD 1997年5月15日 パナソニック・グローブ座 DVDは数量限定
9 ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな VHS、DVD 1998年11月19日 東京グローブ座 DVDは数量限定
10 ミュージカル ザ・近松 VHS、DVD 1999年2月27日 日生劇場 DVDは数量限定
11 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように VHS、DVD 2001年 Bunkamuraシアターコクーン DVDは数量限定
12 風狂伝'02 VHS、DVD 2002年6月28日 ル・テアトル銀座 DVDは数量限定
13 沢田・志村の「さあ、殺せ!」 VHS、DVD 2003年 Bunkamuraシアターコクーン DVDは数量限定
14 歌劇 人情酸漿蛍 DVD 2004年 Bunkamuraシアターコクーン
15 センセイの鞄 DVD 2005年8月20日 Bunkamuraシアターコクーン
16 音楽劇 モダン出世双六 天国を見た男 DVD 2006年 東京芸術劇場
17 ぼんち DVD 2008年4月19日 紀伊國屋サザンシアター
18 探偵~哀しきチェイサー~ DVD 2009年 紀伊國屋サザンシアター

[編集] 功績

  • ザ・タイガース日本で初めての長髪の男性アイドルである。当時は「長髪=不良」の偏見が根強く残っており、タイガースの公演会場の入り口ではPTA地婦連が立ち、中高生が入場を締め出されたり、人気のピーク時にもロッテ歌のアルバムNHK紅白歌合戦への出場が叶わないという事態が発生した状況であった。
  • 1968年8月12日ザ・タイガース後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は日本で初めてのスタジアムライブである[2]
  • 1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌のひとつ『ローリングストーン』(Vol.28)の表紙に登場した。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。なお、一緒に表紙に載ったもう一人の男性は、岸部シロー(現・岸部四郎)といわれていたが、見た限り、全くの別人(誰なのか不明)だと思われる。
  • 1971年1月24日ザ・タイガース「ビューティフル・コンサート」(解散コンサート)は日本人として初めての日本武道館単独公演であった。
  • PYG時代、初めてロンドンブーツを衣装に取り入れた
  • 1974年には「Rock'n Julie」と題された公演が行われているが、これは日本で初めての全国ツアーである(16都市34公演)[3]
  • さらに沢田はソロ活動初期において、PYGから派生した井上堯之バンドと活動を共にしていたが、これは一歌手専属としては日本で初めての、ロックコンボスタイルのバックバンドである。
  • 「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)」(邦題:「巴里にひとり」)は日本人として初めてフランスのヒットチャートにBEST10入りした楽曲である。この曲は、フランス人の作詞・作曲で初めて日本人歌手としてヒットした曲である(この10年ほど前に、坂本九の「上を向いて歩こう」が日本人の作詞・作曲、歌唱で世界的にヒットしている)。
  • 1978年第29回NHK紅白歌合戦紅白史上初めて演歌歌手以外で大トリを務めた
  • 1980年恋のバッド・チューニングテレビ史上初めてカラーコンタクトをつけて歌った
  • 1989年第40回NHK紅白歌合戦紅白史上初めて1回の紅白で2度出演を果たした(ソロとザ・タイガースとして)。
  • 2000年11月、雑誌『日経エンタテインメント!』「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」第2位(第1位美空ひばり[4]

[編集] エピソード

  • ニックネームの「ジュリー」は、ザ・タイガースのデビューの際にメンバーの中で沢田だけあだ名がなかっため、沢田自らが「ジュリー・アンドリュースのファンだから、ジュリーってどうだろう?」と提案し、自らで名付けた。
  • 沢田がジェリー藤尾が好きだったので"ジェリー"という考えもあったがそのままでは失礼なので海外のジュリー(アンドリュース)に落ち着いた。ジュリーというのは女性名であるが沢田の中性的な容姿と相まってすぐに定着した。
  • 元来、美人には関心がなくファニーフェイスが好きである(いしだあゆみ、ジュリー・アンドリュース)
  • サリーに「サリーとプレイボーイズ」のメンバーに誘われた時の言葉は「お前、ルックスがまあまあだからボーカルやらないか」だった。
  • ザ・タイガースの命名は作曲家すぎやまこういち。「関西から来たので(阪神)タイガース」と名付けられた。
  • 2009年5月、自らのトークショーにて「ピー(瞳みのる)とザ・タイガース解散以来、38年の時を超えて再会し、久闊を叙した」ことを明らかにした。
  • 1970年代後半から1980年代中頃まではかつて同じ事務所であった志村けんと良く共演していた。特に8時だョ!全員集合ドリフ大爆笑では沢田と志村の組み合わせでのコントも多かった。両者お互いに音楽性とバラエティ性を認め合っている。2001年にNHKの番組で沢田は久し振りに志村と共演し、両者ともに東村山音頭を踊っていた。その後2003年には『沢田・志村の「さぁ、殺せ!」』で舞台で共演し、「異色の共演」とザ!情報ツウで報道されていた。これは沢田の希望であった。

[編集] 提供した楽曲、カバーされた楽曲

[編集] 出演作品・出演番組

[編集] 演じた俳優

[編集] 著書

  • 『我が名は、ジュリー』(中公文庫・沢田研二著、玉村豊男 編集)。 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本発売。

[編集] 脚注

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  1. ^ BRUTUS 1996年2月1日
  2. ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  3. ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  4. ^ 日経エンタテインメント!2000年12月号「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」

[編集] 関連

[編集] 人物

[編集] 直接の関係者

[編集] 項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年9月13日 (日) 13:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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