済州島
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| 済州島 | |
|---|---|
| 位置 |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 제주도 |
| 漢字: | 濟州島 |
| 平仮名: (日本語読み仮名) |
さいしゅうとう |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
チェジュド |
| ローマ字転写: | Jeju-do |
済州島(チェジュド、チェジュとう、さいしゅうとう)は、大韓民国の済州特別自治道に属する島。火山島。人口は約55万人、面積は1,845km2。15世紀初めごろまでは耽羅という王国があった。
目次 |
[編集] 地理
韓国の最南端(和歌山県南部、高知県、福岡県と同緯度)に位置する火山島であり、付近を暖流である対馬海流が流れているため、韓国の中では最も気候が温暖で、韓国国内では「東洋のハワイ」とも呼ばれる。しかし、実際には、冬になると半島部と同様の北西季節風の影響や島の中央に漢拏山がそびえる地形的要因により、非常に風が強く島の南北の気温差が大きい。緯度の割に寒冷かつ体感温度が低く、漢拏山の北側にある済州市は東京と同じくらいの寒さである。関東地方と同程度(年に1、2回以上)のまとまった降雪もある。
韓国で唯一のミカンの産地であるが、ミカン畑も南部の西帰浦市に偏在している。日本では長崎県の五島列島に一番近く、約180キロメートルの距離がある。また韓国で唯一の自然湖である火口湖がある。
8月の平均気温: 済州市(26.5℃) 西帰浦(26.6℃)
[編集] 歴史
およそ200万年前、火山の噴火によってできたと考えられている。その結果主に玄武岩と溶岩から成っている。三国志に現れる3世紀の州胡を済州島人(耽羅民族)に比定する説がある。その後耽羅国が成立し、4世紀頃には、百済に朝貢していた。新羅の朝鮮半島統一後は、主に新羅に朝貢するようになったが、日本へも何度か朝貢するなど、独自の外交を見せた。耽羅国の言語は韓族とは言語系統を異なるものであったとするのが通説である。
高麗時代の1105年に耽羅州として直轄領として組み込まれ、1214年から済州と呼ばれるようになるが、在地支配層は依然健在で、高い独立性を維持し続けた。高麗が元の属国になった後に反乱を起こした三別抄の残党は、済州島を最後の拠点として立てこもった。反乱は元・高麗軍によって平定され、済州島は元の直轄地に組み込まれた。元が済州に牧場を設けたため、以後の済州は馬産地になり、また元からの移住者およびその子孫は牧子と呼ばれた。
李氏朝鮮の時代には朝鮮八道の1つ、全羅道に組み込まれ、在地勢力は次第に力を失っていった。朝鮮時代には江華島と並ぶ流刑地の一つでもあった。15世紀の済州には船に居住して海産物を採る海民がいて、本土の海岸まで出ていくものがあり、一部は海賊化した。
1946年に済州道として単独の道になり、2006年に特別自治道になった。
1948年4月3日に起こった済州島四・三事件では、少なくとも7万人が殺害されたとされ、それから逃れる為に日本に渡って来た在日韓国・朝鮮人も多い。
- 大宅壮一の著書「炎は流れる」の朝鮮編には、「済州島民は朝鮮半島本土と違い、性格は温厚で生活様式が日本に近い」とある。
[編集] 日韓併合時代の済州島関連の新聞記事
- 済州島人の評判は良い、今後大いに善導する。/広瀬代議士は語る。 大阪朝日 1929年10月4日付
- 黄金都の幻想に朝鮮済州島民の大移民、本年は四万人近くの超記録。 大阪毎日 1933年12月10日付
- 内地で評判の良い済州島の鮮人 他道の者が生地を偽り済州島民に化けて渡航。 大阪朝日 1928年2月10日付
- 内地移住鮮人は済州島出身者が多い/大阪を中心とした其の生活状態。 大阪朝日・朝鮮朝日 1922年7月28日付
- 鮮人争闘事件/東九条松の木町、済州島出身者と慶尚南道出身者の反目/朝鮮人有力者と国民研究会が調停 京都日出 1924年10月30日付
- 鮮人の争い本島人と済州島人とで(嘉穂郡庄内村) 九州日報1926年5月18日付
- 済州島共済組合の組織と一般朝鮮人の問題 中外日報1928年4月29日付
- 福島紡積の鮮人女工あはや同盟罷業/済州島人を雇い入れたので大事に至らず解決 芸備日日 1929年6月6日付
- 済州島の日本軍戦跡に光が当たり始めたのは最近のことだ。この島では1948年4月3日の武装蜂起をきっかけに島民約3万人が軍や警察に殺害されたとされる「4.3事件」があり、2003年に当時の盧武鉉大統領が公式謝罪し、2005年には国が「世界平和の島」に指定したことで、タブー視されてきた過去の歴史の見直しが始まった。 文聖翊さん(74)は、・・・(略)父は飛行場建設に従事させられたが、日本軍と島民の関係は比較的良好だったといい、「いじめられるようなことはなかった」と証言する。 静岡新聞2009年3月16日、17日付
- 李英根館長(56)が補足した。「済州島では反発や恨みは日本に向かうよりも直接、指示を出した地域の有力者や警察官ら同胞にむけられがちだった」 博物館では、日本軍が現地の人たちから真ちゅう製の食器を供出させた代わりに配った陶器の器も展示し、来館者への説明を心掛けている。「侵略や供出を免責したり、正当化したりするつもりはありません。ただ、被害者側は「とられた」と一方的になりがち。事実をありのままに伝えたい」と李館長。 東京新聞2009年3月7日付
[編集] シンボル
トルハルバン(石じいさん):もともと朝鮮時代の行政区域である3つの郡・県のそれぞれの東・西・南門の入口に立てられた、村の災厄を追い払う守護神(道祖神)であったが、現在は済州島のシンボルとして各地に立てられ、土産物としてトルハルバンを模した置物が製作・販売されている。
[編集] 耽羅国三姓神話
済州島には、「三姓神話」という、韓国本土とは違った耽羅民族の独自の建国神話がある。それによると、瀛州(ヨンジュ)と呼ばれ、未だ人の住まない太古の濟州に「高、梁、夫」の3つの姓を持った3人の神人が、漢拏山の北山麓の地の穴(三姓穴)から現れたのが現在の済州の人々の先祖であるという。ある日、漢拏山から遠くの海を眺めていた彼らは、日本海の方から流れてくる木の箱を発見した。開けてみると、箱の中には東国(日本と取る学者が多い)の美しい3人の姫と馬と五穀が入っており、神人は、彼女達を妻として迎え、年齢順に住処を定めて暮らすようになった。その後神人の子孫達は、産業と五穀の栽培を始めて集落を作るようになり、約900年後に皆の人望を集めた梁氏を王(星主)として、初めて「タラク」という王国が成立したとされる。
- 宗像三女神も参照
[編集] 「三多」と「三無」
済州島の特徴を言い表すのに、「三多」と「三無」という言葉がある。
三多とは、「石と風と女の3つが多い」という意味。火山島であるため、火山の噴火により流出した火山岩が多く、台風が度々通過する上、季節風の吹く地域であり、またかつては漁労のため海に出て遭難するなど男性の死亡率が高かったことに由来している。
三無とは、「泥棒と乞食と(泥棒を防ぐ)大きな門の3つがない」という意味。かつての済州島は、厳しい自然環境を克服するため協同精神が発達しており、この3つがなかったことに由来しているという。その為に韓国本土に住む人々の気性の激しさとは対照的に性格も温和で純朴だと言われる。
[編集] 自然
この3つは「済州の火山島と溶岩洞窟群」として2007年に世界遺産に登録された。
[編集] 交通
済州国際空港へは、成田国際空港・関西国際空港・福岡空港・中部国際空港、北京首都国際空港より大韓航空・アシアナ航空が就航している。
便数は成田が週7便(大韓航空・JALのコードシェア便)、関西が週7便(大韓航空)、福岡が週6便(大韓航空・アシアナ航空)、名古屋が週3便(大韓航空)である。また、2007年7月21日(土)から10月1日(月)までの間期間限定でアシアナ航空により週5日運航された。
[編集] 観光
ゴルフ場やカジノなどの観光・娯楽施設が多数あるほか、海産物なども豊富なため日本などからも大勢の観光客が訪れる。 済州島エリア観光地紹介-韓国観光公社公式サイト
[編集] 軍事
韓国海軍は2006年現在、済州島に新たに海軍基地を建設中である。基地建設後は、独島級揚陸艦と計画中の最新鋭潜水艦をそこに集中配備し、済州島に機動艦隊用前進基地を建設する予定。
[編集] 関連人物
[編集] 出身者
- 姜在彦(作家・歴史家)
- ヘウニ(歌手)
- 金時鐘(作家)
- 呉善花(評論家)
- チェ・ホンマン(崔洪万)(格闘家)
- 宋ボベ(송보배)(プロゴルファー)
- 姜珉鎬(カン・ミンホ、韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツ捕手)





