田渕久美子

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たぶち くみこ
田渕 久美子
生年月日 1959年6月28日(50歳)
出生地 島根県益田市
国籍 日本
民族 日本人
職業 脚本家
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1985年 - 現在
家族 長男、長女
主な作品
テレビドラマ
篤姫

田渕 久美子(たぶち くみこ、1959年6月28日 - )は島根県益田市出身の脚本家島根県立益田高等学校共立女子短期大学卒業。アイアンキャンドル(泰葉と共同で設立したが、両者でトラブルがあり事務所の運営から脱退)→ 株式会社矢島聰子事務所所属。

目次

[編集] 人物

  • プログラマーとして働きながら、シナリオ作家協会のスクールに入る。その卒業作品「緑」が新藤兼人に評価され、その直後、一色伸幸から、アニメ「ミームいろいろ夢の旅」の依頼をうけ、これがデビュー作となった。

[編集] エピソード

  • 脚本家を目指したきっかけは、山田太一の脚本したドラマ「想い出づくり。」のテロップ「脚本 山田太一」の部分が自分の名前に見えた事から[1]
  • 自分の作品は基本的に見ない。本人曰く「勝手に台詞の言い回しが変えられていると腹が立つ。精神安定のためになるべく見ないようにしている」[1]
  • パソコンのファイル整理が苦手で、使っているパソコンの画面はアイコンだらけである。取材で来ていた安住紳一郎曰く「新しいスクリーンセーバーかと思った」[1]
  • 2009年1月23日、とくダネ!フジテレビ系)にコメンテーターでの出演が予定されていたが、インフルエンザ罹患のため、キャンセルとなった。

[編集] 家族

  • 私生活では離婚歴があり、1992年に結婚した最初の夫とは1999年のクリスマスイブに“仕事のために”離婚。その後3年間は同居。2006年に再婚した2番目の夫とは「篤姫」放送中の2008年10月に死別。前夫との間に設けた1男1女の母でもある。
  • 最初の夫との離婚の原因は、長女出産直後にあるドラマの打ち合わせの際にプロデューサーから「育児をしながら脚本が書けますか」と言われ、その事が頭に残っていた事から。また離婚の際も夫に、籍を入れたまま別居か、離婚して同居かの2択を提示し、夫は後者を選択、田渕は寛大な夫に感謝したという[1]
  • 2番目の夫は、田渕に篤姫脚本の際に歴史の事を教えるなど多大な協力をするが、篤姫が放送されて3ヵ月後、夫に体の不調が現れるが、大丈夫と言い張り病院に行かなかった。その後も夫の体の不調は悪くなり、篤姫終了後に病院に連れて行くが、末期の大腸癌と診断。夫の手術の日は篤姫の打ち上げパーティーがあり、功労者である田渕はどうしても抜ける事が出来ず、パーティー終了後すぐに駆けつけた。術後は夫との会話は筆談になり、最後は筆談で「愛しているよ」の言葉を残し亡くなった[1]
  • 田渕の長男は、田渕が執筆中で忙しい時には家事を替わりにやる。また長女を可愛がっており、長女を呼び出してはいじくり回して解放するという[1]

[編集] 作品

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] 出演

[編集] テレビ番組

[編集] 著書

  • さくらとっておきの話(NHK出版
  • 脚本集 女神の恋(ゴルト・ブレイン)
  • 天国の青い蝶(ワニブックス

[編集] 受賞歴

  • 第11回橋田賞(2003年)
  • 第31回放送文化基金賞 テレビ作品賞(2005年)

[編集] 脚注

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  1. ^ 2009年1月23日放送『中居正広の金曜日のスマたちへ』 (TBS

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月12日 (木) 23:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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