白水会

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白水会はくすいかい)とは、住友財閥の旧直系、準直系、またはそれらから分離した企業など、住友グループの中核的会社の社長によって構成される社長会のことである。

目次

[編集] 概要

昔の住友財閥における中枢統括機関としての本社(持株会社)があって、人事、資金、販売のいずれも一元的に管理し、傘下企業を強力にコントロールする体制が確立していたころのものではなく、これに代わる住友グループ内企業の横の連携をはかるための連絡機関、ないしは「非公式の経営執行委員会」という位置づけである。戦後の新しい経済環境の中で企業グループの結束を強めることによって協力体制をととのえ、情報を提供しあい、また一企業ではカバーしきれない新産業分野にグループで進出しようとする戦略に寄与するものである。

[編集] 白水会の成立

白水会の初期の活動はよく知られていないが、戦後数ヶ月を経ずして早くも準備されはじめた。1949年(昭和24年)の時点で、白水会には住友直系12社が結集した。正式には、1951年4月に発足している。古田俊之助(第七代住友合資会社総理事)や土井正治(元住友化学会長)、田路舜哉(元住友商事会長)などの提唱によってはじまったといわれる。

第一回の会合には、旧直系の化学・金属・鉱山・銀行・信託・生命・電工・機械・電気・倉庫・石炭・日本建設産業12社の社長が参加した。社屋、総合病院の問題をはじめ各社共同で相談する案件が多く残っていたようである。住友が戦後の混乱期に、他財閥にさきがけいち早く社長会による集団指導体制を確立し、連帯意識の統一に成功した要因は、住友の場合、銅山経営を中核として多角化が進められ各企業の相互関係が比較的強かったことや、グループがスマートにまとまっており旧本社の統一人事による派閥がなく、「人の三井」「組織の三菱」に対して文字通り「結束の住友」であったこと、銀行を中心に、信託・生命などの強力な金融機関が存在したこと(金融機関は直接的な解体をまぬがれた)などが考えられる。

結成当初は春秋2回の会合であり、秘密会であったが、昭和20年末にはその存在を明らかにし、会合も月1回となった。白水会の呼び名は、当時大阪銀行(住友銀行)の鈴木剛社長の提案で、その昔、住友家が「泉屋」と号して銅商をはじめたことに由来し、「泉」を上下に分けて「白水」としたものである。この白水会は現役社長以外の代理出席は認めないという厳しいもので、他の財閥の社長会にくらべもっとも積極的に活動し、その統制力も強いといわれる。この他、会議内容は一切非公開、議決は満場一致、幹事は回り持ちとするなどが社長会運営上の基本ルールとなっている。

また、その協議事項も、当初は寄付金や住友病院、厚生施設など形式的なことが多かったが、やがて新規事業の計画、系列企業対策、商標、社章(井桁紋)に関することなど、住友グループ全体にかかわる問題のすべてがここで取り上げられるようになった。ただし各企業の最高人事や、各企業に対する直接的統制は白水会の権限外である。しかしこと住友グループに影響の大きい問題については、白水会が最高の連絡協議機関であり、こうした意味から「非公式の経営執行委員会」と呼ばれる。

ちなみにグループ内には、社長のOB会である「白泉会」(はくせんかい)や、副社長・専務クラスの会合で、白水会に提出する議題の事前調査・企画などを担当する「五日会」(いつかかい)もある。

なお戦前準直系であった日本板硝子大阪住友海上火災の2社は3回目の会合から正式に出席するようになり、また昭和25年、現在の住友金属鉱山が参加、その後昭和33年に住友不動産、39年に住友セメント(現・住友大阪セメント)が加入、さらに52年住友林業住友軽金属工業・住友建設(現・三井住友建設)・住友ベークライト・住友アルミニウム製錬が加わった。白水会への加入資格としては、旧直系・準直系かまたはそれから分離した企業で、資本的にも独立した大企業であるが、住友セメント(元三菱系)や住友アルミニウム製錬(非上場)などの例もありグループ内の微妙な政治力学も考えられる。

[編集] 白水会加盟企業

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

「住友財閥史」作動洋太郎 編者 (教育社 1979年)

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月20日 (月) 16:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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