競輪選手

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競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技競輪において、賞金を獲得するプロの選手である。

選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模の3,500名程度(2006年12月末で3,598人、2008年2月で3,531人、2009年5月で3,497人、2009年10月現在で3,472人)にのぼるが、減少傾向にある。現在は選手の実力に応じてS級とA級の二層(下述)に区分されており、トップレベルの選手になると年間に1億円以上の賞金を稼ぐ者も存在する。

目次

[編集] 競輪選手になるには

競輪選手になるためには、日本競輪学校に入学し、国家試験である選手資格検定に合格する必要がある[1]。その資格検定合格後に選手登録され、晴れて競輪選手となれる。

日本競輪学校の受験方法などについては日本競輪学校の項目に詳しい。

[編集] 競輪選手の生活

まず、JKA(旧・日本自転車振興会)より斡旋通知(各競輪場からのレース参加要請)を受ける。その時点で「参加」「不参加」の意思表示をしたのち、参加の場合は斡旋された競輪場へ前検日(開催前日)に赴く。その日のうちに身体・車体など各種検査を受けて「異常なし」と判断されれば、競走に参加できる。

八百長防止のため、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで[2]、選手全員が競輪場併設の選手宿舎に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり(近親者の急逝など余程の特別な事情がある場合は施行者側職員が立ち会う)、携帯電話や通信機器も前検日に競輪場に必ず預けなければならない[3]

基本的には開催初日から最終日まで毎日1走[4]し、帰宅の際、競輪場から賞金・手当を支給される。ただ、レースで失格処分を受けたときは、開催途中であっても即日競輪場から斡旋・参加の契約を解除され、競輪場から“追放”される。

競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2~3回ほど繰り返しているが、競輪は基本的に365日全国どこかの競輪場で開催されているため、競輪選手にお盆正月はあってないようなものである。

短期間に失格を繰り返したり、多くの警告を受けるなどした選手は、日本自転車振興会から出頭を命じられ、制裁の程度により日本競輪学校または日本サイクルスポーツセンターにおいて3泊4日または5泊6日の特別訓練を課せられる。なお制裁を頻発させた選手や特に悪質な行為に及んだとされた選手については黄檗宗大本山において5泊6日の厳しい「お寺での修行」(通称・お寺行き)が命じられ、お寺での宿泊中は座禅を組んだり周辺の掃除などを課せられるため練習は全く行えず、選手からも恐れられている。なお、この「お寺行き」などについては、競輪業界を描いた漫画『ギャンブルレーサー』に非常に詳しい描写がある。

[編集] 競輪選手の練習

競輪選手は基本的に師弟関係や先輩後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。練習内容は自転車競技選手と大差なく、競輪場自転車競技場において周回走行やダッシュを繰り返すが、『持久力をつけるため』や『身近に競輪場など練習できる場がないため』という理由で、街道を練習の場として活用する選手も多い。

また近年は自転車だけでは鍛えられない部分を補うためにウエイトトレーニングなどを行う事が一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。

[編集] 競輪選手の収入

選手の収入は競走での賞金に依るものだが、レース毎、着順毎に賞金が定められているため、当然にGIレースの決勝戦ともなると、賞金総額が数千万単位と格段に大きくなる。しかし途中棄権の場合は9着賞金(棄権が自分1人の場合)から20%がカットされ、失格になった場合はそのレースの賞金は支払わない。

この他、額は多くないが、レース中に雨や雪が降れば「(通称)雨敢闘手当」、正月三が日に競走に参加すれば「(通称)正月手当」(実際には年末年始の特定開催となる)が支給される。また、これ以外に失格・棄権関係なく「競走参加手当」(日当)および競輪場までの「交通費」が支給される。

これらはかつては全て選手個々に現金で支給されていた。従って当時は窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなかったといい、実際吉岡稔真は『別冊宝島』の企画で植木通彦と対談した際[5]、自宅近くで行われる競輪祭において、「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語ったことがある。ただ大量の現金を持ち歩くことは無用心でもあるので[6]、最近は殆どの選手が銀行振込での受け取りを選んでいる。

各競輪場の賞金は前年度の売り上げにより翌年度のレース毎の賞金支給額が変更されるため(事前に決定される特別競輪の賞金は除く)、同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なることが多い。このため近年の売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクとなる競輪場が年ごとに増加しており、この影響から選手全体の平均獲得賞金額も減少している。なお賞金の最高額はKEIRINグランプリ1着の1億円(副賞込みの金額)であり、最低額は賞金基準で1号基準となる、1号地競輪場におけるFII4日制A級10レーストーナメントの2日目選抜9着の29,000円である(2007年度現在)。(現在実際にはFII4日制は行われないため、現状FII3日制A級5レーストーナメント(チャレンジレース)の1日目予選9着の31,000円が最低額となる。)

オリンピックでは、アトランタ大会から自転車競技にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、以後大会毎に代表に選ばれた選手は、メダル獲得を目指して合宿を張るためオリンピック開催の数ヶ月前から通常の競走を欠場した上で参加している。欠場中は特別な配慮がなされ、規定が定められて一定の収入補償がなされている。特にメダルを獲得した場合は補償と共に報奨金も支給され、アトランタで銅メダルを獲得した十文字貴信には5,000万円が、アテネ大会で銀メダルを獲得した長塚智広井上昌己伏見俊昭には各4,000万円が、北京大会で銅メダルを獲得した永井清史には4,300万円がJKAなどからそれぞれ支給された。

[編集] 選手のクラス分け

  • 競輪選手は実力に応じて大きくS級、A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。
  • 日本競輪学校卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
  • 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
S級S班…赤のレーサーパンツ、横のラインは黒
S級S班以外のS級…黒のレーサーパンツ、横のラインは赤
A級…黒のレーサーパンツ、横のラインは緑(以前は星なしの白の3本線)
B級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは青(以前は星なしの白の2本線)
国際競輪に出走する外国人選手…赤のレーサーパンツ、横のラインは虹色
  • S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1~6月、7~12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1~6月、下半期は前年の7~12月)の競走成績を基に決定。

[編集] S級特別昇級(昇班)制度

A級1班およびA級2班のレーサーが3開催連続して「完全優勝」(全ての出走レースにおいて1着となること、俗称:ピンピンピン)を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時に昇級される(通称「特進」または「特昇」。ちなみにA級3班の選手が3開催連続で完全優勝した場合はA級2班に特別昇班する)。また、レインボーカップシリーズという、S級特別昇級9人の枠を争うシリーズが行われている。

[編集] 仕組み(セカンド・ファイナルの両ステージは3日間トーナメント)

  • それぞれの新しい選考期間の最初の月(前期:1月、後期:7月)に、ファーストステージを行い、全選手の平均競走得点上位270人がセカンドステージに進出。対象となるのはすべてのレース。
  • セカンドステージ(4月、10月)は270人が全国6ヵ所(各場45人ずつ)に分かれてレースを行い、決勝戦出場の54人(同9人ずつ)がファイナルステージに進出する。
  • ファイナルステージ(6月、12月)は第2ステージに勝ち上がった54人が集結したトーナメントで、優勝戦勝ち上がりの9選手は優勝戦の翌日付でS級特別昇級となる。

[編集] 特別昇級の特典

特別昇級してから2期の間(1年間)は、降級しない。少なくともS級2班の格付けを得る。昇級は可能である。ただし、レインボーカップから昇級した者は、この期間を3期とする(つまり期末に特別昇級してしまうため、その期間を算入している)。

[編集] 歴史

競輪選手のクラス分けは、創生期はA級・B級・C級による3層制であったが、間もなくA級・B級の2層制となり、やがて2層7班制(A級1~5班、B級1・2班)に変更され、その後1983年に行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)により、S級・A級・B級の3層9班制(S級1~3班、A級1~4班、B級1・2班)に移行した。そして2002年4月よりS級・A級の2層5班制に移行し現在に至っている。

また76期(1995年デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果によってA級1班~B級2班に格付けされていたが、その後はB級2班(2002年以降はA級3班)格付けで通常のレースに参加する形態となった。

なお2008年前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、基本的にA級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA3同士のみになる。また特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への「特進」となる(特別昇班)。

またS級1班の上位格付けとして『S級S班』が存在する。これはKEIRINグランプリ出場者など年間上位18名に適用されるいわばトップ中のトップの選手のみが入れる特別ランクで、特別競輪の出場権利・レース斡旋の希望選択・一定期間における公休などの優遇措置が与えられる。

[編集] S級S班の概要

  • 人員 18人
  • 選考基準
    • 適用期間中にKEIRINグランプリに出場する資格を得た選手
    • 現状S級S班在籍者で、期間中に行われた自転車トラック競技国際大会(夏季オリンピック世界選手権自転車競技大会等)に出場した選手
    • 開催運営に関する調整委員会が特に認めた選手
    • また上述の選手以外から、S級S班の選手選出を行う年の1月1日から12月22日に最終日(決勝戦)が予定されている開催までの審査期間中において、賞金獲得上位選手(2008年度は高松宮記念杯競輪から全日本選抜競輪の各GIレースで賞金を獲得した累計上位選手)も対象とし、それの合計で18人以内になるようにする。
  • 除外規定
    • 競輪グランプリ選考委員会でGII以上の特別競輪の選抜方法による申し合わせの除外規定で選考除外となったり、また審査期間中において「斡旋規制(保留)」など、S班に所属するには不適当とされる選手、また既にS班に所属している選手においても、調整委員会で不適格とみなされた選手も除外対象とし、S班所属選手がそれに抵触した場合、及び次年度にS班に残留できなかった選手はS級1班への降格となる。
  • 適用期間 12月27日から次の年の12月26日までの1年とする
  • 優遇処置
    • 日取り調整会議の状況により既に開催が決まっている期間は斡旋計画を提示。それ以外の開催に希望する場合には「希望斡旋届け」の提出が出来るが、本人の希望に必ずしも添えない場合もある。
      ※ただし予め出場を希望したレース以外でも状況によって優先斡旋を行うことがある
    • GP以外の特別競輪に優先的に出走できる権利が与えられる。
    • GIIについては適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づく本人の希望を考慮して出走できるレースを調整できるようにするが、当該選手の出身地・所属地の都道府県に関しては必ず出走することが義務付けられている。
    • F1(一般普通開催のS級シリーズ)の場合も適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づいた本人の希望に充分配慮して出場レースを決めるように出するが、国際競輪等の特別企画レースと重複した場合はそれを優先する。また最低年1回は当該選手の出身地・所属地の都道府県で行われる地元開催のレースに出場することを義務付ける。
  • オフ期間 年1回・1ヶ月間まで。ただし重複が生じた場合の人数は6人まで
  • 公共交通費用にかかる特別料金支給
  • S級レース(F1以上、GP除く)の開催において特別選抜予選にシード出場が約束される。
  • ファンサービスの一環としてPR活動やファンの集いへ出演する他、S班用のユニフォームを用意する。

なお当初は「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であったが、2009年は同年1月25日にS級S班であった手島慶介が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「SSシリーズ風光る」において出場人数が揃わなくなることから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」[7]と規定が改正され、これにより2008年の選考時に次点であった岡部芳幸が2009年5月1日付で追加選出された。

[編集] 競技で活躍した競輪選手

競輪選手も自転車選手という側面を持つことから、各種の自転車競技に参加している選手もいる。長い間プロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。

[編集] 世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手

[編集] オリンピック自転車競技に出場経験がある競輪選手

以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。

[編集] その他のオリンピック競技で活躍した競輪選手

高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。

[編集] パラリンピックで活躍した選手

[編集] 選手寿命

競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には68歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している[8]。また50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。

最近では2004年に当時45歳の競輪選手・松本整高松宮記念杯競輪を優勝し話題となる(直後に引退)。また1984年ロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉は、現在においても最高位のS1に位置している。更には1955年生まれの竹内久人(2007年7月に引退)とその長男である竹内公亮選手は、2006年前期に共に史上初の親子S級在籍を経験した。

このように競輪選手の寿命が長い原因としては、競技の特性が上げられる。競輪は他のスポーツと違い、骨や関節に負担がかかりにくいと言われる。トラック競技をはじめ、野球サッカー相撲等の選手は筋肉より先に肘や膝などの関節部を悪くしてしまう事が多い。その為に30代で限界がきてしまうのであるが、競輪の場合は関節に負担がかかりにくい。よって落車により体を痛めない限り体への負担が軽いのである[9]

また、年をとるとハイパワーでの持久力が極端に減る。このことも他のプロスポーツでは致命的なハンデとなっている。しかし競輪の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦法があることで他のプロスポーツと異なるアドバンテージを持っている。これは最後の直線までは自分とラインを組んでいる選手の後ろを回り、風除けにすることでハイパワーでの持久力を必要としない戦法である(風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れる)。従って、かなりの選手は年齢をとると追い込み戦法に変わることが多い。

このことは逆に選手の新陳代謝を阻害している側面も指摘されており、実際近年トップスターの座にいる選手の中には10年前からトップスターだった選手が何人もいる。よって古くからのファンは喜んでいるが若いファンの開拓には不向きな側面もあるといわれる。事実、2005年度のオールスター競輪の決勝では10~15年前が全盛時の選手が数人居たため、“タイムスリップしたようだ”などと揶揄された。

なお2009年8月現在の実働最高齢選手は1948年9月1日生まれの竹田恵一選手が活躍中。

[編集] 日本競輪選手会

  • 競輪もプロ野球選手同様、日本競輪選手会(以下 選手会)という組織が存在する。非常に強い権限を持っており、事実上、選手の雇用主としての側面もある。
  • 競輪選手は選手会の全国の支部に所属しなければならない。そうしないと競走の斡旋をJKAから拒否される。
  • 選手へのペナルティを参加自粛要請という形で、JKAとは独立して行うこともあり、しばしば二重制裁と言われる。
  • また、競輪とは関係ない独自の事業を行って、選手会への積立金を立て、会員に還元する試みを近年行っている。
  • 選手会の幹部は競輪選手ではあるものの、競走へはあまり参加していない。これは選手会の業務が忙しいためと言われる。そのため何年も競走へは参加していない幹部も多い。しかし特別に登録消除(引退)にはならない規則となっている[10]

プロ野球の選手会と違い、競輪の選手会はマスコミやファンにはあまり人気があるとは言えない。これは1989年KEIRINグランプリを、賞金の値上げ闘争の代償に中止へ追い込んだことが始まりとされる。この際に「ファン無視」と当時のスポーツ新聞は大々的に書きたてた。その後も出走ゲートに選手が揃ったにも関わらず、先頭誘導員に出走拒否命令を下し、開催が中止になったこともある。これも選手会の闘争の一環として行われたが、ファンとマスコミからは大ブーイングを浴びた。

さらに松本整元選手との争いも有名である。松本整が現役時代に引退前年のレースで失格を連発した際に、選手会が先述の「二重制裁」を加えたことついて、松本整は「選手会は僕を守ってくれなかった」と反発した。この争いについては双方に言い分があるのだが、ファンや競輪マスコミは松本整を支持する声の方が強かったのが現実である。結局、松本整はそれまでのS1からいきなりA級に降格を決められたことや、自身を守ってくれなかった選手会に反発し、2004年高松宮記念杯競輪優勝を花道に引退して競輪界を震撼させた。

[編集] 女子競輪選手

かつては女性選手だけの競輪「女子競輪」が開催されていたことがあり、女性のプロ競輪選手も多数存在した。代表的な女子選手として、奈良田中和子神奈川の渋谷小夜子、山口の畑田美千代などがいた。

1948年(昭和23年)11月、小倉競輪場での競輪初開催と同時に女子競輪もオープンレースが開催され、翌1949年10月に開催された第2回全国争覇競輪川崎競輪場)にて車券発売の対象となる正式レースとなった。

当初は女性選手が女性誌等で「ミス・ケイリン」と取り上げられるなど、多方面に話題を提供したこともあった女子競輪だが、元々選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多く[11]、ファンから見てギャンブルとしての魅力が乏しかった事などから、多くの競輪場が女子競輪の開催に及び腰となっていった[12]。結果的に女子競輪の人気は長続きせず、1964年(昭和39年)9月8日に開催された名古屋競輪場でのレースが最後となり、女子競輪の歴史は幕を閉じた。

女子競輪においても特別競輪(現在で言うGIレースに相当)は開催された。上記の全国争覇競輪の他に高松宮妃賜杯競輪全国都道府県選抜競輪競輪祭にて女子の部が開催されていたが、1957年の第12回全国争覇競輪の女子の部が直前になって突如中止されて以降は高松宮妃賜杯・全国都道府県選抜のみとなった(競輪祭も1958年の第4回大会以降では実施されず)。また、圧倒的な強さを誇った田中和子の引退もあり、女子競輪の衰退に拍車がかかった。

最盛期の1952年(昭和27年)には669名もの女性選手が在籍したが、体力の限界や結婚などで引退する者が相次ぎ、1959年(昭和34年)には394人、1961年(昭和36年)には294人にまでその数を減らしていった。また、デビュー当時18〜19歳だった彼女らも徐々に高齢化し、晩年には「ミセス・ケイリン」とまで揶揄される有様であった。そして1964年8月、末期まで残った230人の女子選手全員の登録消除が決定し、10月31日付けで選手登録消除となり、全員が引退した。

現在では、弥彦松戸など一部の競輪場で、「レディース・ケイリン」と題して女子競輪が行われることもある。ただこれは主に地元で集められた女子選手による模擬レースであり、ファンサービスとしてのアトラクションの一部のため、実際に同レースは車券発売の対象とはなっていない。

また、上記「レディース・ケイリン」とは別に、佃咲江和田見里美の2人が北京オリンピックに出場したことを契機に、女子自転車選手の強化の一環として、2008年2009年にそれぞれガールズケイリンが行われた。

女子のケイリンがオリンピック種目に採用される可能性がある[13]ことや、昨今の競輪の売り上げ低迷打開策の一環として2012年3月に女子競輪の開催を復活させる方向で進められている。[14]JKA2010年5月に日本競輪学校入学者を募集。定員は35名で、合格者は2011年1月から12月まで同校で養成され、2012年3月にデビューの予定[15]。また当面は、首都圏のナイター開催対応場のFI、FII開催において、1日2レースを実施する予定。

車立ては原則的に7車とし、将来的に五輪で女子「ケイリン」が正式種目として採用されることを念頭に置き、五輪や世界選手権と同様のUCIルールを採用する予定。また、ヘルメットやユニホームもファッション性を重視したものを採用する予定となっている。

なお女子選手が男子選手と結婚[16]し、その子供も競輪選手になったという例[17]もある。

[編集] その他・特徴

  • 競輪の歴史は半世紀を超え、競輪選手の数は最大期には4,500人に近い数字を保ってきた。このため、競輪選手には社会の縮図としての側面が見受けられる。
    • 具体的に言えば、二世選手、兄弟選手、珍名・難読名の選手、元教師・元警察官等の転職歴がある選手、異分野のプロスポーツから転向してきた選手、家族に著名人がいる選手、何らかの犯罪の容疑者として逮捕される選手、より良い環境を求めて地元から遠方へと本拠地を移転する選手など様々である。
    • 収入の安定や引退後の生活手段の確保などを目的に、アパートなどの不動産運用や飲食店経営などの副業を手掛けている選手も珍しいものではない。特に飲食店を経営している場合には、競走に参加していない日には競輪の練習の傍らオーナーとして自ら店頭に立ち集客に勤しむ選手も見られる。なお、この種の副業は夫人などの家族の名義で行われている事も多い。
    • 競輪選手はその仕事の性質上、通常ならば毎月3分の1程度は競輪開催への参加の為に家を空ける事になり、その間は競輪場内で隔離状態に置かれて自宅・家族との連絡も基本的に一切許されない。その為、職業上のメリットやデメリットについてはいわゆる旅商売にも通じる一面が垣間見られ、同様に旅商売とされる職種でも時折聞かれる様な、家族の不貞行為や子女の非行などといった家庭面での様々な問題に悩まされたり、その種の家庭内問題にまつわる噂が立つ選手も見られる。
    • 過去には選手自身が自転車競技法違反の容疑で検挙された事例もあったが、ここ20年ほどは発生していない。また、選手会の力が非常に強いため、自転車競技法に関する事例を除けば悪質・凶悪な犯罪でもない限り、逮捕されてもすぐに登録消除にはならないようである。しかし最長1年以上の出場停止の処分を科された例はある。
  • ごく初期の競輪選手は、選手登録に際して審査が無かった為、誰でも選手になる事が出来た。自転車競技の経験者が多かったが、全く未経験の者もおり、玉石混淆の状態であった。従って能力差も大きく、適性を欠く選手や不正を働く選手も見られ、各地で発生した騒乱事件の原因ともなり、一時は賭式についても6枠制から4枠制への変更を余儀なくされた。ヒロポンなどの薬物に手を出し、中毒死した選手も存在する。この事は社会的な問題となり、1950年9月より適性審査や選手資格の検査基準を導入した結果、資質に問題のある選手は淘汰されていった。
  • 昭和30年前後に、進駐軍のアメリカ人伍長が、休暇中に競輪に参加した記録がある。
  • 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生であり、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者も多い。ただし中には全く異分野のアマチュアスポーツ・プロスポーツから転向する者も見られ、上述した様にスピードスケート競技で世界トップレベルの実績を残して競輪に転向する者もいるなど、適性と能力次第ではあるものの、他のアマチュアスポーツの選手がその運動能力を活かしてプロのスポーツ選手へと転職する際の、一つの大きな受け入れ先という側面も持っている。
    • 自転車競技経験を全く持たない者としては、プロ野球の選手を経験した後に競輪選手へ転向した者がいる[18]この他、学生野球陸上競技ラグビー大相撲オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。
    • 最も変わった例としては、阿部康雄選手のように、素人時代に競輪場のイベント「素人足自慢大会」で見事優勝を果たし、それを機に競輪選手を志すなど一風変わった経歴の持ち主もいる。なお日本競輪学校では自転車競技経験のない者を対象にした適性試験も実施しているが、選手を志し短期間で自転車の乗り方を覚えて通常の試験を受ける者も多い。その典型例は吉岡稔真であり、競輪学校に入学するまでスポーツ選手経験歴すらなかった。
  • 競輪選手は落車によるケガがつきもので、これはS級1班のトップレーサーであっても例外ではない。とりわけ、鎖骨の骨折については「職業病」として語られるほどで、骨折した選手への励ましなどで「競輪選手は鎖骨骨折を克服して初めて一人前になる」などという言葉が聞かれる時も珍しいものではない[19]
    • ヘルメットなどの防具が整備される前は、競走中の事故による殉職者や、大怪我を負って引退を余儀なくされる事故が、年間10件以上発生していた。現在ではヘルメットの改良やプロテクターの装着などによって、創生期に比べれは発生数こそ大きく減少したものの、それでも数年に一度ほど発生している。
    • 他方で、街道での練習時に何らかの事故に遭遇する場合もあり、自動車も走る道で練習することから競輪選手が交通事故に関与してしまうケースもある。むしろ現状は競輪場内よりも街道での練習中に交通事故で死亡する事例の方が多くなっている。
    • なお、怪我などによる長期欠場期間は最長3年以内と決められており、それまでに復帰できない場合は登録消除となり選手資格を失う。

[編集] 脚注

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  1. ^ 要は選手資格検定に合格すれば良いので、形式上は日本競輪学校に入学する必要は無い。ただ入学せず資格検定に合格した人を聞かない様に、資格検定の受験のみで合格することは非常に厳しいため、事実上はまず日本競輪学校に合格・入学することが選手となる為の大前提となる。
  2. ^ 通常は4~5日間。長くて日本選手権競輪開催期間中の7日間。
  3. ^ 公営競技全般において、もし参加中に所持していることが発覚すれば、一定期間の斡旋停止など厳しい処分が課せられ、使用が発覚した場合には更に重い処分となる。
  4. ^ 競艇競馬などと違い1日に2走以上することはない。また、レースによっては休み日を挟む場合がある。
  5. ^ 別冊宝島343「競輪打鐘(ジャン)読本」に収録。
  6. ^ 実際同対談では、手っ取り早く金を稼ぎたい人間にとって「吉岡を食らわせたほうが早いかもしれない(笑)」と語った植木に対し、吉岡自身「そう考える人はいるはずですよ」と答えており、当時から選手間では強盗に襲われる危険性について認識していたようである。
  7. ^ JKA2009年3月13日公示・S級S班の追加選出について
  8. ^ 直近の還暦実働選手は1948年3月4日生まれの栗田岳文で、2008年6月14日のレースを最後に引退。
  9. ^ 但し自転車に乗車する姿勢から腰には負担がかかりやすい。また回転の負担で特に膝や足首など脚の関節を痛めると現役続行が難しくなる。
  10. ^ 現理事長の鈴木孝幸も選手の扱いとなっており、登録上は最高齢の選手である。
  11. ^ 「競輪50年史」などによると、大概は100円台の配当だったという。逆に本命選手が敗れれば大穴が出る、といった状況で、ファンとしては車券が買いづらかった。特に女性選手の場合、生理などで体調管理が難しい面もあった。当時は予想屋が懇意の客に「今日●●(選手名)は生理だから来ない(連に絡まない)よ」と囁くことも多かったという。
  12. ^ それでも西宮競輪場甲子園競輪場などのように、晩年でも積極的に女子競輪を開催した競輪場もあった。
  13. ^ 世界自転車選手権では、2002年より女子ケイリンは実施されている。
  14. ^ 女子競輪47年ぶり復活! - スポーツ報知2009年10月2日
  15. ^ 女子ケイリン等に関する検討状況について KEIRIN.JP
  16. ^ 田中和子は高橋恒と、畑田美千代は石村正利と結婚した他、いくつかの例がある
  17. ^ 中野光仁夫妻の子である中野浩一もその中の一人である。また、佐々木昭彦も同様に父母は競輪選手。
  18. ^ 競輪学校への受験には、第92期生まで受験時点で満18歳以上満24歳未満という年齢制限があったため、転向するにはプロ野球球団を早期に退団する必要があったことから、転向例は僅か数名に留まっていた。だが現在は受験資格が大幅に緩和されたことから、実際に競輪選手へ転向する例が増えている。競輪学校においてもプロ野球球団を退団した元選手に対しては、退団年とその翌年までの2年間に限り受験科目の一部免除を行っている。また2008年11月11日横浜ベイスターズ総合練習場で行われたトライアウトでは競輪学校のブースを設営しており、その知名度も含めて選手として有望な人材の獲得に動いている。
  19. ^ ちなみに、鎖骨骨折が多く聞かれるという点では、競馬騎手にも同様の傾向がある。

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最終更新 2009年11月17日 (火) 14:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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