谷隼人

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たに はやと
谷 隼人
本名 岩谷 肇
別名 岩谷 隆広
生年月日 1946年9月9日(63歳)
出生地 日本鹿児島県
ジャンル 俳優タレント
活動期間 1966年 -
配偶者 松岡きっこ
主な作品
映画
『非行少女ヨーコ』
網走番外地』シリーズ
不良番長』シリーズ
『夜の歌謡シリーズ』
『非情学園ワル』

テレビドラマ
少年ケニヤ
キイハンター
アイフル大作戦
バーディー大作戦
寺内貫太郎一家2』
明日の刑事
熱中時代
熱中時代・刑事編
光戦隊マスクマン

バラエティ番組
風雲!たけし城

谷 隼人(たに はやと、1946年9月9日 - )は鹿児島県隼人町(現・霧島市)生まれで長崎県佐世保市を経て東京都中野区育ちの俳優タレント。小学校5年生の時に防衛庁(現・防衛省)勤務の父親の転勤で上京。本名、岩谷 肇(いわたに はじめ)。1980年頃に一時期岩谷 隆広(いわたに たかひろ)と名乗っていた時期もあった。

目次

[編集] 来歴・人物

1961年、中学校3年生の夏休み、TVドラマ『少年ケニヤ』に本名の岩谷肇で出演。 1963年に高校(聖パウロ学園高等学校、1972年に八王子市へ移転、跡地はTBSの新社屋となっており以前は同校の記念碑があった)を2年で中退し、同年かねてより憧れていた石原裕次郎がいる日活のニューフェイスに合格し映画に出演するも、とある日の撮影で崖から海面に飛び込むシーンがあり『もし岩が突き出ていたら御陀仏だ!』と誰もが恐怖に慄いていた時、谷は真っ先に『僕にやらせて下さい!』と勇んで飛び込み、海から上がって来るとその場に居た連中からは『何て恐ろしくも卑しい奴だ!そうまでして自分だけ良く見られたいのか!』と激しく罵られ、善意で行った事に対してその様な物の見方しか出来ない心の醜い理不尽な連中に嫌気が差し日活と決別。 その後、代々木のスナック(現代の店舗形態とは大いに異なる)で働いているところをスカウトされ東映に入社。 谷隼人の芸名で1966年『非行少女ヨーコ』で緑魔子の相手役として気の弱い予備校生役で準主演デビュー。

日本人離れした端整なマスクにスラリとした長身、その類稀なる絶世の美貌から和製アラン・ドロンと謳われ、ピエール・カルダンと並ぶ人気デザイナーであったテッド・ラピドスの日本に於けるイメージ・キャラクターに選ばれる。さらに抜群の運動能力から繰り出すアクションを売り物として東映の若手看板スターとなり、網走番外地シリーズ、不良番長シリーズ、夜の歌謡シリーズ等で活躍。主演作『非情学園ワル』(1973年)では27歳にして高校生役を演じ、シリーズ化された。

1968年スタートのTBSのテレビドラマ『キイハンター』に国際警察秘密捜査チームのメンバー、島竜彦役でレギュラー出演した。1973年まで5年間続いた『キイハンター』は同局の『ザ・ガードマン』同様に昭和40年代を代表する人気ドラマのひとつとなり、愛嬌あるキャラクターでお茶の間の人気スターとなる。引き続き、後番組の『アイフル大作戦』(1973年~1974年)、『バーディー大作戦』(1974年~1975年)には準主演格で出演。通算7年間、丹波哲郎と共にTBS土曜9時のアクションドラマの顔として活躍した。

『バーディー大作戦』の後番組『Gメン'75』への出演を打診されたが、『寺内貫太郎一家2』の出演によってホームドラマへの関心が沸き始めアクション俳優からの脱皮を図り辞退する。以降は各種のドラマに加え、バラエティー番組への出演も増えていき、1986年 - 1989年TBS系バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』にレギュラー出演し、攻撃軍の谷隊長役で一躍若年層にまで知られるようになる。これによりタレントのイメージが定着した。

高校生の時分に知り合い、その後『キイハンター』『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』で共演した松岡きっこ1981年に再婚。以後芸能界のおしどり夫婦としても数々のテレビ番組に出演した。最近では夫婦でテレビ東京の旅番組・グルメ番組に出演することが多い。

[編集] エピソード

  • その風貌からジーンズ姿が実によく似合った。後にも先にもこれほどまでにジーンズで抜群なかっこよさを演出出来たのは谷だけである。
  • 1971年夏に小学生の時分より想い描いていたスイスの教会にて美人ファッション・モデルの岡美智子と大恋愛の末に結婚するも『バーディー大作戦』収録中の1974年に離婚する、原因は谷の母が岡を嫁として好まなかったといわれている。
  • 高倉健と共演が決まったとき、セリフの少なさに不満を漏らしてしまったことがスタッフに伝わり、降板した苦い経験がある。なお、その役は高倉が谷のために考案した役だったため、谷はすぐに謝罪しむしろ高倉との絆が深まったという。
  • 1980年代後半の時点ではまだスラリと引き締まった体型であった。
  • 2005年に「ズバリ言うわよ!」の「運命のカルテ」に出演したときに、谷の人柄に細木数子が番組史上最高の絶賛をした。(これが功を奏したのか、秋のSPにも出演している。)また、秋の「オールスター感謝祭」で赤坂ミニ駅伝で3位に終わった際に、同じチームの石田純一とデリマ選手(アテネ五輪・銅メダリスト)に自分が足を引っ張ってしまったことを何度も謝罪するなど律儀で非常に責任感の強い一面を見せた。
  • 妻にパンツを履かせてもらっているほどの亭主関白である。
  • 「谷隼人」の芸名の由来は谷が本名の岩谷から、隼人は出身地の鹿児島県隼人町(現・霧島市)=薩摩隼人にちなんでの意味である。
  • 特撮ヒーロー番組『光戦隊マスクマン』で姿長官役を演じることを知ったたけし軍団やファンからは「風雲!たけし城」を落とせない奴にチューブ(劇中の敵組織)を倒せるわけがない」とネタとして揶揄されることがあった。

[編集] 出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ

[編集] 映画

  • 『学園広場』(1963年 日活)
  • 『月曜日のユカ』(1964年 日活)
  • 『抜き射ちの竜 拳銃の唄』(1964年 日活)
  • 『猟人日記』(1964年 日活)
  • 『黒い太陽』(1964年 日活)
  • 『非行少女ヨーコ』(1966年 東映東京)
  • 『網走番外地 荒野の対決』 (1966年 東映東京)
  • 『夜の青春シリーズ 赤い夜光虫』(1966年 東映東京)
  • 『網走番外地 南国の対決』 (1966年 東映東京)
  • 『北海の暴れ竜』(1966年 東映東京)
  • 『ボスは俺の拳銃で』(1966年 東映東京)
  • 『残侠あばれ肌』(1967年 東映東京)
  • 『決着(おとしまえ)』(1967年 東映東京)
  • 『続・組織暴力』(1967年 東映東京)
  • 『網走番外地 悪への挑戦』(1967年 東映東京)
  • 『網走番外地 吹雪の斗争』(1967年 東映東京)
  • 『続・決着(おとしまえ)』(1968年 東映東京)
  • 『あゝ海軍』(1968年 東映東京)
  • 『マル秘トルコ風呂』(1968年 東映東京)
  • 『不良番長』(1968年 東映東京)
  • 『不良番長 猪の鹿お蝶』(1969年 東映東京)
  • 『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』(1969年 東映東京)
  • 『不良番長 練鑑ブルース』(1969年 東映東京)
  • 『夜の歌謡シリーズ 港町ブルース』(1969年 東映東京)
  • 『不良番長 送り狼』(1969年 東映東京)
  • 『夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース』(1969年 東映東京)
  • 『不良番長 どぶ鼠作戦』(1969年 東映東京)
  • 『新網走番外地 さいはての流れ者』(1969年 東映東京)
  • 『不良番長 王手飛車』(1970年 東映東京)
  • 『不良番長 一獲千金』(1970年 東映東京)
  • 『日本ダービー 勝負』(1970年 東映東京)
  • 『不良番長 出たとこ勝負』(1970年 東映東京)
  • 『ずべ公番長 夢は夜ひらく』(1970年 東映東京)
  • 『経験』(1970年 東映東京)
  • 『不良番長 暴走バギー団』(1970年 東映東京)
  • 『新網走番外地 吹雪のはぐれ狼』(1970年 東映東京)
  • 『ずべ公番長 はまぐれ数え唄』(1971年 東映東京)
  • 『新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬』(1971年 東映東京)
  • 『新網走番外地 吹雪の大脱走』(1971年 東映東京)
  • 『不良街』(1972年 東映東京)
  • 『非情学園ワル』(1973年 東映東京)
  • 『非情学園ワル 教師狩り』(1973年 東映東京)
  • 『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』(1973年 東映東京)
  • 『聖獣学園』(1974年 東映東京)
  • 『非情学園ワル ネリカン同期生』(1974年 東映東京)
  • 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(1975年 松竹)
  • 『ラグビー野郎』(1976年 東映京都)
  • 『男組 少年刑務所』(1976年 東映東京)
  • 『狭山裁判』(1976年 東映東京)
  • 『ピーマン80』(1979年東宝)
  • 『結婚案内ミステリー』(1985年 角川映画)
  • 『劇場版 光戦隊マスクマン』(1987年 東映)

[編集] その他


[編集] 関連項目

[編集] 外部サイト

最終更新 2009年11月25日 (水) 12:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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