貴ノ浪貞博
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| 貴ノ浪貞博 | |
|---|---|
| 四股名 | 貴ノ浪 貞博 |
| 本名 | 浪岡 貞博 |
| 愛称 | にょ浪 |
| 生年月日 | 1971年10月27日(38歳) |
| 出身 | 青森県三沢市 |
| 身長 | 196cm(現役時) |
| 体重 | 160kg(現役時) |
| 所属部屋 | 藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋 |
| 得意技 | 左四つ、寄り、上手投げ、極め出し、河津掛け |
| 成績 | |
| 現在の番付 | 引退 |
| 最高位 | 東大関 |
| 生涯戦歴 | 777勝559敗13休(104場所) |
| 幕内戦歴 | 647勝473敗8休(76場所) |
| 優勝 | 幕内最高優勝2回 |
| 賞 | 敢闘賞3回 |
| データ | |
| 初土俵 | 1987年3月場所 |
| 入幕 | 1991年11月場所 |
| 引退 | 2004年5月場所 |
| 引退後 | 音羽山親方 |
| 趣味 | 釣り |
| 備考 | |
| 金星:2個(武蔵丸2個) | |
| 2009年8月1日現在 | |
貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ、1971年10月27日 - )は、青森県三沢市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋、引退時は貴乃花部屋)所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は浪岡貞博(なみおか ただひろ)。現役時代の体格は身長196cm、体重160kg、血液型はO型、愛称は「にょ浪」(由来はやくみつるの4コマ漫画から)、大関時代には部屋では「浪大関」と呼ばれていた。趣味は釣り。現在は年寄・音羽山。
目次 |
[編集] 現役時代
[編集] 十両昇進まで
三沢第二中学時代に年寄藤島(のち二子山、元大関貴ノ花)に勧誘され、初めは高校進学を考えていたが両親が貴ノ花を贔屓にしていたため入門が決定、1987年(昭和62年)3月場所、本名の浪岡で初土俵。
1991年(平成3年)3月場所十両に昇進。中卒入門で4年での十両昇進は十分に早い出世だが、大器を期待する師匠からは「遅い」と叱責を受けたエピソードがある。新十両を機に四股名をつける際、師匠夫人の提案で師匠の現役名貴ノ花と本名浪岡を組み合わせて貴ノ浪と命名された。四股名は「さだひろ」だが本名は「ただひろ」と読む(関係者の殆どが「さだひろ」と間違えて呼ぶため、仕方なく現役時代はパスポートなども「さだひろ」に変えてしまったというエピソードがある)[1]。
[編集] 幕内昇進
1991年9月場所では大善と12勝3敗で十両優勝を争い、翌11月場所、大善、高田川三人衆の一人鬼雷砲、終生のライバルとなる武蔵丸と同期で新入幕。この場所は初日から7連勝し、すわ新入幕初優勝かと話題となった。中日には水戸泉に負けたが翌日優勝争いの筆頭だった琴錦を倒して勝ち越し、残りは全部負けて8勝7敗だったが周囲は驚き、「未完の大器」と注目を浴び始める。
[編集] 大関昇進
1993年(平成5年)5月場所に新小結で10勝5敗、7月場所に新関脇で9勝6敗、9月場所10勝5敗、11月場所は12勝3敗で、翌1994年(平成6年)1月場所は大関とりの場所となった。しかし、同部屋に貴ノ花と若ノ花の2大関がいるため、同じく大関とりの武蔵丸よりも好成績が求められた。7日目、それまで1度も勝てなかった横綱曙との対戦で斜めに仕切る(本人いわく「突っ張りの威力をそらす狙いだった」)という奇策に出る。これが効いたのか、珍手の河津掛けで曙を倒し、横綱戦初勝利。13勝2敗の成績を残して場所後、ライバル武蔵丸と同時に大関昇進が決まった。大関同時昇進は1977年(昭和52年)1月場所後の魁傑・若三杉以来のことだった[2]。
新大関の3月場所では12勝3敗となり、同じく12勝3敗の曙と貴闘力との優勝決定戦に進出、勝てば清國以来となる新大関優勝のチャンスだった。優勝決定巴戦で貴ノ浪は、同部屋の貴闘力には勝ったものの、次の曙には負けてしまい、曙は続けて貴闘力も破ったため、結果、幕内優勝は曙にさらわれた。
その後も、大関としては安定した成績を重ねた。1995年(平成7年)は、5月場所に大関昇進後初の負け越しを記録するなど低迷したが、1996年(平成8年)1月場所、14勝1敗で、横綱貴乃花との同部屋決定戦を河津掛けで制して初優勝。1997年(平成9年)11月場所も14勝1敗で、再度、貴乃花との同部屋決定戦に上手投げで勝って優勝した。しかし、続く綱とりの場所は1回目が11勝4敗、2回目も10勝5敗と共に連続優勝を逃したため、綱には届かなかった。
[編集] 関脇陥落、大関復帰、再陥落
1999年(平成11年)9月場所中に足を痛めて、入幕後から引退までで唯一の休場を経験する。次の11月場所、角番の場所で負け越してしまい、関脇に陥落が決定となった。その直後の2000年(平成12年)1月場所では、千秋楽で10勝に到達し、1場所で大関に復帰が決定した。1場所での大関復帰は、1976年(昭和51年)7月場所の元横綱三重ノ海以来、24年ぶりの出来事だった。しかし大関復帰後は、3月場所と5月場所とを大関2場所連続負け越しにより、再び関脇に陥落となり、直後7月場所は7勝8敗と負け越し。2度目の大関復帰はならなかった。
大関在位37場所は当時、師匠の二子山(元貴ノ花)らに続いて歴代4位だった(後に千代大海、魁皇に抜かれて現在歴代6位)。一度陥落した後2場所だけ返り咲いたために、4代朝潮を1場所上回った。大関として353勝も、歴代3位であるとともに、同時に大関になった武蔵丸と同数だった。
2000年9月場所は、1993年5月場所以来7年ぶりの小結で9勝を挙げ、翌場所で関脇復帰。しかし11月場所は初日から8連敗が響いて6勝留まり、2001年(平成13年)1月場所は1993年3月場所以来8年近くぶりの平幕に陥落となった。
[編集] 平幕陥落後・引退
2001年1月場所以後も幾度か小結に復帰するものの勝ち越しならず、殆ど平幕の上位に定着していた。それでも貴ノ浪は「自分にしか取ることの出来ない(スケールの大きい)相撲で観客を沸かせたい」と魅せる相撲に徹し、大関時代にも勝る歓声を得た。しかし2003年(平成15年)は、年6場所で全て負け越しを喫してしまい、貴ノ浪の体力の衰えが目立ち始める。
2004年(平成16年)1月場所、この場所の七日目に前場所十両で優勝し馬力相撲で幕内まで駆け上がってきたグルジア出身の黒海と対戦した。この日の出の勢いの新入幕の若手を、肩越しの上手から豪快に振り回して投げ飛ばし、元大関の貫禄を存分に示した。この一番は未だにファンの間では語り草である。正に貴ノ浪にしか取れない相撲であった。この相撲で勢いづいたか、一年振りに勝ち越し(8勝7敗)。これが貴ノ浪自身、現役最後の勝ち越しとなった。
同年3月場所は、上位陣との対戦が無い前頭8枚目で初日から6連敗を喫し、十両陥落の危機もあった中なんとか5勝10敗と踏み止まった。しかし、翌5月場所前には大関時代から悪かった心臓の不調で入院、重篤そのもので相撲を続けられる状態ではなくなってしまった。幕尻近くの前頭13枚目だった5月場所は初日から良い所無く2連敗、3日目の不戦敗で遂に現役引退を表明。年寄音羽山を襲名した。大関から陥落して24場所も相撲を取り続けたが、これは当時小錦と並ぶ最長記録であった[3]。
2005年(平成17年)1月30日、両国国技館で断髪式が行われた。この式には当時入退院を繰り返していた師匠の二子山親方も、病院から訪れて髷に鋏を入れると、貴ノ浪は堪えきれずに涙を流し、来場者の感動を呼んだ(その4か月後の5月30日に二子山親方は口腔底がんで死去、貴ノ浪の引退相撲が最後の公の姿となった)。なお最後の留めバサミを入れたのは、一代年寄の貴乃花親方だった。
[編集] 武蔵丸との関係
元横綱・武蔵丸とは幕内で58回も対戦し(貴ノ浪の21勝37敗)、互いに良きライバルと認めていた。また、この幕内対戦回数の58回は、大相撲史上1位の記録である(2位は魁皇対千代大海の53回、3位は北の富士対清國の52回)。その取り口とライバル関係が似ていたことから、かつての名力士だった元関脇同士の二人、栃赤城と巨砲にもなぞらえられていた。 対照的に武蔵丸と同じハワイ出身の曙とは分が悪く、対戦成績は5勝34敗と横綱と大関の取組とは思えない程一方的なものだった。
また、武蔵丸とは生年が同じ1971年(昭和46年)で、1991年11月場所の新入幕、そして1994年3月場所の新大関と、奇しくも二人は全く同時に昇進を果たしたのであった。
1999年3月場所は、場所終盤の11日目から3横綱・1大関が休場するという異常事態により、上位陣は貴ノ浪と武蔵丸の2大関だけという寂しい展開になってしまった。しかしその後の両者は連勝を続け、共に12勝2敗の成績を挙げて、千秋楽の結びの一番で相星決戦となり、場所は大きく盛り上がった。結果、貴ノ浪は武蔵丸に惜しくも敗れて準優勝に終わったものの、両者共に大関の責任を十分果たしたと言えよう。
貴ノ浪が前頭筆頭の地位に下がっていた2002年(平成14年)11月場所には、のちに横綱へ昇進した武蔵丸に平幕力士として勝利、大関昇進以前にも取っていなかった初の金星を獲得(その翌日から武蔵丸は左手首のケガ悪化の為休場となる)。また同場所で貴ノ浪は10勝5敗の好成績をおさめ、大関昇進直前の1994年1月場所以来、8年10ヶ月ぶり3回目の敢闘賞も受賞した。なおその後も2003年7月場所では、前頭3枚目の地位で再び横綱武蔵丸に勝利、2つ目の金星獲得となったが、この場所が武蔵丸との現役最後の対戦となった。
横綱武蔵丸は2003年11月場所限りで現役引退を表明、その事に際して貴ノ浪は、「寂しい...」と人目もはばからず号泣していた。その人柄をあらわすエピソードである。やはりライバルの引退で意気消沈したのか、それからわずか4場所後の2004年5月場所で、貴ノ浪自身も現役引退となった。
[編集] 取り口や人柄
[編集] 脅威の吸い込み
取り口は、長身で長い手足からなる深い懐と、強い足腰を生かし、相手を引っ張り込むというものであり、他には真似のできないものであった。彼らしい決まり手といえば、極め出しである。しかし、基本を外れた特異な取り口であったため、最初は批判された。師匠も改善を指導したことがあったが、かえって負けがこみ負傷までしたので、無理に改善することはやめた。本人いわく、これは小学生の頃から変わらぬ取り口だという。しかしその性質上、突き押しを得意とする長身の力士が苦手だった。また晩年は足首の負傷にも苦しまされた。この取り口は足腰が弱いと成立しないので、大関時代には相手を引っ張り込み投げ飛ばしたりしたような場面でもあっけなく後退して土俵を割ることが増えた。大関陥落後は復帰を目指すよりもいわゆる「見せる相撲」に徹し、「自分にしかできない相撲をとる」と、全盛時代の特有の取り口を見せることに価値をおいた。
[編集] 特徴的な決まり手
[編集] 影の広報部長
少なくともマスコミの前では寡黙な力士の多かった二子山部屋勢の中では明るく物怖じしない性格であった。付き人を務めた際には「俺とお前は友達じゃないんだぞ」と安芸ノ島が呆れ、また負傷の治療をおかみさんの面前で行おうとして叱られるなどしたエピソードが伝わる。現役時もバラエティ番組に出演して「自分が三段目のころ貴闘力関が幕下で、一番上だったんですけど、自分が何でもこなすスーパー付け人だったので…」などと面白おかしく語り、当の貴闘力自身を含む出演者の笑いをとっていた。
自称日本相撲協会のスポークスマン・影の広報部長と称し、自身の取組について勝っても負けても、ユーモアたっぷりにマスコミに回答したり、力士の裏話を公表したりと、マスコミからの人気は高い。
[編集] 引退後
引退時から年寄音羽山を名乗り、貴乃花部屋付きの親方として指導に当たっている。
2006年1月末に体調を崩し、心房細動、敗血症、重症肺炎などを併発し緊急入院。一時心停止に陥るほど生命の危機を彷徨ったが、その後回復し3月30日に無事退院した。5月7日からの5月場所で現場復帰。同年9月場所からNHK大相撲中継の解説にも元気に復帰し、影の広報部長ぶりを発揮している。
[編集] エピソード
- 身長は公称196cmだが、実際は2mある。「2mなんて、怪物みたいで嫌だから」という理由で196cmとしていた。
- 土俵上では、取り組み中に落ちたさがりを足で蹴飛ばした事がある。
- 自身幕内初優勝を果たした1996年1月場所中、9日目の貴闘力-土佐ノ海戦では、貴ノ浪が土俵の控えにいた時に、普通は審判員がつける物言いを、貴ノ浪自ら素早く控え力士の立場からつけた事(控え力士には土俵上の相撲を監察する義務があり、物言いをつける権利もある。ただし協議には参加できない)など、強心臓ぶりを発揮していた(この勝負の行司軍配は土佐ノ海、判定は行司差し違えで貴闘力の勝ち。当該場所の貴ノ浪の優勝パレードの旗手は、当然ながら同部屋=当時藤島部屋、のち二子山部屋=所属だった貴闘力が務めた)。昭和後期以降、控え力士が物言いをつけたケースは他に確認できず、平成に入ってからでは2008年9月場所の序二段笹山(木瀬部屋)―桑原(錣山部屋)に星ヶ嶺(井筒部屋)が物言いをつけるまで唯一のケースであった。
- 相撲以外でもNFLに関する知識が深く、スポーツ番組のNFLコーナーにも出演したことがある。
- プロ野球・千葉ロッテマリーンズ、Jリーグ浦和レッドダイヤモンズのファンを公言している。
- ダーツの腕前はかなりなもので、現役時代、場所中でもダーツの練習を欠かすことは稀であったとか。角界で琴欧洲とダーツを競えるのは貴ノ浪(音羽山親方)だけとの声も。
- プレイステーションを始めとするテレビゲームにも造詣が深い。
- 尊敬する力士は元関脇の琴富士(現・タレント)であったが、その理由は、ギャグとカラオケのレパートリーが多いからだとのこと。なお、琴富士の事を師匠とまで呼んでいた。
- 自身の長身を利した、時には定石無視となる相撲を、佐渡ヶ嶽部屋の大関琴欧洲や、一門外になるが尾上部屋の関脇把瑠都(共に長身で怪力だが、共に女性ファンの人気も高い)に伝授したいと思っている節がある。
[編集] 主な成績
- 通算成績:777勝559敗13休(104場所)勝率.582
- 幕内成績:647勝473敗8休(76場所)勝率.578
- 幕内最高優勝:2回
- 大関在位:37場所
- 大関通算成績:353勝194敗8休 勝率.645
- 三賞:敢闘賞3回
- 金星:2個(武蔵丸)
[編集] 幕内での場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991年 (平成3年) |
(幕下) | (十両) | (十両) | (十両) | (十両) | 東 前頭 #13 8–7 |
| 1992年 (平成4年) |
東 前頭 #11 10–5 |
東 前頭 #4 5–10 |
東 前頭 #10 7–8 |
西 前頭 #12 9–6 |
西 前頭 #5 6–9 |
東 前頭 #10 9–6 |
| 1993年 (平成5年) |
東 前頭 #7 10–5 |
東 前頭 #1 9–6 |
東 小結 10–5 敢 |
東 関脇 #2 9–6 |
西 関脇 10–5 |
東 関脇 12–3 |
| 1994年 (平成6年) |
西 関脇 13–2 敢 |
東 大関 #2 12–3[5] |
東 大関 9–6 |
東 大関 #2 12–3 |
東 大関 #2 12–3 |
東 大関 #2 12–3 |
| 1995年 (平成7年) |
東 大関 11–4 |
東 大関 #2 9–6 |
東 大関 #2 6–9 |
東 大関 #2 9–6[6] |
東 大関 #2 8–7 |
東 大関 #2 9–6 |
| 1996年 (平成8年) |
東 大関 #2 14–1[7] |
東 大関 11–4 |
西 大関 12–3 |
西 大関 12–3 |
東 大関 9–6 |
東 大関 #2 11–4[8] |
| 1997年 (平成9年) |
東 大関 #2 6–9 |
東 大関 #2 11–4[6] |
西 大関 10–5 |
東 大関 #2 9–6 |
西 大関 12–3 |
西 大関 14–1[7] |
| 1998年 (平成10年) |
東 大関 10–5 |
西 大関 8–7 |
東 大関 #2 11–4 |
東 大関 9–6 |
西 大関 10–5 |
西 大関 8–7 |
| 1999年 (平成11年) |
西 大関 6–9 |
西 大関 #2 12–3[6] |
西 大関 9–6 |
東 大関 8–7 |
東 大関 3–4–8[9] |
東 大関 #2 6–9[6] |
| 2000年 (平成12年) |
西 関脇 #2 10–5 |
東 大関 #2 7–8 |
西 大関 #2 6–9[6] |
西 関脇 #2 7–8 |
西 小結 9–6 |
東 関脇 6–9 |
| 2001年 (平成13年) |
東 前頭 #1 6–9 |
東 前頭 #3 6–9 |
西 前頭 #5 8–7 |
西 前頭 #1 5–10 |
東 前頭 #5 5–10 |
東 前頭 #10 9–6 |
| 2002年 (平成14年) |
西 前頭 #3 8–7 |
西 小結 6–9 |
東 前頭 #2 4–11 |
西 前頭 #7 9–6 |
西 小結 7–8 |
東 前頭 #1 10–5 敢★ |
| 2003年 (平成15年) |
東 小結 7–8 |
東 前頭 #1 7–8 |
西 前頭 #2 7–8 |
東 前頭 #3 6–9 ★ |
西 前頭 #4 7–8 |
東 前頭 #5 5–10 |
| 2004年 (平成16年) |
東 前頭 #10 8–7 |
西 前頭 #8 5–10 |
東 前頭 #13 引退 0–3–12 |
x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 |
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[編集] 主な力士との幕内対戦成績
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 蒼樹山 | 8 | 4 | 曙 | 5 | 34 | 朝青龍 | 2 | 12 | 朝赤龍 | 2 | 1 |
| 朝乃翔 | 5 | 1 | 朝乃若 | 10 | 3 | 旭豊 | 11 | 1 | 安美錦 | 6 | 3 |
| 岩木山 | 3 | 1 | 潮丸 | 0 | 2 | 皇司 | 2 | 0 | 小城錦 | 10 | 6 |
| 小城ノ花 | 4 | 2 | 魁皇 | 27 | 24 | 海鵬 | 4 | 2 | 春日錦 | 0 | 2 |
| 春日富士 | 6 | 0 | 巌雄 | 5 | 0 | 北勝鬨 | 11 | 2 | 北桜 | 2 | 1 |
| 旭鷲山 | 13 | 10 | 旭天鵬 | 9 | 6 | 旭道山 | 8 | 5 | 鬼雷砲 | 3 | 3 |
| 霧島 | 4 | 5 | 金開山 | 1 | 3 | 久島海 | 4 | 2 | 剣晃 | 9 | 9 |
| 黒海 | 1 | 1 | 琴稲妻 | 10 | 4 | 琴ヶ梅 | 4 | 1 | 琴椿 | 2 | 2 |
| 琴錦 | 21 | 19 | 琴ノ若 | 29 | 22 | 琴富士 | 5 | 4 | 琴別府 | 10 | 0 |
| 琴光喜 | 6 | 3 | 琴龍 | 10 | 2 | 小錦 | 10 | 5 | 逆鉾 | 2 | 0 |
| 敷島 | 4 | 1 | 霜鳳 | 1 | 3 | 十文字 | 4 | 2 | 大至 | 5 | 1 |
| 大翔鳳 | 14 | 1 | 大翔山 | 2 | 4 | 隆乃若 | 4 | 4 | 高見盛 | 3 | 3 |
| 玉春日 | 18 | 10 | 玉乃島 | 3 | 1 | 千代大海 | 7 | 21 | 千代天山 | 13 | 1 |
| 出島 | 9 | 19 | 寺尾 | 17 | 6 | 闘牙 | 3 | 10 | 時津海 | 6 | 3 |
| 時津洋 | 6 | 3 | 土佐ノ海 | 25 | 13 | 栃東 | 16 | 14 | 栃栄 | 4 | 1 |
| 栃乃洋 | 12 | 11 | 栃乃花 | 2 | 2 | 栃乃和歌 | 18 | 5 | 巴富士 | 2 | 3 |
| 智ノ花 | 5 | 2 | 濱ノ嶋 | 9 | 2 | 追風海 | 6 | 3 | 肥後ノ海 | 13 | 3 |
| 武雄山 | 2 | 2 | 北勝力 | 0 | 3 | 舞の海 | 11 | 2 | 水戸泉 | 7 | 6 |
| 湊富士 | 8 | 2 | 雅山 | 13 | 5 | 武蔵丸 | 21 | 37 | 武双山 | 24 | 25 |
| 両国 | 2 | 2 | 若翔洋 | 2 | 1 | 若の里 | 5 | 13 | 和歌乃山 | 6 | 6 |
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月26日 (木) 08:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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