遠鉄バス
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遠鉄バス(えんてつバス)とは、遠州鉄道(遠鉄)が主に静岡県西部地区で運営しているバス事業の通称をいう。なお、同社の系列会社では他に浜松観光バスがある。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 創業期から戦時統合まで
遠鉄バスの営業エリアにおいて、初めて乗合自動車の運行が行なわれたのは、1918年に浜松自動車が浜松と二俣(現在の遠州鉄道鉄道線に引き継がれ、現在の浜松の市内交通の嚆矢)、森と袋井を結ぶ路線を運行開始したのが始まりである。翌1919年に湖西自動車が鷲津と三ヶ日を結ぶ路線を運行開始、1920年には本多一明が浜松から掛塚を経由して磐田に至る路線を開設したほか、万歳自動車が浜松自動車の路線の引継ぎや気賀・弁天島方面への路線を開設した。浜松自動車はこの時に廃業している。1921年には坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始しており、これらが遠鉄バスのルーツとなる路線といえる。
1923年から1929年までにかけては小規模なバス事業者が乱立したが、路線が競合することも多くなったことから、各社間協議の上統合の方向に進むことになる。1929年に笠井自動車(1923年創業)・万歳自動車・遠州自動車(1924年創業)・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(1920年に廃業した浜松自動車とは別)が成立し、車体の色も銀色に揃えたことから「銀バス」とも呼ばれた。今日でも遠鉄バスのベースカラーは銀色であるが、この時からはじまったものといえる。1933年には、掛塚自動車(1924年創業)が寺田自動車商会(1924年創業)とキング自動車(1924年創業)を買収したほか、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けて規模を拡大した。また、1931年には遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車として設立されたが、同社は1937年に高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大した。
一方、1907年には浜松鉄道が発足し、同社の路線は1919年に遠州電気鉄道に事業継承されているが、この地域に発達したバス路線網と鉄道線の競合が激しくなった。自社鉄道線の防衛のため、1927年に遠州電気鉄道もバス事業に参入した。遠州電気鉄道は周辺バス事業者の買収や資本参加などで次第に営業エリアを拡大していった。また、同時期に軽便鉄道路線を運行していた浜松電気鉄道も、競合していた秋葉自動車運輸と合併することでバス事業に参入した。
他方、浜松市内では、大正時代から市営による乗合バスの運行計画が何度か立案されていたが、財政事情や社会情勢から見送られていた。1936年、浜松市では浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始している。
日中戦争の勃発によりガソリンの供給規制が行なわれると、不要不急の路線は廃止され、工場や勤労奉仕者の輸送に重点が置かれるようになった。1942年には戦時統合の運輸省通牒により、静岡県内を3プロックに分割した上で統合するように指針が示された。これを受けて各社間で調整が行なわれ、6社の合併と4社の営業譲渡により新会社を設立することとなり、1943年10月に遠州鉄道が発足したのである。
[編集] 戦後の復興から発展
浜松市周辺には軍需工場などが多く立地していたことから、浜松市は空襲によって大きな被害を受けていた。バス車両も空襲で焼失・破壊されたものが多く、終戦時点の遠鉄バスの稼動車は50台、市営バスに至ってはわずか6台が残ったのみであった。稼動車両をかき集めて復旧に努めたが、復興が軌道に乗るまでには期間を要した。この間、国鉄バスから水窪線の譲渡要請があり、当初遠鉄は反対の立場をとったものの、復興の見通しがまだ不明瞭だったことに加え、「早期に路線運行が再開されるのみならず、将来は鉄道が開通する」と解釈した地元自治体が国鉄バス運行に賛成の立場をとったため、今後遠鉄バスのエリアに国鉄バスの路線計画を行なわないことなどを条件に、1946年に水窪線を譲渡した。
1947年以降は復興も本格化し、1950年にはほぼ全路線の復旧が終了した。1952年にはガソリン統制が解除されたことに伴い代用燃料車両を全廃、1959年には全車両がディーゼルバスに置き換えられた。
1955年からは「安全・迅速・快適」をスローガンとして掲げ、ほぼ全路線で増便を行い、「待たずに乗れる遠鉄バス」という基盤を作った。1958年には遠鉄浜松駅乗り入れが実現し、1959年からは幹線ダイヤのパターンダイヤ化が行なわれた他、長距離路線や急行便の設定、さらには日祝日ダイヤの導入による合理化が行なわれるなど、今日に至るまで続く遠鉄バスの事業基盤を形成している。
1958年には佐久間ダム完成に伴い、浜松から佐久間へ直通する急行便の運行を開始したほか、1959年には浜松定期観光バスの運行を開始するなど、観光需要の増加に対応する施策が目立った。また、国鉄バスとの運輸協定により浜松と豊橋を結ぶ直通便の運行が開始されたほか、1963年には静岡と浜松を結ぶ急行バスの運行が静岡鉄道・大井川鉄道(当時)との相互乗り入れにより開始された。同年には、観光バス需要に対応すべく、浜松観光営業所を開設している。また、1964年に東海道新幹線が開業すると浜名湖と舘山寺温泉への観光客が増加したため、舘山寺温泉を起点とした定期観光バスの運行も行なわれた。なお、1962年に開業した浜名湖観光自動車は経営者の急逝により実質的な経営権が遠鉄に移ったため、1969年に効率化のため浜松観光自動車(傍系として1954年に設立)と合併している。1969年には遠鉄グループのシンボルマークとして子鹿の「バンビ」が制定され、自社で募集する会員制ツアーも「バンビツアー」と命名され、積極的な営業を展開した。
さらに、1969年に東名高速道路が開通したことに伴い、東名急行バスに資本参加したほか、静岡浜松線を高速道路経由に変更した他、浜松-岡崎線を高速道路経由にした上で名古屋まで延長し、東名名古屋線として運行を開始した。また、1970年には名古屋にも貸切バス営業所を開設し、観光バスの営業エリアを愛知県内全域にも拡大した。
[編集] モータリゼーションと市内交通一元化
しかし、この頃からモータリゼーションの進展に伴い、利用者数が伸び悩み傾向となったため、路線網の見直しが図られた。高需要路線についてはきめ細かいダイヤを設定することで利便性を拡大する一方で、不採算路線の整理が進められた。また、浜松市内の渋滞に対応して長距離の路線については浜松駅で系統分割を行なって対応した。また、都市間路線も乗客が減少したために、佐久間線が1971年に、東名名古屋線が1975年に廃止されている。
合理化と車掌不足の解消を一挙に行なう方策として、1966年5月から浜松市内の浅田循環線・助信線においてワンマンバスの運行を開始した。当初は全区間均一運賃の路線のみ実施であったが、1968年からは多区間制運賃路線でも整理券方式によるワンマンバスの運行を開始、1975年までには全路線のワンマン化が終了した。ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も導入されたことがある。また、1970年からは一部の車両で冷房車の導入が開始され、1987年までには全車両が冷房車となった。なお、1974年には系統番号が導入されている。
1980年代に入ると、バス業界では先駆とも呼べるサービスを次々と展開するようになった。1978年には奥山線の一部でデマンドバスの運行を開始し、1984年からは山間部の路線においてフリー乗降制度を導入した。また、通学路線では学校に直行する「モーニングダイレクト」も新設された。
浜松市のバックアップもあり、1975年には静岡県では初めてのバス優先レーンが導入されているほか、1978年にはバス優先信号も設置されている。また、1982年には浜松駅バスターミナルが完成している。このような状況下、1936年から浜松市交通部により運行されていた市営バスは慢性的な赤字が続いていたが、1983年に市営交通対策協議会が設置され、民間移管が最善の方法であるとの結論を打ち出した。これを受けて、段階的に市営バスから遠鉄バスへの移管が行なわれ、1987年3月31日限りで市営バスは運行を終了した。
浜松市内のバス路線が一元化されたことを受け、遠鉄バスではさらに積極的に新施策を導入していくことになった。1986年度には「モーニングダイレクト」の運行を増加させた上で方面別に愛称を設定した他、バスロケーションシステムの導入を開始、1987年10月には都市新バスシステムの導入も行なわれた。さらに、夜間のみ住宅地でフリー降車制度を導入したり、雨天時のみ増発便を運行する「レイニーバス」、1992年2月のETカード導入なども行なわれた。
1997年には浜松市が日本初のオムニバスタウンとして指定されたことを受け、バスを活用した街づくりを進めることになった。これ以後の遠鉄バスの導入車両は基本的にはアイドリングストップ付ノンステップバスとなり、車内には案内表示装置にて情報発信も行い、バス停留所もコミュニティ情報板を設置するなどの施策を行なった。一方で、山間部の路線では路線そのものの維持のため、行政主導によるバス運行なども行なわれているが、これらの運行を受託したり、退職乗務員の受け皿もかねて車両運行管理請負を行なう子会社(遠鉄アシスト)の設立も行なわれるなど、「地域の人が移動することに関しては遠鉄グループが必ず関わる」という体制をとるようになっている。
[編集] 年表
鉄道事業関係の沿革は遠州鉄道及び遠州鉄道鉄道線を参照のこと。
- 1907年(明治40年):浜松鉄道株式会社設立。
- 1908年(明治41年):浜松鉄道株式会社が大日本軌道株式会社に吸収され浜松支社となる。
- 1919年(大正8年):遠州軌道株式会社に鉄道事業譲渡。
- 1921年(大正10年):遠州電気鉄道株式会社に改称。
- 1943年(昭和18年)11月1日:遠州電気鉄道株式会社など6社が合併し遠州鉄道株式会社設立。
- 1947年(昭和22年)5月1日:浜松鉄道株式会社と合併。
- 1950年(昭和23年)12月23日:福田営業所を開設、掛塚営業所を廃止。
- 1955年(昭和30年)4月1日:気賀営業所を細江営業所に改名。
- 1959年(昭和34年)5月30日:浜松営業所を移転。
- 1962年(昭和37年)
- 1986年(昭和61年)12月1日:浜松市交通部(市営バス)の路線を移管完了。
- 1989年(平成元年)2月15日:プリペイドカード「ETカード」導入。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)4月:磐田市バス、「エコバス」を運行開始。
- 2000年(平成12年)7月17日:メローバスを運行開始。
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)8月20日:ICカードを「ナイスパス」に移行し、本格的な運用開始。鉄道・バス共通利用では日本初。
- 2005年(平成17年)2月17日:中部国際空港行きの高速バス (e-wing) を運行開始。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 11月30日:富塚車庫窓口業務を終了。
[編集] 特徴的な施策
[編集] モーニングダイレクト
郊外から浜松駅を経由せずに学校へ直行する通学向け急行バス路線である。1975年から1985年までの間に、通学でのバス利用が半減した[1]ため、その対策として乗り換えなしの通学バス路線を設定したものである。運行開始後に新ルートの要望があり、特に私立高校では、モーニングダイレクトの存在が生徒の誘致にも影響すると判断された[2]ことから、順次コース拡大を行った。
西遠学園・芥田学園へ向かう路線が「Avenue(アヴェニュー)」、浜松市立高校・海の星高校・浜松西高校へ向かう路線は「Chapel(チャペル)」という愛称が設定されており、実際に運行される路線では、これに方角をつけている。例えば、気賀・三方原から西遠学園に向かう路線であれば、北方面からの路線となるため「N.Avenue(ノース・アヴェニュー)」という愛称になる。ただし、舘山寺から浜松南高校行きに限っては「Flolal Mate(フローラル・メイト)」という愛称が設定されている。
学校や生徒・保護者からも好評[2]のため、その後磐田地区でもモーニングダイレクトを導入、こちらは磐田南高校・磐田東高校へ向かう路線には「E.Liner(イースト・ライナー)」、磐田南高校・磐田北高校へ向かう路線では「N.Liner(ノース・ライナー)」という愛称が設定されている。
いずれも朝の片道のみの設定で、帰路については浜松駅・磐田駅でバス路線を乗り継ぐことになるが、定期運賃は割安な直行運賃で計算される[2]。
[編集] オレンジエクスプレス
三ヶ日から東名高速道路を経由して浜松市内を結ぶ座席定員制の通勤通学路線で、朝三ヶ日から浜松市内へ向かい、夕方に浜松市内から三ヶ日へ戻る設定。クローズドドアシステムを採用しており、浜松市内相互間や三ヶ日-都筑間相互の利用は出来ない。
もともとは定期観光バスの回送を客扱いしたものが始まり[3]で、高速道路では全席シートベルト着用が義務付けられていることから、一般路線車でもシートベルト付きの車両の限定運用とされている。
[編集] バスロケーションシステム
遠鉄バスでは、1986年からバスロケーションシステムの導入展開を行なっている。これは日本では早期の導入事例である。
特徴的な事例としては、専用のバス停ポールだけではなく、既存のバス停(白百合型と呼ばれるタイプ)にも接近表示機を内蔵させたり、自社で分譲したマンションの各部屋にも接近表示機を設置(これは「バスロケ君Jr.」と命名されている)したことなどが挙げられる。特にマンション各部屋への接近表示機設置は、2007年現在でも遠鉄バス以外では実施例がない。
2000年よりパソコン、携帯電話でもバスの位置情報が分かるシステム「遠鉄ET-Navi」を導入。2007年3月に同システムがリニューアルされ、Googleマップによる表示や検索機能が充実し、さらに使いやすくなった。
[編集] 都市新バスシステム
1987年10月に6路線に導入。都市新バスシステム#遠州鉄道を参照。
[編集] 「すいすい・くるーり」バス実証実験
浜松市と共同で、2006年10月2日から12月29日までの平日に実施したコミュニティバスの実証実験で、期間内に以下の3路線が運行された。
- 追分すいすいバス
- 遠鉄ストア姫街道店 - 浜松駅
- 市野すいすいバス
- イオン浜松市野ショッピングセンター - 浜松駅
- 市野くるーりバス
- イオン浜松市野ショッピングセンターを基点に、市野地区周辺を環状運行
このうち「追分すいすいバス」は期間中の利用状況が好調だったため、実験終了後も2007年1月9日から3月31日までの平日に急行バスとして運行され、最終的に4月1日以降は通年運行となった。
[編集] ツアーバス事業への参入
2006年から募集型企画旅行として、東京など各地への直行型ツアーバスを催行している。
ツアーバスでは、企画実施する旅行会社が観光バス会社から車両を借り上げる形態が多いが、遠州鉄道では本体で国内旅行事業を営んでおり、浜松観光バスを含めてグループ内での完全自社運営を実現している(路線バス事業者の子会社が旅行事業を行っているケースも多い)。
このうち2007年夏期から実施している東京方面へのツアーでは片道だけの利用も可能な上、自社の既存の企画旅行客用の駐車場を開放することなどで既存の路線バスとの差別化を図っている。
[編集] 営業所
- 浜松東営業所
- 三方原営業所
- 所在地…浜松市北区初生町1107-1
- 管轄車庫…都田車庫、姫街道車庫
- 浜松南営業所
- 所在地…浜松市南区松島町1997
- 管轄車庫…※掛塚車庫、新貝車庫、中田島車庫
- 舘山寺営業所
- 所在地…浜松市西区舘山寺町3296-5
- 管轄車庫…村櫛車庫、富塚車庫
- 雄踏営業所
- 所在地…浜松市西区雄踏町山崎3472-2
- 管轄車庫…馬郡車庫、新弁天車庫、篠原車庫、湖西車庫
- 細江営業所
- 所在地…浜松市北区細江町気賀414-8
- 管轄車庫…三ヶ日車庫、奥山車庫、渋川車庫、伊平車庫
- 天竜営業所
- 所在地…浜松市天竜区次郎八新田6-2
- 管轄車庫…春野車庫、横山車庫、熊車庫、水窪車庫
- 磐田営業所
- 所在地…磐田市岩井2190-1
- 管轄車庫…袋井車庫、中ノ町車庫
- 福田営業所
- 所在地…磐田市福田2204
- 管轄車庫…横須賀車庫
※旧営業所などの内、正式な窓口のあるもの
[編集] 廃止営業所
- 浜松営業所
- 所在地…浜松市
- 現在跡地は遠州病院。1997年(平成9年)7月14日に廃止される。
- 所在地…浜松市
- 浜北営業所
- 所在地…浜松市
- 現在跡地は遠鉄ストア浜北店。車両基地として美薗車庫が同店南方にあった。
- 所在地…浜松市
- 三ヶ日営業所
- 所在地…浜松市
- 現在は三ヶ日車庫
- 所在地…浜松市
- 富塚営業所
- 所在地…浜松市
- 1986年(昭和61年)4月1日に開設され、1995年(平成7年)2月28日に廃止された。現在は富塚車庫となっている。
- 所在地…浜松市
- 竜洋営業所
- 所在地…磐田市
- 1997年(平成9年)3月31日に廃止され、浜松南営業所所管の掛塚車庫に変更。
- 所在地…磐田市
- 袋井営業所
- 所在地…袋井市
- 1995年(平成7年)2月28日に廃止され、現在は袋井車庫となっている。
- 所在地…袋井市
- 湖西営業所
- 所在地…湖西市
- 現在は湖西車庫
- 所在地…湖西市
[編集] 路線
- <0番台>
- <10番台>
- <20番台>
- 志都呂宇布見線、城之崎線、松袋井線
- <30番台>
- 磐田市立病院福田線、舘山寺線、伊佐見線、大塚ひとみヶ丘線、大久保線
- <40番台>
- 気賀三ヶ日線、高台線、引佐線、渋川線、奥山線、都田線、医大じゅんかん、和合西山線
- <50番台>
- 山の手医大線、泉高丘線、旭ヶ丘線、萩丘都田線、医大じゅんかん
- <60番台>
- <70番台>
- 笠井線、蒲線
- <80番台>
- 中ノ町磐田線、労災篠ヶ瀬線
- <90番台>
- 掛塚さなる台線、鶴見富塚じゅんかん、鮫島線
- <100番>
- <その他の系統>
- 白洲線、秋葉線、北遠本線、法多線、滝沢線、上島イオン市野線、山梨線、小林駅日赤病院線
- <高速バス>
- 中部国際空港線(空港直行バス「e-wing」)
- <受託運行>
- <臨時路線>
- ※イベント開催時などに定常的に運行される路線のみを挙げた。
[編集] 廃止路線
[編集] 高速バス
- 浜松駅 - 清水町
- 浜松駅 - 三ケ日営業所
[編集] 東名浜松静岡線
ここでは、東名浜松静岡線の前身となる国道静岡浜松線についても記述する。
- 浜松駅 - 静岡駅
なお、静岡鉄道での路線名は「東名静岡浜松線」であった。
[編集] 浜松・岡崎線
- 遠鉄浜松駅 - 気賀 - 三ヶ日 - 豊橋市役所 - 国府 - 東岡崎駅
- 1966年(昭和41年)8月20日:浜松駅 - 東岡崎間の運行を開始する。
- 1972年(昭和47年)10月:豊橋鉄道が運行から撤退する。
- 1973年(昭和48年)6月1日:東名名古屋線の運行開始に伴い、路線を廃止する。
名古屋鉄道、豊橋鉄道との協定を結び運行を開始した全長82.1kmの路線であった。多米峠有料道路を走行していた。しかし、東名高速道路の開通に伴い、利用客が減少したため、豊橋鉄道が運行から撤退し、他社も運行本数を減回するに至った。
[編集] 東名名古屋線
- 浜松 - 名古屋
- 1973年(昭和48年)6月1日:運行を開始する。
- 1977年(昭和52年)8月21日:運賃を改定する。
- 1980年(昭和55年)4月7日:運賃を改定する。
- 1981年(昭和56年)6月10日:路線を廃止する。
名古屋鉄道と運輸協定を結び運行を開始した路線である。
[編集] 一般路線
[編集] 豊橋瀬戸線
- 瀬戸橋 - 豊橋駅
- 1964年(昭和39年)7月:運行を開始する。
- 1972年(昭和47年)4月21日:路線を廃止する。
豊橋鉄道と相互乗入運行を行っていた急行バス「奥はまな湖」号として運行を開始した。1日10往復の運転で、豊橋駅では名鉄列車との接続を取り、奥浜名湖方面への名古屋からのアクセス改善を図った。しかし、利用客数の減少から、廃止されることとなった。
[編集] 佐久間線
- 遠鉄浜松駅 - 佐久間
- 1958年11月8日:運行開始。
- 1971年3月11日:路線廃止。
- 1971年7月1日:佐久間貸切営業所廃止。
遠鉄バスの佐久間線は国鉄バスの流れを汲む天竜川沿いをたどるルートとは異なり、浜松駅-西鹿島-熊-浦川-佐久間-佐久間ダムを結んでいた。現在の県道、天竜東栄線をたどる山越え路線である。一日二往復の便があり、末期まで車掌が乗務したといわれている。うち一往復は佐久間で乗務員が宿直するダイヤ構成となっていた。
[編集] その他 2004年以降の廃止路線・区間
- 2004年2月29日
- 鳳来寺線の全線。新城市へ移管、本長篠吉田線へ名称変更。
- 2004年3月31日
- 2005年3月31日
- 笠井高台線。笠井線・高台線へ系統分割。
- 2006年3月31日
- 舘山寺気賀線(2年間の期限で運行していた学生輸送)
- 浅田中田島線・米津線。浅田米津線へ系統統合。
- 磐田山の手線。山の手医大線・中ノ町磐田線へ分割・名称変更。
- 2008年3月31日
- 宮口線
[編集] 乗車カード
遠鉄の乗車カードは電車・バスに共通して利用できる。
[編集] 車両
遠鉄バスでは、超低床車の愛称として「オムニバス」と命名し、車体にもそのように表記している。以下、本節でも遠鉄バスの保有するノンステップバスに関しては「オムニバス」と表記する。
[編集] 概説
三菱ふそう・日野・いすゞの3社のバスを導入している。社内では、全長11m以上の車両を「特大車」、10.61m以上11m未満は「大型車」、9.01m以上10.6m未満を「中型車」、9m未満の車両は「小型車」として分類している。
1981年の新車から中扉4枚折戸を採用し、車内はハイバックシート装備など、全般的にグレードは高かったが、後部の行先表示器については交通バリアフリー法施行により義務付けられるまでは装備されていなかった。また、交通バリアフリー法施行後は全車輛がLED表示器であるため、後部表示器がついている車両は現在でもLED表示器の車両のみで、幕式表示器の車両に関しては現在でも後部表示器は設置されていない。
また、1996年度以降に導入されたすべての車両にアイドリングストップシステムが装備されており、現在ではツーステップ車も含みほぼ全車両に装備されている。なお、同システム装備車については、アイドリングストップ中、車内に音楽が流れる。
このほか、「く・る・る」専用車として日野・ポンチョを導入しているほか、天竜営業所には廃止代替路線用として日産・キャラバンが1台在籍している。
車両番号については、登録番号をそのまま使用している。例えば、「浜松22か2222」(三方原営業所に在籍していた三菱ふそう・エアロスター。初期のETカードにもデザインされていた)であれば、2222号車となる。登録番号重複の恐れがある場合は、希望ナンバー取得により対処している。
1998年度より新車はオムニバス(車椅子用席あり)に統一されており、2006年9月30日現在の台数は179台となり、これは日本の民営バス事業者では最大のノンステップバス保有台数となっている。2005年度にはワンステップバスが3台導入された。また、2002年には三菱ふそうよりディーゼル・電気式ハイブリッドバス(エアロスターHEV)の貸与を受け、遠鉄にて長期実用試験を行っていたが、この車両については中扉は引き戸となっている(市販バージョンの2台も同様)。
2007年度には、3年ぶりに三菱ふそうの新車が導入された。降車ボタン形状が変更され、ボタンが押された際に流れるメロディも空港連絡バス「e-wing」と同様のメロディとなった。
[編集] 過去の車両
過去には、貸切バスとの兼用を考慮した「乗貸兼用車」も存在し、貸切車と同様のフロントグリルが異彩を放っていた。かつて運行されていた静岡~浜松間の高速バス(高速浜松静岡線)には、三菱エアロバスが使用されていた。また、高速浜松静岡線には、観光バス用シャーシに路線バス用車体を架装した高速・路線兼用車が1台在籍していた。
※「乗貸兼用車」及び高速・路線兼用車についてはワンロマを参照のこと。
1997年までは日野製大型車のほとんどを富士重工製車体で導入していたことが特徴であったが、オムニバスのみの導入となってからは日野純正車体のみとなっている。
なお、浜松市交通部の事業廃止時に、遠鉄バスに譲渡された車両が4台存在した。これらの譲受車は、いずれもいすゞK-CJM470で、当時の遠鉄バスの自社発注車が標準尺車・中扉4枚折戸・側窓は引き違い窓(メトロ窓)という仕様であったのに対し、短尺車・中扉引き戸・側窓は2段窓という相違点があった。1996年までに全廃されている。
また、浜松市循環「く・る・る」用には当初はオムニノーバ・マルチライダーが導入されていた。
[編集] 運賃箱
ETカードの時代は小田原機器のRX-FA1型運賃箱(現在でも函館バス等で健在)を使用していたが、2003年度の「EG1 CARD」(「ナイスパス」の前身)導入時にレシップ製NF-3に更新された。2003年2月頃より導入されたレシップ製の運賃箱は日本初のカラー液晶画面を搭載、視認性・表現力に優れており、その後多くのPASMO導入バス会社(西武バスほか)や岐阜乗合自動車(ayuca)などでも採用された。車両により、整理券投入・精算完了チャイムの音色が2パターン存在する。
なお、鉄道線の各駅に設置されているICカードリーダーにはレシップ製のほか、サクサ製のものもある(主に残額確認用)。
[編集] 注記
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月23日 (日) 15:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【遠鉄バス】変更履歴



