遠鉄バス
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遠鉄バス(えんてつバス)とは、遠州鉄道(遠鉄)が主に静岡県西部地区で運営しているバス事業の通称をいう。なお、同社の系列会社では他に浜松観光バスがある。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 創業期から戦時統合まで
遠鉄バスの営業エリアにおいて、初めて乗合自動車の運行が行なわれたのは、1918年に浜松自動車が浜松と二俣(現在の遠州鉄道鉄道線に引き継がれ、現在の浜松の市内交通の嚆矢)、森と袋井を結ぶ路線を運行開始したのが始まりである。翌1919年に湖西自動車が鷲津と三ヶ日を結ぶ路線を運行開始、1920年には本多一明が浜松から掛塚を経由して磐田に至る路線を開設したほか、万歳自動車が浜松自動車の路線の引継ぎや気賀・弁天島方面への路線を開設した。浜松自動車はこの時に廃業している。1921年には坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始しており、これらが遠鉄バスのルーツとなる路線といえる。
1923年から1929年までにかけては小規模なバス事業者が乱立したが、路線が競合することも多くなったことから、各社間協議の上統合の方向に進むことになる。1929年に笠井自動車(1923年創業)・万歳自動車・遠州自動車(1924年創業)・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(1920年に廃業した浜松自動車とは別)が成立し、車体の色も銀色に揃えたことから「銀バス」とも呼ばれた。今日でも遠鉄バスのベースカラーは銀色であるが、この時からはじまったものといえる。1933年には、掛塚自動車(1924年創業)が寺田自動車商会(1924年創業)とキング自動車(1924年創業)を買収したほか、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けて規模を拡大した。また、1931年には遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車として設立されたが、同社は1937年に高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大した。
一方、1907年には浜松鉄道が発足し、同社の路線は1919年に遠州電気鉄道に事業継承されているが、この地域に発達したバス路線網と鉄道線の競合が激しくなった。自社鉄道線の防衛のため、1927年に遠州電気鉄道もバス事業に参入した。遠州電気鉄道は周辺バス事業者の買収や資本参加などで次第に営業エリアを拡大していった。また、同時期に軽便鉄道路線を運行していた浜松電気鉄道も、競合していた秋葉自動車運輸と合併することでバス事業に参入した。
他方、浜松市内では、大正時代から市営による乗合バスの運行計画が何度か立案されていたが、財政事情や社会情勢から見送られていた。1936年、浜松市では浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始している。
日中戦争の勃発によりガソリンの供給規制が行なわれると、不要不急の路線は廃止され、工場や勤労奉仕者の輸送に重点が置かれるようになった。1942年には戦時統合の運輸省通牒により、静岡県内を3プロックに分割した上で統合するように指針が示された。これを受けて各社間で調整が行なわれ、6社の合併と4社の営業譲渡により新会社を設立することとなり、1943年10月に遠州鉄道が発足したのである。
[編集] 戦後の復興から発展
浜松市周辺には軍需工場などが多く立地していたことから、浜松市は空襲によって大きな被害を受けていた。バス車両も空襲で焼失・破壊されたものが多く、終戦時点の遠鉄バスの稼動車は50台、市営バスに至ってはわずか6台が残ったのみであった。稼動車両をかき集めて復旧に努めたが、復興が軌道に乗るまでには期間を要した。この間、国鉄バスから水窪線の譲渡要請があり、当初遠鉄は反対の立場をとったものの、復興の見通しがまだ不明瞭だったことに加え、「早期に路線運行が再開されるのみならず、将来は鉄道が開通する」と解釈した地元自治体が国鉄バス運行に賛成の立場をとったため、今後遠鉄バスのエリアに国鉄バスの路線計画を行なわないことなどを条件に、1946年に水窪線を譲渡した。
1947年以降は復興も本格化し、1950年にはほぼ全路線の復旧が終了した。1952年にはガソリン統制が解除されたことに伴い代用燃料車両を全廃、1959年には全車両がディーゼルバスに置き換えられた。
1955年からは「安全・迅速・快適」をスローガンとして掲げ、ほぼ全路線で増便を行い、「待たずに乗れる遠鉄バス」という基盤を作った。1958年には遠鉄浜松駅乗り入れが実現し、1959年からは幹線ダイヤのパターンダイヤ化が行なわれた他、長距離路線や急行便の設定、さらには日祝日ダイヤの導入による合理化が行なわれるなど、今日に至るまで続く遠鉄バスの事業基盤を形成している。
1958年には佐久間ダム完成に伴い、浜松から佐久間へ直通する急行便の運行を開始したほか、1959年には浜松定期観光バスの運行を開始するなど、観光需要の増加に対応する施策が目立った。また、国鉄バスとの運輸協定により浜松と豊橋を結ぶ直通便の運行が開始されたほか、1963年には静岡と浜松を結ぶ急行バスの運行が静岡鉄道・大井川鉄道(当時)との相互乗り入れにより開始された。同年には、観光バス需要に対応すべく、浜松観光営業所を開設している。また、1964年に東海道新幹線が開業すると浜名湖と舘山寺温泉への観光客が増加したため、舘山寺温泉を起点とした定期観光バスの運行も行なわれた。なお、1962年に開業した浜名湖観光自動車は経営者の急逝により実質的な経営権が遠鉄に移ったため、1969年に効率化のため浜松観光自動車(傍系として1954年に設立)と合併している。1969年には遠鉄グループのシンボルマークとして子鹿の「バンビ」が制定され、自社で募集する会員制ツアーも「バンビツアー」と命名され、積極的な営業を展開した。
さらに、1969年に東名高速道路が開通したことに伴い、東名急行バスに資本参加したほか、静岡浜松線を高速道路経由に変更した他、浜松-岡崎線を高速道路経由にした上で名古屋まで延長し、東名名古屋線として運行を開始した。また、1970年には名古屋にも貸切バス営業所を開設し、観光バスの営業エリアを愛知県内全域にも拡大した。
[編集] モータリゼーションと市内交通一元化
しかし、この頃からモータリゼーションの進展に伴い、利用者数が伸び悩み傾向となったため、路線網の見直しが図られた。高需要路線についてはきめ細かいダイヤを設定することで利便性を拡大する一方で、不採算路線の整理が進められた。また、浜松市内の渋滞に対応して長距離の路線については浜松駅で系統分割を行なって対応した。また、都市間路線も乗客が減少したために、佐久間線が1971年に、東名名古屋線が1975年に廃止されている。
合理化と車掌不足の解消を一挙に行なう方策として、1966年5月から浜松市内の浅田循環線・助信線においてワンマンバスの運行を開始した。当初は全区間均一運賃の路線のみ実施であったが、1968年からは多区間制運賃路線でも整理券方式によるワンマンバスの運行を開始、1975年までには全路線のワンマン化が終了した。ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も導入されたことがある。また、1970年からは一部の車両で冷房車の導入が開始され、1987年までには全車両が冷房車となった。なお、1974年には系統番号が導入されている。
1980年代に入ると、バス業界では先駆とも呼べるサービスを次々と展開するようになった。1978年には奥山線の一部でデマンドバスの運行を開始し、1984年からは山間部の路線においてフリー乗降制度を導入した。また、通学路線では学校に直行する「モーニングダイレクト」も新設された。
浜松市のバックアップもあり、1975年には静岡県では初めてのバス優先レーンが導入されているほか、1978年にはバス優先信号も設置されている。また、1982年には浜松駅バスターミナルが完成している。このような状況下、1936年から浜松市交通部により運行されていた市営バスは慢性的な赤字が続いていたが、1983年に市営交通対策協議会が設置され、民間移管が最善の方法であるとの結論を打ち出した。これを受けて、段階的に市営バスから遠鉄バスへの移管が行なわれ、1987年3月31日限りで市営バスは運行を終了した。
浜松市内のバス路線が一元化されたことを受け、遠鉄バスではさらに積極的に新施策を導入していくことになった。1986年度には「モーニングダイレクト」の運行を増加させた上で方面別に愛称を設定した他、バスロケーションシステムの導入を開始、1987年10月には都市新バスシステムの導入も行なわれた。さらに、夜間のみ住宅地でフリー降車制度を導入したり、雨天時のみ増発便を運行する「レイニーバス」、1992年2月のETカード導入なども行なわれた。
1997年には浜松市が日本初のオムニバスタウンとして指定されたことを受け、バスを活用した街づくりを進めることになった。これ以後の遠鉄バスの導入車両は基本的にはアイドリングストップ付ノンステップバスとなり、車内には案内表示装置にて情報発信も行い、バス停留所もコミュニティ情報板を設置するなどの施策を行なった。一方で、山間部の路線では路線そのものの維持のため、行政主導によるバス運行なども行なわれているが、これらの運行を受託したり、退職乗務員の受け皿もかねて車両運行管理請負を行なう子会社(遠鉄アシスト)の設立も行なわれるなど、「地域の人が移動することに関しては遠鉄グループが必ず関わる」という体制をとるようになっている。
[編集] 年表
鉄道事業関係の沿革は遠州鉄道及び遠州鉄道鉄道線を、車輛については#車両の沿革参照のこと。
- 1907年(明治40年):浜松鉄道株式会社設立。
- 1908年(明治41年):浜松鉄道株式会社が大日本軌道株式会社に吸収され浜松支社となる。
- 1919年(大正8年):遠州軌道株式会社に鉄道事業譲渡。
- 1921年(大正10年):遠州電気鉄道株式会社に改称。
- 1943年(昭和18年)11月1日:遠州電気鉄道株式会社など6社が合併し遠州鉄道株式会社設立。
- 1947年(昭和22年)5月1日:浜松鉄道株式会社と合併。
- 1950年(昭和23年)12月23日:福田営業所を開設、掛塚営業所を廃止。
- 1955年(昭和30年)4月1日:気賀営業所を細江営業所に改名。
- 1959年(昭和34年)5月30日:浜松営業所を移転。
- 1962年(昭和37年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年):都市新バスシステム導入[1]。
- 1992年(平成4年)2月:一足先の1989年2月15日に鉄道線に導入されていたプリペイドカード「ETカード」をバスにも導入[1]。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)4月:中距離運賃を値下げ[1]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)8月20日:ICカードを「ナイスパス」に移行し、本格的な運用開始。鉄道・バス共通利用では日本初。
- 2005年(平成17年)2月17日:中部国際空港行きの高速バス (e-wing) を運行開始。
- 2006年(平成18年)
- 5月31日:「ETカード」販売終了。
- 6月1日:「ナイスパス」車内販売開始。
- 9月30日:湖西営業所を廃止。
- 日付不明:デマンド運行と称する路線の降車専用区間について、乗客が居ない場合に運行を行っていなかったこと問題となる。本来は法令違反であるが、降車専用だったため行政処分はなされなかった。#デマンド運行・延長運行を参照。
- 2007年(平成19年)11月30日:富塚車庫の窓口業務を終了。
- 2009年(平成21年)9月12日:舘山寺営業所・浜松東営業所・浜松南営業所の窓口業務を終了し、電話のみの応対となる。営業所で窓口業務を終了するのは初の事例。
[編集] 特徴的な施策
[編集] モーニングダイレクト
郊外から浜松駅を経由せずに学校へ直行する通学向け急行バス路線である。1975年から1985年までの間に、通学でのバス利用が半減した[4]ため、その対策として乗り換えなしの通学バス路線を設定したものである。運行開始後に新ルートの要望があり、特に私立高校では、モーニングダイレクトの存在が生徒の誘致にも影響すると判断された[5]ことから、順次コース拡大を行った。
西遠学園・芥田学園へ向かう路線が「Avenue(アヴェニュー)」、浜松市立高校・海の星高校・浜松西高校へ向かう路線は「Chapel(チャペル)」という愛称が設定されており、実際に運行される路線では、これに方角をつけている。例えば、気賀・三方原から西遠学園に向かう路線であれば、北方面からの路線となるため「N.Avenue(ノース・アヴェニュー)」という愛称になる。ただし、舘山寺から浜松南高校行きに限っては「Flolal Mate(フローラル・メイト)」という愛称が設定されている。
学校や生徒・保護者からも好評[5]のため、その後磐田地区でもモーニングダイレクトを導入、こちらは磐田南高校・磐田東高校へ向かう路線には「E.Liner(イースト・ライナー)」、磐田南高校・磐田北高校へ向かう路線では「N.Liner(ノース・ライナー)」という愛称が設定されている。
いずれも朝の片道のみの設定で、帰路については浜松駅・磐田駅でバス路線を乗り継ぐことになるが、定期運賃は割安な直行運賃で計算される[5]。
路線により貸切タイプの車両で運行されるものと、路線タイプのものがある。
[編集] オレンジエクスプレス
浜松市北区三ヶ日町から東名高速道路を経由して浜松市中区を結ぶ座席定員制の通勤通学路線で、朝、北区三ヶ日町から中区へ向かい、夕方に中区から北区三ヶ日町へ戻る設定。クローズドドアシステムを採用しており、それぞれ中区内相互間や北区三ヶ日町内相互間の利用は出来ない。
もともとは定期観光バスの回送を客扱いしたものが始まり[6]で、高速道路では全席シートベルト着用が義務付けられていることから、一般路線車でもシートベルト付きの車両の限定運用とされている。車両については#高速仕様の路線車を参照されたい。
[編集] バスロケーションシステム
遠鉄バスでは、1986年からバスロケーションシステムの導入展開を行なっている。これは日本では早期の導入事例である。
特徴的な事例としては、専用のバス停ポールだけではなく、既存のバス停(白百合型と呼ばれるタイプ)にも接近表示機を内蔵させたり、自社で分譲したマンションの各部屋にも接近表示機を設置(これは「バスロケ君Jr.」と命名されている)したことなどが挙げられる。特にマンション各部屋への接近表示機設置は、2007年現在でも遠鉄バス以外では実施例がない。
2000年よりパソコン、携帯電話でもバスの位置情報が分かるシステム「遠鉄ET-Navi」を導入。2007年3月に同システムがリニューアルされ、Googleマップによる表示や検索機能が充実し、さらに使いやすくなった。
[編集] 都市新バスシステム
1987年10月に6路線に導入。都市新バスシステム#遠州鉄道を参照。
[編集] デマンド運行・延長運行
バス停飛ばし#具体例も参照。
当初、デマンド運行として運行。
40気賀三ヶ日線の気賀駅前→東急リゾート~三ヶ日簡保センター(現:かんぽの宿浜名湖三ヶ日)・同 三ヶ日車庫→三ヶ日駅入口~浜名湖レークサイドプラザ・同 浜名湖レークサイドプラザ→ぬえしろ~三ヶ日駅入口→三ヶ日車庫・37大久保線の田端住宅~山崎・30舘山寺線の動物園→大草荘~国民宿舎・同 村櫛→浜名湖ガーデンパークなどが対象。浜名湖レークサイドプラザ発を除き当該区間は降車専用(クローズドドアシステム)を採用し、同区間の手前(主に車庫・営業所又はそこへの短絡ルートが有る)にて乗客が居ない場合、運行を打ち切っていた。浜名湖レークサイドプラザ発は、発車時刻の15分前までに浜名湖レークサイドプラザのフロントにて要予約で、ぬえしろ・三ヶ日駅入口が降車専用、三ヶ日車庫からは通常路線であった(予約が無い場合当バス停が始発となる)。
2006年には当該路線の降車専用区間について、乗客が居ない場合に運行を行っていなかったことが問題となる。本来は法令違反であるが、降車専用だったため行政処分はなされなかった。
その後は、延長運行と名を変え合法的に運行されている。37大久保線や40の浜名湖レークサイドプラザ発上りの様に延長運行を取りやめ通常路線として全便乗客の有無に関わらず運行する様になった例もあれば、延長運行になった例もある[7]。また、浜名湖立体花博期間中の30舘山寺線の舘山寺営業所→中開駐車場の様に延長運行になってから新設された例もある。
現在の延長運行というシステムは、1ヶ月間運行打ち切りの実施・不実施を記録し、集計・走行距離計算をした後に国に届け出ることにより、走行距離に応じて通常路線と同等の補助金が下りてくるという制度である。デマンドバスの一種。
現在延長運行を行っている路線としては、40気賀三ヶ日線の三ヶ日車庫→浜名湖レークサイドプラザ(三ヶ日駅入口・ぬえしろバス停は廃止)・30舘山寺線の村櫛→浜名湖ガーデンパークなどがある。国民宿舎ゆきに関しては、動物園→大草荘~国民宿舎から(動物園・舘山寺温泉経由)銀行前→国民宿舎に経路を変更したのち、国民宿舎浜名湖かんざんじ荘(現:湖上百景浜名湖かんざんじ荘)の遠鉄への譲渡に際し2007年3月31日の運行を以って浜名湖パルパル⇔大草山(浜名湖オルゴールミュージアム)を結ぶ舘山寺ロープウェイを代替路線として系統自体廃止された。
[編集] 「すいすい・くるーり」バス実証実験
浜松市と共同で、2006年10月2日から12月29日までの平日に実施したコミュニティバスの実証実験で、期間内に以下の3路線が運行された。
- 追分すいすいバス
- 遠鉄ストア姫街道店 - 浜松駅
- 市野すいすいバス
- イオン浜松市野ショッピングセンター - 浜松駅
- 市野くるーりバス
- イオン浜松市野ショッピングセンターを基点に、市野地区周辺を環状運行
- このうち「追分すいすいバス」は期間中の利用状況が好調だったため、実験終了後も2007年1月9日から3月31日までの平日に急行バスとして運行され、最終的に4月1日以降は通年運行となった。なおその際に始発バス停が遠鉄ストア姫街道店から姫街道車庫へ変更となった。
- 追分すいすいバス・市野すいすいバスは運賃箱付の貸切タイプの車輛で、市野くるーりバスは路線タイプの車輛で運行された。なお、追分すいすいバスは通年運行となった際に開校日はLED幕装備の路線タイプの車輛で、閉校日はe-wing車輛で運行されるようになった。
- LEDの横幕については経路表示はされていない。例えば、初期のLEDの横幕行先部分は[追分すいすい浜松駅]と表示。
[編集] ツアーバス事業への参入
2006年から募集型企画旅行として、東京など各地への直行型ツアーバスを催行している。
ツアーバスでは、企画実施する旅行会社が観光バス会社から車両を借り上げる形態が多いが、遠州鉄道では本体で国内旅行事業を営んでおり、浜松観光バスを含めてグループ内での完全自社運営を実現している(路線バス事業者の子会社が旅行事業を行っているケースも多い)。
このうち2007年夏期から実施している東京方面へのツアーでは片道だけの利用も可能な上、自社の既存の企画旅行客用の駐車場を開放することなどで既存の路線バスとの差別化を図っている。
[編集] 営業所
- 浜松東営業所
- 三方原営業所
- 所在地…浜松市北区初生町1107-1
- 管轄車庫…都田車庫、姫街道車庫
- 浜松南営業所
- 所在地…浜松市南区松島町1997
- 管轄車庫…※掛塚車庫、新貝車庫、中田島車庫
- 舘山寺営業所
- 所在地…浜松市西区舘山寺町3296-5
- 管轄車庫…村櫛車庫、富塚車庫
- 雄踏営業所
- 所在地…浜松市西区雄踏町山崎3472-2
- 管轄車庫…馬郡車庫、新弁天車庫、篠原車庫、湖西車庫
- 細江営業所
- 所在地…浜松市北区細江町気賀414-8
- 管轄車庫…三ヶ日車庫、奥山車庫、渋川車庫、伊平車庫
- 天竜営業所
- 所在地…浜松市天竜区次郎八新田6-2
- 管轄車庫…春野車庫、横山車庫、熊車庫、水窪車庫
- 磐田営業所
- 所在地…磐田市岩井2190-1
- 管轄車庫…袋井車庫、中ノ町車庫
- 福田営業所
- 所在地…磐田市福田2204
- 管轄車庫…横須賀車庫
※旧営業所などの内、正式な窓口のあるもの
[編集] 廃止営業所
- 浜松営業所
- 所在地…浜松市
- 現在跡地は遠州病院。1997年(平成9年)7月14日に廃止される。
- 所在地…浜松市
- 浜北営業所
- 所在地…浜松市
- 現在跡地は遠鉄ストア浜北店。車両基地として美薗車庫が同店南方にあった。
- 所在地…浜松市
- 三ヶ日営業所
- 所在地…浜松市
- 現在は三ヶ日車庫
- 所在地…浜松市
- 富塚営業所
- 所在地…浜松市
- 1986年(昭和61年)4月1日に開設され、1995年(平成7年)2月28日に廃止された。現在は富塚車庫となっている。
- 所在地…浜松市
- 竜洋営業所
- 所在地…磐田市
- 1997年(平成9年)3月31日に廃止され、浜松南営業所所管の掛塚車庫に変更。
- 所在地…磐田市
- 袋井営業所
- 所在地…袋井市
- 1995年(平成7年)2月28日に廃止され、現在は袋井車庫となっている。
- 所在地…袋井市
- 湖西営業所
- 所在地…湖西市
- 現在は湖西車庫
- 所在地…湖西市
[編集] 路線
- <0番台>
- 遠州浜蜆塚線、早出線、中田島線、三島江之島線、大塚ひとみヶ丘線、大平台線、鶴見富塚じゅんかん、掛塚さなる台線
- <10番台>
- 磐田市立病院福田線、浜名線、小沢渡線、浅田米津線
- <20番台>
- 志都呂宇布見線、城之崎線、松袋井線
- <30番台>
- 磐田市立病院福田線、舘山寺線、伊佐見線、大塚ひとみヶ丘線、大久保線
- <40番台>
- 気賀三ヶ日線、高台線、引佐線、渋川線、奥山線、都田線、医大じゅんかん、和合西山線
- <50番台>
- 山の手医大線、泉高丘線、旭ヶ丘線、萩丘都田線、医大じゅんかん
- <60番台>
- 内野台線
- <70番台>
- 笠井線、蒲線
- <80番台>
- 中ノ町磐田線、労災篠ヶ瀬線
- <90番台>
- 掛塚さなる台線、鶴見富塚じゅんかん、鮫島線
- <100番>
- 浜北医大三方原聖隷線
- <その他の系統>
- 白洲線、秋葉線、北遠本線、法多線、滝沢線、上島イオン市野線、山梨線、小林駅日赤病院線
- <高速バス>
- 中部国際空港線(空港直行バス「e-wing」)
- <受託運行>
- <臨時路線>
- ※イベント開催時などに定常的に運行される路線のみを挙げた。
[編集] 廃止路線
[編集] 高速バス
- 浜松駅 - 清水町
- 浜松駅 - 三ケ日営業所
[編集] 東名浜松静岡線
ここでは、東名浜松静岡線の前身となる国道静岡浜松線についても記述する。
- 浜松駅 - 静岡駅
なお、静岡鉄道での路線名は「東名静岡浜松線」であった。
[編集] 浜松・岡崎線
- 遠鉄浜松駅 - 気賀 - 三ヶ日 - 豊橋市役所 - 国府 - 東岡崎駅
- 1966年(昭和41年)8月20日:浜松駅 - 東岡崎間の運行を開始する。
- 1972年(昭和47年)10月:豊橋鉄道が運行から撤退する。
- 1973年(昭和48年)6月1日:東名名古屋線の運行開始に伴い、路線を廃止する。
名古屋鉄道、豊橋鉄道との協定を結び運行を開始した全長82.1kmの路線であった。多米峠有料道路を走行していた。しかし、東名高速道路の開通に伴い、利用客が減少したため、豊橋鉄道が運行から撤退し、他社も運行本数を減回するに至った。
[編集] 東名名古屋線
- 浜松 - 名古屋
- 1973年(昭和48年)6月1日:運行を開始する。
- 1977年(昭和52年)8月21日:運賃を改定する。
- 1980年(昭和55年)4月7日:運賃を改定する。
- 1981年(昭和56年)6月10日:路線を廃止する。
名古屋鉄道と運輸協定を結び運行を開始した路線である。
[編集] 一般路線
[編集] 豊橋瀬戸線
- 瀬戸橋 - 豊橋駅
- 1964年(昭和39年)7月:運行を開始する。
- 1972年(昭和47年)4月21日:路線を廃止する。
豊橋鉄道と相互乗入運行を行っていた急行バス「奥はまな湖」号として運行を開始した。1日10往復の運転で、豊橋駅では名鉄列車との接続を取り、奥浜名湖方面への名古屋からのアクセス改善を図った。しかし、利用客数の減少から、廃止されることとなった。
[編集] 佐久間線
北遠本線を参照。
[編集] その他 2004年以降の廃止路線・区間
- 2004年2月29日
- 鳳来寺線の全線。新城市へ移管、本長篠吉田線へ名称変更。
- 2004年3月31日
- 2005年3月31日
- 笠井高台線。笠井線・高台線へ系統分割。
- 2006年3月31日
- 舘山寺気賀線(2年間の期限で運行していた学生輸送)
- 浅田中田島線・米津線。浅田米津線へ系統統合。
- 磐田山の手線。山の手医大線・中ノ町磐田線へ分割・名称変更。
- 2008年3月31日
- 宮口線
[編集] 乗車カード
遠鉄の乗車カードは電車・バスに共通して利用できる。
[編集] 車両
遠鉄バスでは、超低床車の愛称として「オムニバス」と命名し、車体にもそのように表記している。以下、本節でも遠鉄バスの保有するノンステップバスに関しては「オムニバス」と表記する。なお、社内ではレインボーHR・エアロミディなど中型ロングに関してはコムニバスと呼び大型車輛との運用を区別している。
[編集] 概説
メーカーは、多い順に三菱ふそう・日野・いすゞの3社のバスを導入している。なお、昭和末期には日産ディーゼル製のバスが試験的に導入されたが、その後導入されることなく現在は廃車されている。
社内では、全長11m以上の車両を「特大車」、10.61m以上11m未満は「大型車」、9.01m以上10.6m未満を「中型車」、9m未満の車両は「小型車」として分類している。
1981年の新車から中扉4枚折戸を採用し、車内はハイバックシート装備など、全般的にグレードは高かったが、後部の行先表示器については交通バリアフリー法施行により義務付けられるまでは装備されていなかった。また、交通バリアフリー法施行後は全車輛がLED行先表示器であるため、後部表示器がついている車両は現在でもLED表示器の車両のみで、幕式表示器の車両に関しては現在でも後部方向幕は設置されていない。なお、オムニバスは2004年の途中まで基本的にグライドドアを採用していた。2004年の途中からは1980年以来の全車輛スライドドアでの納入となっている。
また、1996年度以降に導入されたすべての車両にアイドリングストップ装置が装備されており、現在ではツーステップ車も含めほぼ全車両に装備されている。なお、遠州鉄道では同装置の装備有無に関わらずアイドリングストップを実施しており、アイドリングストップ中は全ての車輛で車内に音楽が流れる。音楽については#アイドリングストップ中の音楽を参照。
このほか、「く・る・る」専用車として日野・ポンチョを導入しているほか、天竜営業所には廃止代替路線用として日産・キャラバンが1台在籍している。
遠鉄では車齢15年をめどに売却・廃車しているが、新車の導入状況等により前後する。
車両番号については、登録番号をそのまま使用している。例えば、「浜松22か22-22」(三方原営業所に在籍していた三菱ふそうエアロスター長尺車U-MP218P。初期のETカードにもデザインされていた)であれば、2222号車となる。登録番号重複の恐れがある場合は、希望ナンバー取得により対処している。2009年現在、4桁のナンバーは2004号車と3000番台、及びく・る・る用の5000番台を除き「浜松22か」、2~3桁ナンバーの車輛は「浜松200か」(希望ナンバー車は「浜松230あ」)である[8]。2004号車は「浜松22か27-83」が改番したもので、「浜松230あ20-04」になっている。同じく3000番台も2桁ナンバーから改番したため「浜松230あ」である。く・る・る用車輛は導入時より「浜松230あ50-xx」で連番にしている。
- 1997年までは日野製大型車を富士重工製車体で導入していたことが特徴であったが、オムニバスは日野純正車体のみの導入となっている。
- いすゞ製大型車は富士重工製車体と純正車体が混在していたが、廃車が進行し現在は富士重工製7Eボディのキュービックのみ残存している。
- 三菱ふそう製大型車はツーステップはニューエアロスターKC-MP317Mを除きMMCボディで導入。ニューエアロスターや全てのオムニバス(ニューエアロスター・エアロミディ)はMMCボディの設定がないため、MBM→MFBMボディ。なお、ふそう車は富士重工ボディは存在しない。
1998年度より(実際には1997年度にオムニバスが既に導入されている)新車はオムニバス(車椅子用席あり)に統一されており、2006年9月30日現在の台数は179台となり、これは日本の民営バス事業者では最大のノンステップバス保有台数となっている。なお、オムニバス導入当初、実験的に全便オムニバス化した51泉高丘線は、この効果により10%利用者が増加した[1]。
2002年には三菱ふそうよりディーゼル・電気式ハイブリッドバス(エアロスターHEV)の貸与を受け、遠鉄にて長期実用試験を行っていたが、この車両については中扉は引き戸となっている(市販バージョンの2台も同様)。
ワンステップバスは2005年度に中型が3台、2008年度下四半期(2009年上四半期)に大型が1台導入された。
遠鉄では、毎年15~25台程度新車が導入されている。例えば、1998年度には2785~2815号車・12号車の計25台のオムニバスが導入された。1999年度は、27号車~78号車(3000番台に改番された4台を含む)の22台が導入された。ただし、2008年・2009年は不況の影響もあり、2008年は7台、2009年は11月現在で1台のみの導入である。なお、1999年度導入の12号車を除く1998年度~1999年度の全ての新車及び1997年度導入の2783号車(現在の2004号車)1台は三菱ふそうニューエアロスターのKC-MP747Mであり、12号車と2000年度の新車の3割は日野ブルーリボンのKC-HU2PPCEである。2000年度は147号車・148号車以外全て上記2型式なので、日野レインボーも導入されるようになった2001年度以降と比べ、エアロスターの割合が多い。そのため全国的にはそれほど普及していないエアロスターKC-MP系オムニバスが遠鉄バスでは2009年現在でも最大勢力を誇っている。なお、147号車は日野レインボーのKL-HR1JNEE、148号車は同じく三菱ふそうエアロスターであるがマイナーチェンジされたKL-MP37JMである。なお、147号車の車種も、148号車の型式も、それぞれこの1台を除いて全てLED式行先表示器を装備している。
2007年度にはいすゞエルガtype-Aが導入され、それ以降に導入される大型オムニバスの主力車輛となっている。
また、同じく2007年度には、3年ぶりに三菱ふそうの新車(車種はエアロスターで、型式はPJ-MP37JM)が導入された。
なお、ツーステップ車は全てリーフサスペンション、オムニバス・ワンステップバスは全てエアサスペンション。
[編集] 過去の車両
過去には、貸切バスとの兼用を考慮した「乗貸兼用車」も存在し、貸切車と同様のフロントグリルが異彩を放っていた。かつて運行されていた静岡~浜松間の高速バス(高速浜松静岡線)には、三菱エアロバスが使用されていた。また、高速浜松静岡線には、観光バス用シャーシに路線バス用車体を架装した高速・路線兼用車が1台在籍していた。
※「乗貸兼用車」及び高速・路線兼用車についてはワンロマを参照のこと。
浜松市交通部の事業廃止時に、遠鉄バスに譲渡された車両が4台存在した。これらの譲受車は、いずれもいすゞK-CJM470で、当時の遠鉄バスの自社発注車が標準尺車・中扉4枚折戸・側窓は引き違い窓(メトロ窓)という仕様であったのに対し、短尺車・中扉引き戸・側窓は2段窓という相違点があった。1996年までに全廃されている。
また、浜松市循環「く・る・る」用には当初はオムニノーバ・マルチライダーが導入されていた。
[編集] 仕様
[編集] 高速仕様の路線車
2374号車・2687号車・2688号車が現存する。かつては2375号車も存在したが、2009年夏に廃車された。なお、オレンジ急行(2374号車はe-wing掛川区間便)[9]を中心に運用しているが、一般路線の運用にも就く。
- 2374号車 - 1993年導入。三菱ふそうエアロスターの長尺車(U-MP218P)。オレンジ急行用として細江営業所に配置されていたが、2009年9月にe-wingに掛川駅南口 - 富士山静岡空港の区間便が誕生した際に区間便用として磐田営業所に移動している。
- 2375号車 - 1993年導入。三菱ふそうエアロスターの長尺車(U-MP218P)。オレンジ急行用として細江営業所に配置されていたが、2009年7月に運用を離脱、2009年8月に廃車された。
- 2687号車 - 1996年導入。富士重工製7Eボディのいすゞキュービック(KC-LV380N)。アイドリングストップ装置を装備する。オレンジ急行用として細江営業所に配置されている。
- 2688号車 - 1996年導入。富士重工製7Eボディのいすゞキュービック(KC-LV380N)。アイドリングストップ装置を装備する。オレンジ急行用として細江営業所に配置されている。
以下に特徴を述べる。
- 座席配置が2列&2列シート
- シートベルト装備
- ETC搭載
[編集] ドアチャイム
- ツーステップ - ブザー。ドアが閉まるときは一部の中型車を除き閉まりきるまでブザーが鳴るが、ドアが閉まり始める際に一瞬音が途切れる。このような例としては他に国際興業バスがある。
- オムニバス・ワンステップバス(660号車以外) - チャイム。どちらかというと電車の発車ベルに近い。ツーステップ車と同じく閉まりきるまでチャイムが鳴るが、ドアが閉まり始める際も音は途切れない。車内ドアチャイムは音の高低差は有るものの全て同じ2音の和音となっている。車外ドアチャイムは同じタイプの和音ではなく1音タイプが主流であるが、中には「ピー」というツーステップに近い車外ドアチャイムの車輛や、岐阜バスのドアチャイムや車いすスロープを出すときの警告音と同じ「ピヨ・ピヨ・ピヨ」というタイプもある。また、最近の新車では車内ドアチャイムと同じ車外ドアチャイムを装備する車輛もある。なお、車外ドアチャイムは車内ドアチャイムと同じ車外ドアチャイムの車輛を除き、ドアが閉まる際は閉まり始める前しか鳴らない。
- 660号車 - ピンポン+アナウンス。車内へはドアが開く際は「ピンポン ドアが開きます。」、ドアが閉まる際は「ピンポン ドアが閉まります。」と流れる。車外へはドアが開く際のみ従来のオムニバスのドアチャイムを早めたものが流れる。2009年11月現在、660号車の納車以降に導入された車輛がまだ無いため、今後の新車がどうなるかは不明。都営バスの一部のジェイ・バス(いすゞ自動車・日野自動車)製車輛で使用されているものと同一[10]。
[編集] 運賃箱
ICカードがなく乗車カードがETカードのみの時代は小田原機器のRX-FA1型運賃箱(現在でも函館バス等で健在)を使用していたが、2003年度の「EG1 CARD」(「ナイスパス」の前身)導入時にレシップ製NF-3に更新された。2003年2月頃より導入されたレシップ製の運賃箱は日本初のカラー液晶画面を搭載、視認性・表現力に優れており、その後多くのPASMO導入バス会社(西武バスほか)や岐阜乗合自動車(ayuca)などでも採用された。車両により、整理券投入・大人精算完了チャイム・小人精算完了チャイム(学生ナイスパス含む)の音色がそれぞれ2パターンずつ存在し、片方は鉄道線と共通のものを採用。
春休み・夏休みの子供1乗車50円期間中は、小児用ナイスパスは自動で50円となる。なお、(乗務員が)小児ボタンを押すと自動的に運賃が50円となるため、ETカードや現金でも利用できる。一方、高齢者1乗車100円キャンペーンは、ナイスパスの場合登録された誕生日から自動で年齢を判別し100円となるが、運賃箱には高齢者ボタンは存在しないため、現金の場合は金額不足と表示されるが運転手が強制精算する。ETカードの場合、そのまま通すと通常運賃が引かれてしまうため、整理券に関しては一旦強制精算した上で金入力(「金100円」と入力)する[11]。
なお、鉄道線の各駅に設置されているICカードリーダーにはレシップ製のほか、サクサ製のものもある(主に残額確認用)。ちなみに、子供1乗車50円は鉄道線でも実施されるが、当該期間は券売機の小児ボタンを押すと全ての駅までの運賃が50円と表示される[12]。
[編集] 案内表示器
全角8文字横書き2段LED表示器が運転席真後ろの広告スペースの上にある。上段には停車中は行先がスクロールで表示され、走行中は次バス停名・運転手氏名(スクロール)・「つぎ とまります」が表示される。下段は文字情報(ニュースや市からのお知らせ)や現在時刻が表示される。次バス停名は[次は]に1文字使用するため全角7文字以内の場合[13]はスクロールしないが全角7.5文字以上の場合はスクロールする。また、降車ボタンを押すと[次は]が黒地に赤文字から赤地に黒文字に変わる。この表示器は都営バスや鉄道線のものと同一である[14]。
運賃表示器は運賃箱真上にあり、整理券番号がデジタル2桁・運賃がデジタル3桁で表示される。整理券番号がデジタルであるため整理券番号に欠番が有る場合・始発バス停が1番でない場合・運賃が630円の区間が3つ以上ある場合[15]に役立っている。なお、こちらは一番左に縦書き全角6文字の表示スペースがあるが、2段LED表示器と違い常にバス停名(走行中は次バス停名・停車中は現在バス停名)を表示している。ちなみに、縦書きのため半角カタカナは表示できない。唯一数字を含むバス停「ベル21」については縦書きは中央揃えにならず上に詰めて「ベ/ル/2/1/ / 」と縦書きで算用数字(全角)が表示されている。
車番・運転手名札表示器(アナログ)はルームミラー左(外から見て右)にあり、外から見るとツーステップは「ワンマン」、オムニバスは「超低床バス」、ワンステップ(450~452号車)は「低床バス」、ワンステップ(660号車)は「ワンステップ」と書かれている。
[編集] アイドリングストップ中の音楽
音楽を流すシステムは自社で開発した[1]。音楽は、営業所ごとにパターンがローテーションしている。12月に関しては、通常のパターンの音楽と交互で全ての営業所で共通のクリスマスソングが流れる。
これは、アイドリングストップ装置の装備有無に関わらずHEV車輛の398・399号車を除く全ての車輛で流れる[16]。
ただし次のバス停が終点の場合や路線データの入っていないシャトルバスの場合・アイドリングストップ装置搭載車に於いて手動でエンジンキーを回しアイドリングストップした場合は流れない。なお、降車ボタンの放送以外の音声合成による放送が流れている際は音楽は流れないが、肉声放送や音声合成による降車ボタンの放送が流れている場合は音楽が流れる。逆に、音楽が流れている最中に降車ボタンの放送以外の音声合成による放送を流した場合、即座に放送流れ、音楽が止まる。音楽が流れている最中に降車ボタンを押した場合、次の音楽へ切り替わる際、もしくはエンジンを始動して音楽が止まった際に放送が流れる。なお、エンジン始動や放送等により音楽が途切れた場合、次に流れる際はその曲の続きからではなく次の曲の頭からとなる。
曲番号・秒は音声合成装置の設定器の一番下の行の右側に表示されている[17]。ただし、運用がセットされたシャトル運用の場合は「予約xx」[18]と表示され、曲番号・秒は表示されない。
ちなみに、アイドリングストップ中に音楽が流れる例としては、他にも名古屋市営バスが有るが、同局と違い、曲の種類が遠鉄バスは多種多様である。
[編集] 実施経緯
アイドリングストップを実施し始めた頃、客から「故障したのでは」や「しらけてしまう」という意見があったため[1]。1997年10月に試験的に小鳥のさえずりを流し始めたのが前身である[19]。
[編集] 方向幕
前述した通り、幕式表示器は後部幕は無い。
遠鉄初の全面ラッピング車である[20]2004号車浜名湖花博ラッピング車は、幕式表示器装備車で後部表示器は無かったが、ラッピング時にリアガラスラッピング上部に「園芸博まで」と表記しその右隣にLED表示器を設置した。LED表示器には緑色で「あと300日」等と2004年4月8日までの残り日数を(数字は全角数字で)表示した。この表示器は2004年10月11日のラッピング解除の際に撤去されている。
前面方向幕について、ワンマン化の前後には系統幕と行先幕が分離されたものも導入された時期も有ったが、その後の新車は大型の一体型方向幕となった。それ以降は分離幕は導入されていない。なお、分離幕に於いても途中からは系統幕が「冷房車」又は「ワンマン」の固定表示となり、番号も行先幕に表示されていた。
[編集] 側面方向幕
側面方向幕は縦書き型式で、左から右へ読む。フルドット式を含めてLED車のみ上部に番号だけでなく行先表示があり[21]、浜松駅など主要バス停始発の路線では始発バス停にてスクロールで「このバスは、30舘山寺温泉行きです。」等と流れるようになっている[22]。初期のLED車は「→」が3つ[23]、即ち経由地が4つ表示で固定である。そのため、「回送」幕や「遠州鉄道」幕、一部の直通路線の幕を除き全て4つの経路が表示される。
2004年より側面方向幕がフルドット式LED表示器となり、幕式表示器と同様に経由地数の増減が可能となっている。
- 位置について
- いすゞ製のスライドドア車は中扉後部に設置。
- 三菱ふそう製のスライドドア車は戸袋に設置。
- 日野自動車製のスライドドア車はレインボーは戸袋前部の窓に設置。ブルーリボンIIは中扉後部に設置。
- スライドドアでない車輛は中扉前部に設置。
[編集] 降車ボタン
降車ボタンは、ツーステップは前扉・中扉どちらかが開いている間、オムニバス・ワンステップは前扉が開いている間は鳴らない。なお、閉まりきらないと鳴らない。
形状は、2009年現在残存するものでは、5種類ある。
- - 2400番台:函館バスの函館市交通局からの譲渡車輛と同一のタイプ。「キンコン」と鐘が鳴るタイプ。このタイプ以外は全て押す部分が円か楕円だが、このタイプは小さな長方形である。
- 2500番台 - 2700番台(ニューエアロスター以外):卵のような形状をしたボタン。高音の電子音で「ピンポン」と鳴る。
- 2730号車 - 2737号車(ニューエアロスターツーステップ):名古屋ガイドウェイバスと同じタイプ。上記のタイプとは違う音色の電子音で(音も低い)「ピンポン」と鳴る。1997年~2006年導入分のオムニバス・ワンステップと同じ形状だが、こちらは白い。
- オムニバス・ワンステップ(1997年 - 2006年導入分):2730~2737で導入されたものの色違い。こちらはメッキされており銀色である。ツーステップに近い「キンコン」という鐘が鳴る。e-wingの車輛と形状は一緒。
- オムニバス・ワンステップ(2007年 - 導入分):黄色いタイプ。全国的に現在導入されているタイプである。チャイムは、従来とは全く異なる電子音で「ピンポン」と鳴る。e-wingの車輛と音色は一緒。
なお、都営バス等で多く導入されている「ピー」となるタイプ(押す部分が大きな長方形である)は一部のオムニバスの車いす用降車ボタンにのみ導入されたことがある。
[編集] 車両の沿革
- 1994年 - この年よりアイドリングストップバスを導入開始[19]。
- 1997年 - 三菱ふそうニューエアロスターツーステップ(KC-MP317M)が導入。2730~2737の計8台が当初それぞれ三方原営業所・浜松東営業所・細江営業所・浜松南営業所・舘山寺営業所・湖西営業所・雄踏営業所・舘山寺営業所に配置。ニューエアロスターツーステップはこの8台のみ。
- 1997年 - 遠鉄初のオムニバス、2783号車導入(後に浜名湖花博ラッピングを施す際に2004号車に改番)。三菱ふそうニューエアロスター(KC-MP747M)で舘山寺営業所に配置された。これ以降、全車オムニバスの導入となる。
- 1997年10月 - アイドリングストップ中の静粛防止のため試験的に小鳥のさえずりを流し始める。のちに音楽に変更し本格運用されている(現在も実施している)[19]。
- 1998年 - 遠鉄初の大型車輛に於ける日野純正車体の車輛、12号車導入。ブルーリボンのオムニバス(KC-HU2PPCE)で、導入当初、三方原営業所に配置された。日野自動車製の最初のオムニバスでもある。
- 1999年2月 - アイドリングストップ装置非搭載車に於いてもアイドリングストップを開始[19]。
- 2000年 - 遠鉄初のコムニバス、147号車が磐田営業所に導入。日野レインボーのKL-HR1JNEE。幕式行先表示器を装備する当車種はこの1台のみ。
- 2001年 - この年の新車より行先表示器が幕式からLED式に変更。また、同車輛より交通バリアフリー法対応のため後部にも表示器を設置。なお、日野レインボー(HR系)及び三菱ふそうエアロスターのKL-MP37JMはそれぞれ147号車(レインボーHR系のKL-HR1JNEE)・細江営業所の148号車(KL-MP37JM)を(双方共2000年に導入)除き全てLED表示器である。尚、いすゞ自動車のオムニバスや三菱ふそうエアロミディ等も全てLED表示器である。
- 2001年 - 遠鉄初の日野ブルーリボンシティ(KL-HU2PPEE)導入。172・173号車がそれぞれ当初、磐田営業所・天竜営業所に配置された。なお、ブルーリボンシティはこの2台のみである。
- 2001年 - 遠鉄初のいすゞ自動車製オムニバス導入。175・176・177号車で、それぞれ三方原営業所・細江営業所・雄踏営業所に導入。いすゞエルガtype-BのKL-VL834Nである。オムニバスで最初のスライドドア車輛でもある[24]。
- 2002年 - 三菱ふそうエアロスターHEV(KL-MP37JM改)の試作車である251号車が日韓ワールドカップシャトルで運行開始。ワールドカップ終了後は三方原営業所にて定期運用に就いた。
- 2003年2月 - ICカードEG1CARDの本格導入につき運賃箱を小田原機器のRX-FA1型運賃箱からレシップ製NF-3へ更新。この更新作業は2003年3月までにほぼ全車輛に実施された。
- 2004年 - この年の新車より側面方向幕が従来の「→」固定式LED表示器[23]からフルドット式に変更。
- 2004年 - 251号車がメーカー返却。後に量産車の398号車・399号車が当初、それぞれ三方原営業所・舘山寺営業所に導入された。
- 2004年 - 4月8日~10月11日の浜名湖花博開催に伴い「花博ロゴ入りちょきんぎょラッピング」車輛が登場。この車輛は花博シャトル専用である。このラッピング車を含め廃車直前の車輛が音声合成・運賃箱・系統設定器をはずされて(一部ははずされていなかったものもあったが運賃箱が未更新だった)シャトル専用運用に就いており、花博終了時に全車廃車された。この廃車車輛の一部は浜名湖花博シャトルの専用幕[25]を装備した車輛もあった。なお、10月11日限りで2004号車の浜名湖花博ラッピングも解除。
- 2004年 - 1980年以来導入されていなかった中扉がスライドドア(引き戸)の車輛の導入を本格的に開始(これ以降全てスライドドアでの納車である)[26]。遠鉄初のエアロミディ(KK-MK27HM)である395号車・396号車・397号車が本格導入最初のスライドドア車輛で、当初それぞれ浜松南営業所・三方原営業所・浜松東営業所に導入された。なお、エアロミディはこの3台限りである。
- 2005年 - 遠鉄初のワンステップバス、417号車導入。いすゞエルガミオのPA-LR234J1。417号車は、2009年10月31日までメローバス専用車輛で、塗装が異なるだけでなく、2005年導入ながらも幕式行先表示器を装備していた。417号車は2009年11月に、遠鉄のカラーリングに変更し、行先表示器もLED式に変更した上で、磐田営業所に移動している[27]。なお、エルガミオワンステップ(PA-LR234J1)の450号車と451号車も年内に通常の遠鉄仕様にて天竜営業所に導入されている。
- 2007年 - この年の新車より降車ボタン形状が変更され、ボタンが押された際に流れるメロディも空港連絡バス「e-wing」と同様のメロディとなった。
- 2007年 - 2003年以来、4年ぶりにいすゞエルガが導入(この間に導入されたいすゞ製の車輛は2005年導入のエルガミオワンステップの417・450・451号車のみでありいすゞ車自体2年ぶり)。エルガtype-Aが初めて導入され、型式はPJ-LV234N1となった。近年大型オムニバスの中では多く導入されている。562・563・564の3台で、三方原営業所・細江営業所・雄踏営業所に配置。
- 2007年 - 三菱ふそうのリコール隠し以来、3年ぶりに三菱ふそうエアロスター(PJ-MP37JM)が導入。574・575・576・577・578の計5台で、それぞれ浜松南営業所・三方原営業所・細江営業所・舘山寺営業所・浜松東営業所に配置された。
- 2008年 - 遠鉄初の日野ブルーリボンII、623号車が浜松南営業所に導入。型式はPKG-KV234N2。
- 2008年 - 舘山寺営業所で初の三菱ふそう製ではない大型車輛、626号車導入。いすゞ自動車製で、エルガのPKG-LV234N2。
- 2009年 - 遠鉄初の大型ワンステップバス、660号車が天竜営業所に導入。いすゞエルガ長尺車のPKG-LV234Q2。
[編集] 注記
- ^ い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を わ か よ た れ そ つ ね な ら む う ゐ の お く や http://bus.entetsu.co.jp/work/omnibus/track.html(オムニバスタウン五年間の軌跡)より。
- ^ 通勤ワイドフリー定期券は持参人方式である。
- ^ システムは自社で開発した。2年間で100万件のアクセスがあった。詳細はhttp://bus.entetsu.co.jp/work/omnibus/track.html(オムニバスタウン五年間の軌跡)を参照。
- ^ 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p88
- ^ い ろ は 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p89
- ^ 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p136
- ^ なお、デマンド運行から延長運行になる際に廃止された系統は無く、通常路線化したか延長運行化したかのどちらかである。
- ^ 1桁ナンバーの車輛は存在しない。
- ^ オレンジ急行は2005年以降、高速タイプのe-wing車輛で運行されることがある。なお、e-wing掛川区間便も高速タイプのe-wing車輛で運行されることがある。
- ^ ただし都営バスではドアが閉まる際は「ピンポン・ピンポン」と2打点・アナウンスなしとなっている。
- ^ 「金」は金額入力の意。整理券番号の場合は「券」となる。円はエンターキーの代わりとなる。
- ^ 鉄道線の券売機は行きたい駅名を一覧から選ぶ形式である。
- ^ カタカナは系統設定器の表示限界である全角8文字を超える場合は半角を使用する場合が多い。
- ^ 鉄道線は停車中に「西鹿島 行きです」又は「新浜松 行きです」、走行中に次駅名表示となる。下段は一緒。ただし上段・下段とも色使いが違う。
- ^ 例えば1番から14番まで630円の場合、最初の欄の整理券番号が 1、運賃が630と表示され、隣が14・630となる。
- ^ 398号車・399号車は発電せずにエンジンが止まっている場合・セレクトレバーをNにしている場合・鍵を回してエンジンストップしている場合のいずれも音楽が流れない。
- ^ 最下行の一番左は直前バス停発車時の定刻からのズレ(分)が表示される。例えば、15:53のバス停を15:52に通過した場合「01分」、09:33分発のバス停を09:45に発車した場合「12分」と表示される。なお、ダイヤのデータが入っていなく運用がセットされたシャトル運用の場合・手動で系統入力した場合はダイヤのデータが入っていないため、現在時刻が「06:45」のように表示される。
- ^ 例えばセットされた順番の2番目の運用の最中ならば「予約02」である。
- ^ い ろ は に http://bus.entetsu.co.jp/work/environment/index.html(環境への取り組み)より。
- ^ 前面までラッピングした例は現在でも2004号車のみ。前面以外フルでラッピングした例はこの後何例かある。
- ^ 幕式表示器の場合は行先を経由表示の中で大きくすることにより対応。なお、遠鉄では案内上の行先が実際の行先と異なる場合があるため行先が一番右にあるとは限らない。
- ^ ただし「8富塚じゅんかん」(数字は全角数字)など主にじゅんかん路線で行先を表示しない場合、スクロールしない場合もある。
- ^ い ろ 「→」は黄色いステッカーである。
- ^ スライドドアの本格導入は2004年以降であり、当車種以外のスライドドア装備のオムニバスは三菱ふそうエアロスターHEV試作車の251号車のみ。
- ^ 例:浜名湖花博⇔雄踏駐車場
- ^ ただし1980年~2003年に導入された車輛でもいすゞ自動車製の全てのオムニバスといすゞ自動車製の一部の中型ツーステップ車、及び三菱ふそうエアロスターHEV試作車の251号車はスライドドア。
- ^ 遠鉄の車輛で幕式表示器をLED式に変更したのは最初で最後の事例である。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年12月7日 (月) 14:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【遠鉄バス】変更履歴








