野中和夫
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野中 和夫(のなか かずお、1944年1月1日 - )は、大阪府堺市堺区出身の競艇選手。通称「モンスター」。登録番号は2291(27期)。
2005年度より競艇選手の団体組織である社団法人日本モーターボート選手会の会長に就任したため(2009年3月に勇退)、レースには同年2月の戸田競艇場でのレースを最後に出場していない。その都合で現在のランクはB2である。ヒゲがトレードマーク。
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[編集] 経歴・人物
[編集] 会社員として
日本電気技術専門学校(現・日本理工情報専門学校)卒業。競艇選手になる前は3年間、菱電サービス(現三菱電機ビルテクノサービス)のCEとして働いていた経験もある。また、空手の世界でも有名であった(昭和41年 全国空手道選手権大会 男子組手3位)。
[編集] 横山やすしとの友情
横山やすし(何度もコンビ別れを重ね、一度引退を考え、19歳の時に競艇選手になるため試験を受けたが視力が低い為不合格になった。)とは、堺市立旭中学校時代の同級生でもあり、大の親友。「野中」「雄二(本名)」と呼び合っていた。また、後にやすしが所属する阪田エージェンシーの社長で住職の阪田教揮とも親友。
競艇選手になる事を決意したのも競艇選手になるための試験に不合格になったやすしに口説かれたことが理由。やすしの告別式では、友人代表として、涙ながら「雄二よ、今度俺がそっちへ来たら、お前と一緒に(競艇で)走ろう!その時は古いエンジンも持って来たる!」と弔辞を読んだ。
[編集] 華麗なるデビュー・数々と打ち立てた記録
1969年4月23日に住之江競艇場でデビュー。その競走に横山やすしも応援に駆けつけ競走後に抱きしめた。これまでにSG17勝(史上最多)を挙げ、1995年には当時6つあったSG競走を全て制覇する「グランドスラム」を達成。翌1996年には新設されたSG・オーシャンカップ競走も制覇して7冠グランドスラマーとなった。
前述の通り2005年に日本モーターボート選手会の会長となったためレースの現場から離れていたが、年齢的な問題(2009年で65歳)から「まだ走りたい気持ちはあるが減量が利かない体になってきた」との理由で、2009年11月18日に福岡競艇場でトークショーに出演している際に引退を表明した[1]。同年12月に住之江競艇場で行われる賞金王決定戦の期間中に引退セレモニーを行い、年内に選手登録を返上する予定。
[編集] 「モンスター」と言う名前の由来
期間最高勝率9.53(当時は現在のようなSGレースで2点増し及びG1レースの1点増しがなく、SGのみ1点増しであった)や、SG競走の制覇記録17など数多くの記録を打ちたて未だ破られていないことから「モンスター」と呼ばれている。
[編集] 自分のポリシー
「勝負師」と呼ばれることを極力嫌う。「俺は勝負師やない、勝ち師や。勝負師とは勝ったり負けたりする人のことやから、俺は勝つことしか考えとらん。」との理由から、自らを「勝ち師」であると称している。
[編集] 主な勝利
[編集] SG
- 総理大臣杯競走 1回(1991年)
- 笹川賞競走 6回(1974年、1976年(ファン投票1位での完全優勝)、1987年、1990年、1991年、1993年)
- グランドチャンピオン決定戦競走 1回(1995年)
- オーシャンカップ競走 1回(1996年)
- モーターボート記念競走 3回(1974年、1979年、1985年)
- 全日本選手権競走 2回(1974年、1976年)
- 賞金王決定戦 3回(1988年、1992年、1993年)
なお競艇王チャレンジカップ競走(1998年新設)、賞金王シリーズ戦(1997年のSG昇格以後)は未勝利である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ モンスター野中…トークショーで引退表明! - スポニチAnnex・2009年11月19日
最終更新 2009年11月23日 (月) 06:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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