鍼灸
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鍼灸(しんきゅう)とは、皮膚または筋膜などの体表部位に特定の刺激部位(古来経絡・経穴と呼ばれてきた)を選択し、鍼や灸を用いた刺激を与えることで、各種疾病に対し治療的な介入を行なう東洋医療技術である。戦国から後漢(B.C.5世紀~A.D.3世紀)にかけての中国において成立した物理療法であり、近世まで東アジア各国で発展し、現在ではアジア各国は勿論、欧米でも広く活用されている。1996年10月28日-11月1日にイタリアで開かれた会議で採択された報告書を基に1999年にはWHOより鍼治療の基礎教育と安全性に関するガイドラインが発表された。[1]
目次 |
[編集] 概要
中国を中心に東アジア各地で近代まで行なわれてきた医療の主流は、生薬を用いた「生薬方」と、物理療法である「鍼灸」である。診察手段が「体表観察」と「触診」のみしか無かった古代から近代にかけて、体表面からの病態診断法(「証」と呼ばれる病態の分類法)が発達し、それに対応する治療的技法として、生薬方と鍼灸を二本柱とする治療技法の体系が成立した。つまり鍼灸は東アジアにおける医療技法の片翼で、生薬方に対置するものである。
これら生薬方と鍼灸は、東アジア各国で地域に対応した発達をみたが、特に日本においては、江戸期に技法と技術体系の目覚しい発達が独自になされたことが知られる。すなわち、生薬方は「漢方」として日本独自のものとして発達し、鍼灸も「鍼管(ストロー状の外筒で中に細い鍼を入れるもの)」の発明による鍼の細径化とそれに伴う手技の変化と体系化が成し遂げられた。日本産の生薬方である「漢方」と、日本産の鍼管を用いた鍼灸を併せたものが、従来「東洋医学」と呼ばれ、第二次世界大戦後、共産中国において国策として成立した「中医学」と区別されてきた経緯がある。
日本においては、生薬方を用いる医師と鍼灸を用いる鍼灸医は、早い時代から分業化していた事が知られているが、分業が決定的になったのは江戸時代の盲人政策による。幕府の政策として「按摩」を盲人の専業として規定したところから、手技が連続する鍼灸も時を経ずして盲人の職業となっていった。これにより、日本においては、一般的な生薬を用いる医師(漢方医)と、盲人による鍼を用いる医師(鍼灸医)が医療の担い手となる。
盲人が鍼灸を担った歴史は世界の鍼灸を見渡しても例が無く、日本の鍼灸は非常に特異な経緯を辿ったものと言える。先述の鍼管の発明や、技法の独自発達も、これら視覚の不自由な術者が技法を担ったことにより為された側面が強く、江戸時代の盲人鍼灸医が果たした役割は非常に大きい。幕末から明治初期にかけての西欧医学の導入に際して、漢方医は比較的スムーズに西欧医に移行したが、鍼灸医については、当時の西欧医学には対応する技法も無いため医療職からは除外され、「盲人の職業保護」との名目で、慰安業としての、はり・きゆう・按摩の資格と盲学校が残された。しかし、実際には、明治天皇はじめ鍼灸に信頼を寄せる人々も多く、鍼灸は現実には戦前までの国民医療の一端を担ってきたのが実情である。
戦後、それまで営業鑑札であったはりきゆうの免許が国家資格となり、幾度かの法改正を経て、現在では3年以上養成機関で学ぶことが、「はり師」と「きゅう師」の国家試験受験要件となっている。
なお、医師法との整合性については、「あんまマッサージはりきゆうに関する法律」第一条により、鍼灸に関連する医療行為に関しては、医師法第19条の部分解除という形で認められている。
[編集] 歴史
[編集] 中国
[編集] 古代~中古
鍼灸の発生起源は詳しくは分かっていないが、春秋末から戦国時代には、「灸」はすでに用いられていたようで、「孟子」に灸治療に対する最古の記載がある。現存する医書として実際の鍼灸治療法が記載される最古のものとしては、馬王堆漢墓(前漢・B.C.168)出土の竹簡と帛書(はくしょ=絹に書かれたもの)に、「足臂十一脈灸経」「陰陽十一脈灸経甲本」「脈法」「陰陽脈死侯」「五十二病方」等と名付けられたものがあるが、これらは全て「灸」に基づいた治療法の書である。施灸点としての「経穴」や「経絡」という概念も登場しているが、これら経絡・経穴に対する「鍼」の適用法が確立したのは、後漢(~A.D.3世紀)の時代とされる。現在も活用される鍼灸の古典医書『黄帝内経(A.D.3世紀成立)』は、前述の出土医書群の直系とされているが、記述される内容は、完全に「鍼」が主体の体系にシフトしている。これは、前漢から後漢に至る2~3世紀の間に、本来「灸」による物理療法として生まれた治療技術体系が、「砭石」(へんせき=石のメスによる瀉血)療法等を包含し、より簡便な「鍼」による物理療法として発展したことを示すものと考えられている。「灸」で見出された体表面の治療に役立つ部位(経絡・経穴)は、「鍼」による刺激にも対応する事が発見され、発展を見たわけである。 その後「灸」療法が廃れたわけではなく、病態に対応した「灸」と「鍼」の使い分けがなされ、「鍼灸」として活用されて来た。『黄帝内経』の『素問』異法方宜論篇には、華北平野の北方より「灸」が、東方より「砭石」が、南方より「九鍼=鍼」が、西方より「生薬方」が起こり、中央の「導引(気功=按摩・ストレッチ)」と合わさって、当時の医療技術を形成した伝説が記されている。その後これら鍼灸技法は、陰陽五行思想と融合し、独特の治療体系を形成していく。
この時代の鍼灸を担った著明な医家としては、史記列伝に名を残す『難経』の著者扁鵲や、三国時代「魏志」に登場する華佗、『鍼灸甲乙経』を編纂した皇甫謐などが居る。
[編集] 中世
宋代から元代は鍼灸を含め医学分野の充実が見られるが、金元医学の中心は主に湯液によるもので、元の滑寿は『難経本義』の中で「難経などの古い鍼灸書を捨てて、新しい湯液に走るのは薮医者である」と諭している。
[編集] 近代以降
1822年、清王朝は宮廷医院内の鍼灸科の廃止を宣言するなど西洋医学の流入と共に伝統中国医学の衰退が始まる。中華民国時代、袁世凱は伝統中国医学を禁止しようとしたが強い反発に遭う。
[編集] 現代
中国共産党の時代に中医を正規の医学として認可するまで中医廃止派と中医派の対立が続いた。やがて正規の医学として認可すると、逆に冷戦時代にはアメリカ合衆国やソ連を中心とする西洋文明に対抗し、東洋文明の価値を宣伝するべく鍼灸治療をメディアに紹介した。
改革開放の波に乗って市場経済社会主義を標榜するようになってからは、中国国内での鍼灸への評価は多様化しているが、一方では一種の「頭脳流出」ともいえる現象も起きていて、優秀な中医や鍼灸師がより良い活動の場を中国国外に移住するケースもよく見受けられるようになった。
[編集] 日本
[編集] 前近代
日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に本格的なテキストと技術の伝来がなされたと言われているが、日本書紀の允恭天皇記中にも鍼灸に関連する記述が見られ、民間レベルでの技術の伝播は、さらに時代を遡るものと考えられる[2]。 いずれにしても、遣唐使による鍼灸技術の伝播は、単に技術面にとどまらず、医療制度としての鍼灸を日本に模倣させるものとなり、701年制定された大宝律令には、医療を司る中央官職として医博士、按摩博士と共に鍼博士が規定された。鍼博士である丹波康頼は、この時期の伝来医書を『医心方』という形で編纂し、現在までその内容が保存されている。医心方は、現在では失われたテキスト(佚書と呼ばれる)が多く含まれるもので、文献学的に大きな価値を有するものである。この時代の日本の鍼法についてであるが、外科的なものや特効穴治療が主体であったとする意見があるが、実際にこの時代の日本鍼灸の技法を総括するのは、現状では簡単ではない。 現代日本で行われる鍼法は、後漢以前に成立した鍼灸の原典である黄帝内経に回帰した「金元医学」の鍼法(経脈(経絡)を意識した鍼法)が主体とされており、平安期に、大陸において広く活用された『千金方』や『外台秘要』など、云わば一般向けの「家庭の医学」的なテキストの影響下にある特効穴鍼法とは一見趣を異にするのは事実である。しかし、「難経」などに見える経脈主体の治療も、既に概要は後漢までには整頓され成立している体系であり、平安期におけるその影響を考察するには、まだ時を要するものと言われている。また、日本の平安朝における鍼法の主流が特効穴治療であったという証左も乏しく、この時代の日本鍼灸の実態については、未だ多くが不明と言ってよい。
室町時代から江戸時代に入って日本鍼灸は大きく発展した。『鍼道秘訣集』の御薗夢分斎、打鍼術を発明した息子の御薗意斎、『素問諺解』、『難経本義諺解』、『十四経発揮和語抄』など、鍼灸古典に対する注釈が多数なされ、出版された。また、岡本一抱のように優れた臨床家も多数輩出され、わが国における鍼灸は内容的に大きな伸展を遂げた。また、江戸期の臨床家でその後の日本鍼灸に巨大な影響を残したのが、杉山和一である。五代綱吉の時代、鍼刺入の為に「外筒(鍼管-しんかん-)」を使用することを発明した杉山和一は、綱吉の治療に当たり、平癒の褒章として下町一つ目に屋敷を賜り、将軍家御医師の地位と、盲人の最高位(検校-けんぎょう)を賜った。また、驚くべきことに、私費を投じて全国40箇所以上に「鍼術教授所」を開設し、日本における鍼灸を、盲人の職掌として確立した。この幕府お墨付きの盲人教育とそのレベルの高さは、ヨーロッパの盲人教育の萌芽と比較しても100年以上早いもので、世界史的な壮挙とされる。いずれにせよ、この後日本においては、鍼灸を盲人が担うという、世界に類を見ない形態の技術伝承と技法の発展が為されることになる。
この杉山和一による「外筒(鍼管-しんかん-)」を用いる管鍼法は、現在では一般的技法として、わが国の鍼灸の特色を為している。また、盲人が鍼灸を担うようになった事で、一般的には刺入ポイントを「見て刺す」技法だった鍼灸が、「触って刺す」技法に変化したと言われる。 これは、日本の鍼灸を、同時代の他の東アジア地域における鍼灸から一歩抜きん出させる、技術論的な意義を持つ重要なポイントである。手先の器用な日本人のうちでも、盲人の指頭感覚は非常に鋭敏である。 この鋭敏な感覚を用いて、体表面を「さわり」、刺入のポイントを類型分類し、技法を体系立てて来た江戸期の日本の鍼灸は、「経穴」という、効果の決まったポイントが体表面に元から存在するとする、古来一般的な鍼灸論に対し、「変化の起こっている部位」こそ「経穴」という治療ポイントになり得る、という視点を導入し、今日に続く鍼灸の科学的な解明に道を開いた。
[編集] 近代
明治時代になると、近代西洋文化の流入に伴い、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めた。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退を辿った。
明治から昭和初期にかけて鍼灸の医学的研究が成熟を迎えるようになり、大久保適斎は鍼灸刺激は交感神経を介して心臓に影響が及ぶということを提唱し、三浦謹之助は鍼治についての研究を行い、後藤道雄はヘッド帯を用いての治療を行った。長濱善夫と丸山昌郎は鍼の響きによるものと考えた。石川太刀雄は皮電点を、中谷義雄は良導点を、小野寺直助は圧診点を、成田夬助は擦診点を、藤田六朗は丘疹点を提唱した。また、芹澤勝助は鍼灸師として初めて医学博士を取得した。中山忠直は『漢方医学の新研究』の著書で鍼灸医師法を提案した。
昭和に入ってから第二次世界大戦や、GHQが「非科学的で不潔である」と言う理由から禁止しようとした事で鍼灸の存続が危ぶまれたが、医学博士石川日出鶴丸や全国の鍼灸師の働きにより昭和22年(1947年)12月20日、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布される。
また、鍼灸の衰退に対して復興運動が昭和初期から起こりはじめた。「古典に還れ」と提唱した柳谷素霊とその元に集まった岡部素道、井上恵理、本間祥白、福島弘道などが経絡治療を体系化した。他にも澤田流太極療法を考案した澤田健と弟子の代田文誌、江戸時代の本郷正豊著『鍼灸重宝記』の内容を治療法の核としていた八木下勝之助、小児はりの藤井秀二、皮内鍼の赤羽幸兵衛、『名家灸選釈義』を著し、深谷灸法を確立した深谷伊三郎、その弟子で『図説深谷灸法』を著した入江靖二、『灸治療概説』を著した根井養智、『鍼の道を尋ねて』の著者であり鍼灸の神様と呼ばれた馬場白光などが古典を元に鍼灸の復興に力を注いだ。
[編集] 資格制度の変遷
- 明治44年(1911年):内務省令「按摩術、鍼術灸術営業取締規則」制定。
- 大正9年(1920年):フランスから入ってきたマッサージ術と柔道整復術が按摩営業取締規則の附則に入る。
- 昭和20年(1945年):敗戦。GHQ(進駐軍)のPHW(進駐軍衛生部)により医業以外の治療行為を全て禁止するように勧告がなされる(所謂マッカーサー旋風)。これを受け、厚生省は昭和22年1月の医療制度審議会において、
- 按摩・鍼灸・柔道整復は、医業の一部として治療行為を許可する
- 按摩・鍼灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する
と答申。
- 昭和22年12月(1947年):「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が成立。これにより按摩・鍼灸・柔道整復の免許は、明治以来の営業鑑札(鍼術・灸術営業者)から、国家資格の身分免許となる(※但し、営業免許ではない(国家資格の身分免許)であることを明確にさせた方が良いと、昭和26年4月に「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」に名称変更される)。
- 昭和30年(1955年):「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」の「あん摩」が、「あん摩(マッサージ、指圧を含む)」と変更。
- 昭和53年(1978年):鍼灸を専攻する初の3年制短期大学設置(明治鍼灸短期大学)。
- 昭和58年(1983年):鍼灸を専攻する初の4年制大学設置(明治鍼灸大学)。(明治鍼灸短期大学が大学に昇格したもの)
- 昭和62年(1987年):国立初の鍼灸学科を擁する3年制短期大学設置(筑波技術短期大学・鍼灸学科)。
- 昭和63年(1988年):「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」の改正により、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師に関わる試験の実施と登録事務が、都道府県知事から厚生大臣に変更(平成4年10月施行)。
- 平成3年(1991年):鍼灸関連の大学院修士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
- 平成6年(1994年):鍼灸関連の大学院博士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
- 平成16年(2005年):国立初の鍼灸学科を擁する4年制大学設置(筑波技術大学・鍼灸学科)。(筑波技術短期大学が大学に昇格したもの)
[編集] 鍼灸の保険適用についての問題点
鍼灸治療は保険点数化された「療養」とは規定されていない為、健康保険を適用する場合、「療養費」として請求する。「療養費」とは、医療機関における保険点数化された「療養」以外の治療を保険医療機関以外の医療施設(鍼灸院、接骨院など)で受給した場合、その治療費を国に請求できる制度であり、患者本人の負担率は医療機関における療養を受給した場合と同様である。 本来は、治療費を一旦全額負担した患者本人が請求を行なう制度(償還払い)であるが、患者本人に非常に煩雑な書類作成を強いることになるため、慣例として「受領委任払い」という支払い形式が取られている。これは治療院が患者の療養費請求を代行できる制度で、鍼灸院、整骨院(接骨院)がこれを行なっている。
この受領委任払いについて、鍼灸院における療養費請求には、「慣例」として医師による同意書の添付が定着している。これは法令で定められた規定ではないが、保険者から見て「鍼灸院」という保険医療機関以外の医療施設からの請求は蔑ろにされることが多く、鍼灸業団と保険者の力関係から、医師による「同意書」の添付を行なう事が慣例化してきた。
問題が複雑であるのは、接骨院(柔道整復業)において療養費を受領委任払い請求する場合、この医師による同意書が不要である点である。 これは整形外科の絶対数が少なかった終戦後のある時期まで、接骨院(整骨院)が、整形外科の代替として実際に一部の急性外傷(四肢の骨折・打撲・捻挫など)に対する医療を担っていた状況があったため、この現実を加味して、接骨院における急性外傷に対する受領委任払いを認めるよう、厚生省が関連する省令や通達などで保険者に周知して来た事が基盤となっている。 整形外科の代替としての整骨院業務に対して、保険医療機関と同様の便利さで治療を提供させたことは、当時の医療を取り巻く状況をよく反映した施策であったが、現在では、整形外科の乱立で本来の「急性外傷」の患者が接骨院には来なくなり、接骨院業務に対する療養費受領委任払いに便宜を図る意義はほとんど失せている。しかし現在でも既得権として、「接骨院」における療養費請求に対しては「医師の同意書添付」は不要とされており、「鍼灸院」における請求と格差を残している。
この格差是正のため、鍼灸業団は「医師の同意書撤廃」のため戦後長期にわたって膨大な努力を傾けたが、全ての努力は実を結んでいない。
厚生労働省が鍼灸保険の同意書撤廃を「困難」としている理由は、以下である。
1.鍼灸の対象疾患は外傷性の疾患ではなく発生原因が不明確 2.鍼灸治療は”治療と疲労回復等”との境界が明確でない 3.鍼灸治療は施術の手段・方式が明確でない 4.鍼灸治療は成績判定基準が明確でなく客観的な治療効果の判定が困難
療養費の支給基準は、法律ではなくその時々の厚労省通達により慣例として決定されており、整合性が疑われるケースもある。[3]
[編集] 脚注
- ^
WHO(世界保健機関)において鍼灸療法の適応とされた疾患
【神経系疾患】
◎神経痛・神経麻痺・痙攣・脳卒中後遺症・自律神経失調症・頭痛・めまい・不眠・神経症・ノイローゼ・ヒステリー
【運動器系疾患】
関節炎・◎リウマチ・◎頚肩腕症候群・◎頚椎捻挫後遺症・◎五十肩・腱鞘炎・◎腰痛・外傷の後遺症(骨折、打撲、むちうち、捻挫)
【循環器系疾患】
心臓神経症・動脈硬化症・高血圧低血圧症・動悸・息切れ
【呼吸器系疾患】
気管支炎・喘息・風邪および予防
【消化器系疾患】
胃腸病(胃炎、消化不良、胃下垂、胃酸過多、下痢、便秘)・胆嚢炎・肝機能障害・肝炎・胃十二指腸潰瘍・痔疾
【代謝内分秘系疾患】
バセドウ氏病・糖尿病・痛風・脚気・貧血
【生殖、泌尿器系疾患】
膀胱炎・尿道炎・性機能障害・尿閉・腎炎・前立腺肥大・陰萎
【婦人科系疾患】
更年期障害・乳腺炎・白帯下・生理痛・月経不順・冷え性・血の道・不妊
【耳鼻咽喉科系疾患】
中耳炎・耳鳴・難聴・メニエル氏病・鼻出血・鼻炎・ちくのう・咽喉頭炎・へんとう炎
【眼科系疾患】
眼精疲労・仮性近視・結膜炎・疲れ目・かすみ目・ものもらい
【小児科疾患】
小児神経症(夜泣き、かんむし、夜驚、消化不良、偏食、食欲不振、不眠)・小児喘息・アレルギー性湿疹・耳下
腺炎・夜尿症・虚弱体質の改善 - ^ 工藤訓正「刺絡名家」『漢方の臨床』1962年、9巻、11号、p989
- ^ 例えば、療養費支給基準として「医師による適当な治療手段のないもの」との解釈があり、医療機関において治療法がある疾患においては支給できないとするケースがある。しかし、現行で鍼灸の適応が原則認められることになっている6疾患(腰痛・肩こり・頸肩腕症候群・五十肩・慢性リウマチ・)とて、医師による適当な治療手段が無いわけではなく、例えば腰痛で整形外科を受診している患者もいる。こういう患者が腰痛で鍼灸に療養費適用する場合には、保険医療機関における療養の受給は併給として不可となってしまう。 どういう治療法がより効果的であるかは、疾患の様々な病期において変動するものであり、医師による適当な治療手段があるものであっても、鍼灸を活用した方が費用対効果の面からも有意義である場合が多々あることは、海外の臨床研究でも明らかになっている(参照)。
- ^ 同意書を取得したにもかかわらず「医師の治療行為が無い」ことを理由に鍼灸療養費が不支給処分とされる場合もある。 レセプトを審査する県国保の診療報酬審査委員会は、鍼灸と職域が重複する整形外科医が、鍼灸などに批判的見解を有している場合が一般的で、こういう場合では審査が故意に厳しくなる。同意書を発行した医師に委員会から理由を問い合わせ、同意書の発行を行なわないよう圧力がかかるケースなども見られる。また、全く法律上の規定も省令・通達に基づいた確認事項も無いにも関わらず、整形外科以外の医師(内科医)が発行したことを理由に、この内科医に対する同意書交付料を不支給とした例もある。

