開聞岳
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| 開聞岳 | |
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![]() 指宿枕崎線車窓からの開聞岳 (2004年(平成16年)7月撮影) |
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| 標高 | 924m |
| 位置 | 北緯31度10分36.7秒 東経130度31分53.6秒 |
| 所在地 | 鹿児島県指宿市 |
| 山系 | 南薩火山群 |
| 種類 | 成層火山 |
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開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山で、日本百名山の一つ。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名薩摩富士とも言う。所在地は鹿児島県指宿市。
目次 |
[編集] 歴史
4,000年前頃活動を開始し、有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日(ユリウス暦874年3月25日)と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火した。このとき、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩でできている。
7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。橋牟礼川遺跡は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である。
大隅半島と薩摩半島によって錦江湾(鹿児島湾)が形成されているが、その薩摩半島の最南端にあるため、海上交通における大事な目印とされ、その名のかいもんは海門に通ずると言う。同様に航海上の目印とされた薩摩半島の秀峰、野間岳と金峰山と合わせて薩摩三峰とも呼ぶ。
なお、太平洋戦争において、知覧の特攻基地から出撃した戦闘機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったという。また、開聞岳の山麓西側の花瀬にはやはり太平洋戦争において、フィリピンで戦死した人々を慰霊する望比公園がある。
平成12年(2000年)12月12日から下旬にかけて、噴気が観測された。
[編集] 登山
らせん状の登山道が整備され、3時間程度で登山することができる。標高924mと日本百名山の中では例外的に低い山であるが(基準は1,500m以上とされた)、海抜0メートル付近からの登山となるため、登山の際の標高差は900m以上ある。独立峰であり、山頂部に近づくにつれて岩が露出するため、頂上からは360度の展望が楽しめる。
山麓にある枚聞神社(ひらききじんじゃ)は薩摩国の一宮であり、開聞岳を御神体としている。このため神社参道と社を結ぶ直線上に開聞岳があり、その山頂には奥宮御岳神社がある。
[編集] 周辺
開聞岳に一番近い駅は、JR指宿枕崎線の開聞駅であるが、一日の列車の本数はあまり多くない。駅には駅舎はなく、無人駅である。駅の北側には、枚聞神社がある。(詳細は#登山を参照のこと)山麓には、開聞山麓自然公園などの公園も存在する。また、山の周囲には遊歩道があり、山の周りを一周することも可能である。遊歩道の途中には、開聞トンネルがある。このトンネルは、車での通行が厳しい狭いトンネルで、心霊スポットとしても知られているものである。
[編集] 参考文献
- 原口 泉・永山 修一・日隈 正守・松尾 千歳・皆村 武一 『鹿児島県の歴史』 pp.68 - 69 山川出版社 1999年 ISBN 4-634-32460-1
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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