鹿沼市

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鹿沼市
かぬまし
日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
団体コード 09205-3
面積 490.62km²
総人口 102,960
推計人口、2009年10月1日)
人口密度 210人/km²
隣接自治体 栃木県:宇都宮市
栃木市佐野市日光市
上都賀郡西方町
下都賀郡壬生町
群馬県みどり市
市の木 スギ
市の花 サツキ
他のシンボル
鹿沼市役所
所在地 〒322-0068 栃木県
鹿沼市今宮町1688-1
真岡市役所
電話番号 0289-64-2111
外部リンク 鹿沼市役所

鹿沼市位置図(栃木県)

:市 / :町
特記事項:
人口密度 211.1人/km²
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鹿沼市(かぬまし)は、関東の北部・栃木県の中部に位置するである。

目次

[編集] 概要

サツキや鹿沼土の産地として有名。2006年1月1日に隣接する上都賀郡粟野町編入し、人口約10万人の県6位の人口となった。

5月になると、鹿沼さつき祭りが開催される。期間中、黒川河川敷で花火が上がる。 秋祭りも見所で、彫刻の入った屋台が町を練り歩く。もともとは、雨乞いの儀式が始まりと言われている。そのせいか、祭りの期間中は雨が降ることが多い。 落ち着いた市だが、宇都宮市のベッドタウンということもあり、最近は人口が増えてきていて、昔ほどの静けさはない。

今でも板荷地区の黒川の上流ではヤマメイワナなどが捕れる。その板荷(いたが)地区は、江戸幕府の8代将軍徳川吉宗の治世に朝鮮通信使が将軍に献上した高麗人参を栽培した所であり、現在ではその跡地は板荷小学校になっている。

近代に入り、地場産業として家具や製材などの木工業が盛んである。

[編集] 地理

[編集] 自然地理

[編集] 地形

関東地方の北部に位置する。市域の西半は足尾山地が占め、東半は鹿沼台地と呼ばれる洪積台地及びそれを刻む中・小河川により形成された段丘谷底平野が、基本的な景観を作っている。

[編集] 河川

西部の足尾山地を源とする黒川、大芦川、荒井川、永野川などの思川水系の河川が北西から南東に流下する。市域は、これらの河川が作り出した段丘氾濫原(見野・玉田付近)、谷底平野が大部分を占める。黒川流域は古くは網の目状に旧河道が分布していたが、現在は周辺と同じ高さまで埋土して利用されている。

[編集] 地質

[編集] 山地(中・古生界)
市の西半を占める足尾山系は古・中生界の硬い堆積岩(チャートなど)からなる侵食山地で、北西に行くほど急峻になる。斜面には関東ローム層が堆積している。

[編集] 丘陵(新第三系)
黒川の西側に南北に細長く鹿沼丘陵が伸びている。鹿沼城跡もこの丘陵上に位置する。また、鹿沼台地の上に孤立して残っている丘群もあり、これが茂呂山である。鹿沼丘陵も茂呂山も新第三系の海成地層で、堆積岩類や火山砕屑岩類が分布する。

[編集] 台地(第四系)
鹿沼台地と呼ばれ、黒川と姿川に挟まれている。陸成の砂礫層の上に関東ローム層が分布する。台地上は水利が悪く平地林が広がっていた。ただ宙水や浅い谷、台地の崖線では水田も古くから営まれていた。最近は住宅地域や工業団地等として変貌が著しい。

[編集] 鹿沼土(鹿沼軽石層)
栃木県の関東ローム層は3層からなるが、その中位層である宝木ローム層の中に、群馬県の赤城火山を給源火山(更新世約3万年前)とする約1mの厚さの鹿沼土(鹿沼軽石層)が見られる。「土」と名が付いているが実際は軽石である。全体として黄色に見え、園芸用として市内各地で採掘されている。上位の田原ロームとは暗色帯で境される。

[編集] 人文地理

  • 典型的な地方都市の都市構造
市の中心地は地形上どうしても黒川左岸段丘上の洪積台地「坂上」、黒川が開削した低平な沖積平野である「坂下」の2つの地区に大きく分けられる。
  • 「坂上」-鹿沼に及んだ車社会化の波-
坂上はもともと黒川姿川という二つの河川にはさまれた段丘上の洪積台地(鹿沼台地)上に位置し、畑作が卓越する地域であった。しかし近年は住宅街が相次いで造成されるとともに、ファミレス・郊外書店・カーディーラー・ホームセンター・量販店・アウトレットセンター・大型複合店舗をはじめ、低層で広大な駐車場を擁するロードサイドショップが続々展開し、またたく間に典型的な地方都市の郊外路線商業地ができあがった。走行中の自動車内からでも視認性の高い大きな看板がロードサイドに立ち並ぶ景観が広がる。
  • 「坂下」-再開発の進む既存市街地-
坂下は近世以来宿場町として栄えた既存の市街地である。しかしイトーヨーカドーが閉店、若い世代が坂上地区や他の地域へ引っ越すなどドーナツ化現象が急速に進んでいる。現在の鹿沼市は、他の都市と同様に、郊外に商業地が卓越している町となっている。

 90年代後半からは、全国的な都心回帰、コンパクトシティ化の方向の中で、最近になって古峰ヶ原(こぶがはら)街道(栃木県道14号鹿沼日光線)を中心とする区画整理が進められている。

[編集] 歴史

[編集] 古代・中世

山岳信仰の舞台として歴史に登場する。深山巴の宿(じんぜん・ともえ)は古代より修験者達が二荒山へ向かう宗教の道であったと同時に、足尾の鉱物を運ぶ金属の道でもあった。
1590年(天正18年)壬生義雄が小田原で陣没。壬生氏改易(5代続いた)でその居城である鹿沼城が廃城となる。

[編集] 近世

 城下町から宿場町として再び栄え始めた。
  • 1610年(慶長15年)、阿部正次が鹿沼1万5千石に封じられて鹿沼藩が成立する(1647年(正保4年)の朽木稙綱とする説もある)。
  • 1647年(正保4年)、日光例幣使街道の制度が整備され、楡木宿、奈佐原宿とともに鹿沼宿が設置される。
  • 1724年(享保9年)、鹿沼藩主内田正偏改易されたために鹿沼藩は廃藩され、鹿沼は宿場町となる。
  • 全国的に人口増加が停滞する近世後半において鹿沼宿の人口は約5割増加し、幕末時点で約3500人を算した。その過半は、身分は農民だが実際には農間稼として商工業を生業とする者であった。農間稼ぎの収入は年貢の対象外であった。
  • 一方で付近の村々は鹿沼宿への助郷役の負担にあえぎ、人口は減少の一途(間引きや鹿沼宿への流入)をたどった。
  • 錯綜した領主配置;日光神領8村、幕府領10村、旗本領(31家)56村、大名領8村と錯綜しており、一村を複数の領主が支配する相給支配も多かった。

[編集] 近代

「木工の町」として発展を始めた。
  • 1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通。電力の全国的普及に伴う電柱(当時は木製)需要の急増や、関東大震災の復興需要の刺激を受けて、現在の鹿沼の主産業である木工業が発展し始める。(鹿沼の木工業は近代以降である。日光宮大工との関係云々は史料的な裏付けは無い)
  • 1890年(明治23年)4月、下野麻紡績(株)(現帝国繊維(株)鹿沼工場)が開業(創設者は日光奈良部町出身の鈴木要三)、以来、近代鹿沼の重要産業である工業用生産を支えた。
  • 1944年(昭和19年)7月、東京都牛込区津久戸小学校その他の集団疎開を受け入れる。
  • 1945年(昭和20年)7月12日夜半から翌13日未明にかけて空襲。天候は小雨。小型焼夷弾約1500発。死者9名、256戸焼亡(泉町付近)。米軍に鹿沼空襲の計画は無かったが、同日には宇都宮空襲(133機)があり、その一部が鹿沼にも飛来したと思われる。ただし鹿沼空襲の戦果報告は米軍資料には無い。帰路の予定外の空襲と推測される。
  • 1948年(昭和23年)10月10日 上都賀郡鹿沼町が市制施行し、鹿沼市となる。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 鹿沼市、上都賀郡菊沢村東大芦村北押原村板荷村西大芦村加蘇村北犬飼村が合併し、鹿沼市を新設する。
  • 1955年(昭和30年)7月28日 上都賀郡南摩村を編入する。
  • 1955年(昭和30年)10月1日 上都賀郡南押原村を編入する。
  • 1964年(昭和39年)木工団地造成。
  • 1969年(昭和44年)鹿沼工業団地造成。
  • 2001年(平成13年)10月31日 ごみ処理行政に絡み鹿沼市役所幹部が帰宅中に拉致され、群馬県の山中で暴力団員らに殺害される[1]鹿沼市職員殺害事件)。
  • 2006年(平成18年)1月1日 上都賀郡粟野町を編入する。
  • 2007年(平成19年)12月20日 市発注の公共事業のトラブル収拾のため、市長、市議会議長、鹿沼商工会議所会頭、元栃木県議会議長、住吉会系暴力団組長が会談する[2]
  • 2008年(平成20年)3月21日 市長と暴力団組長との会談について鹿沼市役所秘書室がマスコミに対し慎重な報道を要請する[2]

[編集] 人口

鹿沼市と全国の年齢別人口分布 鹿沼市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 鹿沼市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 95,999人
1985年 98,820人
1990年 101,098人
1995年 104,019人
2000年 104,764人
2005年 104,148人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

氏 名 就任年月日 退任年月日
鹿沼市長
  佐藤 信 2008年6月21日 -

[編集] 警察署

[編集] 消防署

[編集] 友好都市

[編集] 施設

鹿沼市花木センター

[編集] 産業

[編集] 工業

[編集] 金融

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 路線バス

[編集] 長距離高速バス

東北自動車道鹿沼インターチェンジ周辺に停留所があるが、関東自動車共同運行便とJRバス関東運行便で停留所の位置が異なるので注意。経路は主な停留所を掲載。

鹿沼工業団地内・上犬飼コミュニティセンターに停車する路線
柳田車庫~宇都宮駅(西口)~鹿沼インター入口~成田空港
関東自動車・千葉交通の共同運行
  • マロニエ号(羽田線)
柳田車庫~宇都宮駅(西口)~東武宇都宮駅西口~鹿沼インター入口 ~佐野新都市バスターミナル羽田空港
関東自動車・東京空港交通東野交通の共同運行(東野担当便は宇都宮を経由して黒磯発着)
柳田車庫~宇都宮駅(西口)~鹿沼インター入口~ 京都駅八条口梅田地下鉄東梅田駅)~なんば大阪あべの橋JR天王寺駅
関東自動車・近鉄バスの共同運行


流通団地付近・鹿沼バスターミナルに停車する路線
宇都宮駅(西口)~東武宇都宮駅西口~鹿沼バスターミナル~佐野新都市バスターミナル~王子駅新宿駅新南口

[編集] 道路

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

  • 鹿沼市立東中学校 - 一時期、定期テストを全廃していた。
  • 鹿沼市立西中学校
  • 鹿沼市立北中学校
  • 鹿沼市立北犬飼中学校
  • 鹿沼市立北押原中学校
  • 鹿沼市立加蘇中学校
  • 鹿沼市立板荷中学校
  • 鹿沼市立南摩中学校
  • 鹿沼市立南押原中学校
  • 鹿沼市立粟野中学校

[編集] 小学校

  • 鹿沼市立中央小学校 - 校地は寛文3年(1663年)4代将軍徳川家綱の御成り御殿跡地。
  • 鹿沼市立東小学校
  • 鹿沼市立西小学校
  • 鹿沼市立北小学校 - 大規模な木造校舎としては関東以北最大。映画やテレビ、CM撮影などでも良く使用される(ヤンキー母校に帰るなど)。また、校地は御所の森と呼ばれ、二荒山の遥拝所だったとも、日光山僧の里坊(僧が人里に構えた隠居所)押原御所だったとも伝わる。また、第2次世界大戦中に鉄が足りなかったため周りの塀にある鉄格子を取ってしまった(現在も取られた後が残っている)。
  • 鹿沼市立菊沢東小学校
  • 鹿沼市立菊沢西小学校
  • 鹿沼市立石川小学校
  • 鹿沼市立津田小学校
  • 鹿沼市立池ノ森小学校
  • 鹿沼市立さつきが丘小学校
  • 鹿沼市立みどりが丘小学校
  • 鹿沼市立北押原小学校
  • 鹿沼市立加園小学校
  • 鹿沼市立久我小学校
  • 鹿沼市立西大芦小学校
  • 鹿沼市立板荷小学校
  • 鹿沼市立南摩小学校
  • 鹿沼市立上南摩小学校
  • 鹿沼市立南押原小学校
  • 鹿沼市立楡木小学校
  • 鹿沼市立みなみ小学校
  • 鹿沼市立粟野第一小学校
  • 鹿沼市立粟野第二小学校
  • 鹿沼市立清洲第一小学校
  • 鹿沼市立清洲第二小学校
  • 鹿沼市立永野小学校
  • 鹿沼市立粕尾小学校
  • 鹿沼市立上粕尾小学校

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 深山巴の宿(じんぜん・ともえ) 上古において、修験者達が二荒山へ向かう宗教の道であったと同時に、足尾の鉱物を運ぶ金属の道でもあった。

[編集] 社寺

  • 古峯(ふるみね)神社-もともと古峰ヶ原(こぶがはら)は修験者達の休息場だったらしい。その後天狗の社として関東・東北各地で信仰を集めるようになる。特に明治に入り1880年代以降、各地で開通する蒸気機関車が火の粉を撒き散らすようになったが当時の民家は茅葺きであるため火の粉に弱く、羽扇を持つ天狗が火防(ひぶせ)の霊験大として信仰を急速に集めるようになった。栃木でも1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通すると、一層盛んになった。関東・東北の各集落に「古峯中」「こぶがはら」が存在し、 村の代表が代参して、奉納された多数の天狗の面や額に見守られながら、お籠もりをする。一の鳥居は銅製としては日本最大の大きさを誇る。
  • 加蘇山(かそやま)神社 - 義経 (NHK大河ドラマ) のロケ地(鞍馬寺として)。現在の本社はもとの下の宮。本来の本社は現在の奥社。神職は3家あったが現在は1家。
  • 生子神社の泣き相撲 - 毎年9月19日
  • 雄山寺-壬生義雄の菩提寺。雄山は義雄の法号。
  • 賀蘇山(がそやま)神社 - 旧粟野町入粟野尾鑿に鎮座する。日本三代実録に「授下野國賀蘇山神従五位下」と記載された国史現在社。尾鑿山を神奈備とし、古くから山岳信仰が栄えた。
  • 光太寺 芭蕉の笠塚がある。

[編集] 公園

  • 千手山公園(観覧車などの乗り物料金1回50円)

恋空」の撮影で使用された。

  • 鹿沼運動公園 象間

檸檬のころ」の撮影で使用された。

市制50周年 イースタンリーグ 横浜ベイスターズVS読売ジャイアンツ戦 開催

[編集] 観光スポット

  • 鹿沼市花木センター
  • 前日光つつじの湯交流館
  • 蕎麦 - 粟野地区

[編集] 祭事・催事

  • 発光路の強飯式 : 1996年12月20日に国の重要無形民俗文化財に指定された。
  • 鹿沼今宮神社祭屋台行事 : 2004年2月6日に国の重要無形民俗文化財に指定された。彫刻屋台の彫り師としては江戸後期の石塚直吉(田沼出身)が知られる。神山政五郎(上久我出身)など地元に育った彫り師も少なくない。「屋台」は「山車(だし)」ではなく、移動舞台である。もともとは付け舞台もあり、芝居が上演されたり、踊りが演じられたりした。現在は囃子連の移動舞台である。
  • 奈佐原文楽 : 栃木県に現存する唯一の人形浄瑠璃。昭和33年(1958年)、現存人形頭43頭のうち20頭が栃木県指定有形文化財(工芸品)。昭和46年(1971年)4月、国選択無形民俗文化財。昭和52年(1977年)、栃木県指定無形民俗文化財。奈佐原は例幣使街道の宿場町として遊廓などもあったため、遊芸も発達した。遅くとも文化年間には文楽座が形成され、その後衰微したが、明治25年(1892年)頃に在住した大阪文楽座の人形遣い吉田国造(後の西川小伊三郎)の指導を受け復活した。浄瑠璃は義太夫節で、人形は三人遣。上方の人形浄瑠璃と水戸系の人形芝居の影響を受けている。上演曲目は「三番叟」「寺小屋」「朝顔日記」「鎌倉三代記」「絵本太功記十段目」「阿波の鳴門順礼歌の段」「奥州安達が原三段目」など。奈佐原文楽座の座員の大部分は地元の農民。2008年7月、鹿沼市出身でドイツ在住のホルン奏者中川由美子氏の仲介により、ミュンヘンの「日本まつり」で公演した。
  • 泣き相撲 : 生子神社で実施される祭り。(市の無形文化財指定)

[編集] 出身有名人

[編集] 鹿沼にゆかりのある人物

  • 松尾芭蕉(鹿沼に泊まる)
  • 高久靄厓(江戸後期の南画家。青年時代を鹿沼で過ごす)
  • 宮崎駿(幼少期の一時期に疎開していた。)
  • 浜田能生(ガラス工芸家)
  • イザベラ・バード Isabella Bird (鹿沼市のよく手入れされた大麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感したと書いている。)

[編集] 脚注

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  1. ^ 「環境クリーンセンター事件に関する調査特別委員会調査報告書 http://www.city.kanuma.tochigi.jp/Gikai_a/Tokubetu/kankyou.pdf 」(鹿沼市)
  2. ^ 「鹿沼市長、組長と同席――業者トラブル収拾の会合――栃木県元議長が仲介」『朝日新聞社』43799号、朝日新聞東京本社2008年3月23日、39面

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 17:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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