2009年のバレーボール

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2009年
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目次

[編集] 概説

この年は、1990年代に現在のサイクルが確立されて以降における、「4年周期」の第1年にあたった。北京オリンピックが終わり、ロンドンオリンピックに向けての第一歩ということもあり、各国とも五輪に向け新たなチーム作りに挑んだ1年であった。

[編集] インドアとビーチの関係

新たなチーム作りをするにあたり、特に問題となったのがインドアとビーチの関係をどうするか、であった。これは特に日本で最後まで尾を引く結果となった。

現在のインドアは6人1チームで、足元は木やコンクリートなど、比較的安定した状態にある。空調による気流の変化があっても、それが試合展開に大きな影響を与えることはまず無い。これに対しビーチは2人きりで全てをこなさなければならない。かつ、足元は砂場のため不安定、更に天候の影響を考慮してプレーしなければならない。この大きな根本条件の違いから、インドアからビーチに転じた選手が違いを克服するのに時間を要するのに対し、その逆は心身ともに鍛え上げられるため容易いことが知られてきた。欧米諸国の中には、こうした違いを利用して積極的に相互交流を深め、インドア側がビーチの選手を国家代表に加え、メダルを獲得するケースも生じた。

日本でこの点に着目したのが川合俊一だった。川合はタレントに転じていたものの、日本のビーチバレー界発展のため、競技団体の幹部になっていた。この年、インドアから既に引退していた菅山かおるがビーチに転向すると、川合はメディアなどを通して、他のインドア代表選手のビーチ転向を求めるラブコールを送った。川合の発言は将来的に日本のバレーボール界全体の発展につながるとの思いがあったとみられているが、日本バレーボール協会と女子代表監督の真鍋政義は即座に拒否。「インドア弱体化につながる」との懸念があったものとみられており、川合もその後は表立ってこのことを持ち出さなくなった。

そのインドア女子日本代表は、ワールドグランドチャンピオンズカップで前々回大会以来となるメダル獲得をノルマとして戦うも、4位に終わった。結果的に、アジア選手権でタイが優勝したことと併せ、日本女子が世界の状況の変化に対応できなくなっているのを露呈することになった。一方、国内での競技勃興当初から世界の壁に苦しめられ続けたインドア男子日本代表は、植田辰哉体制の下で着実に力を付け、五輪出場権回復後の勢いを維持した。

[編集] できごと

[編集] 2月

  • 26日 - 元インドア代表選手で前年引退した菅山かおるが、ビーチバレー転向を発表。4月から公式大会に参戦。

[編集] 5月

[編集] 6月

[編集] 11月

[編集] 国際大会

[編集] 国内大会

[編集] 日本

[編集] イタリア

[編集] フランス

[編集] 死去

最終更新 2009年11月19日 (木) 16:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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